カレット
きゅう
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一週間とは、時に長く、時に残酷なまでに短いものである。

「はああ〜……」
「幸せが逃げるのを見た」
「冗談仰ってる場合じゃないですよ櫻井さん……いよいよですよ」
「そうだぞ、気合い入れてけ」

件の女社長が豪奢な椅子にのけ反る最上階を下から見上げ、はい、と朝比奈がネクタイを締め直す。
午前の営業を終えた午後、それぞれの車でやって来た二人は駐車場で合流した。いつも涼しげでいる朝比奈が浮かべる汗は、暑さのせいだけではないだろう。櫻井は少し可笑しく思って小さく笑った。

「六花のためだ、頑張るぞ朝比奈」
「かしこまりました」

ようやく腹をくくったらしい。いつもの爽やかな笑顔で応える朝比奈によしと頷き、二人は最後の敵に立ち向かう勇者さながらの雄姿でビルに足を踏み入れた。

* *

二時間後。
ザッ、とビルを出た二人の間には通夜のような空気が漂っていた。

「……無事だな朝比奈」
「どこまでを……無事というんでしょうか……」
「生きてるかってことだ」
「一応」

はあ、とため息が被る。覚悟を決めていった甲斐はあった。以前初めて訪れた時は何も知らず酷い目に遭ったためダメージも相当なものであったが、今回は一度は通った道である。それでも精神的疲労は凄まじいものだが、二人はなんとか歩いて車に向かった。新企画と称されたビル建設に関する契約は成功、乱れた服はビルを出る前に直し済みと抜かりはない。

「あの社長さん、やっぱりいつか訴えられるんじゃないでしょうか……」
「むしろ今訴えられてないのが奇跡というか、女社長の強みというか、だな」

これが男性ならば恐らくとっくに問題になっている。なかなか、男が「セクハラされた」と泣き付くのは、いろいろな意味で難しいものである。

「あの性格であの権力だ、もう鬼に金棒だよ」
「恐ろしいですね」
「ともあれ契約は取れたし、結果オーライだな」
「ですね……はあ、櫻井さんと一緒で良かった」
「確かに、一人で呼び出されてたらと思うと……」
「ホラーはあんまり得意じゃないです」
「ホラーか」

そこまでいくかと笑い、櫻井は車のキーを取り出す。
――この後は、

「……朝比奈は、この後帰社だったな。お疲れ様」
「あ。そのことなんですが」
「ん?」

忘れていたことを思い出したような朝比奈に顔を上げる。朝比奈は母親に何かをねだる時の子どものような目ではい、と言った。

「櫻井さん、この後古賀様のところですよね。同行させていただきたくて」
「え……同行? どうして」

突然の申し出にそう訊ねると、朝比奈は「いえ、」と笑う。

「本当にもしよかったら、なんですけど……俺まだまだで、最近ちょっと自信が。今日櫻井さんと久しぶりに一緒に営業させていただいて、やっぱり櫻井さんすごいなって。だからこの後、よかったらご一緒させていただきたいなって、さっき思ってたんです」

社長さんのインパクトで忘れてました、と苦笑する朝比奈に、そんな風に評価されて嬉しい気持ちと、複雑な気持ちが入り乱れる。普段の営業先ならば、朝比奈の向上心に間違いなくオーケーしただろう。
しかしこの後向かうのは、古賀の元である。

(けど……)

自分が担当する新人のせっかくの熱意である。やる気を潰すような真似はしたくない。
――それに、朝比奈がいたほうが気が楽なんじゃ、
そんな思いが浮かび、朝比奈を利用するような汚さを感じてすぐに振り払う。
ダメでしょうか、と言う朝比奈に、櫻井は息をついた。
仕事なのだ。私情は要らない。

「わかった。一緒に来てくれ」
「ありがとうございます、よかった」

安堵の笑みで、「後ろからついていきますね」と朝比奈が車に乗り込む。櫻井も車に乗り、しっかりとシートベルトを締めた。
ゆっくりと息を吐き出す。

(……幸せを)

逃がしているのだろうか。


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