短編集
塔野くんの自然観察同好会日誌
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(……んなこともあったな)

設立当初のことを思い出しながら、放課後、すっかり慣れてきた第二棟を訪れた。鍵は開いている。
早いもので七月、もうじき梅雨も明けるかという頃。
今日は朝から晴れていたが、遠くの空は雲行きが怪しい。
いつも通り旧化学室に入ると、春山が笑顔で教卓に置いたノートパソコンを見つめていた。無論、春山の自前である。

「あ、塔野くん、お疲れ様!」
「おう。何見てんだよ、ニヤニヤして……エロサイトか?」
「エロサイト……! 塔野くん見るの?」
「見ねーよ」
「なんだ。というか、違う! これさ」

ほら、と見せた画面には、リアルタイムの天気図が映っている。

「んだこれ」
「天気図だよ、見たまんま。ほら、この辺り、そろそろ雨が降りそうなんだよね! 楽しみだな」
「はあ?」
「雨、嫌い?」

わくわくする春山に塔野が首を傾げると、そう尋ねられた。
雨でいいことがあった記憶はあまりない。

「晴れてるほうが面倒ねえだろ」
「あー……傘持たなくていいもんね! たしかに」
「濡れるし」
「うんうん、たしかに。でもさ、悪いことばっかりでもないよ」

そう言って立ち上がり、チョークを取り出して黒板に何やら描き始める。
カラフルで、何本かが弧を描いていてーー

「……そうめんか」
「虹だよ!!」
「声デケェな! 冗談だよ」
「いや、絶対素だったよ今……もう、いいさ、虹ね」

カツ、カツとチョークで黒板を叩く。

「虹の発生条件は知ってる?」
「知らねーけど……だいたい雨の後だろ」
「大正解! いいね」
「なんだその点々」
「雨。僕の画力にはツッコまないでくれよ」

青のチョークで粒を描いた春山が、「あと二つ」と笑う。

「……雨降って……そういや、その後、晴れた時」
「すごい! 天才だよ塔野くん!!」
「目玉焼き描いてどうすんだよ」
「太陽だよ!! もうわざと言ってるだろ」

手放しに褒められるのがむず痒くて茶化すが、春山はそれでも愉快そうにしていた。
腕捲りをしているせいもあってか、こうしていると教師のようである。

「さて。最後、もう一つ……なんだと思う?」
「……あー……」
「僕の絵もヒントだよ。ほら、見て見て」

そう促され、塔野はじっと黒板を見つめた。
左に太陽、右に虹。虹の上に雨が描かれている。

「……反対側?」
「なんの!?」
「た……太陽の、反対側」
「大っ正解だ!!! 素晴らしい! すごすぎる」

万歳をして塔野の肩をばんばんと叩く春山に、やはりじわじわと頬が赤くなる。

「大袈裟……」
「大袈裟? そんなことない! 塔野くんは知識として知らないことを、経験を思い出して、考えて、よく見て、答えを導いた! 素晴らしすぎる……こうして人類は進化してきたんだなあ」

塔野の十倍は嬉しそうである。
まあいいか、と悪態をつくのはやめにして、塔野も教壇に登った。

「で……なんで虹?」
「雨が降るってことは、虹が見れるかもしれないじゃないか。それも、この時期は絶好のチャンスだよ。夕立の後は虹が出る可能性が高いんだ」
「ふーん……」
「あんまり興味ない?」

笑っているが、少ししょんぼりとして見える。なぜか少し焦り、いや、と珍しくフォローした。

「興味なくは……ねーけど、別にそこまで特別じゃねえというか……。大体、なんかぼんやりしたやつばっかだし」
「なるほど。たしかに、くっきりした虹ってなかなか見られないよね」

頷いて、黒板を眺めた春山が虹そうめんをチョークで叩いた。

「塔野くん、虹ってなんだと思う?」
「……ん?」
「虹」
「…………、目の錯覚?」
「なるほど! 表現的にはあながち間違いじゃない気がする」
「まだるっこしいわ。知らねーよ、なんなんだよ」

答えを求めた塔野に、春山は笑って言った。

「太陽の光だよ」
「……光?」
「そう、こうやって」

太陽から黄色いチョークの線が伸び、雨に当たり、跳ね返るようにして斜め下におりていく。

「太陽の光が、雨粒に反射して、僕らの目に映ってるんだ」
「……なるほど……?」
「つまり虹は、雨が降って、太陽が出て、初めて僕らの目に映る……七色の光として。すごくないか? ずっと雨でも見られないし、ずっと晴れてても見られないんだよ。だから大好きなんだ、虹」

きらきらとした瞳で嬉しそうに語る春山に、なんだか虹が見たくなった。

「……見れそうなのかよ、今日は」
「うん、そんな気がする」

春山の言葉に応えるように、次第にポツポツと窓を打つ音が聞こえてきた。微かに雷の音もする。

「盛り上がってきたぞ!! 塔野くん!!」
「るせっ、てめー、声デケェんだよ! 雷よりうるせえわ」
「つい。ねえ、雨が上がるまで何かしようよ。あ、エロサイト? 見る?」
「見ねーよ……つーかお前興味あんの? そういうの」
「ないことないけど……正直女の子よりアサギマダラのほうが追いかけたい」
「誰そいつ」
「青い蝶々。見る!? 綺麗だよ……ほら、こんな繊細な見た目でさ、すごい距離を飛んで、海を渡るんだ! たまらないよぉ……」
「……なるほど……」

