カレット
じゅうろく
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今年もあちらこちらで美しく咲いた桜たちは、四月半ばにもなるとほとんど散ってしまっていた。
そんな金曜日。

「あっ……櫻井さん、お疲れ様です」
「お疲れ様」

オフィスに一人残っていた櫻井は、少し疲れた顔で戻ってきた朝比奈を笑顔で迎えた。
このところ朝比奈の成績は今まで以上に順調で、そのぶん忙しくしている。

「もしかして俺が最後ですか?」
「ああ。もう皆帰ったよ」
「お待たせしてすみません、ありがとうございます」
「大丈夫、やることはいくらでもあるからな」

家に寄る時はタイミングをずらして会社を出て、スーパーで待ち合わせていることがほとんどだが、たまには一緒に会社を出るのも悪くない。

「日報だけ上げたら帰れます」
「焦らなくていいから、夕飯何食べたいかだけ決めてくれ」
「ロールキャベツがいいです」
「早いな」
「あはは、帰り道に決めてました」

笑い返し、ロールキャベツか、とレシピを思い出す。

「あ、でもちょっと手間ですか?」
「いや、そんなに掛からないだろ。いいよ、明日休みだし」
「やったあ」

ふふふ、と日報を打ち込みながら笑みを溢す朝比奈は可愛らしい。
たまに子どもっぽいよな、と微笑ましく思いながら、櫻井もきりのない作業を再開する。
ーー休みか、
自分で口にした言葉を反芻してふと手を止めるが、またすぐに指を動かした。

いつも通りの週末。幸せな夜。
今日も。



「お邪魔します」

二人でスーパーに寄ってから朝比奈の家に向かった。
櫻井が先に玄関を上がると、綺麗に掃除された床がライトに照らされる。いつ訪れても揺るがない清潔感には毎度感心させられた。
先に洗面所を借りてからキッチンで食材を広げていると、ふとリビングに入ってきた朝比奈が隣に立った。

「ん?、わ」

唐突に正面から抱きしめられ、行き場をなくした腕が宙で固まる。
朝比奈の顔が肩口に押し付けられ、一瞬止まってしまったかと思った心臓が今度はうるさく動き出した。

「あ、朝比奈……」
「ん……櫻井さんが家にいるの、好きだなって」
「っ……ど、どうした……急に、」
「……今日、泊まっていってほしいです」
「……え」

背中に触れかけた手がまた固まる。
ーー泊まる、

「嫌ですか?」
「……嫌じゃ、ない……」

やっと答えてからようやく朝比奈の背中に触れると、安堵したように小さく笑う気配がした。

「よかった……じゃあ、着替え用意しますね。服、サイズ同じくらいですよね」
「た……たぶん」
「下着も、買って出してないのあるので、それでよければ」
「朝比奈がいいなら……」

もうなんでもよかった。
泊まるというだけで赤くなっている自分が恥ずかしくて、聞かれるがまま答えると、朝比奈は「もちろんです」と頬に口づけた。

「ふふ。じゃあ、俺もご飯一緒に作りますね」
「い、いいよ。先に風呂でも入っててくれ」
「早く櫻井さんとゆっくりしたいし、一緒にいたいんです。すぐ用意してきますから」

着替えは、とリビングを出ていく朝比奈に、一度深呼吸。

ーーいつも通りじゃなかった。



ロールキャベツは美味しくできた。
使った食器は朝比奈が片付けをしてくれた。

「お風呂、お先にどうぞ」

そう言って。

洗面所には既にタオルと着替えが用意してあった。綺麗に畳まれたパジャマと新しい下着。ひとまずベルトを外し、脱いだものを洗濯ネットに入れる。一緒に洗うと言ってくれたが何だか気恥ずかしい。
初めて見る浴室も綺麗に使われていた。本当にちゃんとしてるなと思いながらシャワーを手に取り、身体を洗い終えてから湯船に浸かる。

「……」

湯船の温かさに落ち着くと、いよいよ考え始めてしまった。
こんなに急に泊まることになるとは思わなかった。
いつかとは思っていたが、それが今日とは。

(……朝比奈にしてもらってばっかりだな……)

そう思うと途端に情けなくなってくる。
いつも何かを伝える前に朝比奈が差し出してくれる。
きっとこのままではいけないのだろう。
そして変われるなら、朝比奈が隣にいてくれる今なのだ。


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