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食事を終えて、櫻井は電車で来ていた理香を自宅まで車に乗せていった。
「ありがとうお兄ちゃん」
「ああ、体調崩さないようにな」
「うん……ねえ、」
ドアを閉めずに顔を覗かせる理香を見て、言わんとすることを察する。
「……このまま帰るよ。また今度連絡する」
「……そっか。私も何かあったらするね! 仕事、頑張ってね」
「ありがとう、またな」
今度こそ理香はドアを閉め、一度振り向いて手を振った。櫻井も小さく振り返し、理香が家の中に入っていくのを見届けてから車を出す。
家に上がっていかないかと言おうとしたのだろう。
(……悪いな理香)
家には恐らく両親が居る。
まだ顔を合わせる勇気はなかった。家を出て何年も経ったが、未だに敷居を跨ぐことはできない。
――『……冗談でしょう?』
気が動転して、笑みすら浮かべながら青い顔をしていた母を思い出す。
「……冗談でしょう?」
「……本当なんだ」
ちょうど櫻井が理香や朝比奈と同じ、二十二歳の時だった。大学を卒業し、入社も決まり、家を出るその日に、櫻井は全て話した。父と母、妹の前で全て。
自分は女性を愛せないということを、話した。
母は泣いた。父は、何故もっと早く話さなかったんだと怒鳴り散らした。
「もっと早く知っていたら、治ったかもしれないだろう!」
――治った? 俺は病気なのか?
あっさりと認めてもらえるなどと思っていたわけではない、それでも。
母はとにかく泣いていた。父はずっと怒鳴っていた。終いには父が母に、お前の育て方がと八つ当たりを始めた。
耐えきれずに部屋を出た。
理香がついてきた。
「……理香」
呼べば、理香は大きな瞳からぼろっと涙を溢し櫻井に抱きついた。
「理香、ごめん」
「違うの、違うの、お兄ちゃんじゃないの、私」
「ん?」
「私っ……お母さんが、お、お父さんが、あんなこと言うって、ひっ、思ってな……! ひっ、わ、私だって、びっくりしたけど、けど、お兄ちゃんはお兄ちゃんなのに、何も変わらないのに、何でお母さんもお父さんも、あんな風に、言うのおぉぉっ……!」
――ああ、
俺の妹だ、と櫻井は涙で滲んだ視界を閉じて、身代わりのようにわんわんと泣きじゃくる理香を抱きしめたのだった。
(……五年前、か)
ずっと昔のようで、それでいて数字にしてみると大したことのない年月に思えた。
よくない雰囲気で家を出ることは覚悟していたが、あそこまで壊してしまってはもう戻れない。そんな気でいる。理香は恐らく、両親と櫻井のわだかまりをなくしたいと頑張っているのだろうが、それは不可能に思えてならなかった。
何より櫻井自身が、未だ自分を認められずにいるのだから。
自宅のマンションに帰ってきた櫻井は、ドアを開けて靴を脱いだ。明かりをつけ、ジャケットをハンガーに掛けてネクタイを解く。
置いた鞄を開けると、カサリと音がした。何だ、と思って手に取る。見覚えのない箱には綺麗なリボンが巻かれている。箱とリボンの間には、カードが挟まっていた。
見覚えのある丸い字。
“祝・昇進! 頑張れ主任!”
リボンを解き、箱を開ける。
シックな腕時計だった。
――『あ、お兄ちゃん主任になったんだっけ!』
「……いつの間に入れたんだ」
言いながら、口元が緩んでいく。わざととぼけたな、と携帯を取り出した。
沈みかけた気持ちが浮き上がる。
たった一人でもいい、理解者がいる。それだけで腐らずにいられる。
まだ頑張っていられる。
「――もしもし?……ああ、気付いたよ、ありがとう。……嬉しいに決まってるだろ。大切に使うから。ん? うん、」
――いつか恩返しが出来たら良い。
櫻井は新しい腕時計を眺めながら、胸の中に心地好く温かい気持ちが広がっていくのを感じていた。
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