ご
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結局、料亭には三時間ほど居た。タクシーで帰るという酔った正田を支え、料亭を出た。間もなくしてやって来たタクシーに正田を乗せて、櫻井は笑顔を見せる。
「今日も、ありがとうございました。お気をつけて」
「いや、こっちこそ、みっともないとこ見せちゃって。いろいろありがとう櫻井さん、また今度の打ち合わせ楽しみにしてます」
「ありがとうございます」
正田がドアを閉め、タクシーが去っていく。頭を下げて見送った櫻井は、駐車場に停めた自分の車に向かうと、傘をたたんで乗り込んだ。ドアを閉めて息をつく。
(……結婚)
この年になれば、友人から結婚式の招待状が送られてくることも珍しくない。しかし櫻井には考えられなかった。こればっかりはどうしようもないことで、無理してでも結婚しよう、などとも思っていない。独身貴族を決め込んだ友人の話を聞いては安心する、そんな状態だった。
――このまま一生終わるのか?
誰と愛し合うこともなく、一生。
唐突に携帯が振動する。
電話だった。
(……朝比奈?)
表示されている名前に少し驚いて、何かあったのだろうかと電話に出る。
「もしもし」
『あ、お疲れ様です櫻井さん、もしかしてまだお仕事中ですか』
「いや、今さっき終わったところだけど。どうかしたのか?」
『あ、いえ……用があって今営業所に戻ったんですけど、櫻井さんまだ戻ってないみたいだったので少し心配になって』
「え、プレートは?」
事務に遅くなると連絡は入れたはずだった。営業所には皆の一日の予定が把握出来るよう、各人の業務プレートが設置されている。外勤、内勤、予定がある者は直帰、休暇、帰宅ーーなど様々あり、櫻井のプレートが直帰に変わっていれば、朝比奈がこんな電話をしてくるはずはないのだが。
『外勤のままです』
(渡辺さん……)
とは、事務員で最年少の女性である。
そうか、と頭を掻いて朝比奈に言う。
「わざわざありがとう、直帰するから平気だよ」
『そうですか。何事もなくてよかったです』
「結構心配性なんだな」
『心配して当たり前のことを心配するのは、心配性とは言わないんですよ。ふふ』
「当たり前か? これ」
櫻井が言ったことの受け売りをする朝比奈に笑って、なんとなく心が温かくなる。誰かに心配してもらえるというのは、幸せなことなのだろう。
「朝比奈も、あんまり遅くならないうちに帰るんだぞ」
『女の子じゃないんですから大丈夫です』
「はは、気をつけて帰れよ」
『ありがとうございます、櫻井さんも。じゃあ、いきなり電話してすみませんでした。おやすみなさい』
「ああ、おやすみ」
電話を切って、少ししてポケットに仕舞った。
(……優しいんだな)
こんなタイミングだと勘違いしそうになる。
――優しかったのは、
(同じだったのに)
間違えたのは自分。いけなかったのは自分。
もう間違えたりしない。
傷付きたくない、それが本音だった。
何もせずともゆっくりと腐っていく、呪いような胸の痛みを、もうこれ以上は。
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