もんじゅ


(これは――青い春……秘めた恋では!?)

 アケビは他人の恋路と恋バナが好きなタイプの女子高生であった。
 本人は異性に興味も無ければ恋愛をする気もさらさら無いが、|他人《ひと》の恋の話を聞くのは好きだった。
 恋をした女の子は皆とても可愛い。『女の子好き』のアケビにとって、恋の話をする女の子の姿は、何よりも心を潤わしてくれるものだった。



(予期せず良いものを見せてもらった……)



「なにこれ」

 呆然とした声が口からこぼれる。
 アケビの目の前には、真っ白な大きな画面があった。それには何も映っておらず、ただ淡い光を滲ませている。
 画面が浮いているというだけでまあまあファンタジーだが、これは先程のバロンの出した映像と似たような原理なのだろう。前例がある分、気持ちは比較的冷静だった。

「こ、こ、これどうすんの!?」
「落ち着いてください、アケビさん。大丈夫、成功ですよ」
「ほんとにぃ!?」

 いくらミヤコの言葉とはいえさすがに疑ってしまう。画面

 一番最初に現れた|画面《モニター》はそのままに、アケビの呼び声に応えるように画面が淡い光を放ちながら増えていく。さまざまな大きさのウィンドウが自分を囲んでいる光景は幻想的だった。

「なにこれ、すっごい! やば! こういうの何ていうの!?」
「良かったですね。多分、空中ディスプレイとかかな」
「なにそれめっちゃかっこいい! ありがとうミヤコー!」

 目を輝かせるアケビを、ミヤコはあたたかな目で見つめている。その横ではセイが「わかるよ、その気持ち」と大きく頷いていた。

「おお。アケビちゃん能力使えたんだ。良かったねぇ」
「アンディ! うん、あたしの能力なんだよこれ、すごいでしょ」
「よくわからないけどなんかSFっぽくてかっこいいね」
「でしょー!」

 ひょっこりと顔を覗かせたのは安藤だ。
 自己紹介以降、この屋敷に来るまで話をしていたこともあり、今ではあだ名で呼べるようにまで打ち解けた。個人的にあだ名を「外国人っぽくてイイね」と笑って受け入れてくれたところも心を許す大きなポイントになった。

「しかもなんかいっぱい出てる、なにこれっ、なにこれっ!」
「オレにもみーせて。……なんだろうこれ、図鑑みたいだね」
「図鑑?」
「ほら、これこれ」

 安藤が指差したウィンドウは、アケビの膝下部分に浮いていた。
 アケビは屈んで、その画面をまじまじと見る。サイズでいうと手のひらほどの小さなサイズで、画面の半分は写真のようなものが映っている。
 アケビはおもむろにその画面を指でつん、と|突《つつ》いた。
 すると画面が動き出し、一番最初に現れた|画面《モニター》に吸い込まれて――

「うわっ、おっきくなった! ヤバい、めっちゃウケる!」
「なんでウケる?」

 一番大きな画面に、アケビが突いたその画面が表示された。
 ハイテンションのアケビを見る安藤の目は先程のミヤコと同じ色をしていて、宥める姿は兄のようにも見える。

「図鑑かあ……便利だね」
「異世界なら日本と食文化も違うだろうし、そもそも文字が読めるかもわからないから心配してたんだけど……この能力があればその心配も無さそうだね」
「というかこれ、図鑑なの? 図鑑にしてはリアルタイムで変動してない?」
「たぶん、一定の情報はあらかじめインストールしてあるんだと思う。変動してるのは、使い手であるアケビさんの得た情報量が増えたからじゃないかな……」

 ミヤコとセイは興味深そうに画面を見つめながら、なにか小難しい話を繰り広げている。よくわからないが、己に与えられた『|祝福《ギフト》』はこの世界での生活で役立ちそうなものだということはアケビにも分かった。

 知らない世界に来たのだと、この能力が教えてくれる。
 アケビは高揚感を抱え、また画面に触れたのだった――。


「さあ、アケビさん。落ち着いて、深呼吸をして……」

 ミヤコの声に誘われ、身体がふわふわと軽くなっていく。
 アケビは呼吸を整えながら前にかざした自身の手に意識を向け、頭の中でイメージを練り上げていく。

(大丈夫、問題ない)

 心の中で繰り返し自分に言い聞かせる。イメージは万全だ。隣にはミヤコが、そばには見守ってくれている他のクラスメイト達も居る。
 恐れるものなど何もない。あとは唱えるだけだ。

「――『|接続《アクセス》』!」

 その言葉と共に、部屋の中は眩い光に包まれた。


  ◇




眠りかけていたのに、落ちていく感覚で目が覚めたことはあるだろうか?

これはどうも脳と肉体が噛み合っていないのが原因で起こるらしい。その感覚はまさしくジェットコースター。
急転直下という言葉がお似合いの、体験したくない感覚ーーそれによって、彼女は目を覚ました。


 その世界は、光の海であった。

 真っ白な空と淡く光る海。
 そのふたつで構成された世界に、小さな《《身体》》がひとつ、ぽつんと浮かんでいた。
 瞼は重く閉ざされ、ぴくりとも動かないその身体は、時折思い出したかのように起きるさざ波によってゆらゆらと揺れている。
 まるで赤子をあやすかのように、優しく穏やかな波は小さな身体を包んでいた。
 この世界そのものが、ひとつの揺り籠なのだといわんばかりに。


 ここは『完成した世界』だった。この世界では何も始まることはなく、何も終わることはない。与えられる眠りを享受するための世界。
 永遠の楽園のはずだった――閉ざされた瞼が、緩やかに開くまでは。

「――」

 ヒュウ、と掠れた呼吸音が聞こえる。
 瞳は虚空を見つめ、それからゆっくりとした動きで右へ左へと動いた。
 ぼやけた視界の中から見える光の海の世界は、ひどく心地良い。
 やわらかな日差しの下で、のんびりと昼寝をしているときのような温もりと眠気に包まれて、多幸感が目覚めかけた意識をじわじわと蝕んでいく。

 身体の主は、おもむろに天へと向かって手を伸ばした。――その指先は空を切り、何も掴むことはできない。

 ふう、と微かに息を吐き出す音。
 誘われるように、僅かに開かれた瞼は再び閉ざされていく。
 この箱庭は『幸福』で造られている。不安も恐怖も何一つとして感じることはなく、ただ暖かな母なる海の中で眠るだけ。それは《《最上級の》》幸福である。

 けれど、と落ちていく意識の中で想う。
 もし、もしもいつか、目覚める時が来るというのならば――その時はどうか、この手を引いて、ここから引きずり出してほしい。
 永遠に始まらず永遠に終わらないこの世界へ迎えに来てくれるのなら。
 そんな『いつか』が来るのかは分からない。けれど、いずれ来る《《その時》》まではまだ、眠りの中で。

 そして世界は再び静寂に包まれる。


  1



1-3

 エンプティス王国――周囲を四つの大国に囲まれながら、現代に至るまでどの国に呑まれることなく、豊かな自然と魔素の恩恵を受けて繁栄を続けてきた小さな王政国家。
 それが、十二人が目を覚ました場所の名前だった。

 主要産業は農業や畜産・鉱業で、もともと戦争とは縁遠い穏やかな国だったのだが、先々代の国王の代から国が傾き始めたという。
 ここ数年では家業を捨て一族全員で隣国へ夜逃げする民が増えており、産業が廃れ、財政が困窮し民の生活の質が落ちていくという悪循環が止まらず、打つ手が無いのが現状らしい。

「まずは改めてお詫びを。ご覚醒の際、お側でお支えすることができず申し訳ありませんでした。ちょっと口やましくみっともない老害――失礼。高貴なる皆様にお呼び出しを受けておりまして。ついタイミングを逃してしまいました」

 さらりと毒づく『十三人目』――宮廷魔術師のバロンから語られたのは、自分達が今《《どこ》》に居るのかについてだった。
 元の世界では聞いたこともない名前に、自分達が未知の場所に連れてこられたのだと実感する。

