短編集
ブルースター
[2/5]


「“ーーはい、ありがとうございます! よろしくお願いいたします”」

明るい声で締めて電話を切り、一拍置くと、間宮は椅子の背にのけ反るようにして凭れた。

「ま、間に合った……間に合ったぁ〜……」
「よかったねえ」
「よかったぁ……ちゃんと通じたし……」
「フランス語難しいよね」

「食べる?」と隣の女子から差し出されたチョコレートを安堵の笑みで受け取る。
トラベルコンシェルジュとしてこの会社に勤めてもう二年、されど二年。まだまだヒヤリとする出来事は多く、楽しくも緊張の日々である。
顧客の希望にできるだけ応えたい間宮はついキャパシティぎりぎりのラインを承諾してしまうのだが、その度に己の首を絞めていた。

「ちっともよくない」
「んひッ」

突然首筋に冷たい感触を覚え、力の抜けていた身体が大袈裟に跳ねる。おかしな声まで上がり、間宮は口元を押さえながら犯人を仰ぎ見た。

「い、伊集さんッ、何すんスか」
「お仕置きだ。また手配ギリギリのプラン組んだな」
「う、でも、ちゃんとチェック出しましたもん! 青葉さんはいいって……」
「ふぅん」
「あッあッちが、伊集さんの教えを無視してるわけじゃ! ただ一番いいと思って、お客様に喜んでほしくてその」

じと、とした伊集のそれでも端整な顔が近づき、間宮はいろいろな汗を滲ませながら慌てて弁明する。
と、ふと口元を弛めた伊集が、手に持っていたコーラを間宮のデスクに置いた。

「それはわかってる。ただ余裕のない準備とプランニングでトラブルがあった時に困るのは、間宮はもちろん、何よりお客様だからな。忘れてないならいいよ」
「はひ……あの、これは」
「ん?」

コーラを指差し尋ねる間宮に、伊集は小さく笑う。

「お疲れ様のご褒美」

静かに告げ、自分のデスクに向かう伊集の背を惚けて見送る。
次の瞬間隣の席から脛に容赦ない蹴りが入り、間宮はまたしても「んぎッ」と情けない声を上げた。

「〜ッ゛……何すんだ門川ちゃん……ッ」

平然と座っている同期女子を睨むが、十倍は恨めしそうな視線を返され一瞬で縮こまる。先ほどチョコレートをくれたばかりの天使はどこかへ消えてしまったようである。

「何今の……あんた伊集さんのなんなのよ……」
「こ……後輩ですケド……」
「私だってそうですけどっ。くそ、隣にいるのに見向きもされんかった! 気を引こうと思ってデスクトップ伊集さんが好きそうな世界の絶景シリーズに変えといたのに」
「そういう露骨な門川ちゃん俺は好きだよ」
「んがぁムカつくッ! 軽い! 仕事しろ仕事ッ」
「オマエモナー」

コーラの蓋を開け、喉を潤して息をつく。
なんとライバルの多いことか。

* *

伊集を初めて見たのはインターンのミーティング時だった。
活躍中の若手社員として参加していた伊集に、一体どれだけの女子就活生が心奪われていたことかと思い返す。
入社して改めて、社全体としてスタイリッシュな社員が多いことは感じているが、中でも伊集は人目を惹く。加えて優秀、傲らず、仕事熱心とあれば、人気が集中するのも頷ける。
結局インターンの時は直接関わることはなかったのだが、無事に入社した後、研修を終えてからOJTでついてくれた先輩が伊集だった。
元々年上から可愛がられやすい自覚はあるのだが、ありがたいことに伊集も例に漏れず、当初から間宮を気に入ってくれている。厳しくはありつつも飴を忘れず育てられ、今では間宮もこれからのエース候補として期待されている。
伊集は間宮のOJTを終えた後も何かと気にして声をかけてくれていた。
間宮は伊集の仕事ぶりはもちろん、人としても尊敬するようになっており、少しでも伊集に近づきたいと、食事に行ったり、プライベートでも積極的に遊びに誘ったりしていた。
伊集は大体、意外なほど気さくに承諾してくれた。断られたのは仕事の都合か、余程の用事がある時くらいで、ある時ふと不思議に思って尋ねたのだった。

