カレット

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午後になると多少気持ちも落ち着いた。実際に営業となれば仕事に集中することができて、営業を終えると車の中で一息ついた。シートに凭れ、窓の外に広がる厚い雲が掛かった空を見つめる。午後は雨だと天気予報が言っていたから、もうそろそろ降り始めるかもしれない。
櫻井は車を出して次の営業先に向かった。

* *

「――ていうわけでさ……あ〜俺の絵でわかるかなあ、この辺をね、こう明るくしたいんだけど。あっ、明るくと言っても、ギラギラした感じじゃなくてこう……」

本日四件目、最後の営業先の責任者・正田(しょうだ)が唸る。外はもう雨だった。
櫻井はまとまらない正田の意見を受け取り、にこりと笑った。

「仄かな明かりを取り入れたい、ということでしょうか?」
「そうそう、そうなんだ、ほわわっとね、気持ちいい感じで」
「はい。それでしたら、こちらのシェルランプをおすすめいたします。天然貝を使用しているので、柔らかい印象を与えられるかと」

用意してきたカタログの中から一つ取り出し、ページを開いて正田に見せる。

「シェルランプ……へえ〜、綺麗だねえ。デザインってこれで全部?」
「いえ、オーダーメイドも可能です。それに素材が天然貝なので、どのようなデザインでも、世界に一つとして同じものはございません」
「世界に一つかあ……」

正田が“オーダーメイド”や“限定品”に弱いことは知っている。既ににやけている正田の顔を笑顔で見つめながら、これは取ったな、と確信した。恐らくオーダーメイド、それもこだわり抜いてくるなるに違いない。
間もなくして正田が「よし」と柏手を打った。

「シェルランプにしよう、オーダーメイドで! 決まり。櫻井さんのおすすめだし間違いないや」
「ありがとうございます」

必要な書類を正田に書かせ、判をもらって確認する。

「確かに。ありがとうございます」
「こちらこそ。今日は? もう終わり?」
「はい」

訪問先はここで最後、特に予定もない。櫻井が頷くと、正田は「じゃあ」と眼鏡を掛け直して言った。

「飯でもどうかなあ? デザイン一緒に考えてほしいな」
「私でよろしければぜひ」
「本当! いや、前にも一回櫻井さんに椅子のデザインお願いしたでしょう、あれ評判良くって」
「恐縮です」
「いやいや。じゃあ早速行こう、こないだ美味い料亭教えて貰ったんだ」
「料亭ですか、いいですね」


話の通り、正田に紹介された料亭はいいところだった。料理の味だけでなく、雰囲気も落ち着いていて、正田との話し合いは終始和やかに進んだ。
デザインも大体決まり、会話に世間話が多くなってきたところで、ふと正田が「櫻井さんは」と呟く。

「はい」
「恋人いるの?」
「えっ」

唐突に振られた話題に素で答えてしまう。すぐに立て直し、「いえ」と苦笑したが、正田は納得いかないような視線を櫻井に向ける。酒が入っているのもあるのだろう。

「本当に〜? そんなにイケメンで、仕事もできて、優しくてさあ、彼女いないの」
「はい。今は、仕事が一番ですし」
「ストイックだねえ」

からかうような笑みを浮かべて正田がグラスに口をつける。下がってもいない眼鏡を指で押し上げ、正田が続けた。

「まあ、いいか。俺はねえ、散々だよ」
「と言いますと」
「五年間も付き合ってた彼女にね、プロポーズしたんだ」

一昨日、と呟く正田の声色は暗い。言いたいことはなんとなくわかったが、櫻井は口を挟まず相槌だけ打った。ポツリポツリと正田が話し出す。

「まあ、バッサリ切られたよね……何かもうよくわかんなくてさあ、へこむよホント。ね」
「それは……ショックですよね」
「でしょう。元から結婚する気はなかった、って……そんなのって有りかって」

正田のグラスが空になったので、おかわりを注いでやる。ありがとう、と言って正田はそれを半分ほども飲んでしまった。営業中は平常心に見えていたが、内心はそうでもなかったらしい。彼もまた仕事人なのだろう。

「こういう時ってどうしたらいいんだろう」

途方に暮れたような声で正田が呟くのを、櫻井はどこか懐かしく思って聞いた。
どうしたらいいのか、それはもう何度も、櫻井が自問した言葉だ。

「……時間が癒してくれます」

自分で言っておきながら、本当にそうだろうかと思った。時間が経てば、そう思って何年も過ごしてきた。
思い出す度、ジクリと胸は腐る。忘れることはなかった。癒えることもなかった、腐る一方だった。

「時間か。はあ、そうだよね」
「正田様なら、すぐに素敵な方が見つかりますよ」
「はは、櫻井さんに言われると、なんか自信出るなあ」
「ええ、どうか自信を持ってください」

女性に恋が出来る。
それだけで、櫻井とは違うのだから。


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