「それで、この国の内情は把握しましたけど、それと私達が連れてこられたことと一体何の関係が?」

 全員を代表して訊ねたのはミヤコだった。バロンから受けた説明が今の状況とどう繋がるのか分からなかったからだ。
 それは他のメンバーも同じだったようで、全員の目がバロンに集まっている。

「半年ほど前、国王から勅命が下りました。『異世界より選ばれし者を喚び出せ。その者達は我が国に再び繁栄と安寧を齎すであろう』――と」
「……え? ちょっと待って、選ばれし者? ってまさか」

 色々と吹っ飛んだ発言にフリーズしかけたが、それよりも聞き捨てならない言葉が聞こえた。
 思わず声を上げたアケビに、バロンは「お察しの通りです」と頷いた。

「『選ばれし者』とは、今回私がお喚びした十二人――つまり、皆様のことです」


 部屋の中に、重苦しい静寂が流れる。
 十二人は無言で顔を見合わせ――そして音が爆発した。

「はああああああっ!?」
「なにそれ!? ちょっとねえなにそれ!?」
「何言ってるかわかんないです」
「なんでそんなものに縋ったんだ?」
「こちとら人間やぞミュータントの言葉なんぞわかるかい!」

 ぐわんぐわんと室内に荒れ狂う波の如く怒りの声が響いた。荒ぶる『選ばれし者』達の姿に同意するように、バロンも深く頷いた。

「私も正直最初は『何いってんだコイツ』と思いました。――が、事実としてこの世界では異世界から喚び出された『選ばれし者』によって国が救われたという事例が実在しているのです」
「嘘やん……」
「残念ながら本当にございます。私としてもどうか喚ばれませんように誰も来ませんようにと祈っていたのですが。ええ、国王とこの国の大司祭が癒着関係にあるばっかりに、うっかり今日という最大限に魔力が高まった日が選ばれてしまいまして」

 大司祭許さねぇ、そう呟いたのが誰だったのかは分からない。
 ただ、今この場に居る全員の気持ちがその言葉そのままであるということは変えようのない事実だった。

「――そもそも、私達は魔法なんて使えませんし、多分他の『選ばれし者』もそうだったと思うんですけど、ただの一般人がどうやって国を救えと?」

 絶望的な空気の中でも比較的冷静だったミヤコが疑問を呈する。
 ここに居る十二人は全員ただの高校生で特別な力など一つも持っていない。ミヤコの疑問は至極真っ当なものだった。

「そっ、そうだそうだー! あたし達ただの学生です!」
「救国の勇者なんて拙者恐れ多いでござるよぉ!」
「ああ、それなら心配ございません。『|祝福《ギフト》』が皆様に付与されているはずですので」
「ギフトォ……?」

 また新しい単語出てきたぞと言わんばかりの胡乱な視線を華麗に流し、「ではまずそこからご説明させていただきましょう」と、魔術師は満面の笑みを浮かべた。

「|祝福《ギフト》とは、文字通り神より与えられし|祝福《しゅくふく》――つまり、異能です。それを持つものはこの世界でも限りなく少なく、唯一確実にそれを得ているといわれるのが異世界より召喚された『選ばれし者』なのです」

「祝福は魔法とは違うの?」
「ええ、違います。魔法は主に空気中にあるとされる|魔素《まそ》と自身の体内に生まれつき備わっている魔力によって発動しますが、『祝福』はそうではない。その能力は多種多様、対象に合った能力が与えられると云われています」

 間を置いて、バロンは残酷な現実を突き付ける。

「特に『選ばれし者』は世界を渡り、神の祝福を受けた神聖な存在――数少ない『祝福』の中でも更に際立って異彩を放つ。それこそ国を救い、繁栄と安寧を齎す祝福が与えられていることでしょう」


   ◇


 結果として、十二人に与えられた『祝福』は偏っていた。

 召喚されたメンバーは男性が多かったため、強力な戦闘能力が与えられているのではと思われていた。
 だが、『本人に合った能力が与えられる』という部分に偽りは無かったらしい。

「いやはや、流石にここまで偏ると爽快ですねえ」
「これ、いいんですか? 正直、これで国を救えるとはとても……」

 自分の能力を試そうと試行錯誤している姿に満面の笑みを浮かべるバロン。
 その隣に立つミヤコは、自分より頭数個分高い男を見上げて問いかけた。
 二人の目の前では今、ミヤコを除いた十二人が与えられているらしい『祝福』をどうにか使いこなそうと試行錯誤していた。

 十二人が今居るのは、城の外に建てられている大きな屋敷――宮廷魔術師であるバロンの自宅だ。「この室内では狭すぎますから」と全員にローブを着せ、姿を隠し連れて来た屋敷は豪邸と言ってもおかしくない大きさの立派な屋敷だった。
 ただ、屋敷の中は生活感が一切無く、使用人も誰も居ない。
 家主であるはずのバロンが「置物みたいなものでして」と笑っていたので、普段住んでいるのは別の場所なのだろう。

「ええ。最初に申し上げましたでしょう? 私は皆様がどうか召喚されませんようにと、そう心から祈っていた……と。ですが事は成ってしまった。私ができるのは、喚び出した者として皆様のこの世界での暮らしをサポートすることのみ」

 その点において、十二人の与えられた『祝福』が偏っていたことは良いことだと魔術師は言う。

「私の方から王に提言します。『召喚は無事成された。しかし祝福に問題があり、今しばらく『選ばれし者』を庇護下に置く』と。言外に少しばかり《《強すぎる》》のだと匂わせれば、あの王もそれを認めるでしょう」
「……『選ばれし者』は強い戦闘能力を授けられたと思わせる、ってことですか?」
「その通りでございます。――やはりミヤコ様はこの中で抜きん出て冷静でいらっしゃる。もしや異世界召喚の経験が以前にも?」
「そんなわけないでしょう」

 ミヤコはからからと笑う。
「そうだったら今頃一人で国外脱出でもしてますよ」と言い放った少女に、「それは恐ろしいですね」と魔術師は眦を下げた。


「ごめんっ、ミヤコ! ちょっといいかな」
「うん?」

 焦ったような声が聞こえ、ミヤコは顔を上げた。
 早足で近づいてきたセイにどうかしたのかと訊ねると、セイは顔を近づけ耳元でささやいた。

「アケビさんの能力がちょっと……ミヤコの能力ならなにか分かるかもしれないと思って。話の途中に悪いんだけど」
「全然構わないよ。アケビさんの所に行こう」
「ごめん、頼りっぱなしで」
「気にしないで。適材適所、って言うでしょ」

 申し訳無さそうなセイに対し、ミヤコは快く頷いた。その優しさに感謝しつつ、セイは隣にいた魔術師にも声をかけた。

「バロンさん。あっちで魔法みたいな『|祝福《ギフト》』の人が居たので、見てもらえませんか?」
「かしこまりました、お任せください」
「お願いします」
「すみませんバロンさん。ちょっと失礼します」

 二人はバロンに軽く頭を下げ、アケビの下へ向かった。

 十二人の中で最初に『|祝福《ギフト》』が判明したのはミヤコだった。
 本人は能力を使っていることに無自覚だったが、ひとりで室内を調べているうちに感じた《《違和感》》が『祝福』によるものだったと判明したのだ。
 そんなミヤコの能力は、他人の能力を知るのにうってつけのものだった。


   ◇


「えー……なにこれ」

 口から情けない声が出る。
 アケビの目の前には、宙に浮かぶ大きな『|画面《モニター》』のようなものが現れていた。

(ど、どうすればいいの……)

 なにもおかしなことはしていないはずだ。
 周囲と同じように自分の『祝福』を使おうと強く思った瞬間、この半透明のウィンドウが目の前に突如として現れたのである。
 しかしその画面は現れただけで、そこからうんともすんとも言わない。
 解決方法の分からないそれに、頭の中は混乱状態だった。

「お待たせ、アケビさん」
「ミ、ミヤコーっ!」

 救いはあった――そう言わんばかりにこちらを見たアケビに、ミヤコは安心させるように頷いてみせる。

「能力は発動できました?」
「で、できたんだけど、ぜんっぜん動かないの!」
「動かない?」

 これこれ、とアケビがウィンドウを指差す。
 「ふむ」と顎に手を当てながら画面を見つめるミヤコの目は鋭い。おそらく自身の『|祝福《ギフト》』を使っているのだろう。
 その姿を見守りながら、アケビの心は不安感で満ちていく。

(説明書もないなんて、なんつう不親切設計……!)

