Side:A 朝比奈隼人の話
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六花営業所での慰安旅行も終わると、だんだん冬の訪れを感じるようになってきた。

(……大丈夫かな)

朝のスケジュール確認をする櫻井さんの様子を思い出して時計を見た。今日の最後の予定は古賀さんのところのはず。帰り際にプレートを見たら直帰の予定になっていたから、もしかしたら古賀さんとご飯に行ってるかもしれない。ちゃんと話ができてればだけど。

旅行中、心配で思いきって確かめると、やっぱり古賀さんとは喧嘩してしまったらしかった。
俺も祥と喧嘩したらあんな風に落ち込むかな。何で喧嘩になるか想像はつかないけど、そのぶんダメージも大きいかもしれない。
ーーでも本当に、ただの喧嘩なのかな。
ずっと何か引っ掛かってた。櫻井さんの本当の部分、奥のところが見えてないような、そんな違和感。

時計の針が進んでいくのを眺めて、やっぱり携帯を取り出した。

『ーーはい、櫻井です』

何度目かのコールで聞こえた櫻井さんの声は、いつも通り気丈な雰囲気だった。心配しすぎだったかもしれない。

「朝比奈です、お疲れ様です。今大丈夫ですか?」
『うん、お疲れ様。どうした?』
「あっいえ、仕事のことではないんですけど……古賀さんと仲直り、どうだったかなあと思って」
『え、』
「すみません、余計なお世話で……なんとなく気になって」
『ああ、わざわざありがとう。おかげさまで……』

不意に言葉が途切れる。

「……櫻井さん?」
『……いや、……大丈夫』
「あの」
『本当にありがとう、お疲れ様。それじゃ、』
「待ってください」

急に電話を切ろうとした櫻井さんを思わず呼び止めた。

『うん?』
「櫻井さん、ご飯これからですか」
『そうだけど……』

きっとお節介だと思う。でもこのまま電話を切ってしまったら、櫻井さんが悲しい思いをする気がした。なんの根拠もないただの予感。
ーーでも、

「一緒にご飯、食べませんか」





インターホンが鳴って、すぐに扉を開けた。

「櫻井さん、お疲れ様です」

扉の前に立っていた櫻井さんは疲れた顔で、それでも俺を見ると笑ってくれた。

「お疲れ様。悪いな」
「とんでもないです、急に呼びつけてすみません」

部屋に上がってもらってジャケットを預かる。座って待ってもらい、テーブルに夕飯を並べた。急いで作ったから簡単な物ばっかりだけど。

「手伝うよ」
「いいんです、ゆっくりしててください」
「逆に落ち着かないというか……」
「ふふ」

支度を終えて櫻井さんの向かいに座る。

「ちゃんと自炊して偉いな」
「櫻井さんもしてるんじゃないですか?」
「今はそこそこするようになったけど、朝比奈くらいの時はコンビニとか外食で済ませてばっかりだったよ。料理好きなのか?」
「実は結構好きです」

少し照れると、櫻井さんは感心して「いただきます」と食べ始めてくれた。

(……食べ方綺麗)

いろんなことが、きちんとした人だなあと思う。
味付けも褒めてもらって、ふとこの家で誰かと向かい合ってご飯を食べるのが初めてだと気が付いた。美味しそうに食べてくれる櫻井さんになんとなく癒される。
食べ終わって、片付けを済ませてから食後のコーヒーを淹れた。

「どうぞ」
「ありがとう」

少し他愛ない話をして、それからふと訪れる静けさ。
ーー本当に迷惑じゃなかったかな。

「……本当、すみません。急に呼んだりして」

今さら申し訳なく思いながら笑うと、櫻井さんは首を横に振った。

「全然。むしろ、……助かったというか……なんというか。……ありがとう」

そう話す声は穏やかで、少し安心した。でもやっぱり元気がない。
ーー何かあるなら、話してほしい。
この間まで学生だったような俺じゃ、きっと櫻井さんから見たら全然頼りないだろう。それでも、何か少しでも力になれるなら教えてほしかった。

「このところ、櫻井さん……少し無理されてるというか、そんな風に見えて、なんとなく気がかりだったんです」
「、そうかな」
「ずっと何か、考えてるみたいで」

櫻井さんは人と付き合うのがすごく上手な人だと思う。
相手の表情も、声も、仕草も、全部ちゃんと見てる。距離も間違えない。その時『一番いい答え』をすぐに導き出せる。
誠実で、人望があって、なんの後ろ暗さもないような人。

そんな櫻井さんが時々、気のせいだと思えるほんの一瞬に見せる仄暗さが、どうしても引っ掛かっていた。

「……朝比奈」

ふと呼ばれて見つめると、櫻井さんは何も続けなかった。
何か考えてるようだった。

「櫻井さん?」

呼べばはっとして、「いや」とまた口を閉じてしまう。
櫻井さんはたぶん何かを言おうとしてる。邪魔したらいけない。
きっとすごく大事なことだと思った。

そうしてようやく櫻井さんが言葉を溢す。

「……いきなりこんな話されても、困るだろうけど」
「はい、」
「たぶん、驚くし、……でも、」
「はい」

ーーなんだって構わなかった。

「朝比奈に聞いてほしい」

その言葉だけでもう十分なくらい、俺は嬉しかった。


櫻井さんは言葉を詰まらせながら、全部話してくれた。
自分が異性を愛せないと気がついた時のこと。
自分で自分を認められなかったこと。
それでも大学で初めて好きな相手ができて、告白した時のこと。
その幸せが終わった時のこと。
家族にも打ち明けて家を出た時のこと。

