短編集
ブルースター 2
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「あ〜、よかった買えたぁ……ありがとうございます伊集さん」

百貨店を出て安堵の息をつく間宮に、隣に並ぶ伊集がまったく、と呆れた笑みを浮かべる。

「下着ごっそり忘れるってお前……」
「う゛、スミマセン……浮かれてました……」
「素直だな。……まあ、」

買い物を終えた二人が立つのは、行き交う車や人々で賑わうシャンゼリゼ通り。
陽が傾く中、澄んだ空に白い雲、落ち葉に彩られた並木道は、フランスの地でも秋らしさを感じさせる。

「気持ちはわかる」
「えっ」
「えっ?」
「えへへ……」
「間宮もフランス好きなんだろ?」
「あ、そっちスかッ……!?」

疑問符を浮かべる伊集に、早とちりした間宮は恥じらいながらも白状した。

「俺はたぶんフランスじゃなくても、忘れ物してたっていうか……、伊集さんと旅行ってだけで浮かれちゃって」
「……なるほど」
「あッあッ仕事ってわかってますよ! あくまで仕事って!」

伊集の後輩らしく先を読んで自分をフォローし、間宮は旅の目的を今一度思い出した。
二人が勤める旅行会社には、福利厚生として長期休暇を取り、各国のラグジュアリーホテルに無料で宿泊できる制度があった。あくまで研修の一環であり、ホテルでもただの客としてのんびりとはいかないが、あくまで研修なので、そこは自制心の問題でもある。
現に間宮は先ほどまで忘れていた。正直なところ。
早速忘れ物に気がついた間宮のせいで、パリに降り立って早々下着などを買い込んでしまったわけだが、仕事に真摯な伊集のこと。このままデートともいかないだろう。
ちら、と様子を窺えば、

「……気持ちはわかる」
「……ふへ」
「俺は忘れ物してないけどな」
「スミマセン……」

照れ隠し、とほくそ笑みながら頭を下げる。
ーー幸せかよ!
このシャンゼリゼ通りで、いやフランスで今一番幸せなのは俺。そう確信して無言で肩を寄せれば、「歩きづらい……」とぼやきながらもそのままにする伊集が愛しかった。
そう、この旅は仕事の一環。異国の地で、のんびりデートがしたいなどと贅沢は言わない。こうして普段見ない景色を眺めながら、ホテルまでの道を行くだけでも気持ちはデートである。
間宮とて大人、このくらいの自制ができねば伊集のような出来る男にはなり得まい。

「間宮、そっちじゃない、ここ曲がるぞ」
「あれっ、スミマセン!」

まだ存分に浮かれていることには目を瞑ってもらいたい。

* *

「おお……」

ホテルに着くなり声を上げてしまい、間宮は開いた口を一度閉じたが、また勝手に開いていった。
クラシカルな外観は壮麗で、いつか観た、パリを舞台にしたミステリー映画を思い起こさせる。

「綺麗というか、いっそ迫力……」
「なんたってパラスだからな」
「こ、ここ、ホントに無料で大丈夫なんスか……?」
「もちろん。ホテルでのことは食事含め、全部会社持ち」
「すごい……ウチの会社すごい……」
「でも、全員が全員行かせてもらえるわけじゃない」

感動に浸る間宮に伊集が微笑みかける。

「間宮が頑張ったからだ」
「……うっ。ありがとうございます、伊集さんのおかげです! もっと勉強しますッ」
「ん、いい研修にしよう」
「はい!」

ーーいい旅でなく、いい研修。さすが伊集さん……。
まじめ、と笑顔で応えながら、間宮は頑張ろうと拳を握った。
俳優か? と思わず見つめてしまう紳士なドアマンに開けてもらった扉を抜け、中に入ってやはり口が半開きになる。
何かの物語の中にいるような美しい内装、美しい人々、まるで宮殿のようだった。

「チェックインしてくるから、その辺りに……」
「あ、一緒に行きます、勉強のために」
「えらいな」
「えへ」

どんな小さなことでも褒められて悪い気はせず、伊集からとなればなおさら。恋人である前に一人の先輩であり、尊敬する人物なのである。

「“こんにちは、予約していたGKTIの伊集です。この度は研修でお世話になります”」
「“こんにちは、お待ちしておりました。お部屋は六階のスイートでご用意しております、どうぞごゆっくりお過ごしください”」
「“ありがとうございます。それと、ご担当のジャラベールさんとも約束を……”」

鍵を受け取り、従業員と流暢に言葉を交わす伊集の横顔に見惚れていると、不意に間宮の肩に手が置かれ、同時にぬっと影が現れた。

「ぴっ!?」
「“ふっ、変な驚き方……! ごめんごめん”」
「アシル、」
「“久しぶりだなマサキ、改装前に来たきりだろう? チェックインは終わったか?”」
「“ああ……おい、こんなところでビズはなしだ。久しぶり”」

何やら知り合いらしい、と間宮でもわかる。担当のジャラベール氏とは彼のことだろう。
握手をする伊集よりも背は高く、濃い睫毛に縁取られたグレーの瞳、癖づいたように上がった口角が人好きのする美形である。このホテルに相応しい外見だが、些かノリが軽いようにも見受けられる。
カウンターから離れると、間宮はアシル・ジャラベールに求められて握手を交わした。

「“初めまして。噂は聞いてるよ、マサキの後輩くん”」
「“初めまして、間宮永斗と申します! べ、勉強中ですが、フランス語で大丈夫デスっ。よろしくお願いいたします!”」
「“んー、噂通り。真面目で元気で素晴らしい”」