 ミヤコの能力――情報を知るのに長けたそれが無かったらどうなっていたことか。考えただけでぞっとする。

「わかりそう?」
「今、ミヤコに視てもらってるけど……」

 彼女を呼びに行ってくれていたセイの問いに、どうなるかは分からない、と返す。調べ始めて早々に声をかけるわけにもいかない。できるのは見守ることだけだ。
 アケビは祈るようにミヤコの背中を見つめた。



「……うん。だいたいわかったよ」
「ほ、ほんとうにっ?」

 無言で画面を見つめること数分。顔を上げたミヤコはそう言って微笑んだ。

「あ、あたしの能力、どんな感じ?」
「口で説明するより、実践した方が早いでしょうから。アケビさん、来て」
「はいよろこんでーっ!」

 アケビは急いでミヤコに近寄った。
 不謹慎だが、どんなに現状に戸惑っていても『|空想の中の産物《ファンタジー》』でしかなかった力が使えるようになったというのはとても魅力的だった。
 いつだって魔法と超能力は子供の憧れである。

「まず、この画面に手をかざして」
「オッケー、わかった!」

 言われるまま、目の前のウィンドウに手をかざす。

「そうしたら『|接続《アクセス》』って言ってください。これは初回だけで、次からはアケビさんが思うだけで自由に動かせるはずですよ」
「う、うん。やってみる――『|接続《アクセス》』!」

 掛け声と共に、真っ白な画面が淡く光を放った。
 アケビはその眩しさに目を細め――

「うわあ……!」

 光が止んだ瞬間現れたものに、小さな歓声を上げた。


2 『祝福』

 一番最初に現れた|画面《モニター》はそのままに、アケビの呼び声に応えるように画面が淡い光を放ちながら増えていく。さまざまな大きさのウィンドウが自分を囲んでいる光景は幻想的だった。

「なにこれ、すっごい! やば! こういうの何ていうの!?」
「良かったですね。多分、空中ディスプレイとかかな」
「なにそれめっちゃかっこいい! ありがとうミヤコー!」

 目を輝かせるアケビを、ミヤコはあたたかな目で見つめている。その横ではセイが「わかるよ、その気持ち」と大きく頷いていた。

「おお。アケビちゃん能力使えたんだ。良かったねぇ」
「アンディ! うん、あたしの能力なんだよこれ、すごいでしょ」
「よくわからないけどなんかSFっぽくてかっこいいね」
「でしょー!」

 ひょっこりと顔を覗かせたのは安藤だ。
 自己紹介以降、この屋敷に来るまで話をしていたこともあり、今ではあだ名で呼べるようにまで打ち解けた。個人的にあだ名を「外国人っぽくてイイね」と笑って受け入れてくれたところも心を許す大きなポイントになった。

「しかもなんかいっぱい出てる、なにこれっ、なにこれっ!」
「オレにもみーせて。……なんだろうこれ、図鑑みたいだね」
「図鑑?」
「ほら、これこれ」

 安藤が指差したウィンドウは、アケビの膝下部分に浮いていた。
 アケビは屈んで、その画面をまじまじと見る。サイズでいうと手のひらほどの小さなサイズで、画面の半分は写真のようなものが映っている。
 アケビはおもむろにその画面を指でつん、と|突《つつ》いた。
 すると画面が動き出し、一番最初に現れた|画面《モニター》に吸い込まれて――

「うわっ、おっきくなった! ヤバい、めっちゃウケる!」
「なんでウケる?」

 一番大きな画面に、アケビが突いたその画面が表示された。
 ハイテンションのアケビを見る安藤の目は先程のミヤコと同じ色をしていて、宥める姿は兄のようにも見える。

「図鑑かあ……便利だね」
「異世界なら日本と食文化も違うだろうし、そもそも文字が読めるかもわからないから心配してたんだけど……この能力があればその心配も無さそうだね」
「というかこれ、図鑑なの? 図鑑にしてはリアルタイムで変動してない?」
「たぶん、一定の情報はあらかじめインストールしてあるんだと思う。変動してるのは、使い手であるアケビさんの得た情報量が増えたからじゃないかな……」

 ミヤコとセイは興味深そうに画面を見つめながら、なにか小難しい話を繰り広げている。よくわからないが、己に与えられた『|祝福《ギフト》』はこの世界での生活で役立ちそうなものだということはアケビにも分かった。


「おや、これは面白い」
「へ?」

 いつの間にか様子を見に来ていたらしいバロンが、目をキラリと輝かせる。

「アケビ様の能力のことです。私もここまで精度の高いものは初めて拝見いたしました」
「えっ。これがなんだか分かるんですか?」
「そうですね……正式名称は別にありますが、分かりやすく名をつけるのならば“大図鑑”とでも称しておきましょうか」
「だいずかん」
「とても高度で希少な魔法です。図鑑、といっても紙のものではありませんので、利便性が圧倒的に高いのが特徴ですね。これらと似たモノは主に古代遺跡などにアーティファクトの一種として発見されることが多いです」

「アーティファクト」「はい。アーティファクト」

 覚えたての言葉をそのまま返したアケビに、魔術師はその通りと頷いた。

「……つまり、めちゃくちゃすごいやつってこと?」
「左様でございますね。見たところ、これはこの世界の大概のモノを調べられるようですし、この世界で生き抜く上では欠かせないかと」
「そんなにすごいのこれ……」

 うひゃあ、と奇声が口からこぼれ出る。
 正直戦闘系の能力だったらどうしようと思っていたアケビにとって、戦闘系ではなく、なおかつ皆の役に立ちこの世界での生活にも役立つ能力は百点満点だ。嬉しくてついつい口の端がゆるんでしまう。
 笑みを浮かべるアケビに、「良かったなあ」と安藤が柔らかな笑みを浮かべる。

「あっ。そういえば、アンディはどんなのだったの?」
「オレ? なんて言えばいいのかな……戦闘系、だと思う。アケビちゃんみたいな生活のお役立ち能力ではなかったかな」
「もう使ってみたの? 終わるの早くない?」
「桜庭くんも戦闘系だったみたいでさぁ。一緒に一通り試して使い方は大体把握したから、こうしてアケビちゃんのところに来たわけで」

 なるほど、と納得して頷く。
 どうやら安藤と桜庭は戦闘系の能力だったらしい。自分で使うのは無理だと心底思うが、この二人ならどんな能力でも使いこなせるような気がする。

「見たかったなあ」
「いつでも見る機会はあるよ」
「じゃあ、今度見せてね」

 そんなアケビのお願いに、安藤は笑って頷いた。


   ◇


「……《《偏ってる》》ねぇ」

 部屋の窓側に移動したミヤコは、室内の様子を眺めながらそう呟いた。
 その視線の先には魔法系の『|祝福《ギフト》』だったメンバーに魔術の手ほどきをしているバロンが居る。

「……ミヤコ? どうかした?」
「ううん、なんでもない」

 隣に立っていたセイが首を傾げ、ミヤコは笑って首を振った。それに対しセイはあからさまに顔を顰めた。

 あ、間違えた――そう思ったときにはもう遅かった。
「こっちでちょっとお話しようか」と腕を捕まれ、部屋の隅の方まで連行される。セイの腕を引く力は女のそれと殆ど変わらないので、振り払おうと思えばいくらでもできる。
 ……が、簡単にそうするわけにもいかなかった。
 ミヤコがこの不安を抱えた状況で何か事を起こすような性格ではないと分かっていての犯行である。

「で、何が偏ってるって?」
「聞こえてたのね……」

 ズイッと顔を近づけるセイに、降参だと手を上げる。

「いや、さっきバロンさんと話をしていてね」
「さっき――僕が呼びに行ったとき?」
「そう。それでちょっと引っかかったところがあったから、考え事をしてたっていうか」
「引っかかったところ?」セイが片眉を上げた。「なにそれ、教えて?」
「いや、そんな大層なものじゃないんだけど」
「いいから。教えて」

