短編集
置き去りの春にさよなら
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三日後の朝、同じ時間の駅のホームで、知賀がベンチに座っているのを見た難波は目を疑った。
ーー夢?

「……知賀……?」

声を掛けると、懐かしい瞳がこちらを向く。 
三日前に見た時もそうだったが、眼鏡はもう掛けていないらしい。

「あの、」
「……この辺住んでんの?」
「……あー、今、そう……」
「へえ」

俺の家もこの辺、と呟く知賀に目を見開く。

「実家のほうね」
「そうなのか、」
「親父死んで、整理で来たんだ」

淡々と呟かれ、ふと、屋上に続く階段で怒鳴った知賀の声を思い出した。
あの頃の知賀の憂いは消えたのか、それとも。

「……ご愁傷様」
「どうも」

電車がホームに入ってくると、知賀がボストンバッグを持って立ち上がった。

「じゃ」
「っ知賀、」
「……俺は」

ホームに着いた電車の扉が開く。

「俺は好きだったよ、あんたのこと」

踏み出した知賀の手からバッグが落ちて、その前でゆっくりと扉が閉まる。
後ろから腕の中におさめた知賀は、まるで望んでいたかのように大人しくしていた。

「ごめん、……ごめんな知賀……俺も好きだった、今も……」
「……遅いよな、どう考えても……本当、最低だなあんた」
「ごめん、」
「……その格好、これから仕事行くんだろ」

腕の中で振り向いた知賀がネクタイを引いた。

「休むなら許してやるよ」



新卒から勤めておよそ六年、難波は初めて風邪を引いたことになっている。
電車に乗っている間も知賀を抱きしめたかった。相変わらず整った顔立ちは重ねた年月で色香を纏い、窓の外を眺める横顔に見惚れているのは恐らく難波だけではなかった。
いくつか駅を移動して降りたのは馴染みのない場所で、雪予報の曇り空の下、さっさと歩く知賀に同じ歩幅でついていく。
駅前の路地を抜けたホテルの前で立ち止まった知賀が振り向いた。

「今度は逃げるなよ」
「……逃げないけど、知賀、」
「何」
「……いや、行こう」

それ以上何も言わず、知賀と中に入る。
慣れた様子で精算とチェックインを済ませる知賀に胸が重く鳴った。
ーー十年。
長いに決まっている。
部屋に入ると、荷物を投げ捨てた知賀が広いベッドに腰かけた。

「眼鏡、掛けてないほうが俺っぽいんだっけ」
「……俺はそう思ってた」
「結局掛けてた。高校卒業するまでは」

難波も鞄を置き、コートとジャケットを脱いで壁に掛けた。知賀のコートも預かってやり、その声に耳を傾ける。

「……親父は俺の顔が心底嫌いだったんだよ。母親にそっくりだから……嫌いってか、トラウマか」

吐き出すように呟くのを、難波は立ち尽くしたまま静かに聞いていた。

「母親、俺が小せえ時に事故で死んでんの。すげえ大雨の日に、親父のこと駅まで車で迎えに行って」
「……そうだったのか、」
「責任感じすぎておかしくなったんだよな。元々やり場もなかったんだろうけど、中学くらいからどんどん……けど、そもそも」