なんの噂だろうかと気になるが、とりあえず褒められたので照れながらも背筋を伸ばしておく。

「“二人とも長旅お疲れ様。時差ボケは……大丈夫そうだな。荷物は俺が運ぼう”」
「“あっジャラベールさん、”」
「“いいってリュカ、どうせ特別勤務なんだし。マサキたちと話がしたいんだ”」

ベルマンに呼び止められるもそう振って、アシルは二人分の荷物をさっさとバゲッジカートに乗せると、「“行こう、こっちだ”」と先導した。後ろに続きながら、伊集がやれやれといった顔でアシルに話しかけた。

「“ベルマンの仕事を見るのも研修なんだけどな……なんでアシルが運ぶんだ、お前はマネージャーだろ”」
「“真面目だな、つれないこと言うなよ。明日でも明後日でも飽きるまで見ればいいだろう? 何のために休日出勤したと思ってるんだ。よりによって明日から出張って時に来るんだからな”」
「“それは悪かったって……ここしか日程がなかったんだ”」

フランス語は話すより聞くほうが自信がある間宮は、二人の会話を理解しながらもその関係に内心首を傾げていた。
ーーめっちゃ仲良くない?
確かに業務の中でよくやり取りをする提携先やスタッフは出てくる。が、間宮の仕事における交遊関係が狭いだけなのか、伊集が広いのかはわからないが、ここまで気さくに話ができる相手は国内でもなかなか思い浮かばない。

「“そうだ、先月紹介してくれたモリオカご夫妻、すごく素敵だった。帰り際、日本の折り紙のツルとお礼のカードまで用意してくれてな。本当にありがとう”」
「“こちらこそ。メールした通り、本当にいい旅だったみたいで。次は息子夫婦にって仰ってくれたから、その時はまた頼むよ”」
「“喜んで”」

なんだか、入る余地なし。
どことなく寂しさのような、デジャヴのような何かを感じながら間宮が二人を眺めていると、乗り込んだエレベーターが六階に到着した。価値のありそうな絵画、品のよい照明、すれ違う優雅なセレブたちーーようやく目が慣れてきたが、やはり宮殿を歩いているような気分になる。
部屋に着く前、雰囲気のある美女とすれ違ったあと、伊集が高揚した声で間宮に囁いた。

「びっくりした……、今のエメリナ・バーニーじゃないか」
「エメリナ・バーニー?」
「“さすが、よく知ってるな”」

名前を聞き取ったアシルが感心したように頷き、すごい人なのかと首を傾げる間宮に教えてくれた。

「“イギリスで売り出し中の女優さん。まだ若いけど、演技力が抜群に高い。その上、美人で頭も良くて、モデルもこなしてる。今パリでも大人気なんだ”」
「“す……すごいっスね、客層が……”」
「“幅広くて楽しいだろう? どんなお客様がいてもおかしくない、それがこのル・カルヴェ・パリだ……さあ、着いたぞ”」

鍵を開けて中に入り、間宮はもう驚くまいとしていた構えをあっさり崩された。
夕焼けを映す窓は額縁のごとく、一枚の絵として景色を引き立てている。スポーツでもできそうな広い部屋に置かれたベッドや椅子、テーブルは、どれも王族御用達さながらの高級感で、間宮はいよいよ何をしに来たのかよくわからなくなってきた。

「“マミヤ? くっく、気絶したのか?”」
「“うう、いえ……ちょっと場違いすぎて倒れそうっスけど”」
「“場違いじゃないさ、二人ともイイ男だからな。荷物はこっちでいいか?”」
「“ああ、ありがとう”」

知人とあって口調は軽いアシルだが、その動きは優々としていながらも無駄がなく、一流のホテルマンらしく洗練されている。
アシルに案内された室内は見れば見るほど感嘆ものだったが、特に大理石のバスルームは「これ入っていいんですか?」と思わず真顔で伊集に尋ねたほどである。とんちんかんな間宮に伊集が耐えかねて笑い、首を傾げるアシルに伊集がそのまま通訳したおかげでさらに笑われたが気に入られもした。

「“笑いすぎっス、ジャラベールさん……”」
「“はー、ごめんごめん、マミヤ……カワイイ奴だな。俺のことはアシルでいい。さて、夕食前にホテルのメインどころを軽く案内しよう。あとで迎えに来るから、一時間くらい寛いでてくれ”」
「“助かるよ、ありがとう”」
「“どういたしまして。では、ごゆっくり”」

扉が閉まり、間宮は大きく息を吐き出した。

「いっぱい喋った……気がします」
「頑張ったな。まだ一週間あるんだから、たくさん練習したらいい」
「ハイッ。アシルさん、カッコいいっスすね……めちゃめちゃこのホテルっぽいというか」
「そうだな……中身はチャラついてるけど仕事はキッチリしてる。あれで俺と同い年だからすごいよ」
「伊集さんもめちゃめちゃカッコよくてスゴいっス!」
「あ、ありがとう」
「んふふ」

早速荷ほどきをする伊集に倣ってキャリーバッグを開け、荷物を出しながら尋ねる。

「アシルさんとは付き合い長いんスか?」
「ああ……もう三年近いのかな。ちょうど間宮くらいの時に、俺が初めてカルヴェでプラン組ませてもらったんだ」
「えっ、そうだったんスか!? さすが伊集さん……!」
「いや、まあ、要はその時の担当がアシルで……ほぼアシルの力で取り付けてもらったようなものだけど。お客様の満足度もすごく高くて好評だったから、よく組むようになったら自然とやり取りも増えてな」

ル・カルヴェ・パリについては伊集が主に窓口を務めることは知っていたが、そんな背景があったことは初めて聞いた。ロビーで聞いた二人の信頼感滲むやり取りも納得できる。


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