 煙に巻くことはできないらしい。観念した様子で、「大前提として」とミヤコは人差し指を上げた。

「まず、私達に与えられた『|祝福《ギフト》』はとても偏っている。正直、国を救える気がしないのが個人的な考えなのね」
「んん? 国を救うって、別に化け物を倒すとかじゃないんでしょ? 僕はそう解釈してたけど」

 バロンから最初に受けた説明は、この国が困窮しているという現状だった。
 なのでセイが想像していた『国を救う』ということは、民の流出で廃れつつある生産や加工などの分野の再興だと考えていたのだ。
 だがセイの言葉に、ミヤコは「そうでもない」と首を振る。

「この国には魔素地帯がある。《《調べて》》みたけど、どうもここ数年、国が疲弊するにつれて『大地の護り』が弱くなってるみたいでね。今はバロンさんが国に留まることで抑えてるみたいだけど、それもいつまで保つか」

 『大地の護り』とは、それぞれの国に天から与えられる加護のことだ。
 それによって極端な気候の変動が抑えられ、作物を安定した状態で育てることができる。それは魔素地帯についても同様だった。
 魔素地帯の一角では特殊な産業が行われているらしい。だがそれは『大地の護り』があってこそのものだとミヤコは考えている。
 『大地の護り』が弱くなれば魔素地帯は増殖し、そこから魔物が生み出される。それを止めるには国が栄えるしかない――だがそれは現状ほぼ不可能だ。

「……ミヤコがどうやって調べたのか気になるんだけど、それは置いといて。つまり、僕たちに魔物の討伐命令が下る可能性がある、ってこと?」
「その通り」

 だからこそ、どうしてもバロンの言葉が引っかかっていた。

「戦えるのは桜庭くん・安藤くん・梅ノ木くん・香坂さんの四人。青葉さんも百合木さんも魔法系だけど、二人のは前線向きではないし、染森くんや橘くんのはどっちかといえば生産系」
「僕のは戦闘に役立ちそうだけど、実際戦力になるかは分からない。八条くんのは……ちょっと玄人向けすぎるし、ミヤコとアケビさんは情報系……なるほど、確かに人数に対して偏りすぎてる」
「でも、あの人はそっちの方がいいと言った。私達が召喚されませんようにと願っていたからって。言葉通りの厚意だって受け入れたいのは山々なんだけど……」
「どうにもうさんくさい、って?」
「仰るとおりです」

 口ごもったミヤコの代わりにセイがバッサリと切り込んだ。項垂れるように頷いたミヤコの顔は困り果てていた。

「信用したいんだよ、本当……ただあまりにも私達に対して厚遇すぎるっていうか、ここまで大切にされると逆に怪しいっていうか……」
「王様の手に渡ったら都合が悪いから保護してる、って考えてる?」
「うーん、なんて言語化すればいいのかな……|語彙《ごい》が足りない……」

 悔しそうに顔を顰めるミヤコは今にも爆発してしまいそうだった。
 本当はもっと頭の中で複雑な議論が交わされていて、本人もそれをうまく伝えたいのだろうが、どうもそれがまだできない状況らしい。
 こういうときは急かさず焦らず慌てさせないのが一番の薬だとセイは知っている。――それができるのが“イイ男”というものなのだとも。


「とりあえず衣食住はゲットできたし、まだ一日目だよ? 今からそんなに思い悩んでいたら心がきっと持たない。まずは皆の能力の把握、あとは生活に慣れることが先決だよ」

 あまりにもハイスピードで事が動いているので忘れがちだが、まだ召喚されて一日目である。
 自分達はこの国の上っ面を教えられただけでその中身をまだ知らない。
 そこにどんなブラックホールがあるのか分からないが、今から思い悩んでいたら遠からず心が病んでしまう。ミヤコは召喚されたメンバーの中で一番現状を把握しているし『知識』もあったので何かと気負う部分があるのだろう。

「だよねえ……」

 ミヤコはふう、と軽く息を吐いた。

「ありがとうセイくん。おかげで心が軽くなった」
「どういたしまして。どうするか考えつつ、暫くはバロンさんにお世話になろうよ。使えるものは使っとかなきゃ損だよ、積極的に甘えるべしっ」
「セイくんがそう言うと重みがある……」
「今まで周りに頼りきって生きてきたからね」

 胸を張る姿はいっそ誇らしげだった。病弱とは感じられない力強さに、心の中でパンパンに膨らんでいた風船の空気がぶしゅうと音を立てて抜けていく。

「セイくんが居てくれて良かったよ、ほんと」
「それはこっちのセリフ。――異世界召喚かあ、ロマンが溢れるねえ」
「そうだねえ……」

 部屋の中を見渡すせば、ほぼ全員が生き生きとした表情で与えられた『|祝福《ギフト》』を使おうと試行錯誤している。
 目覚めたときのあの不安感がどこかへ飛んでいってしまったかのような姿に、ホッとすると同時に少しの恐れもある。
 でもそれを言うのは水を差すようなものだ。ここは大人しくしておいた方がいいだろう。

 ――本当にただの杞憂ならいいのだけども。
 こういう状況に対して、この中で一番|造詣《ぞうけい》が深いのは自分だという自覚があった。だからこそ冷静な目で状況を分析しなければならないということも。

「……頑張ろうね、セイくん」
「うん。僕もついてるから」

 二人で頷き合い、輪の中に戻るために動き出す。
 蜂蜜色の瞳が、じっとこちらを見ているような気がした。


3 はじめての夜


 『|祝福《ギフト》』を一通り使いこなせるようになった頃、時刻は夕方に近づいていた。目の覚めるような青空は半分以上茜色に染まり、更に奥から夜の藍色を迎えようとしている。
 その様子を、窓辺に立ったアケビと安藤は共に眺めていた。

「綺麗〜、グラデーションじゃん!」
「オレ、ちゃんと空を見たのなんて初めてかも」
「あたしもあたしも。空なんて普段ちゃんと見ることないし」

 だからだろうか、目の前に映る空がどこか非現実的に見える。
 元の世界に居た頃は感じることのなかった感覚だ。空の色なんて気にしたことは無かった。明日の天気はどうなるのかということに一喜一憂していた覚えはあるが、そこに空の色は含まれていない。
 純粋にこの空を――空の色を美しいと思ったのは初めてだった。

「ほんとだ! 空きれーい」
「すっかり夕方だねぇ」

 二人の話し声に誘われた他のメンバーも窓辺にやって来た。空を覆う幻想的なグラデーションに歓声が上がり「異世界でも空の流れは変わらないんだね」と、誰かの安心したように呟く。
 穏やかな|一時《ひととき》だ。突然別の世界に喚ばれた恐怖や混乱も、今この瞬間だけは忘れることができたような気がした。
 ふっと肩の力が抜けた瞬間――ぎゅるる、と間の抜けた音が部屋の中に響いた。

「……んんん?」
「ああー……皆、なんやかんや昼飯食べてないもんね……」
「お、お恥ずかしい限りで……」

 首を傾げたアケビに、照れた顔で梅ノ木が頬を掻く。その横で八条が乙女のように恥じらいながら両手で顔を覆う。隠しきれなかった部分は赤く染まっていて、この愉快な音の音源の一人なのだと察する。

「そういえば、まだ何も食べてなかったかあ」

 梅ノ木の言葉で、自分達が召喚されてから何も食べていないことに気がついた。無我夢中でやっていた興奮や心地良い疲労感で誤魔化されていたが、自覚したら一気に空腹になった気がする。
 室内には悲しげな腹の音が響き、羞恥でその音の主達が顔を赤く染める。なにか食べようにも食べ物なんて持っていない。
 ――これはすこしまずいのでは? と、アケビ達は顔を見合わせ。
 それと同時に、扉が開く音が聞こえた。

「皆様、ただいま戻りました。――おや?」
「おかえりなさーい」
「バロンさんお疲れ様でーす」

 今日一日ですっかり馴染んだ黄緑色の髪が揺れる。
 平然とした様子で迎えた女性陣とは対照的に、男性陣の声には生気がなかった。
 普段から比較的少食な少女たちはともかく、育ち盛りの少年たちには自覚してしまったこの空腹は辛いらしい。因みに、腹の音を鳴らしたのも全員男子だった。

