Side:A 朝比奈隼人の話
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「おはようございます」

朝礼前、メールチェックをしていた櫻井さんに声を掛ける。
「おはよう」と返された挨拶は自然で少しほっとする。別に櫻井さんを追い詰めたいわけじゃない。
あの夜から初めて顔を合わせた朝、戸惑った様子の櫻井さんを見て、できるだけ普段通りにするよう気を付けていた。
とはいえ、このまま一ヶ月過ごしても俺の気持ちは伝わらない。そのまま櫻井さんの傍に寄って声を落とした。

「今日の夜、空いてますか? この間お客様に教えていただいたお店、櫻井さんと行ってみたくて……」

実はあの後一度夕飯に誘ってみたものの、用事があると断られてしまっていた。反応からして、たぶん困らせてしまっただけで用事はなかったんだと思うけど。
反省を踏まえて前日には誘おうと思ってたのに、昨日は忙しくて夜まですれ違いっぱなし。メッセージで誘うとまた断られてしまいそうな気がして、めげずに声を掛けることにした。

「……俺でよければ」

鬱陶しかったらどうしよう、と弱気になりかけたところで櫻井さんから返事があった。
ーーよかった……!

「ありがとうございます。夕方に少し長くなりそうな案件があるんですけど、七時前には戻れると思うので……少し待ってていただいても大丈夫ですか?」
「いいよ。俺も事務処理残ってるから」
「ありがとうございます」

嬉しい。今日はすごく頑張れる気がする。
朝礼を終えて解散すると、櫻井さんは早めにオフィスを出ていった。

「……あっ櫻井の奴、」

デスクを離れようとした三国さんが櫻井さんのデスクを見て呟く。
どうやら社用携帯を置いていってしまったらしい。三国さんは慌てて携帯を掴むと、走って櫻井さんを追いかけていった。

(忘れ物……)

珍しい。いつもちゃんと確認してから出ていくのに。
ぼんやりさせてるのが俺のせいだとしたら申し訳ない。
それが少し嬉しいことも。



戻れると思っていた時間、俺はまだ車の中にいた。

(なんでこういう時に限って……)

信号全部引っ掛かるし。
櫻井さんを困らせてる罰かもしれない。
電話したものの、仕事中か気が付いてないのか、櫻井さんは出なかった。
ようやく営業所に着いて車を降り、急いでオフィスに向かう。明かりは点いていて、扉を開けると櫻井さんだけがデスクで仕事をしていた。

「櫻井さん、」
「ああ、お疲れ」
「お疲れ様です」

穏やかな声に安堵する。
集中していたらしい櫻井さんが今気が付いたように時計を見た。

「遅くなってすみません、電話したんですけど……」
「電話? 悪い、全然気付かなかった」
「いえ、すみません……よかったです、待っててもらえて」

席について日報画面を開くと、櫻井さんがコートを手に取った。
ーーなんだか嬉しそう。かも?
急いで日報を打ち込んで、二人でオフィスを出て車に向かう。

「俺、車出します」
「ありがとう。帰りは、ここで落としてもらえればいいから」
「わかりました」

月岡様に教えてもらったホテルのレストランはすごくいいところだった。アンティーク調の内装が高級感に溢れていて、たぶん自分では気が引けて選ばないようなところ。
料理も美味しかった。櫻井さんとゆっくり話もできた。

帰り道も他愛ない話をしながら、居心地のよさに頬が緩む。
このままずっと着かなければいいのに。

「……朝比奈には、」
「はい」

ふと静かに呼ばれて答えると間が空いた。
それで少しわかってしまった気がした。

「いや、なんでもない」
「えっ、気になりますね……じゃあ、頑張って当てます」
「クイズじゃないから」
「あはは」

ーー俺は櫻井さんがいいのに。
でも櫻井さんが、俺のことを考えてくれてる。それだけで嬉しい。


「いろいろありがとう」
「こちらこそです」

あっという間に元の場所に着いてしまった。
名残惜しくて、車を降りようとした櫻井さんの手を取る。

「、朝」
「……その」

見つめていた櫻井さんの顔がだんだん赤くなっていくのに心臓の鼓動が速まる。可愛い。
もっと、
ーーいや絶対ダメだ。

我慢しないと。

「……おやすみなさい」
「……お、おやすみ」

理性を取り戻して手を離すと、櫻井さんは少しほっとしたようだった。自分に余裕がなさすぎてやっぱり恥ずかしい。
窓を開けて声を掛ける。

「お気を付けて」
「ああ。朝比奈も」
「はい」

少し冷えていた櫻井さんの手は気持ちよかった。
手入れされた手の感触も、普段見せない表情も、家に着くまでに何度も思い出して、やっぱり櫻井さんのことが好きなんだとしみじみ感じてしまった。