興奮した様子で見せられた青い蝶が映るパソコン画面にそれだけコメントし、塔野は窓の外を見た。
雨足が強まり、まさに豪雨。本当に晴れるのかよ、と疑ってしまうほどに空は暗い。
春山も外を見て小さく笑った。

「止まない雨はない、なんて言うけど、実際雨の中にいると信じられないんだよね。いまいち」
「……そーだな」
「でもやっぱり、止まない雨はないんだよ」

立ち上がって窓辺に寄り、春山が空を見上げる。

「虹って、そういう、希望みたいなのに近い気がする。雨と晴れ、影と光……なんにでも、どっちも必要で、どっちもあるから美しいんだって教えてくれてるみたい」
「……ちょっと痒かった」
「あはは、ちょっとなの?」
「まあ、ちょっとわかる気もするし」

そう言えば、春山は目を丸くして照れくさそうに「そっか」と笑った。嬉しそうである。

「……あ……塔野くん! 行こう、」
「ん?」
「雨、止みそう」

春山に言われるまま、何も持たず屋上に続く階段を上る。

「えーと、屋上の鍵、鍵……これかな」
「つーかマジ、丸ごと任されてんのな、お前……」
「うちの先生たち、リスク管理ちょっと甘いよね。こういうのは助かるけどさ」

よ、と鍵を開け、錆びかけたドアノブを捻る。
雨は上がっていた。緩やかに散っていく雲の隙間から、太陽の光が射している。

(太陽の……)

ーー反対側、

「塔野くん!」

春山の嬉しそうな声に振り返る。

虹が架かっていた。
花は雫を落とし、土は濡れ、雲の隙間から射し込む光が辺りに煌めいている。

美しいと思った。
ただそれだけ。


「……マジで虹……」
「綺麗だねえ」
「うん」

考えることもなく頷いた塔野に、春山がぱちくりと瞬きして塔野を見る。それから嬉しそうに笑うと、もう何も言わなかった。
二人はしばらくの間、雨上がりの屋上で、空に浮かぶ七色の光を眺めていたのだった。



「おつか……」
「塔野くん!!」
「声デケェな……今度はなんだよ」

夏休みも近づいた放課後、旧化学室に入るなりチラシを眼前に押し出される。

「これに参加しよう! ぜひ!」
「あ? んだよこれ……、」

チラシを手に取り、内容を見て半眼になる。

【来たれ!わんぱく少年少女!〜一泊二日 虫とり合宿〜】

「おい」
「夏合宿と洒落こもうじゃないか」
「おい、わんぱく少年」
「何かな」
「何かなじゃねえ! これど〜見てもガキ向けのやつじゃねえか」
「安心してくれ! 既に確認済みさ、高校生までは参加オーケーだそうだ」
「なんでだよ……」
「高校生だって、世間一般じゃあまだまだ少年だからね」

項垂れる塔野を春山が覗きこむ。

「まあ、無理強いはしないけど……せっかくだし、一緒に行きたいじゃないか。これなら、活動実績として残しやすいし」
「…………」
「虫とり合宿……たのしそう…………」
「……行きゃいいんだろ……、わーったよ、行くよ」
「やったー!!! さすが塔野くん! 話がわかる! 実はもう申し込んじゃったからさ」
「はえーよ」
「や、塔野くんならなんやかんやで来てくれるかなと思って」
「なめやがって……」
「信頼してるんだよ」

ほくほくとした春山がチラシを黒板にマグネットで留め、「楽しみだなあ」と椅子に座った。
ーーまあ、いいか……。
喜んでいる姿を見て悪い気はしない。

「……晴れるといいな」
「ん? そうだね! でも雨天決行みたいだよ」
「でも、虫とんなら晴れたほうがいいだろうが」
「まあたしかに……、そうだよね、虫とるんだから」
「あ?」
「いや、」

珍しく歯切れが悪くなった春山に首を傾げると、「その」と春山がはにかんだ。

「塔野くんと合宿……楽しみだなあと思って、ちょっと虫とりのこと忘れてた……」
「……はー……恥ずかしい奴……」
「否めない」

いやはや、と頭を掻く春山の隣に座る。

「……で、今日は何すんだよ」
「お! そうだった、今日はねえ」

そう笑う春山にふと思い出す。

ーー『きっといいことがあるよ』

あったらわかるよ。


「……お前、たしかに魔法使えそうだわ」
「えっ!? 何、急に! ときめくだろ、やめてくれよ……、杖とか持ってる?」
「その気じゃねえか」

塔野が思わずと笑うと、春山も楽しげに笑った。

春山から受け取ったノートは、今日もベッドの横に置かれている。
今日の日誌には、おそらくこう綴るだろう。

【7月16日 春山、魔法を使う。】


*END*


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