「どうなさいました?」
「皆、お腹空いちゃったみたいで」
「私達はまだ大丈夫なんですけど、男の子達は成長期だから」
「そういえば、うちの兄も高校の頃は一日五食くらい食べてたわ」
「うちの弟、中学生ですけど、それくらい食べましたね……」
「おやおや」

 死屍累々の状態の男性陣を見たバロンは、「丁度良いタイミングだったようですね」と笑って、全員をある一室へと連れて行った。



「さて、私が不在の間も『|祝福《ギフト》』の鍛錬がお進みになったようで、心より嬉しく思うと同時に私ちょっとジェラシーを感じておりますが……ささやかなものですが、食事をご用意させて頂きました。どうぞお好きなものをお召し上がりください」

 案内されたのは大きな扉のついた部屋の前。
 一体ここに何があるのかと思う一行の気持ちを見抜いたように、バロンの言葉と共に目の前の大きな扉が開いていく。
 室内に用意された《《それ》》を見た瞬間、全員の目がぎらりと輝いた。

「ご、ごはんだーっ!!」
「バロンさんありがとー!」
「美味しそ〜! あとなんかこれ高そう! ネネは詳しいんだ!」
「とにかく腹減ったあ……」
「肉と魚両方あるなんて豪華だなぁ」
「千樹くんはどれにする?」「和さんと同じものを」
「あっ、スイーツもある!」

 ジェラシーの下りでどこからともなく出した白いハンカチーフを噛みながら言ったバロンを無視し、お腹を空かせた|育ち盛り《こどもたち》は次々と部屋の中に入っていく。
 普段なら突っ込むであろうアケビも今回ばかりは食欲に負けたようで、相手をすることなく中に入っていった。

「……私、負けたのですね……」
「皆、お腹減ってるんですよ」

 落ち込んだ様子のバロンの肩に、ミヤコがそっと手を置いた。


 部屋の中は、一番奥に縦長のテーブル、その手前にダイニングテーブルが複数置かれていた。
 縦長のテーブルの上には大量の料理が所狭しと並べられていて、バロンからこの部屋が食堂で、料理をビュッフェ形式で好きなだけ取ることができると説明を受ける。
 皿を片手に好きなものを取った後、六人ずつ座れそうなダイニングテーブルにそれぞれ友人や気の合う相手と自由に座っていく。バロンも一緒に食べるらしく、アケビの座ったテーブルにいつの間にか混ざり、隣に座っている。
 全員が席につくと共に、『いただきます』と明るい声が響いた。

「おーいしー! なにこれ、舌の上で溶けるっ」
「本当。それでいてしつこくない、さっぱりした脂……」
「胃にも優しそうだし、これなら僕も食べられそう」

 舌の上で溶けていく肉に悶えるアケビに対し、ミヤコは品良く黙々と箸をすすめ、セイは一口肉を食べて嬉しそうに目を細める。
 アケビはミヤコとセイと一緒のテーブルに座っていた。どこに座るか悩んでいたところを、「もしよければ」とミヤコが誘ってくれたのに飛びついたのだ。

「そういえばセイくんは食事制限とかあるの?」
「脂っこいものは控えてるけど、食べられないものはないよ。元々そんなに食べる方でもないんだけど、今日はお腹が空いてるからね」

 なるほど、と頷きながらよそっておいた肉をもう一枚食べる。
 ローストビーフのような見た目のそれは、元の世界で食べたものよりも数倍美味しかった。しっとりとしつつも口の中で溶けてく感覚がやみつきになりそうだ。

「お気に召していただけたようで、大変安心いたしました」
「バロンさんは何食べてるの?」
「魔素地帯で生育した豚を使った豚肉の野菜巻きです。栄養バランスが良くしつこくないので、大規模な儀式の後はいつも食べています」
「魔素地帯で、豚?」

 はて、とアケビは首を傾げた。
 魔素地帯といえば、王国の東側にある空気中の魔素の濃度が大変強い地域で、そこで人間は暮らせないと聞いた記憶がある。そこで豚を飼育とは一体どういうことなのか。

「豚って……死んだりしないの?」
「魔素が強い影響を及ぼすのは人間で、豚や牛などの動物には影響が薄いのです。そして魔素地帯で育った動物はその肉に魔素が染み込み、摂取すると魔力回復に役立つことが判明しています。魔術師や魔法使いはよく食べますよ」

 魔素地帯で育った豚や牛は貴重な国の資源なのだとバロンは言う。
 そこで育てた豚や牛を加工して国外に売り出すのだ。魔素地帯で育てた牛や豚などは需要はあるが供給はあまり多くないようで、育てられた家畜は国が不安定な今も絶えず国外に輸出されている。

「それがあるから、国が危なくなってきても持ちこたえてるんですね」
「ええ。エンプティス王国の周辺国にも魔素地帯はありますが、畜産がそこまで盛んな訳ではないのです。海側の国は肉よりも魚、という感じで」
「陸側の国からの需要があるから、エンプティスは食いつなげてる、って感じ?」
「そうなりますね。|皆《みな》、背に腹は変えられないということです」

 バロンの説明はとても分かりやすかった。
 アケビは理解できないと放心状態になるタイプなので、分かりやすいのはとてもありがたい。解説が不要だと他人に負担をかけずに済むからだ。

「バロンさんの説明分かりやすくて助かるわぁ」
「それは|良《よ》うございました。私が知る範囲であれば、幾らでもお教えいたしますよ」
「さっすが宮廷魔術師、徳が高ーい!」
「恐悦至極の極みでございます」

  軽妙なやりとりをする二人を眺めながら、ミヤコとセイは黙々と料理に舌鼓を打つ。二人は目を合わせ、静かに頷きあった。
 コミュ強ってすげえな。まじやべえ。
 一人ぼっちが常だった人間にはアケビの順応性は少し眩しかったのである。


 ◇



「湯浴みができる大浴場がこちらになります」

 そう言ったバロンの背には二つに別れた扉があった。その扉を開くと、屋敷に備え付けられている大浴場がある。
 男女で分かれている浴室内は銭湯並みに広く、それでいて温泉のような造りをしていた。一見シンプルな造りながらも控えめな華やかさがあった。

「すっごーい!」

 わあっと歓声が上がる。屋敷の地下から引いているという温泉は二十四時間ほぼ自動的に新しい湯を張り続けているらしい。時間を気にすることなく疲れた体を癒せるのはありがたい。

「すでに湯は用意済みですので、ゆっくりお入りくださいませ」
「やったー! ネネいっちばーん!」
「こら、走るんじゃない」
「オレもうくったくただあ」
「温泉なんて何年ぶりかなあ、楽しみ」

 そんな会話を繰り広げながら男女に分かれ脱衣所に入っていくのを尻目に、一つの影がそっとバロンに近づいた。

「あの、私、ちょっと大浴場は……個室、みたいなのありますか?」

 控えめな声で訊いてきたのはミヤコだった。
 困った様子の彼女に、バロンは「かしこまりました」と笑顔で頷く。

「小さいですが浴槽も備え付けですので、ご安心を」
「ありがとうございます、助かります……」
「いえいえ、私も個室が好きですから、気持ちは分かります」

 「ではこちらに」と、個室に案内しようとしたその時、

「――ミーヤコちゃあん、一緒にお風呂はーいろっ」
「え、ネネさん?」

 どこからともなく現れた百合木が、しがみつくようにミヤコの腕を捕まえた。
 見送ったはずなのにと首を傾げたミヤコに対し、百合木はニンマリと笑う。

「居なかったから迎えにきたのっ。一緒に入ろ!」
「ごめんなさい、無理です」
「即答!? でも諦めないっ、ねえねえ一緒に入ろうよ楽しいよ? 楽しいことしよ? 大丈夫、怖くないよぉ、怖いとしてもそれはほんのちょっとだけでほんと怖くない怖くない! ねっ、一緒にいこ? さきっちょだけでもいいからっ、ねっ」

