喉元過ぎれば心を満たすその後





 用を済ませて門をひとつくぐったところで、見慣れた色の衣が目についた。他には彼の側近くらいしか身に付けないその色を遠目にも見間違える筈がない。
 「治部様」と声を投げればこちらに気付き、鮮やかな躑躅色を翻して縁側を渡ってくる。


「また呼ばれていたのか」
「へえ、秀吉様の御用命に賜りまして」
「秀吉様はお前のことをいたく気に入っている」
「有難い事でございますね、我が家も安泰です」


 今の日の本、天下を統べる豊臣秀吉の御用達商家とあれば、何を恐れて生きようか。派手好きな太閤様はあれよこれよと持参の珍品を買い上げる。それはきっと女であったり、彼の最愛の息子、秀頼にでも惜しみ無く与えられるのだろう。こちらとしては売り切ったあとにどう扱われようが知ったことではないが。

 治部様こと石田三成とは大阪城へ足へ運ぶ内に面識を持つようになった。思えば初めてここへ呼ばれた時に最初に出会ったのはこの石田三成であった。なんでも秀吉公の子飼いの将であるとか。

 初対面の石田三成の印象は、云ってしまえば良くも悪くもない。単純に己が人の善し悪しを記憶に留めないだけかもしれないが、そこを強いていうのであれば、愛想の無い男だった。
 秀吉の命だったのだろうが、仕事があるのに商人の相手など、という空気は隠さず、自分を待たせている間にも己の仕事を淡々とこなしていた。

 そんな彼が茶の話に口を開いたのがほんの少しだけ引っ掛かっていたが、その後二度三度と呼ばれる内に、あの茶を淹れたのがこの石田三成であると知ったのだ。
 彼はその茶の淹れ方で秀吉公に取り立てて貰ったのだとも言う。

 かくして、自分と石田三成を繋いだものがこれまた茶であるというのだから、彼は茶の妖怪にでも憑かれているのだろうか、などとくだらないことを考えていたりする。


「それで、何か俺に用があったのではないのか」
「はあ、そうでございました」


 呼び止めておきながら、そんなくだらない事を考えていたせいで本来の目的を見失いかけていた。
 品物の入った背負子ではなく、懐から小さな小箱を取り出し石田三成の前へ差し出して、


「治部様に」


 と手に取るように促すと、わかりやすく不機嫌になるのがわかった。まだ中身も見てすらいないのに、というよりもこの小箱自体が黒漆に金箔押しの上等なものだというのに、何を不満というのだろうか。


「是非とも、お受け取りください」
「断る」
「何ゆえ」
「俺は民や商人などからの賂は受け取らぬ」


 賂。なるほど、存外この男は潔癖であるらしい。
 既に太閤殿と直接取引している身としては、今更部下である男に取り入る必要は無い訳ではあるが、贈賄と思わしき類は受け取らないということだろう。

 さて、どうするか。
 などと考える必要は無い。


「随分と子供じみたことをいう」


 三成、と呼べばそっぽを向いていたその顔をこちらへ向け直す。不機嫌、というよりも拗ねている、と表現した方がしっくりくる顔をしていた。
 その顔があまりにも可愛かったので、思わず笑ってしまう。


「俺からの贈り物だ。受け取ってくれ」


 再度小箱を差し出すと、先ほどと同じように小箱と俺の顔を交互に見てから、三成は小箱を受け取った。紐を解き、静かに蓋を開けると、中には赤珊瑚をあしらった笄が入っている。
 手にとり指先でくるくると角度を変えては見て、綺麗だ、と三成が小さく呟いた。


「これを見たときにお前の顔しか浮かばなかった」


 だからお前に持っていて欲しい、と言えば何かを言いかけて口を噤む。


「有難く頂戴しよう」


 三成が笄を小箱に戻し懐に納めるのを見て、満足して俺はにっこりと笑む。本当に不器用な男だなあと思いながら、背負子を背負い直して礼をする。家に帰るまでが商人のお勤めなのである。
 次に来る時には何にしようか、形に残る物ばかり贈ってもなあ、南蛮の菓子などはどうか。そんなことを考えながら城門を出るところで、後ろから足音が聞こえて足を止めた。


「治部さ、……三成、どうした」
「ごんべ……その、ありがとう。嬉しかった」


 急いで突っ掛けてきたような草履に視線を落としたまま、小さく呟いた。先ほど言えなかった、嬉しい、をいうためだけにわざわざ駆けてきてくれたのだろう。どこまでも不器用で愛しい男だ。


「それで、出来れば何か、礼がしたい」
「じゃあ、また三成の淹れた茶が飲みたい」


 そんなことでいいのか、と視線を上げる三成の目に傾き始めた陽の光がうすらと反射して綺麗だった。本当は礼なんて何も要らないのだけれど、それではきっと納得しないだろうことも見越して。

 やはり、次の手土産は菓子がいい。


2015/12/26

and all...