不動産会社・火野の話
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「ーーはい。それでは、土曜日の十時にお待ちしております。お気を付けてお越しください」

通話を切ると、隣でキーボードを叩いていた耳敏い同期がすぐに話しかけてきた。

「例の件だ?」
「あ?」
「クローリス」
「あー……そうそう」

その野次馬精神に一周回って感心する。

クローリス、506号室。そのマンション名と部屋番号の主から、最初の電話を受けたのは二週間ちょっと前のことだった。


* *


「……あっ少々お待ちください、はい。……火野(ひの)くん! ちょうどよかった今電話、二番! 前担当してもらったって、クローリス506のサクライ様から」
「あーはい、今出ます」

契約が決まった管理物件の室内チェックに出たはずが、たまたま出くわした入居者からのクレームを直接受けて長引いてしまった。
どっと疲れて帰社したところで俺宛の電話、今度はなんだと作業用ジャンパーを脱いで椅子に掛ける。
ーーサクライ様? 最近じゃねーな……でもクローリスはうちの管理、506?

(あ)

ーーあのイケメンか。

「お待たせいたしました、お電話代わりました火野です」
『ーーお忙しいところ失礼いたします。以前火野さんにご担当いただいた、クローリス506号室の櫻井と申します』

この仕事できます感のある滑らかな口調と丁寧な物腰。完全に思い出した。

× ×

担当したのは何年前だったか。俺もまだ新人で、ようやく一人でお客さんの前に立つのにも余裕が出てきた頃だった。
一本、問い合わせの電話を受けた。一人入居で条件は駐車場あり、今の住まいより綺麗で広いところ、家賃は相場ならこだわりなし。お客さんとして優良物件で、案内から契約までも超絶スムーズだったのでそんなところまで覚えてる。

約束の日、受付から内線を受けて下の接客フロアに降りると、一人でカウンターに座るイケメンがいた。普段丸まっている受付さんの背筋が皆伸びていた。女は正直で残酷だ。

「お待たせいたしました。担当させていただきます、火野と申します。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」

休日だろうに愛想はよく、名刺を受け取る仕草も慣れたもの。営業職かな、と向かいに座ると、待っている間に記入してくれた顧客シートを受け取った。
櫻井七生さん。名前までイケメンに見えてくる。俺より少し年上、今の住所もそう遠くはない。
引っ越し理由は、

「取り壊しですか……」
「はい。結構古くて……」

苦笑いして、携帯の地図アプリで自ら外観を調べてくれた。思わず画面を二度見しそうになる。
これは。

「…………築五十年とっくに越えてそうですね……」

というかこのイケメンがこのボロアパートから出てきたらびっくりするな。

「確か、入居した時には越えてました。元々、最低限の修繕しかしない方針だと聞いてはいたんですけど……とうとう建て替えないとダメだという話になったそうで、それなら取り壊すと」

ーーあ〜いる〜。そういうオーナーさん。
人間でいったら五十歳なんてまだ折り返しかもしれないが、物件の年齢は全然違う。古いまま放置、安さを売りにした物件は、ハマる時は確かにドンピシャだ。でもどうしたって残りがち。リフォームして家賃上げましょうって言っても聞く耳持たず、大抵訳アリとか他で入居が難しい人で回していって、最終的に取り壊して追い出し。なんか切ない。
そうはいっても所詮仲介、説得したところで持ち主が白といえば白、黒といえば黒の俺たちは従うまでである。

ーーにしてもこのイケメン、いや櫻井さん、収入低そうには見えないけどな。すげー丁寧だし。お洒落だし。「ちゃんとしてます」感がものすごい出てるんだけど、爆弾抱えたりしてねーだろうな。
念のため聞いてみようかな。

「……なるほど。ちなみに、ご入居のきっかけって何かあったんですか?」
「ああ……実家を出て、初めて一人暮らしで借りたところなんです。やりくりも上手くできるかわからないし、貯金も考えたら安いところにしておこうと思って。当時は、住めればどこでもよかったので」
「なるほど〜」

至極まっとうな理由だ。

「どのみちそろそろ出ようとは思ってたんです。取り壊しは二ヶ月後なので、それまでに見つけられれば、待たずにすぐ引っ越すつもりでいます」
(最高かよ)

引っ越すしかない状況でゆるゆる好条件。人柄も問題なさそう。綺麗なところに案内できるし。
これが役満か。

「かしこまりました。櫻井様にピッタリのお部屋、一緒に探していきましょう!」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」