 腕にしがみつきながら饒舌にミヤコを風呂に誘う百合木の目は爛々と輝いている。例えるならそれは獲物を狙う|狩人《ハンター》のような、けして逃すまいと言わんばかりのギラつきようで。
 やんわり離そうとするミヤコの行動を見透かしたように、腕にしがみつく力を強めていく。

「大丈夫だよぉ、女の子同士楽しく入ろ? ねっ? お背中流し合おうよぉ、ちょっとした女子トークとかなんならまっさら生まれたままの姿できゃっきゃうふふしながら私と楽しく洗いっこしよぉ」
「こ、言葉の節々に下心が滲み出ている……!」

 なんというか、見た目と中身のギャップが凄まじい。
 くらくらしてきた頭を必死に動かし、必死で正気を保つ。ギラギラと猛獣のごとく目を輝かせる目の前の女に、ミヤコは慄いた。

「……もしかして、体型とか気にしてる? 大丈夫、この中にマウント取ってくるような馬鹿はいないし一緒に異世界に飛ばされた同士やっぱり親密になりたいっていうかぁ、マンツーマンでお願いしたいっていうかぁ」
「な、なにをマンツーマン……」
「やだっ、ミヤコちゃんったらいけずっ。うへへ、そりゃあベッドの上の夜のマンツーマンに決まって――いっでえ!!」
「いい加減にしな」

 誰か助けて――と、叫びそうになった瞬間。
 ゴッ! という硬い音と共に、怒りを帯びた涼やかな女性の声が届いた。

「は、ハナさん……!」
「悪いね。ちょっと目を離したらこれなんだもの。アタシが責任もって手綱握っておく手筈だったんだけど……全く、あんたって奴は」

 救いはあった、とミヤコは颯爽と現れた彼女――香坂を見つめる。
 香坂は全て分かってると言わんばかりに頷き、頭を押さえて悶える煩悩の化身をじろりと見下ろした。

「あっ、ハナちゃん! ちょうどいいところに来た、ねえねえハナちゃんもミヤコちゃん説得してよう、一緒に触りっこしたいでしょ?!」
「やかましわこの煩悩娘が。あんた顔はいいのに中身がそこらへんのエロオヤジよりもタチが悪すぎんのよ」
「なんでだよう! 私はいつだって女の子にとって|紳士《ジェントル》で真摯ですが?!」
「寝言は寝ておっしゃい」

 心外だという顔をする百合木に対し香坂はどこまでも冷静だ。
 意識が逸れたことで気が抜けたのか、ふらついた体をバロンがすかさず支える。「ありがとうございます」と礼を告げると、美しい微笑みが返ってきた。

「あーんハナちゃんのいけずぅーっ!」
「はいはい、風呂行くわよ。騒がせて悪かったわね、ミヤコが一番疲れてるでしょうに」
「い、いいえ。私はただ調べることしかできなくて……攻撃能力のハナさんの方が、もっと大変だったでしょう」
「攻撃だとか諜報だとか関係ないわよ。アタシ達は今一つのチームで、それぞれが自分にできるベストをするだけなんだから」

 それを踏まえた上で、と香坂は言う。

「今日一番頑張ったのは間違いなくあなたでしょ。もっと胸を張っていいのよ、アタシ、ミヤコが冷静だったおかげですごく助かったんだから」
「――そう、ですか。ありがとうございます」

 その言葉が何よりの褒美だ。
 どういたしまして、と薄く微笑んだ彼女はとても美しい。

「じゃ、このバカ連れて行くから」
「おねがいします」
「あぁんミヤコちゃーん!」

 次こそワンチャン、と叫びながら香坂に引きずられていく百合木を見送り、深く息を吐いた。他の女性陣が心配だが、|香坂《かのじょ》が居るならきっと大丈夫だろう。

「バロンさんすみません、お待たせして」

 謝るミヤコに、いいえとバロンは首を振った。

「個性豊かで、これからの毎日がとても楽しみです」
「……はは。そのうち全部投げ出したくなるかもしれませんよ」
「召喚の儀をした時点で腹は決めております。人生は一度きり――皆様のお心の赴くまま、楽しまれたら良いのです」
「悪い大人ですね」
「ええ。私はとってもとっても悪い|魔術師《オトナ》ですから」

 そう言ったバロンは、今日見た中で一番人間のように見えて――付け加えられた「ネネ様とは話が合いそうで私個人的にワクワクしております」という言葉は聞こえないふりをした。


閑話 夜の密談とトラ転と

「あー、気持ちよかったー」
「湯船なんてひっさしぶりに浸かった……」

 一行は入浴を終え、談話室のような部屋に集合していた。
 部屋の中には薄手の絨毯が敷かれ、中心に置かれたローテーブルを囲うように、横幅のあるソファとスツールが置かれている。
 それぞれ好きな席に座り、用意されていたドリンクを片手に他愛のない会話が続く。

「豪華な造りでござったなぁ、アレ大理石で間違いないでござるよ」
「風呂に浸かっただけなのに肌ツヤが一気に良くなってるのには驚いた」
「……気持ちだけど、傷の跡が薄くなってる気がする。効能が気になる」
「オレも関節痛が和らいだ気がするなぁ。温泉とかなんかねぇ」

 感嘆の声で大浴場の感想を言い合う男性陣は、確かに入浴前よりも肌ツヤが良くなっていた。
 「それに、この服も動きやすくてありがたいよ」という言葉には全員が頷いた。寝間着にと用意されたロング丈のシャツとズボンは着心地が良く、程よくリラックスできる。なお、脱いだ制服はクリーニングするということでバロンに預けてある。
 そのバロンは「皆様の寝室を整えるまでこちらで少々お待ち下さい」と言い残し、部屋を出ていた。

「そういえばなんだけど」

 凝り固まった体を解されてリラックスした状態の中、口火を切ったのは誰よりも大浴場を楽しんでいた百合木だった。

「あのね、お風呂すっっごい気持ちよかったんだけど、それよりもなによりも、ドライヤーがあったことにネネびっくりしちゃった」
「ああ、確かに。アレ、どういう原理なのかしらね」

 大浴場にはシャンプーやコンディショナーはもちろん、ボディソープからドライヤーまで用意されていた。
 異世界にシャンプーやボディソープがあったこと自体驚きだが、特にドライヤーはコードレスだったのもあって余計に衝撃的だった。
 まさか異世界に現代の機器と似たものがあるとは夢にも思っていなかったのだ。

「あのドライヤー、できたのは結構前みたい。何でも、どこかの魔法科学国家? にやって来た旅人が開発したとかなんとかで」
「アケビちゃんの図鑑に載ってたの?」
「物は試しでやってみたら、なんか出ちゃった」
「超絶便利じゃん大図鑑ー!」

 歓声をあげた百合木が、その勢いのままアケビに抱きついた。ここぞとばかりに擦り寄りながらベタベタと触ってくる百合木に対し、アケビはのほほんと笑っている。
 女子グループに属していたアケビにとっては慣れたものなのだろうか、とミヤコは首を傾げ、ちらりと香坂を見た。
 視線が合った香坂は嫌そうな顔で首を横に振っていたので、どうやら違うらしい。

(相性ってやつかなあ)

 クラス内でもカースト上位系の女子グループに属していたアケビとは違い、ミヤコは単独行動を好んで誰にも侵されない中立の立場を貫いていた。
 一人に慣れると、他者からの接触が疎ましく思う者も居る。ミヤコの場合、単純に接し方が分からず困るので関わりたくないだけなのだが。
 そう考えてみると、純粋無垢に見える百合木とアケビの相性が良いのも頷ける。
 要は対処法を知っているかいないかの違いなのだろう。


「あー、皆、ちょっといいかな」

 軽く手を上げて言ったのは梅ノ木だった。全員の視線が集まる。だが彼はそれを気にすることもなく、穏やかな表情を崩さないまま言葉を紡いだ。

「バロンさんが居ない間に、話しておきたいことがあるんだ。……これからのことについて」

 言葉が部屋の中に重く響いた。
 和やかだった空気は一転し、緊張感のようなものが室内に広がっていく。

「いきなり召喚されて、混乱していたけど冷静だったミヤコちゃんが居たからどうにかなった。でも、明日以降は? 僕達はこれからこの世界で生き延びなきゃいけない。――現実からは目を背けられない」