櫻井さんの声は聴いたことがないほど、今にも消えてしまうんじゃないかと思うほど頼りなくて、それでも最後まで話してくれた。

「……それで……誰にも、もう言えなくて、ただ、」
「はい、」
「ただ……朝比奈には、知ってほしいと……そう思って、こんな」

櫻井さんの手の甲に滴が落ちる。

「ごめん」

絞り出したような声に、目頭が熱くなって胸が締め付けられる。
ーー謝ることなんか一つもないのに。
きっとこうやって、ずっと悩んできたんだろう。ずっと自分を責めてきたんだろう。いつだったか、親不孝だと呟いた櫻井さんの真意を知る。
無性に抱きしめたくなった。櫻井さんは何も悪くないってわかってほしかった。安心してほしかった。
でもそんなことしたら櫻井さんは困るに違いない。
我慢して、寝室からハンカチを取ってすぐに戻った。

「櫻井さん」

呼ぶと顔を上げてくれた。その目元にハンカチをあてると目が合って、椅子に座る櫻井さんの隣に屈んだ。

「俺全然困ってないです」

櫻井さんの目が開いて、ハンカチに涙が吸い込まれていく。
いい言葉が見つからない。なんて伝えたらわかってもらえるんだろう。

「困ってないし……確かに驚きましたけど、全然困ってないです」
「……そんな、」
「櫻井さんがこんなに一生懸命にならないと話せないこと、俺に話してもらえて、俺すごく嬉しいです」

どうしてこんな気持ちになるんだろう。
もう自分を傷付けなくていいんだって伝えたい。そのままでいいんだって伝えたい。

ーー俺がこの人を幸せにしたい。

もっと早く出会っていたかった。櫻井さんの心がこんなにぼろぼろになる前に、俺が傍にいたかった。そう思うくらい心が惹かれた。
同情なんかじゃない。

「……なんで」
「はい、」
「なんで……そんなに、」

また涙が溢れてくる。
もう隠そうともしない櫻井さんは、いつもの自分を忘れてしまったみたいで愛しかった。

「……人のことを好きになるって、俺は、その人の一番好きな人になりたいってことかなと思うんですけど」

今まで漠然としかわかっていなかった感情が、初めて形になったようだった。
初めて人を好きになった気がした。

「今、櫻井さんの一番になりたいって思ってたら……櫻井さんのこと困らせますか、俺」

俺を見つめる櫻井さんはぼんやりしていて、ふと状況を思い出す。
ーー身の上話を聞いた途端、突然告白紛いのことを言い出すって、

「……あ、なんだか、つけこんでるみたいでカッコ悪いですね……すみません」
「……いや……何、」
「困りますよね、というか軽い……」
「こ……」
「待ってください、急に恥ずかしくなってきました、ほんとに」

ーー普通に考えて弱みにつけこんでる。
たぶん櫻井さんは、同性愛っていうものに対して物凄い重圧を感じてる。社会的にもそういう部分はまだまだあるだろうし、これまでの環境がそうだったんだから当然だ。
そこを軽んじすぎてるというか、これじゃ同情だとか興味本位だとか勘違いされてもおかしくない。そんな悲しいことはない。
こんな直後に軽々しく言うべきじゃなかったかもしれない。余裕がなさすぎる。恥ずかしい。急に。
櫻井さんの目元を押さえながら顔が赤くなっていくのを隠す。

「櫻井さん」
「ああ、」
「……いろいろ、順番があると思うので、一ヶ月」
「一ヶ月……?」

ーーちゃんと心に触れる。絶対に伝える。
まずは、俺が櫻井さんのことを好きだってわかってもらう。

「一ヶ月、俺のこと見ててください。頑張りますから……櫻井さんに信じてもらえるように」

ジャケットを渡して、どこか呆然としたままの櫻井さんを玄関まで送った。大丈夫かな、と心配になるけどこれは間違いなく俺のせいだ。ついていっても困惑させるだろうし見送るしかない。

急にがらんとしたリビングで、二人ぶんのカップを片付けた。

「……はああー……」

思わず水を止めてシンクに手をつく。
ーー俺って櫻井さんのこと好きだったんだ。

思い起こせば、絶対今さっきの話じゃない。
初めて会った日から尊敬してたから、憧れてたからこそ、櫻井さんのことを人一倍見てきた自信がある。櫻井さんのいいところをたくさん知ってる。櫻井さんのことが人として大好きな自覚はもちろんあった。
櫻井さんが同性愛に悩んでることはさすがに気付かなかった。
でも話を聞いて、それならと、俺は確かに思っていた。
それなら、男の俺だからこそ櫻井さんの一番傍にいられるんじゃないかと。
だからつけこんでるような気持ちになって恥ずかしかった。

もっと櫻井さんのことを考えなくちゃいけない。考えたい。
櫻井さんが悩んでること、怖いこと。
したいこと、してほしいこと。
きっと我慢してきたものが、俺とは比べ物にならないくらい多いだろう。
櫻井さんに笑ってほしい。喜んでほしい。それが俺のエゴだとしても、櫻井さんがあんな風に苦しんで泣いているのが正しいだなんて思えない。

「……頑張ろう」

他の誰かになんて、任せたくない。



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