カレット
じゅう
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少し寛いでから無事に帰社すると、櫻井と朝比奈はそれぞれ車から降りた。時刻は夕方五時を少し過ぎたところである。
朝比奈が玄関の扉を開けたところで、ちょうど筧も戻ってきた。二人を見ると「おお、お前らか」と笑顔になる。

「筧さん、お疲れ様です」
「お疲れ。一緒だったのか? ああ、例の社長のところだったな。無事か 」
「ええ、なんとか」

苦笑する櫻井によかったな、と同情を込めて笑うと、筧は扉を開けている朝比奈に頭を下げて中に入った。櫻井、朝比奈とその後に続く。

「そういやあれ、もうすぐだな」
「あれってなんですか?」

ふと呟いた筧に朝比奈が尋ねる。櫻井もなんだろうと考えてすぐに思い当たった。

「慰安旅行」

筧と櫻井の声が重なる。櫻井のほうは若干思い出してしまった、という声音である。筧が笑った。

「なんだ櫻井、忘れてたのか」
「ははは……」

正直忘れていた。それどころではなかったのだ。
毎年行われる一泊二日の、営業所別の慰安旅行。
団体での旅行は温泉だったり、夜皆で眠るのだったり、主にそういうところが落ち着かなくて苦手なのである。まだ不安定真っ盛りだった学生時代の修学旅行など、女風呂がどうだのと話す思春期の友人たちに、なんとなく鬱々としていたことを思い出す。
朝比奈もああ、と慰安旅行のことを思い出したように笑顔になった。

「もうそろそろですね。幹事は矢代さんですよね」
「ああ」

矢代は二班に所属している、気の良い真面目な男だ。思い返せば慰安旅行に向けて合間をぬって準備を進めているようだった。二班の皆も協力していたように思う。来年あたりいよいよ櫻井に幹事が回ってくるのではないかと考えると気が重い。そうなったら日帰りにしてやりたいと思うくらいだがそうはいくまい。
筧は飲むぞー、と上機嫌で歩いていった。旅行でなくとも飲んでいるのだから変わりないだろうと思うが、気分は高まるのだろう。筧についていきながら、朝比奈が「楽しみですね」と櫻井に笑いかけた。櫻井もつられてふ、と笑う。

「そうだな」
「そういえば渡辺さんと倉石さんに、いろいろお店とか見ようって言われたんでした」

若い事務員コンビの名前に確かにと合点する。

「趣味が合いそうだな」

それだけでもなかろうが。
歩きながら櫻井が頷くと朝比奈はにこりとして言った。

「櫻井さんのことも誘いたいみたいでしたよ」
「いや俺はいいよ。適当に見て回るし」
「櫻井さん……一緒に来てください……」
「いや、いいって」
「ちょっと心細いんです……」
「わ……わかったよ」

気丈なのか気弱なのか今一つわからないところがある朝比奈は、櫻井がつい承諾すると、ぱあっと明るくなって「ありがとうございます」と胸を撫で下ろした。そんなに気が重かったのかと察するが、確かに六花事務員女子のパワーには、男性陣も常に押され気味であった。しかしそれで円満にいっているのだから、そのくらいがちょうどいいのかもしれない。

「櫻井さんがいてくだされば百人力ですね。お二人にも伝えておきます」
「伝えるのか」

わざわざ、と言う櫻井に朝比奈は笑顔で頷いた。

「喜んでくれると思うので」
「はは……そうか」

何だか大変になりそうだな、と息をつく櫻井だが、不思議とその心は軽かった。


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