じゅうなな
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普通ならよかったと何度も思った。
『彼女がさあ』
恋をすること。その未来を考えること。
『結婚することに決まりました!』
『子ども生まれたんだ』
誰にも憚らず、幸せを手に入れることができたならよかったと。
幸せは人それぞれ。
口にするのは簡単で、受け入れるのには時間が掛かる。それは自分にとっても他人にとっても同じことだろう。
「……いつか俺も、女の人を好きになれるんじゃないかと思ってた」
そのほうが楽だと思っていた。同性を好きになって、傷付いたり傷付けたりするくらいなら、よっぽど上手くいくと思った。
「でもダメだった」
高校でも男女の友人はたくさんできたし、告白されることも相変わらず多かった。中には何度も告白してくれる相手もいて、罪悪感も手伝ってオーケーしてみようかと思ったこともあるが、結局その先に何も想像できなくて断った。
そうして大学生になって、古賀と出会って、やっぱりそうなのだと思った。
いくら誤魔化そうと、同性に惹かれてしまうのはもうどうしようもないことなのだと。
そんな中で、初めてできた恋人に盲目になって、やっぱり傷付いて傷付けた。
家族までも。
「……あの時俺は、期待してた。勝手に」
言葉も繕わない。涙が頬を伝うのも構わない。
「全部聞いても、そうだったんだって、でも大丈夫だって、言ってほしかった」
ただ背を向けることしかできなかったあの日の時を進めるために帰ってきたのだから。
「他の誰に軽蔑されたって、家族にだけは味方になってほしかった……っ」
「七生、」
「でも母さんの気持ちも父さんの気持ちも、理香の気持ちも、俺は全然考えてなかった。考えてるふりして、自分に都合のいいように期待してただけだった」
母の呼び声が嗚咽混じりに消えていく。
「……同性愛者じゃなければ幸せだったなんて、そんなわけない。きっと俺はこうじゃなくても、結局何かにぶつかっていじけてた」
人の目ばかり気にして、格好つけのわりには臆病で、そんな男、自分が女性でもそのうち愛想を尽かすに違いない。
そんなことにも気が付かなかった。
「俺はそういう情けない奴で、でも」
ーー『七生さん』
声を思い出して、笑顔を思い出すだけで、こんなにも胸が温かくなる。また涙が溢れてくる。
「今……すごく大事な人がいる。俺の面倒くさいところ全部知っても、俺のことを好きだって言ってくれる人がいる」
朝比奈の優しさに触れて、初めて自分のことを知った気がした。
ダメなところも、ダメなままでいいところも。
「ずっと一緒にいたいと思ってる。ずっと一緒にいられるようにこれからずっと努力する」
大切な両親の期待に応えたかった。もっと喜ばせたかった。
だからこそ伝えなければならない。
「だから、だから俺は……っやっぱり、二人が思うような恋愛も、結婚もできないし、子どもも作れない。本当にごめ」
「謝るな」
遮ったのは父の声だった。
「……悪かった」
視界はぼやけていて、それでも父と目が合った。後悔の滲む声。
「お前に言った言葉を忘れたことはなかった」
ーー『もっと早く知っていたら』
「……しんどそうに話すお前を見て、わからんが……俺ならどうにかしてやれたかもしれなかったのにと思った、あの時は。頭に血が昇って、どうにかするどころか、どうにもならないのを母さんに押し付けて、怒鳴るしか出来なかった」
「あなた……」
「……俺は結婚して、家族ができたことが一番幸せだった」
日曜日の昼下がり、庭を弄っていた父の後ろ姿を思い出す。
渡されたひまわりの種も、任された水やりも、一緒に確かめた小さな芽も。
「同じ生き方をしないお前がこれからどうやったら幸せになれるのか、すぐに想像ができなかった」
父と母が、誰よりも幸せを願ってくれていたことを知っている。
だからこそ、息子が想像していた幸せを得られないとわかって動揺していたことも、どうにかしてやりたいと思っていたことも。
わかっていても悲しかった。もう一度会うのが怖かった。
「お前たちに酷いことを言った。すまなかった」
「……うん……」
謝ってほしかったわけではない。
それでも涙が止まらず、つかえていたものが取れた気がするのは、父にとってそれが「受け入れる」ということであるのをわかっているからだった。
とうとう理香と、父の隣でずっとしゃくりあげていた母も堰を切ったように泣き出した。
「ごめんなさい、ごめんなさい七生」
「母さん、」
「あんな風に出ていかせて、ずっと心配だった……っ、だけど、どんな風に……せっかく、せっかく、勇気を出して話してくれたのに、冗談だなんて私」
「いいよ、もういいから」
「ごめんね……っ、ごめんなさい」
「うん」
六年という月日の間、それぞれの時間を過ごしながら、家族全員が悩み苦しんでいたと知る。
それが申し訳なくて、ほんの少し幸せだった。
「俺は俺でよかったよ」
ーー違う自分であったなら。
何度思ったかわからない。
だけど違う自分であったなら、今この幸せは感じられなかった。きっと家族の形も変わっていた。
古賀とも、六花の皆とも、朝比奈とも、出会うことすらなかったかもしれない。
そんな誰かは、もう願い下げである。
* *
泊まっていけと言われたが、明日の仕事もあるのでまた今度と車に乗った。米と野菜を連れて。
理香と父とは家の中で別れ、見送りには母が出てくれた。
「じゃあね、身体に気を付けて。また顔見せに来て」
「ありがとう」
「二人で来る時は、ちゃんと言うのよ」
「……うん」
思い返すと何だか盛大に恥ずかしいことを口走った気がする。
それでも頷いて窓を閉め、手を振ってから走り出した。
夜の景色。
地元を抜けてしばらく走り、また見慣れた道になってくると何となくほっとした。
連絡は入れてある。
自分の家ではないのにすっかり見慣れたマンションに着いて、インターホンを鳴らすと見慣れた部屋の扉が開いた。
「七生さ、わっ」
すぐに現れた朝比奈の顔を見た途端、何だかたまらなくなった。
抱きしめた朝比奈は、櫻井を抱き返したまま、ゆっくりと後ろにさがって扉を閉める。
「……待ってました。おかえりなさい」
温かい声。温かい腕。温かい唇。
もう格好つけで臆病なままではいられない。
「ただいま」
ずっと一緒にいられるように、これからずっと努力していくのだから。
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