カレット
よん
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――高望みをしたわけではなかった。
ただ傍にいて、そう、本当はそれだけでよかったのだ。それが幸せなことだと気が付いていた。好きな相手の傍で笑っていられる。
それだけ、最初はそれだけで。
どこで何を間違えたのか。想いを告げてしまったこと、それが受け入れられてしまったこと――否、受け入れられたと思ってしまったこと。少しだけ、欲を出してしまったこと。
間違えたのだ。

――『ごめん』

「……は……」

あまりよくない目覚めだった。
短く息を吐いて、櫻井はベッドから起き上がった。僅かに乱れたシーツを整え、掛け布団をたたんでカーテンを開ける。梅雨の季節だというのに、櫻井の目覚めに反して天気はよかった。晴れていても空気は湿っていて、見た夢のせいもあってか、なんとなく肌がベタつくような気がした。セットした目覚まし時計が鳴り出すまでまだ三十分はある。
シャワーでも浴びようと着替えを出してバスルームに入った。脱いだ服を籠に放り、シャワーの湯を出して頭から浴びる。ついでに、よくない気持ちも一緒に洗い流してしまえばいい。

――『無理』

(それは、)

そうだ、と濡れて肌に張り付く髪を掻き上げる。
――どうかしてたんだ。
受け入れてもらえると思ってしまった。高望みをしたわけではなかった。それでも、どこかで欲張っている自分がいたのだ。
流した湯が排水溝に吸い込まれていくのを眺めながら、櫻井はかつて枯らした己の涙を思い出した。

* *

「おはようございます」

営業所に出勤した櫻井は、返ってくる挨拶に会釈しながら自分のデスクに座って荷物を置いた。珍しいことに今日は一日内勤である。
朝礼を終え、六花営業所がいつも通りに動き出す。皆、各自のスケジュールに従い動く中で、向かいのデスクで出ていく準備をしていた朝比奈が「あ」と声を上げた。

「櫻井さん」
「ん?」

どうした、と返すと朝比奈は何やら鞄の中を探り、小さな袋を取り出した。

「これ、よかったら」
「え、なんだ?」

袋を受け取り、朝比奈に訊ねる。朝比奈は相変わらずの爽やかな笑顔で、少し照れくさそうに言った。

「お店で見つけて、すごく可愛かったので」

これ、と朝比奈が見せたのは携帯のスタンドである。
思わず瞬きして確かめるほど、男性が使うには可愛らしすぎるのではないかというクリーム色のうさぎのキャラクターデザイン。
まさかと袋を開けると、色違いの同じスタンドが入っていた。

(ピンク)
「櫻井さんにはいつもお世話になってますから」
「はは……ありがとう」

櫻井が持っておくにはどう見ても可愛すぎる。ひとまずデスクに置いてみたが、すぐに茶化す先輩や事務員女子に絡まれる未来を想像して、やはり隠しておくべきかと悩む。
と、朝比奈がはにかみながら言った。

「櫻井さんとお揃いで嬉しいです」

しばらく置いておくしかないかもしれない。


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