* * *


そうして、櫻井さんが家に来てくれたあの日からとうとう一ヶ月経った。
予定よりだいぶ早く目が覚めて、お風呂掃除まで済ませた朝。
車は昨日洗車して、中も掃除したし。

(そろそろ出ようかな)

一ヶ月、できる限りの時間を櫻井さんと過ごせるようにした。食事したり、映画に行ったりして、随分俺と一緒にいることに慣れてもらえた気がする。櫻井さんのことをもっと知りたくて、たくさん話もした。おかげで趣味や好きなもの、考え方も前よりわかってきて、ますます好きになって、最近ちょっと苦しいくらい。

出掛ける約束をしていた櫻井さんを迎えに行って、地元方面に二時間ほど車を走らせ、最近できた海岸沿いのオープンモールを訪れた。お洒落と話題になっているだけあって賑わってる。

「すごい人だな」
「ほんとですね。ひとまず、お昼にしましょうか」
「ああ。何がいい?」
「そうですね……うーん。結構イタリアンが好きで……パスタはどうですか?」
「……うん、」

心ここにあらずな返事に顔を上げると、櫻井さんはどこかを見つめていた。

「櫻井さん?」
「ああ、悪い」

ーーまた何か考えちゃったのかな。

「こことかどうですか?」
「いいな」
「その後、CMでやってたジェラートも食べたいです」
「この寒いのに女子高生みたいだな……」
「ダメですか?」
「全然いいよ」
「ふふ、よかったです。行きましょうか」

櫻井さんにしてみたら、俺が櫻井さんを好きになることは、自分が女の人を好きになるのと同じくらい信じられないことなのかもしれない。
そう思って改めて自分の恋愛観を考えてみると、不思議と性別にこだわりはない気がした。櫻井さんのことが好きな今だからかもしれないし、櫻井さん以外のことを今は到底考えられないけど。

入ったお店は混んでいたものの、案内してもらうのにそこまで待たなかった。海をイメージした小物や内装が爽やかな店内。
ふと見た櫻井さんが店内を興味深そうに眺めていて思わず笑ってしまう。

「ん?」
「いえ、櫻井さんが仕事のこと考えてそうだったので」
「よくわかったな」
「尊敬してますから」

自信満々で言うと笑われた。

「そうか」
「本当ですよ。何か思い付いたんですか?」
「思い付いたというか……この間カフェの照明をシェルランプで提案したんだけど、結構素材が面白くて。こういう店にも合うだろうし、もう少しアレンジしてもいいかもなって思ってさ……」

ーーこういうところもすごく好き。
真剣で、楽しそうに話してくれる櫻井さんを見つめる。貴重な話をメモに取ろうとして、今日は持ってないことを思い出した。脳に刻もう。
それからなんとなく二人とも仕事モードになってしまって、料理が出てきてからも俺が抱えている案件の相談に乗ってもらったりしていた。

「あ」

今する話じゃないかもと気が付いたのは結構後。

「すみません、せっかくのお休みに仕事のことばっかり……」
「いや、全然」

優しく笑う櫻井さんは本当に面倒見がいい。
こういうところもすごく好き。

「ありがとうございます」
「ジェラート食べに行くか」
「はい」

少し先にあったジェラートのお店に向かうと、こちらのほうが混んでいるようだった。

「櫻井さん、席お願いします。俺並んでくるので、何にしますか?」
「悪いな。じゃあラフランスで」
「いいですね、行ってきます」

店内にはいろんなお客さんがいた。友達同士、恋人同士、家族連れ。櫻井さんが言った女子高生も確かに多い。
ジェラートを買ってから櫻井さんを探す。よくよく全体を見渡すと、女の人の視線がやけに集まってるテーブルがあった。なんてわかりやすいんだろうか。
普通はあんまり他の人のことなんて見ないと思うけど、目立つ人には目がいくものだ。櫻井さんが目立つのはたぶん、整った顔立ちのせいだけじゃない。姿勢とか、雰囲気とか、そういうのが全部カッコいいからだろう。贔屓目じゃないことは今この瞬間にも証明されてる。
人混みの中でもこんなに目立つ人が、周りに放っておかれたわけがない。今までどれだけ現実を突きつけられてきたんだろうと思うとやるせなくなる。
近くの家族の様子を微笑ましげに眺めていた櫻井さんに声を掛けた。