櫻井さんの希望は好条件ながらゆるゆるすぎたので少し絞りつつ、なんだか探してるいるうちに楽しくなってきた。
というのも、

「お問い合わせいただいてたお部屋なんですが、ここは二十四時間ゴミ出しオーケーなぶん少しお家賃高めになってまして。こだわりがなければ、似た条件でもう少し安いお部屋もたくさんありますよ」
「そうなんですか、じゃあお願いします。やっぱりプロにお任せしたほうが安心ですね」
「いえいえそんな……ありがとうございますっ。それと……お料理とかされますか?」
「たまにですけど、好きなほうです。キッチンが広ければもう少しやりたいかな」
「でしたら、1LDKが使いやすいと思います。1Kでお部屋が広いところもあるんですが、キッチンは廊下ですし……あっそうだ、1LDKでそろそろ空く予定の部屋もあるので、今資料出しますね。結構いい物件なんですよ」
「そういうのも覚えてるんですか? すごいな、さすがですね」

なんかやたら褒めてくれるから。
別におだてようと思ってわざわざやってる風にも見えないし、普段からこんな感じなんだろう。いいなーうちの会社にもこういう先輩いてほしかったなー。
こんないいお客さんに変な物件を紹介してがっかりさせたくない。
厳選した三つの部屋を案内すべく一緒に車に向かうと、スタイルまでいいことがわかってしまった。足長。姿勢良。目線たか。
そして道中、仕事の話をしていてやはり営業マンだと知った。しかもタチカワって聞いたことあるし、これは本当に優良物件だ。

「三つも回るの、大変じゃないですか」
「全っ然ですよ! 一日で十件見たいって持ってくる方もいらっしゃいますし」
「十件! 終わる頃には最初の部屋忘れてそうですけど」
「そうっ、そうなんですよ〜! だから頑張って五件くらいに絞るんですけどねー」

櫻井さんの聞き上手につられてうっかり俺の話をたくさんしてしまったが、それも楽しそうに聞いてくれた。電話取ってよかったなあ。
最後の物件に着いて、エレベーターで五階に上がると部屋の鍵を開けた。うちが管理を任されていて安心感もあるし、条件もドンピシャだし、ここにしませんかの意を込めて最後に持ってきたのだ。

「あ、中も綺麗……本当、新しめですね」
「前回の方が新築入居で、築浅に入る物件なので。水回りがあって、この扉からリビングです。ご自由にどうぞ」

部屋の中を見て回る櫻井さんを少し離れて見守る。
それにしてもイケメンだな。いい人すぎて嫉妬心もわかない。
貯金して一人暮らししてて、引っ越しでまた一人暮らしってことは、彼女いないんだろうか。
いやでも、広めがいいってことはつまりあれか? そういうことなのか?

「……実際、お部屋が狭いといろいろ不便も出てきますよねー、荷物増えたりとか……」
「そうですね……荷物は少ないほうだと思うんですけど、仕事柄インテリアにも興味出てきたので、自室でもいろいろ試してみたいんですよね」
「いいですね〜!」

めちゃくちゃ真面目な理由だった。邪な詮索をかけて本当に申し訳ない。
でもこんな人なら、いずれは彼女と一緒に暮らして、結婚とかするんだろう。いいなあ。

「ここだったら洋室のほうも広いですから、お客さんが来ても余裕ですよ」
「……そうですね」

ーーあれ、
一瞬なんか変なこと言ったかな、と思ったが、櫻井さんは笑顔で振り向いた。

「ここにしたいと思います。お願いできますか」

× ×

そうしてその後、なんの問題もなく審査通過、契約、無事入居。
鍵を渡してから会ってなかったが、確かに思い出した。

「お久しぶりです、櫻井さん! どうかされましたか?」
『お久しぶりです。少し伺いたいことがあって』
「はい、なんでも。お部屋のことですか? お引っ越しとか……」
『はい……なんというか』

なんだか歯切れが悪い。言いづらいことなのだろうか。
何かやらかしてしまったのか? 部屋のことで管理部に言いづらくて俺に直接言ってくるようなことーー、

「もしかして、何か壊しちゃいましたか?」
『、っふふ、すみません。壊してはいないです』

違ったらしい。が、櫻井さんの笑いを取れたのでよしとしよう。

『……今の契約について、相談があるんですが……直接伺っても大丈夫でしょうか、もしお時間あれば今日にでも』
「? はい、大丈夫ですよ。この後だと、十四時でいかがでしょうか」
『ありがとうございます』
「ではお待ちしてます。お気を付けて」

一体なんの話だろう。



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