カレット
ろく
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出会って一年と少し、大学二年生の秋の頃。
櫻井の周りには相変わらずの面子がいて、その中には古賀もいた。
少し変わったことと言えば、塩谷と滝が交際を始めたことくらいだった。二人とも変わらず親しくしていた櫻井と古賀だが、ある時ふと古賀が話した。

「なんか、ちょっと寂しいよな」

そう言う古賀の表情は本当に寂しげで、何故か酷く胸を締め付けられた。高校からの付き合いで、そんな仲のいい三人の中で二人が付き合うということは、古賀にとって嬉しい反面寂しいところがあったのだろう。
古賀は笑って言った。

「まあ、俺には櫻井がいるから、いいけどな」

それは軽い冗談だったのだろうが、櫻井にとっては受け流せないものだった。赤くなった顔を隠すのに必死で、それから何を話したかはよく覚えていない。

そんなことがあってから、古賀のことが好きなのだと気が付くのに、あまり時間はかからなかった。
長かったのはそれからだ。一度意識してしまうと何気ないことが嬉しくて、時に寂しくて、楽しかった。商学部の授業を聴講しに行くことも増えた。古賀は櫻井と話す度に楽しそうに笑って、櫻井はその笑顔を見るのが好きだった。
戸惑いはあった。まだ同性愛者である自分を完全に受け入れたわけではなかったから。
それでも、気持ちを自覚した中学生の頃より大人になっていた。高校生の時よりも、気持ちに余裕が出来ていた。
好きだという気持ちを受け入れてもらうことができたなら、どれだけ幸せなのだろうと考えるようになった。

それからどれほどもしない、三年生になる前のこと。

「古賀」
「ん?」

櫻井は古賀に打ち明けた。自分が同性愛者であることを話すと、古賀は目を丸くして櫻井を見つめていた。心臓が飛び出しそうになりながら言った言葉を覚えている。
古賀なら受け入れてくれると思った。

「好きなんだ」

図書館の中の、個室でだった。




「櫻井ー」

手を振る古賀に、櫻井は笑って応えた。

「おはよう」

古賀は櫻井を突き放さなかった。「そうだったのか」と小さく笑って、知らなかった、だとか、そっか、などとしばらく繰り返していた。そうして、ようやく答えを口にした。

「じゃあ……付き合って、みるか?」

そう言って向けられた笑顔に、櫻井は感じたことのない幸せを覚えたのである。

具体的に古賀との関係が変わることはなかった。今まで通り挨拶をして、他愛ない話をして、好きなところに遊びに行って、一緒に勉強をして、ただそこに恋人という意識があることに、どうしようもなくドキドキした。櫻井は幸せだった。
自分がどれだけ脆い足場に立っているのか、知らなかったのだ。

なんでもない、いつも通りの時間の中でのことだった。櫻井の家で課題の勉強をしていた、三年生の秋頃。古賀の言った「付き合ってみるか?」から一年を過ぎようとしていたそんな頃のことだ。

「櫻井、これって」
「ん?」

課題のことを訊ねた古賀と、応えた櫻井の距離が縮まった。

「ああ……、ここ計算間違えてる」
「あ、そっか」

サンキュ、と顔を上げた古賀と、目が合った。初めてと言える近さで、お互い思わず固まってしまった。
キスができる距離。そんな雰囲気。
息もできない。
心臓がうるさくて、目を離せなくて、どうしたらいいんだろう、と思った時だった。古賀の唇がゆっくりと動いた。

「ごめん」

――え、

何が、と思ったのは一瞬だった。古賀の目を見てすぐにわかった。
戸惑う奥に、うっすらと滲む軽蔑の色。

「……無理」

いずれ先に進もうとした時に、壁にぶつかることは予想していた。同性愛者の自分が異性愛者を愛する、それは簡単に上手くいくこととは思っていなかった。
それでも、初めて気持ちを伝えて、初めて受け入れてくれた相手。受け入れてもらえたと、思っていた相手。
気が合って、優しくて、それは事実だった。それで終わらせておけば、

「男が好きとか、やっぱ変だろ」

こんな風に傷つくことはなかったのに。


別れる、などという話もしなかった。急に一緒にいなくなった櫻井と古賀を、周りは喧嘩でもしたのだろうと囁いていた。櫻井はそれから勉強とアルバイトに打ち込んだ。とにかくぼーっとする時間を減らしたくて、常に何かしていた気がする。それでも学内でたまに古賀を見かけた日には、夜眠る前に思い出してしまったりした。
心が砕けていく。ヒビが入って、ボロボロと崩れていくのを、見ないふりで生活した。
就職が決まるとアルバイトに専念した。一人で暮らそうと思ったのだった。
家を出て一人暮らしを始めて、仕事を始めてからは、いくらか幸せだった。慣れない場所で、覚えることもたくさんある。心に余裕のない生活。苦しみを忘れるために違う苦しみを詰め込んだ。
酷く苦しくて辛くて、それでも、徐々に薄れていく幸せな記憶に安心した。


あれから何年も経った。
せっかく、記憶の隅に追いやったというのに。

(……古賀)

一体、何を考えているのか。


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