カレット
じゅうはち
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朝比奈と交際を始めて二年が過ぎていた。相変わらず週末はどちらかの家で過ごしている。

変わったことといえば、心なしか互いに料理の腕が上達したことくらいである。否、それだけでなく、好きな食べ物も似てきた気がする。朝比奈の「可愛い」感覚も少し移ってきた。そういえば、自分の部屋着にいつの間にかパーカーが増えていたり。昼間、櫻井に似てきたと言われて喜んでいた朝比奈の気持ちがなんとなくわかった。

もうずっと前からそうだったかのように自然と日常に溶け込んでいるそれらは、朝比奈と共有してきた時間の証なのだと思い出す度幸せな気持ちになる。

「七生さん」

ソファーの隣が沈んで、朝比奈が楽しそうにくっついてくる。

「顔、笑ってましたよ」
「え」
「ふふ、何考えてたんですか?」
「……俺も少し隼人に似てきた気がするなと思ってた」
「俺にですか? あっ、ラビランだいぶ詳しくなりましたよね」
「あはは、それもあった」

この二年、四季折々のラビリンスランドを二巡したおかげですっかり把握してしまった。思い出して笑うと、笑みを深めた朝比奈が耳元を擽る。

「あとは……食べ物かな。俺がお昼とかに食べた物の話すると、たまにその後食べてるじゃないですか。あれすごく可愛いんですよね」
「かわ……でも逆の時もあるな。確かにちょっとわかる」
「わかってくれますか」
「可愛いというか、」

小さく唸って胸に落ちる言葉を探す。

「……なんか嬉しい」
「ふふ、わかります。七生さん、俺に似てきたなって考えててあんな幸せそうな顔してたんですか? ほんとに可愛いですね」
「そんな顔してたか」
「してました。可愛いです」
「可愛い可愛いって、俺もう三十だからな……」
「それは特に関係ないので」

細やかすぎる抵抗はあっさりと弾かれて終わった。
「可愛い」が存分に好意を詰め込んだ朝比奈最上級クラスの褒め言葉と知っているからこそ無下にできない。なんなら嬉しい。
時間を掛けて櫻井の心をほどいてきた朝比奈は、最近ほんの少しだけ意地悪を謀るようになってきた。

「俺が七生さん可愛いでいっぱいになったらどうしたいかも、もうわかってくれてますもんね」

優しい声で求められ、温かい手で頬に触れられては、首を傾げるほうが難しい。
観念して唇を重ねると、それだけで幸せそうに笑みを溢すのが愛おしかった。

「……可愛い」

うっかり呟くと、瞬きした朝比奈が櫻井の肩に顔を埋める。

「……七生さんに言われるとドキドキしますね」
「俺の気持ちがわかったか」
「よくわかりました。これからも積極的にお伝えします」
「なるほど……」
「ふふ、なるほどってなんですか」

他愛ない会話で笑い合える相手がいること、それが朝比奈であることが何より幸せで、それ以上に求めることなど何もない。
ーーはずなのに。
何もないと思っていたのに、最近少し欲が出てきた。
なんて強欲なのだろうか。

「隼人、」
「はい」
「その、……したいことがあって」
「いいですよ」
「早いな」
「ふふ、だって七生さんのしたいこと、今のところ百パーセント俺がしたいことなんですもん。すみません、ちゃんと聞きます」

どうぞ、と促される。
たった今幸せなのに、もっと幸せになろうとするのは、きっと罪深いことだろう。
いつかしっぺ返しが来るかもしれない。
もうそれでも構わない。

「……一緒の家に住みたい」

珍しく固まった朝比奈が、すぐに櫻井の手を取った。
それから嬉しそうに目を細める。

「……七生さんから言ってくれると思ってませんでした」
「え?」
「いつ言おうかなと思ってました。嬉しい……俺も住みたいです、七生さんと同じ家」
「いいのか」
「嫌だって言うって、少しでも思ったんですか? だとしたら俺の努力不足です、すみません」
「一緒に住んだら、」

