じゅうろく
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風呂から出てドライヤーを借りると、髪を乾かしてリビングに戻った。ソファーで携帯を弄っていた朝比奈が顔を上げる。
「おかえりなさい」
「ありがとう、パジャマもちょうどいい」
「よかったです。飲み物も何でも、テレビとかつけて、ゆっくりしててください」
「ああ」
入れ替りで風呂に向かう朝比奈を見送り、水をもらってソファーに座るが落ち着かない。
テレビを観る気にもなれず、改めてリビングを見渡した。
すっきりと片付いていて、全体の色調としてはパステルカラー。本と共にディスプレイラックに飾られた小さな観葉植物やハーバリウムが何となく朝比奈らしい。例えばここに女子が住んでいると言われても、違和感は一切ないだろう。
誠実で優しくて、男臭さがなくて、肝心なところでリード出来て、きっと櫻井とじゃなくても上手くいく。
それでも選んでくれたのだ。
じんわりと心を温めていると、やがて朝比奈が戻ってきた。
「おかえり」
「ただいまです」
水を飲んだ朝比奈が隣に座る。
「何してたんですか?」
「ああ……部屋見てた。綺麗にしてるなって」
「そうでしょうか」
「節々が朝比奈っぽいというか」
「どのへんですか?」
「主に色合いと小物」
「えー、ふふふ」
「ん?」
やけに嬉しそうに笑う朝比奈につられて笑うと、そのまま手を握られた。
「何だかこう、わかってくれてる感が……嬉しいなって」
「……俺も」
手を握り返す。
「朝比奈にわかってもらってる感、ある」
「わかってますか、俺」
「わかってる」
「それ嬉しいです、すごく」
朝比奈がてれ、として肩を寄せる。
朝比奈の言葉はいつも素直で、温かくなる。
「……いつも……朝比奈が帰る時、帰らなきゃいいのにと思ってたから、」
素直に言ってみたらいい。朝比奈のように。
「その……こうやって泊まれるの、すごく嬉しい。ありがとう」
「……櫻井さん、」
きょとんとした朝比奈が、一拍置いてすぐに櫻井を抱きしめた。
「……可愛い……」
「か、」
「可愛いです、他に表現ないです……」
どう返したらいいのかわからず抱きしめ返すと、一呼吸置いて微かに赤い顔を上げた朝比奈が呟く。
「わかってる感あるって、言ってくれましたけど……俺、自分が櫻井さんとしたいことしてるだけですよ。だから櫻井さんも、したいこととか、されて嬉しいこととか、もっとたくさん教えてほしいです」
「……うん」
「これからゆっくりでいいので」
「……朝比奈にも教えてほしい」
「ふふ、わかりました。遠慮しません」
短く優しい口づけを繰り返す合間、「そうだ」と朝比奈の声が漏れた。
「早速一つあるんですけど」
「ん?」
「名前で呼びたいです」
「……ど、どうぞ」
「いいんですか?」
「そりゃ……いいよ、名前くらい」
少し照れくさくなりながら頷く。
「じゃあ、七生さん」
「……ちょっと慣れないな」
「ふふ。櫻井さん……あ、七生さん。にも名前で呼ばれたいです」
早速間違える朝比奈に笑いながら、朝比奈の名前を思い出す。
「隼人」
「はい、なんですか」
「なんでもない」
「ふふふ、ありがとうございます」
名前を呼ぶだけでこんなに喜んでもらえるのなら、何度呼んだっていい。
朝比奈の手が唇に触れた。
「……もう一回呼んでください」
じわ、と胸元が熱くなる。
「……隼人、ん」
呼んですぐに塞がれた唇はあっさりと解放されたが、そのまま頬に口づけた朝比奈が囁く。
「ん……もう一回お願いします」
「っ……、は、隼人……」
応えれば、微笑んだ朝比奈が柔らかく唇を重ねる。
求められるまま、名前を呼ぶ度に与えられる口づけ。
心地好さと裏腹に速まる鼓動は仕方がない。
「七生さん」
不意に呼ばれて瞬き一つ、ゆっくりと朝比奈の肩に触れると胸が痛んだ。
櫻井からキスをしたことは未だにない。
脳裏に張り付いた、鈍くて重い記憶。
ーー『……無理』
あの日と同じ距離に今は朝比奈がいる。
好きだと言ってくれた。手を繋いでくれた。何度も口づけてくれた。
櫻井が前に進むために。
「……は、」
震えた吐息ごと唇を合わせると、朝比奈の手が撫でるように頭に触れた。
蝕んでいた胸の痛みが抜けていく。
何を悩んでいたのか忘れるほど、何の抵抗もなく受け入れられた唇は愛しげに啄まれ、息を継ぐ毎に深くなっていった。
「っん」
ふと腰を抱いていた手が、櫻井の内腿を愛撫する。思わず腰を引くが、パジャマ越しに撫でられてしまえば膨らみは誤魔化せない。
「っあ、朝比奈」
「あ、名前……ふふ、練習足りなかったですね」
「は、隼人、ん、んむ、ぁ……っちょっと、待っ……」
たまらず待ったをかけると、朝比奈はきちんと手を止めた。ただし首筋に顔を埋めたまま。
「ん、どうしたんですか」
「ふ、服汚す、」
「そんなの、洗ったらいいだけです」
「っ……」
「ふふ、ダメな理由それだけですか? 可愛い」
恥ずかしい。反応が怖い。心の準備ができていない。
この期に及んで情けない理由ならたくさんある。きっと初めの一回が終わるまではいつまでも。
だからもう、
「……七生さんが本当に嫌じゃなければ、ベッド行きましょう」
その初めての相手が朝比奈でよかったと、頷く他に何もない。
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