 だから皆で一度意見をまとめておきたいのだと彼は言った。
 正論だ。ぐうの音も出ないほど正直で、心の中にあった目を背けたい気持ちを強制的に叩き潰される。全員を現実に引き戻すには最適の言葉だ。

「……でも、話すってなにを? あたし達、っていうかあたしはだけど、バロンさんがこの屋敷に連れてきてくれるときに外を歩いて、やっとここが異世界なんだって実感が湧いたくらいなのに」
「オレは『|祝福《ギフト》』を使えたときかなぁ。夢見心地だったのがようやく地に足ついたっていうか」

 そう答えたのはアケビと安藤だ。二人の言うことは召喚されたほぼ全員の認識に近かった。あの部屋で目を覚ましたとき、すぐさま現実だと状況を受け入れることができたのはごく少数だろう。
 夢を見ているようなふわふわとした感覚――大半がそういう状態だった。

 梅ノ木はそれを否定しない。自身もそういう状態だった自覚があるからだ。
 だけどここが現実だと理解した以上、目を背けることができないと判断した。

「うん。だから、訊かなくちゃいけない」
「誰に? バロンさん?」
「いいや、バロンさんよりももっと身近な人だよ」
「バロンさんよりも身近で、事情に詳しい人…?」

「ねえ、ミヤコちゃん。もしかしてこの手の話に詳しいんじゃない?」
「……なんのお話でしょう?」

 立ち上がった梅ノ木は、自然な仕草でミヤコの隣に座った。
 背もたれに肘をかけながらこちらを見る姿はどこか色っぽくて、少女漫画の中にでも入り込んでしまったような錯覚を抱きそうになる。
 ――目、目の毒だ……。
 視界にその美しい姿を入れないように目を逸らす。緊張で体が汗ばんでしまいそうだった。入浴を終えたのにまた入らなければならないのは御免だ。

「目覚めたとき、やたらと冷静だったのもあるし、それにほら、アケビちゃんが目を覚ましたとき……」
「あっ」アケビが手を打った。「そういえばミヤコ、あの時こういう展開はテンプレって!」
「あぁー……」

 ミヤコはがっくりと項垂れた。完全敗北――それも自滅である。
 その場にいる全員の視線を浴びながら、小さく呻く。心底困る。できれば話したくはない内容だったのだが。

(でもホウ・レン・ソウは社会人の基本っていうし……言うべきなのかな……)

 正直、視線を向けられるのが苦手な身としては今の状況で反抗できるほどの力はもう残っていなかった。話すしか道は残されていないらしい。


「……図書委員なら、分かると思うんですけど」

 そう前置きして、ミヤコは渋々話し始めた。

「私は図書室で本を乱読するのが趣味で、もともとジャンルも分野もあんまり気にしていなかったんです。だから知ったのは偶然なんですよ――最近、書籍にやたらと『異世界』モノが多いなあって、そう思って」

 始まりは些細な興味心からだった。
 それまで手当り次第に読んでいたものを、『異世界モノ』というジャンルに絞った。ただそれだけで、毎月何百という書籍や関連した本が発刊されていたのを知った。
 知ったからといって、片っ端から読んだわけではない。
 内容をある程度区分し、発祥がウェブならそこで試しに読んで、好みかどうか吟味した。それで興味を惹かれたものから読んでいった、ただそれだけ。

「まあ、それだけでも数十冊はあったんですけど……」
「よく読みきったねえ」

 関心した様子の百合木に、苦笑しつつ首を振る。

「読んだのも最初の一巻だけなのが多かったので。散々絞ったけど、最終的に好みの内容じゃなかったことも多かったですし」
「なるほど」

 正直、どんな導入から物語が始まるのか気になったというのが一番だった。
 普通の世界とは異なる世界へどう向かったのか、どこで目覚め、どうやって人と交流し、どんな目的を持って旅立つのか。

 単純に始まりからそこへ向かう『流れ』に興味があった。
 そうやって数十冊以上読み漁ったが、最終的に続刊を読んだのはほんの数冊。

「分かるよぉ。恋をしたときだって相手の好みはちゃんとサーチしておきたいもんね……相手の胃袋を掴んでナンボだものね……」
「いや、それはなんか違うんじゃ……」

 胸の前で手を組みながら、百合木がうっとりとした表情で頷く。安藤のツッコミは一切合切スルーされ、「言うだけ無駄よ」と香坂が首を振る。

「まあ、そういうことをした結果、私はこうして異世界に喚ばれてもやたら平常心だったのでした。――ここから先は現実なので、もうそういうわけにもいかないでしょうけど」

 付け加えられた言葉に、部屋の中の熱が落ちていく。
 けれど、とミヤコは言葉を続けた。

「あくまで私の想定はそういった『物語』から得た定番の流れをもとに考えているので、斜め上の流れだって十分にありえます。だから、とりあえず皆さんは普段よりも行動や言動をちょっと省みる程度でいいです」

 あとは私がなんとか考えます。ミヤコはあっさりと言いきった。

「……でもそれは、ミヤコちゃんが大変だろう?」
「大丈夫です。今、頭の中でこの先の流れを数十種類くらい考えてますから。在留から国外脱出まで、私の想像力はたくましいですので。それに」

 下手に口を滑らせてややこしいことになるよりはマシだ、という言葉は飲み込む。

(……梅ノ木くんは優しい人だ)

 きっとこの問題を提議したのも、目を覚ました時から総合して考えてミヤコの負担が大きすぎると考えたからだ。例えそれで和やかな雰囲気を壊したとしても、全員に現実と向き合わせなければと考えたのだろう。
 眉を下げてこちらを見る梅ノ木に、繕い直した表情で微笑む。

「きっと私の能力がこれだったのも、そういうことなんでしょう。……元の世界に帰りましょう。私達にはそれを考える材料と、それを行うための『祝福』がある」


   *


「ところでさぁ、異世界モノってどんなのが多かったの?」

 全員で元の世界に帰還する。
 そのためには異世界召喚について詳しく知らなければならないのではないか――一同の中で一応の指針が決まったところで、普段から小説を読むことのないアケビが何気なく訊ねた。

「そうですね……私が初めて読んだのは、事故死することから始まったやつでした。……ウェブ小説だとトラ転モノとか多かったような」
「トラ転?」聞き慣れない単語に安藤が首を傾げる。「なにそれ、トラが転んだの?」
「違います違います。トラック転生……あー、つまり、トラックに轢かれて異世界に転生したっていう導入ですね」
「なにそれこっわい! 賠償金とかどうなるの!?」
「小説にリアリティ求めちゃダメだよアンディ」

 慄いた安藤に対し、アケビが冷静にツッコむ。

「うちの図書室、そういうジャンルの門戸が広いので。私も図書委員だったときに好き勝手にリクエストしていた時があって……異世界転移モノを知ったのはその時ですね」
「……たしかに、私の覚えてる限りですけど、次に入荷してくるのもそういった系統のライトノベルとかが多かったような……だったよね、桜庭くん?」
「うん。ウェブ小説が発祥で、そこから本が出て映像化されたものが多かったと思う」

 ミヤコの言葉に、図書委員である青葉と桜庭が頷く。
 一年生の頃図書委員だったミヤコとは違い、二年生の現在も図書委員をしている二人の言葉は信頼性がある。まして桜庭は一年生の頃から図書委員だったのもあり、ミヤコも何度か一緒に当番をした記憶があった。

「コミカライズ……漫画化してるのも多かったので、そこを取っ掛かりにして知った人も多いと思いますよ」
「なるほどなぁー」

 「そういえばやたらとバナー広告に出てた」「CMとかでみた覚えあるかも」という言葉にも頷いておく。デジタル世代にとって、ウェブ広告によく出ていた作品は目に残りやすいだろう。マーケティングというやつだ。

 ミヤコは会話の輪から抜け出し、微笑みながら会話を眺めていた梅ノ木の腕をそっと突く。

「ありがとう梅ノ木くん。たぶん、心配してくれたんでしょう?」
「――いや、僕のエゴだよ。こちらこそごめんね、考えなしに言い出してしまって」
「いえ。どちらにせよ、アレは提議して話し合わなきゃいけないものでした」