朝比奈に言うと決めるまで、いろいろなことを考えた。
避けて通れないリスク、今の仕事、人間関係、考えれば考えるほど悪いほうへと引きずられた。

「会社に申請しないといけないし……言わなきゃいけない人も出てくるし、噂が広まったりするかもしれない、そうしたら」

ーー傷付けるかもしれない。
それが何より恐ろしかった。

「……でも一緒に住んだら」

櫻井の言葉を遮り、朝比奈が背中を抱いて呟く。

「毎日七生さんと一緒に起きたり、ごはん食べたり、話をしたり、一緒に寝たり……今までよりもっと長い時間一緒にいられるんですよね」
「……ああ」
「そんなの、どっちがいいかなんて、選ぶまでもないです。七生さんが負うって決めたリスクは一緒に負います。七生さんのことも自分のこともちゃんと守れるように考えます」
「隼人……」

朝比奈はきっと頷いてくれると思っていた。それでも、こんなに想ってくれていると考えもしなかった。
どこまで浅はかなのだろう。
様々な感情が押し寄せて、涙を堪えて抱きしめ返す。

「……でもよくわかりました、七生さんがまだ不安だってこと」
「ん、え」
「ちょっと待ってくださいね」

軽く口づけてからソファーを離れた朝比奈が、一度寝室に入って戻ってきた。

「……あー緊張する……」
「え?」

隣に座った朝比奈が急に項垂れるので首を傾げる。
様子がおかしい、と思っていると、ふと姿勢を正した朝比奈が小さな白い箱を差し出した。
ゆっくりと箱が開かれ、何かが煌めく。

ーーなんだこれ、

「……七生さんに出会えたことが、きっとこの先全部あわせても、俺の人生で一番幸せなことです。一生かけて大切にします」

指輪というのは、こんなに美しいものなのか。


「結婚してください」


見つめたまま動けないのに、涙は勝手に頬を伝って落ちていく。

「……はい……」

それしか出てこなかった。
櫻井が呟くと、頬を緩めた朝比奈が柔らかく唇を重ねる。

「嬉しいです」

そのまま左手を掬った朝比奈が、薬指に指輪を嵌めてくれた。

「よかった、ぴったりですね」
「……こんな……」

返したい言葉はたくさんあるはずなのに、涙ばかりが溢れてきて、何から伝えていいかわからない。

「……びっくりしました?」
「した、」
「ふふ。本当はもっとお洒落なところで、カッコよく渡そうと思ってたんですけど……家でもこんなに緊張するのに、外だったらたぶん噛んでましたね」

照れ笑いを浮かべる朝比奈につられてようやく口元を緩ませると、ほっとしたように櫻井を抱きしめた。

「……カッコよかったぞ」
「ほんとですか」
「うん」

朝比奈といるだけで幸せなことがたくさんある。
その度もう何もいらないと思うのに、どんどん積み重なっていく。
どれだけのものを与えられて、どれだけ返すことができているのだろうか。

「俺の一生かけて、恩返しする……ずっと傍にいてほしい」
「はい。ずっと傍にいさせてください」
「…………夢じゃないよな」
「キスしたらわかるかもしれないですよ」

朝比奈らしい甘いアドバイスに、微笑しながら口づける。

「ん……」
「……おはようございます。結婚してください」
「ふは」
「ふふ。俺も夢だったら困るので、お返事ください」
「……もちろん、喜んで」

今度は朝比奈の口づけを受け入れ、交わりが深まるにつれてずり落ちていった身体は、やがてソファーに押し倒された。

「ん、はや……っ」
「ソファー、そろそろ買い換えようかなと思ってたんですよね」
「こ、ここでするのか」
「触るだけ。ダメですか?」

聞きながら朝比奈の手は既に太股に置かれている。
ダメなわけがないのだが。
観念して、櫻井は赤くなりながらも朝比奈の耳元で白状した。

「……準備してある、から……ベッドで……れてほしい」

聞こえただろうか。

「…………そんなこと言われたら我慢できなくなります」

聞こえたらしいが、珍しく顔が怖い上に早口である。

「隼人、」
「聞いてないですよ、してくれてたんですか」
「その、久しぶりだし……いやもういい、そのことは」
「よくないです。ちゃんとベッドで聞きますね、行きましょう」
「勘弁してくれ」




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