「伊集さんて、彼女いないんスか?」
「いないよ」
「……えっ、なんでっスか?」
「え?」

180度首を傾げそうになった間宮に対し、伊集も小首を傾げた。
いやいや、と常連となった飲み屋の個室で詰め寄ったのを覚えている。

「マジっスか? 誘うといっつも来てくれるから、変だとは思ってたんスけど」

む、と伊集が唇を結ぶ。

「別に変じゃないだろ。いないものはいないし」
「あ、スミマセン! そーいう意味じゃ。ただ不思議で……なんで作らないんスか? もしかしてめちゃくちゃ理想高い系スか?」
「そんなこだわりはないけど、なんでって言われてもな。……そういう間宮は作らないのか、恋人」
「へ」

逆に尋ねられ、焼き魚をほぐす伊集を前に固まった。
自分の首を絞めるのはもはや癖なのか、咄嗟に答えられず「えーと」と濁す。
間宮に彼女がいたことは一度もない。
が、童貞でもない。恋人がいたことがないわけでもない。
ーーあー、もう、なんて返そう……

「……俺、バイの友達がいるんだけど」
「……へっ?」

唐突に切り出した伊集に、じっ、と見つめられ、間宮は次第に理解した。
ーーあ。
ーーあ、これ絶対、そうだ、

「……もしかして、俺がゲイだってわかってたんスか……?」
「ん」

なんとなく、と動じた風もなくほぐした魚を口に運ぶ伊集は、酒も飲んでいない。
対して思いもよらずカミングアウトしてしまった間宮は一気にほろ酔いも冷め、手元の枝豆を見つめていた。

「……したら、あの」
「ん?」
「俺が……伊集さん好きなの、も、わかってたんスか……?」
「えっ」
「えっ」

刺身を掴みそこねた伊集に間宮も顔を上げる。

「……それは知らなかった」

しまった、と間宮は顔面蒼白、おかしな汗がどっと出た気がした。
やってしまった。

「す、スミマセ……」
「なんで謝るんだよ」
「いや、だって、」

恐る恐る伊集の顔を見ると、その顔は微かに赤かった。
なぜ、と瞬きする。
伊集は酒を飲まない。

「お……怒ってますか、」
「なんで怒る……」
「へ、いや、……え?」
「……ちょっと待ってくれ、今のは……」

かあ、と徐々に赤くなっていく伊集に、間宮もつられてどんどん体温が上がる。
箸を置いた伊集が伏し目がちに確かめた。

「……俺は告白されたのか?」
「……し、しました。好きです!」
「あ、ありがとう」
「こ、こちらこそ……?」

とうとう真っ赤になってしまった伊集にばくばくと心臓が高鳴る。

「……俺でいいのか?」

ささやかなイエスの答えに、間宮は飛び付きたいのを堪えて首が千切れそうなほどに頷いたのだった。

* *

(たまらなかった)

会社を出た帰り道、思い出して胸をときめかせる。
その後聞けば、間宮がそうだと気づいた上で、気にしない伊集はいつカミングアウトされても驚かずにいようと思っていたらしい。ただ自分が対象にあるとは思っていなかったようだが、間宮に告白されて素直に嬉しいと思い、そのままオーケーしたという話である。
奇跡、と感慨深く思いながら、間宮は携帯を取り出してメッセージを送った。

『駅前のコンビニ寄ってます! 何か食べたいものありますか?』

コンビニに入って再び画面を確認すると、伊集から返事が来ていた。

『特にない、ありがとう』
『俺ももう出る』

待ってて、という間宮がプレゼントしたスタンプ付きで、思わず頬が弛む。
特にないと言われたものの、結局伊集が好きなクッキーを買ってコンビニを出た。
コンビニ横で待っていたところ、少しして伊集が姿を見せる。

「お疲れ様です!」
「待たせたな。お疲れ様」
「や、ちょうど四十五分の電車乗れますよ。さすがっス」

本来逆方面に帰る間宮は、そのまま伊集と同じ電車に乗った。
ちゃっかりと泊まりの用意も済ませてきた。何せ金曜日、明日から二連休である。混みあった電車内、隣に立つ伊集の横顔を盗み見て、えもいわれぬ幸福感。
ーー俺って幸せな奴!

「ん?」
「なんでもありませんっ」


* 前へ | 次へ #
栞を挟む

2/5ページ

LIST/MAIN/HOME

© 2018 甘やかしたい