「櫻井さん、お待たせしました」
「ああ、ありがとう。朝比奈は何にしたんだ?」
「ジャンドゥーヤです」

向かいの椅子に座ると櫻井さんにラフランスを手渡して、二人でスプーンをつけた。

「ん。美味い」
「美味しいですね。一口どうですか?」

当たり前っぽくスプーンで掬ったジェラートを差し出してみる。
ーーこのくらい普通。女の人同士でやってるのだって見たことある。友達同士でもやる。
でも櫻井さん、嫌がるかな。

「……ん、」

少し戸惑った後、櫻井さんの唇が開いてどきっとする。
ジェラートの乗ったスプーンが遠慮がちに口に含まれるのを見つめてしまった。

「櫻井さんのも一口いただいていいですか?」
「ああ、」

呟いて、ラフランスのジェラートを口に運んでくれる。

見たかったら見ればいい。
見たくなかったら申し訳ないけど、目を逸らして忘れてほしい。

「さっぱりして美味しいです」
「うん」

他の誰から、友達だと思われていても、兄弟だと思われていても、恋人だと思われていても構わない。今ここにいる人たちが櫻井さんのことをどう思おうと、俺のことをどう思おうと、どうせ三日も経たずに忘れてしまう。

「朝比奈、」
「気にしなくて大丈夫ですよ」

櫻井さんを苛む『普通』の定義を壊せるならそれでいい。

「櫻井さんが一人でいる時から、女性がたくさん見てましたから。櫻井さんが素敵なので、どうしても目立つんです」

見つけやすくて助かりますけど、と笑って付け足すと、櫻井さんはようやく頬を緩めてくれた。

「……ありがとう。今日は飴も出ないけど」
「もう一口ラフランスをいただければ大丈夫です」
「ちゃっかりしてきたな」



ジェラートのお店を出た後は、モール内を散策して買い物を楽しんだ。
レジで会計を済ませて、出入り口の近くで待ってくれていた櫻井さんの元に向かう。

「お待たせしました」
「いや。外、結構暗くなってきたな」
「そうですね。景色も有名みたいですし、ちょっと覗いていきませんか」
「いいな。行こうか」

案内図の通りにレンガタイルの道をゆっくり歩いていくと、やがて展望デッキに出た。寒いせいか人は疎らで、これなら櫻井さんも落ち着けるかなと思う。
深い紺とオレンジのグラデーションが掛かった空を飛行機が横切っていく。横目に櫻井さんを盗み見ると、景色を眺める瞳に夕陽が射してキラキラしていた。

「綺麗ですね」

海に視線を流して呟くと、櫻井さんがこちらを見た気がした。
櫻井さんのことだってわかってしまっただろうか。
別にいいけど、ちょっとだけ恥ずかしい。


帰り道の途中、レストランに入って夕食にした。もう帰らないといけないなんて、楽しい一日って本当に短い。
渋滞もなく帰ってきて、櫻井さんのマンションの横に車を停めると、「そうだ」と櫻井さんがバッグを開けた。

「朝比奈、今日はありがとう」

そう差し出された小さな包み。
ーーまさかプレゼント?
全然予想していなくて固まってしまった。いつ用意してくれたんだろう。

「いいんですか?」
「うん」
「開けても、」
「いいよ」

いつかもしたようなやり取りで、櫻井さんは小さく笑っていた。
ラッピングを解いて出てきた箱を開けると、中にはうさぎをモチーフにしたネクタイピンが入っていた。
ーー嬉しい。

「可愛いです。嬉しい……櫻井さんが選んでくれたんですか?」
「さっき見つけて、朝比奈っぽかったからつい」
「付けてたら数字が上がりそうです」
「それは保証しないけどな」

そう笑う櫻井さんにますます嬉しくなる。
うさぎといっても大人っぽくてお洒落なネクタイピンは、普段から使えそうだった。何よりこれを櫻井さんが、俺にと思って選んでくれたなんて。