ーーあの時、この話を聞いていたら、難波はどうしていたのだろうか。

「そもそも、あの日は……留守番頼まれたのに、俺がついてくって言ったのをなだめて、それから出てったんだよな。……だから」

全部俺のせいだったのに、と吐き捨てる知賀の頬に触れる。

「なんにも、お前のせいじゃないだろ」
「……高校ん時、あんたがそうやって言ってくれたの覚えてた……ずっと」

髪もピアスも、必要のない眼鏡も、父親に見せる顔を変えるため。
いつしか人の視線さえ避け、一人でいるようになったのだろう。

「……先輩、俺」
「ん」
「今付き合ってる奴いんの……男で」


十年の間、知賀はどんな日々を過ごしてきたのだろうか。


「……そうか、」
「あんたは? 恋人とか」
「いないよ」
「……昔は?」
「……いた、一人だけ……何年も前に別れてるけど」

柔らかく答えると、知賀はどこか安堵したように「そう」と呟いた。
そして知賀の唇が重ねられる。

「……知賀、」
「……男が好きなわけじゃなかった、たぶん、別に……なのにあんたのことが忘れられなくて、それがムカついて、一人じゃどうしようもなくなって……」

知賀が何度も唇を啄みながら服をはだけさせていくのを、何もできずに見ていた。

「あんたのこと思い出しながら男に抱かれてるうちに、戻れなくなっちまったんだよ、俺は」
「ち、か……」
「最低だろ、俺も……これっきりだ」

一回だけ。
そう囁いて、知賀が難波のベルトのバックルを外す。

「っ……知賀、」
「全部高校出てから知った」
「っ、……ぁ、」

唾液を纏った知賀の手が、取り出した難波のペニスを包んで扱き始めた。空いた手はシャツの中を這い、難波の胸元を誘うように撫で回している。
耳を食んだ知賀の吐息に背筋が震えた。

「男同士のやり方も、悦ばせ方も……自分のイイところも、全部……あんたじゃない男に教えてもらった」
「は……ッ、ン、」
「本当は……っ」

ぜんぶ、

そう震えた唇を塞いで視線を交える。

「……ごめんな、知賀……」
「……そう思うなら、」

知賀に誘われるように、口づけたままベッドにその身体を押し倒す。
あの細かった身体は、いつの間にこんなにしっかりした男のそれになったのか。

「十年分、この一回でちゃんと抱いてくれよ……あんたには優しくされたい」
「……今の恋人、優しくないのか?」
「……ふ、」

その姿を思い出したように「さあ」と柔らかく笑った知賀を見て、いい相手なんだろうと安心した。
備品のローションを使って、知賀に言われるままアナルをほぐしていく。

「は……っ、ァ……」
「知賀……痛くないのか、」
「ん……ッは、痛くね……よ、気持ちい、ィ……あ、ッあ、ッく、ふ」

少し膨らんだ箇所を押せばビクビクと知賀の足が跳ね、難波は蕩けていく知賀の瞳に喉を鳴らしてそこを優しく擦った。

「ッあは、あ……ッは、は、ぁー……っそ、こ」
「ん、……固くなってる」
「そこ、あ、ッ……もっと、ンっ……も、先輩ので、突いて……んあ、はあ、」
「わかった……」
「は、ぁぁ……〜ッ……ふ、」

指を抜くだけで快感に戦慄く知賀の肢体を見下ろし、コンドームを付けたペニスの先端を宛がう。
ーーぜんぶ、
知賀と過ごす十年は、どんな日々だったのだろうか。
ゆっくりと腰を突き出してペニスを飲み込ませる。

「っあ、……あ゛ッァ、んン……っぉ、ん……ッァ、」
「ッく、ぅ……っは、ッは、ッぁ、あ……っ知賀、知賀……ッ」

挿入に震える知賀の腰を掴み、熱く絡み付く中をペニスで擦り上げる。深いところに当たれば腰を回し、先ほどねだられた場所を何度もこねてやる。

「あ゛、ぁ、〜ッん、ひ……ッは、ァ……っく、あ、ぁ、ん、ンんっぁっぁあ……ッ」
「う、っあ、はあ……ッ」
「はあッァッ……、あっ、あ゛っ、先輩、すげ……ッもっと、あ゛ッんっう、っァは、固っ……ん゛、ァッ」
「知賀、ッはあ、あ……っ」
「はあ、ァ、あ、そこ、ッくふ、ぁ……っ先輩、気持ち、ぃ、あ゛っ、ふ、ッきもちい、せんぱァ……ッ」
「知賀ッ……!」
「っキス、」

