カレット
きゅう
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ピピ、と体温計が鳴り、櫻井はベッドの上で息を吐き出した。ほんの微熱はあるものの、昨日と比べれば断然いい。

(そうだ、朝比奈……)

電話すると言っていた。まだ着信はない。
ひとまずベッドから降り、朝食にしようとキッチンに向かう。何か作るのも億劫で、トーストで済ませることにした。
テレビで天気予報を見ながらトーストを食べていたところで携帯が鳴り、朝比奈からの電話と確かめてすぐに出る。

「もしもし、おはよう」
『おはようございます。熱、どうですか?』
「下がったよ、おかげさまで。まだ微熱はあるけど調子いい、ありがとう」
『微熱ですか……』
「大丈夫だって、ほんの誤差ぐらいだ」

笑い混じりに言えば、朝比奈は少し唸ったが、最終的には「わかりました」と妥協した。

『それじゃあ、八時頃伺います。大丈夫ですか?』
「ああ、ありがとう。頼むよ」
『はい。失礼します、またあとで』

朝食を終えて身支度を整えると、そろそろ約束の八時というところだった。火の元を確認し、ソファーに座ってインターホンが鳴るのを待つ。時計の針が動くのをぼーっと眺めていると、昨晩の朝比奈の言葉が脳裏に浮かんだ。

――『六花の皆さんついてますから』

(嬉しい)

だけど、と天井を仰ぐ。
櫻井が同性愛者だと知る人間は、営業所に一人もいない。仲の良い同期社員たちの中にも一人もいない。
知っているのは家族と、古賀だけである。
古賀は知っている。だからこそ、揺れるのかも知れなかった。新しく誰かに話すということは、新たな軽蔑と嫌悪の目を向けられる可能性を増やすということである。古賀は既に一度そこを通っている。その上で今、櫻井ともう一度付き合いたいと言うのだ。
自分が愛する人に愛されたい。それでももう、深く傷付くことはしたくない。
「お前は異常だ」という目を、言葉を、向けられることは二度としたくなかった。
我が儘なのかもしれない。

軽快なインターホンの音が櫻井を現実に引き戻す。

「おはようございます」

玄関の扉を開ければ、爽やかな朝に相応しい笑顔で佇む朝比奈がいた。櫻井も笑顔を返す。

「おはよう。本当悪いな、ありがとう」
「気にしないでください、本当にタクシー代と日頃のお返しです。たまには恩返しさせてください」
「昨日十分してもらったんだけどな」
「よく眠れましたか?」
「おかげさまで」

他愛ない話をし、駐車場に着くと「どうぞ」と微笑みながら朝比奈が助手席のドアを開けた。思わず苦笑して車に乗り込む。

「社長にでもなった気分だな」
「電話していただければいつでもお迎えに上がりますよ」

冗談めかして言った朝比奈も運転席に座り、車を出した。頼りになる後輩だ、とシートに身を預け、櫻井は今日のスケジュールを頭の中で再生した。


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