カレット
じゅうはち
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ーーあれ。

ふと目を開け、櫻井は暫しぼんやりと天井を見つめた。
何だか幸せな夢を見ていた気がする。

「……」

隣で大人しく寝息をたてる朝比奈に頬を緩ませ、ふと布団から左手を出して翳してみた。

(…………指輪)

やはり夢ではなかった。思わず笑みが溢れる。

「……気に入ってもらえて嬉しいです」
「っ、起きてたのか」
「今目が覚めました」
「顔洗ってくる……」
「もういいじゃないですか、そんなに恥ずかしがらなくても。もう少しだけ。ね、指輪見せてください」
「う……」

嬉しそうに左手を取られ、起こしかけた身体を元に戻す。

「ふふ。寝てる時にサイズ測らせてもらったんですけど、実は二回失敗してるんです、七生さんのこと起こしちゃって。すみませんでした」
「全然覚えてないな」
「必死に寝かしつけましたから」

櫻井を抱き枕にしてしばらく指輪を眺めていた朝比奈が、「そういえば」と呟いた。

「長い休みって、取れるでしょうか。一週間くらい、二人一緒に」
「うーん……平日休めば九日取れるけど、閑散期ないからな。作るしかない。頑張り次第」
「前に言ってた海外、行きたくないですか?」
「行きたい」
「結婚式のついでに観光しましょう」
「ああ、…………結婚式?」

思わず聞き返すと、朝比奈は当たり前のように微笑んで頷いた。

「リーガルウェディングって、海外でできる結婚式。やりたいです」
「、それ……」
「結構前から調べて知ってました。ちゃんと、その国で結婚しましたって記録が残るやつですよね」

まさか朝比奈がそこまで知っているとは思わなかった。
朝比奈の手が額に掛かる前髪を優しく払い、そのまま頬に添えられる。

「……俺と七生さんが一生のパートナーだって、ちゃんと認められた証が欲しいんです。俺の我が儘、聞いてくれますか?」
「……それは俺の我が儘だと思ってた」
「じゃあ、」

目を輝かせる朝比奈に、もう涙も忘れて笑ってしまう。

「断るわけないだろ」
「あー、よかった……ドキドキしました」
「自信満々の顔してたぞ……」
「やめてください恥ずかしい」
「ふふ」

唇を寄せかけて、寝起きだったと思い出して抱きしめるだけにする。

「……ありがとう。ほんとに嬉しい、全部」
「こちらこそ。でもなんでやめちゃうんですか、キス」
「寝起きだから」
「うーん……仕方ない、顔洗いに行きましょう」

いそいそと起き上がる朝比奈に笑い、ようやくベッドから抜け出した。シャワーは夜のうちに二人で済ませた。少し腰が痛いのは黙っておく。
洗面所には、とっくに櫻井の歯ブラシもコップも置いてある。
歯磨きをして、洗った顔をタオルで拭きながら朝比奈が言った。

「まずは引っ越しですね。俺も七生さんもそんなに荷物ないし、1LDKでも全然よさそうですけど」
「そうだな。一応俺のところは、二人入居オーケーだった」
「え?」
「いや……引っ越した時の不動産屋の担当がいい人だったから、事情話して聞いてみたんだ。いろいろ交渉してくれて、オーナーさんとの約束で一回面談は必要だけど、条件的には大丈夫だって」
「……話してくれたんですか、」
「そりゃ、いざ引っ越しで、どこもあてがなかったら困るしな……でも、いい人だとは思ってたけど、本当に全然変な気使わないで対応してくれて。逆にびっくりした」

もしかしたら、仕事だからと割り切っているだけかもしれない。それでも、何も変わらないやり取りが嬉しかった。今までどれだけ心を閉じていたのか思い知った気がした。
世の中には何十億もの人間が生きていて、一生のうちで出会うのはほんの一握りだけ。
いろいろな人がいて当たり前で、一つ二つの反応をいちいち気にしていたら仕方がないのだろう。配慮はしても、過分に遠慮する必要はない。のかもしれない、と思うこの頃である。
きっとそのことを朝比奈はとっくに知っていて、その身をもって教えてくれたのだ。

「七生さんの家すごく落ち着くので、俺は大賛成です。ここより広いし」
「いいのか、いろいろ見なくて。俺は楽だしありがたいけど」
「そんないい担当さんがいるなら、ますます良くないですか? 面談の予約俺がしたいです、あとで番号教えてください」
「うん」

身支度を整えてから、簡単な朝食の支度を一緒にして食卓につく。
食べ始めると、ふと朝比奈の視線に気が付いた。顔を上げれば微笑んでいる朝比奈と目が合う。

「ん?」
「あ、すみません。……幸せだなって思って」
「……俺も」
「ふふ、ますます幸せです」

満足そうに卵焼きを口に入れる朝比奈に、櫻井はかねてよりの疑問を思い出した。

「……今度聞きたいことがある」
「なんですか?」
「なんで彼女がいなかったのか」
「そんなの今さら気になるんですか」
「ずっと気になってたけど、なんとなく聞けなかったんだ。今なら聞いても大丈夫な気がする」
「改めるほどの話じゃないので今教えると、高校生の時に振られて以来女の人がちょっと怖かったからです」
「嘘だ…………」
「ほんとですから! もう、カッコ悪いから言いたくなかったんですけど、七生さんなら仕方ないです」

どうやら本当らしく、やはり世の中わからないと味噌汁を啜る。
一人でスッキリしていると、仕返しとばかりに朝比奈が尋ねてきた。

「俺も、ずっと気になってたこと聞いてもいいですか」
「何?」
「俺って七生さんのタイプじゃないですよね」
「、は?」
「一緒にテレビとか観てて、なんか違いそうって思ってました」
「………………」
「なんとなくですけど」
「………………」
「聞いてみたかっただけです」
「…………………………タイプではなかった」

さすがに目を逸らしてしまった。

「やっぱり」
「でもそれとこれとは、」

自分のことを棚に上げつつ、わざわざ聞くことかと思って向き直れば、何故か嬉しそうである。

「タイプじゃないけど、好きになってくれたんですね」
「……そうだよ」
「そうなのかもって思ったら嬉しくて、つい聞いちゃいました。すみません」
「…………」
「……もしかして、言いたくなかったですか?」
「ふふ」
「あ、怒ってない。ひどいです」
「いや、今さら……本当になんの話してるんだろうと思って」
「あはは。そうですね」

朝比奈の笑顔が愛おしい。
底抜けの優しさも、声も匂いも体温も。
どこが好きかと聞かれたら、馬鹿な答えと知りながら、全部と口にするだろう。

「ご飯食べたら、何から始めましょうか」
「まずは誰に話を通すかからかな……どのみち六花の面子には、いずれ知れ渡らないといけなくなると思うけど」
「いざとなったら職場変えます」
「俺も覚悟はしてる」
「貯金もっと頑張らなくちゃ」
「もう家賃全部払ってるんだもんな。一緒に住むだけでも結構節約になるんじゃないか」
「確かに。……やっぱり先に挙式のプラン見ませんか? 士気を高めたいです」
「はは。いいよ、何からでも」

砕けて散って、残ったところもきっとヒビ割れたままだと思っていたガラスは、朝比奈と過ごす時間の中でゆっくりと再生されていった。

それはもう胸の奥、いつか夢に見たうさぎの形をして、幸せに彩られている。


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