してと言われる前に唇を奪い、貪りながら夢中で腰を振った。
知賀に恋人がいることも、どうでもいいほどに欲情していた。想いが溢れて止まらず、背徳も罪悪も押し流して知賀を掻き抱いた。優しく、出来ているのかもわからず、ただ知賀を気持ちよくしてやりたかった。
舌を絡め、小さく勃起した胸の尖りに吸い付き、汗ばんだ首筋に口づける。
突き上げる度、たまらないように漏れる知賀の喘ぎが上擦っていくのに、もう行為も終わるのだとぼんやり思った。
難波も限界だった。

「知賀、ッ……知賀、っあぁ、もう、ッ」
「ひッ、あ゛ッ! あっ激し、ッ……あ゛、ぁッあっあっ」
「知賀……ッ、一緒に、っく」
「せ、ん、ぅむ……ッふ、ん゛ッんッん……ッん、っんッン゛うぅ! ぅ、う……っんン……ッ」

唇を重ねたまま互いに射精し、コンドームの中に全て吐き出して、それからゆっくりと唇を離す。

「ッ……はあ、は……〜っぁ、ッん……」
「はッ、っは、はあ……、は……」

ペニスを抜き、まだ絶頂の余韻に震えている知賀の身体を抱きしめる。
もう一度口づけようとした難波の唇に知賀の指が触れた。

「……も、終わりな……」
「……わかった、」
「……ん……いいや、最後」

小さく笑った知賀から悪戯のような口づけ。

「気持ちよかったから、……お礼」
「……俺も……気持ちよかった、すごく」
「ん」

今度こそ嬉しそうに微笑む知賀に、なんだか泣きそうになった。

「知賀は……もうこの辺には住んでないのか」
「ん……、まあまあ、結構遠い……シャワー軽く浴びたら、もう帰るよ」
「そうか」
「……先使っていい?」
「ん、もちろん」

どうも、と気だるげに身体を起こしてシャワールームに消えた知賀に小さく息をつく。
ーーこれで、
下着だけ履くとしばらくぼんやりして、ふと身震いする。暖房は軽く効かせているが、窓の外を眺め、雪がちらついているのに気がついて納得した。

「先輩、……あ、雪か」

本当に軽く流したようで、シャワーを終えて着替えた知賀が窓辺に近づいた。

「……積もるといいな」
「雪、好きなのか?」
「別に好きじゃねえけど……、なんとなく」

そう呟いて、知賀がベッドに腰かける。

「……どうぞ、シャワー」

ーー出てきたらもう知賀はいない。
そんな気がした。

「ん、ありがとう」
「、……結局言えなかったんだよな」

あの時、と苦笑した知賀が小さく呟いた。
お守りを渡してくれた、十年前の不器用な優しさを思い出す。

「ありがと、先輩……いろいろと」
「……どういたしまして」

満足そうに笑う知賀に笑みを返すと、難波はシャワールームの扉を閉めた。
しばらくただシャワーに打たれて、どれくらい経ったのか、部屋に戻るとやはり知賀の姿も荷物もなくなっていた。
代わりに、難波の鞄の上にメモが置いてあるのを見つけて手に取る。

【またどこかで会ったら 幸せになってて】

「……字、」

上手いじゃん。
そう笑うと、難波は窓辺に寄って外を見つめた。
もし、と思わずにはいられなかった。もしあの時、逃げ出してしまわなければーーしかしそれが叶うことは二度とない。
例えこの先、恋人ができても結婚をしても、きっと雪をーー桜を見る度、知賀という男を思い出すに違いなかった。
ベールが掛かったようなあの懐かしい日々を、今日この日のことを。

(知賀、お前も)

またどこかで、いつか会えたなら、どうか幸せに笑っていてほしい。
そう願いながら、難波はしばらくの間、窓の外で降りしきる雪を眺めていたのだった。


*END*


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