「ありがとうございます」

丁寧に包みを戻すと、見守ってくれていた櫻井さんが身じろいだ。

「……それじゃ、」
「櫻井さん」

手を重ねて呼び止める。
ーーまだ帰せない。
改めてちゃんと伝えたいことがある。

「……この一ヶ月、俺の我が儘にたくさん付き合っていただいて……本当にありがとうございます」

きっと困らせたことがたくさんあったと思う。それでも俺の気持ちを無視せずに、同じ時間を過ごしてくれた。

「すごく楽しくて、嬉しかったです。櫻井さんとたくさん一緒にいられて」

もっと言葉を持っていたらよかった。
こんなありふれた言葉で、俺がどれだけ幸せだったか、ちゃんと伝わってるんだろうか。

「これからもずっとそうしていたいです」

ーーもう信じてもらえるだろうか。


「櫻井さんのことが好きです」


櫻井さんは俺を見つめたまま動かなかった。
やがてぽつりと呟く。


「……なんで、」


言葉で、理屈で説明しきれないことが、世の中にはたくさんある。
なんで櫻井さんのことが好きなのか、俺もちゃんと考えた。
だけど、たった一つこれだって言いきれるような、カッコいい理由は見つからなかった。櫻井さんの好きなところなんて挙げたらきりがなくなる。

「理由がいるなら、たくさんあるんですけど……優しいところも、周りに気を配ってくれるところも、真面目なところも、仕事が丁寧なところも、好きですし……でもなんだか、そうなんですけど、そういうことではなくて」

触れたままの櫻井さんの指先から鼓動が伝わってくる。
ドキドキしてる。俺と同じ。

「……あの時、もし櫻井さんの一番になれたら……櫻井さんが幸せだなって思うその時に、いつも俺が一番近くにいられたら、……俺も幸せだなって思ったんです」

伝えられる精一杯、ここまで。

耳まで赤くなってしまった櫻井さんがどうしようもなく愛おしい。
こんなに好きだと思った人はいなかった。

「好きです、櫻井さん。信じてもらえますか」

尋ねると、赤い顔を隠すように俯いてしまった。

「……ありがとう」
「信じてもらえましたか?」
「うん」

小さく、確かに頷くのを見て、思わず指先に力が入る。
ーー俺が本当に櫻井さんのこと好きだって、ちゃんと伝わったんだ。
嬉しい。

「じゃあ次は、櫻井さんに好きになってもらえるように頑張ります」

もっと櫻井さんのことを知って、考えて、傍にいたい。
櫻井さんはどんな人が好きなんだろうと思うと、俯いていた櫻井さんの頬から滴が伝い落ちてはっとした。
ーー泣いてる、

「……もう好きだよ……」

涙の滲む声に目を見張る。ちゃんと聞こえた。
好きだって。

ーー好きって、俺のこと?

それ以外にない。
櫻井さんは俺の気持ちを信じてくれて、俺のことを好きになってくれた。好きな人に好きになってもらえた。
こんなに幸せなことってあるんだ。

「……じゃあ、もっと好きになってもらえるように……これからずっと、櫻井さんの傍にいますね」

濡れた頬に触れて言うと、ようやく櫻井さんの視線が上がる。
やっぱり泣いてる。泣かせるなんてつもりなかった。
でも悲しくて泣いてるんじゃないなら、いいのかな。

「我慢してたこと、してもいいですか」

指先で唇をなぞると、櫻井さんは否定も肯定もなく俺を見つめていた。ぼんやりしていて可愛い。
拒まない櫻井さんの心を都合よく解釈して、距離を縮めて唇を重ねた。
ーー嬉しい。温かい。気持ちいい。
どれくらいそうしてたのか、柔らかい音をたてて離すと、お互い小さく吐息が漏れて目が合った。

「……やっとできた」

嬉しくて囁くと、櫻井さんは今度こそ可哀想なくらい赤くなって黙ってしまった。たぶんどんな顔でいたらいいのか、何を言えばいいのかわからないんだろう。
ーーもっと触れたい。大好きだってもっと伝えたい。
でもこれから、今までよりたくさん時間を掛けて伝えていけるんだ。

もう一回キスしたいのを我慢して、櫻井さんに笑いかけた。

「おやすみなさい、櫻井さん。また会社で」



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