 だから今話せたのは正解だった、とミヤコは言う。

「これからの方針が決まりましたからね。梅ノ木くん様様ですよ。胸を張ってください。あなたがMVPです」
「……まいったなぁ」

 褒められちゃった、と照れた様子で梅ノ木が後ろ頭を掻く。
 その姿は、美貌の青年というよりも、ただの男子のそれだった。


4 城下町

 朝の台所は戦場だ。それはどの世界でも共通らしい。

「和さん、

 エプロンを身に着けた二人の少女――青葉とミヤコは、立ち止まることなく|台所《キッチン》を駆け回っていた。
 一人が火の元に立てば一人は食材を切り、一人が水を使えば一人はすかさず手拭いを用意する。お互いにサポートしながらひたすらに料理を作っていく。まさしく阿吽の呼吸といった様子の二人の目の前には、大量の食パンが積み上げられていた。
 その横には潰したゆで卵やちぎったレタス、ハムやチーズにフルーツジャムなど、色とりどりの具材が並べられている。業務用と言っても過言ではない大量の具材を用意し終えた二人は、大きく息を吐いた。

「これで副菜用のポテトサラダはいいとして……」
「こちらもサンドイッチの具材、できました」
「ありがとう。あとは牛乳と果実水を用意して、食堂に運んじゃおう」
「私、ワゴン取ってきます」
「お願いします、私は皆を呼んできますね」
「わかりました」

 やることは次から次へと湧いてくる。休む間もなくこれからの予定を確認し合った二人は、それぞれ反対方向に歩き出した。



 十三人が異世界に喚ばれて一週間が経った。
 どれだけ戸惑っていたとしても、ヒトという生き物は環境に適応することができるらしい。生きているのに必死で、感傷に浸る暇も無いからだ。

こうして毎日の朝食を用意するのは、ミヤコと青葉の日課になっている。
 一日目と二日目の食事はバロンが料理人に頼み用意してもらっていたが、話し合いの結果、三日目からは料理のできる者が中心になって自分達の食事は自分達で用意することにしたのだ。
 バロンは「遠慮は要りませんよ」と言っていたが、国の実情を聞かされている身としてはあまり贅沢しすぎるのは良くないと思っての判断だった。
 それは他のメンバーも同じだったらしく、自炊計画はつつがなく進んでいった。

 ミヤコは屋敷の庭に向かう扉を開け、大きく息を吸い込む。

「ごはんですよーっ! 来ない人の分はないです!」
「片付けたらすぐ行くー!」

 腹から出した声に気づいた安藤が、笑顔で大きく手を振った。
 一緒に居た二人――梅ノ木と香坂もこちらに軽く手を振ってくれる。どうやら戦闘系の三人で朝の鍛錬中だったらしい。
 ミヤコも手を振り返し、そのまま次の場所へ向かった。

「おはようございます、ごはんですよ」
「……うん。わかった」
「すまない、手間取らせてしまって」
「気にしないで。とりあえず橘くん引きずってきてください」
「了解」

 次に入ったのは、屋敷の一部の区画を占める大部屋だ。
 天井までぎっしりと本で埋め尽くされたその部屋に入り、ミヤコはさっきよりも気持ち控えめに呼びかける。
 その声で本から顔を上げたのが桜庭で、生返事をしたのは橘だった。

 この一角はバロンの個人的な書斎らしい。
 しかしどう見ても図書館の一角のような蔵書数に「嘘やん」とアケビがツッコんだのも記憶に新しい。ここ数日、橘は毎日朝早くから夜までずっと本を読み漁っている。桜庭は青葉に頼まれた、いざというときの連行役だった。

(あとは……今日はもう大丈夫かな)

 頭の中で全員のスケジュールを思い出しつつ、ミヤコは急いで台所に戻る。
 タイミングよく青葉が取ってきたワゴンに食事を乗せている途中だったので、それの手伝いに加わった。
 二人で朝食のワゴンを押しながら、そういえば、とミヤコが言う。

「今日は買い出ししたほうがいいですか?」

 その問いに青葉は少し考え込み、小さく頷いた。

「そろそろ、果物と野菜のストックが無いはずです」
「じゃあ、今日は買い出しだね。バロンさんに言っておきます」
「よろしくお願いします」

 自炊をするなかで、毎日の|献立《メニュー》を考えているのは実のところ青葉の助言によるところが大きい。
 十二人のなかで一番家事――とりわけ料理ができるのは青葉だった。
 もともと親の代わりに家事をやっていたらしく、料理は比較的得意だと言った青葉はその言葉通りとても料理上手だった。
 ミヤコも多少はできるので主力メンバーの一人にはなっているものの、腕は青葉と比べると技術もアイディアも不足しているところが大きい。
 なので料理の采配は、できるだけ青葉にお願いしていた。

 適材適所、各々がやれることをやっていくのが最終的に連帯感となって、親密度の足りない自分達の繋がりになってくれればと考えてのことだった。


「今日は城下町に行ってきます。例によってメンバーはナゴミさんと私、そして希望制で男子から一人――」
「俺が行く」
「――ということなのでこれで三人。バロンさんも良いですか?」
「ええ。王都とはいえ城下町にも不届き者が出ているという話ですので、今回も私が同行させていただきますね」

 城下町に行くのはこれで三回目だ。
 一度目はバロンの付き添いの下で市民の生活を見学するための弾丸ツアーが敢行されたとき、二度目は初めて足りなくなった食材を買いに行ったとき、そして三度目が今回だ。
 ただ一度目は大体の場所を見て回っただけなので、実質今回が二回目の城下町への買い出しともいえる。

 元々家事をしていた青葉は野菜などの目利きがある程度できるようで、ミヤコはその補助のようなものだ。万が一元値からぼったくりの値段で商品を売ろうとしている不届き者が居た場合、それを事前に青葉に知らせる重大な役目である。
 美味しいご飯のためには妥協は許されない。
 ミヤコの『|祝福《ギフト》』は、そういう詐称したものも見抜けてしまう。なので商品になにか異変があれば即座に対応することができるのだ。

 基本、料理ができる青葉やミヤコは昼食でも夕食でも引っ張り出されることが多い。それは監督役であったり、味見役だったりと理由はさまざまだ。
 けれど全てを頼むのではなく、あくまでできないところだけだ。

 昼食は男性陣が作ることが多く、主に梅ノ木や八条が作る栄養を考えつつも年相応な大皿料理がメインだ。
 夕飯は青葉と桜庭が担当することが多い。桜庭は刃物の扱いが上手かった。あまりの技巧に周囲が慄く程に上手かった。そんな彼は強く希望した青葉の補助役として参戦している。今のところ一方通行のようだが、桜庭の気持ちが青葉に伝わればいいのに、というのが全員の総意である。

 メニューはその日によって変わるが、大体の指標として一週間分のメニューを全員で話し合い、最終的に主戦力組が采配することになっている。
 今日の朝食のサンドイッチも、カットする負担が最低限で量を作れるから採用された。ポテトサラダも同様である。

「今日もおいしーい!」

 ハムチーズサンドを作った百合木が口いっぱいにサンドイッチを頬張る。その笑顔は花丸といってもいいくらい輝いていた。

「作り手冥利に尽きますね」
「本当に。ネネさん、とても美味しそうに食べてくれるから腕がなります」
「ネネも城下町行きたぁい!」「あんたはアタシと訓練よ」



「あらぁ、魔術師様のところのお嬢さん! 今日もお買い物かい?」
「はい。野菜が足りなくなってきたので買い足しをと思って。これなんですけど」
「はいはい。ちょっとお待ち下さいね」

 恰幅のいい婦人は青葉から紙を受け取ると、ふんふんと頷いて「これならご用意できますよ」と笑顔で頷いた。

「良かった。ここのお野菜、とてもおいしかったから」
「嬉しいわあ、こちらとしても助かるのでおまけしときますよ」
「わあ、ありがとうございます! ミヤコさん、お財布を」
「はい」

 即座に持っていた財布を渡す。雷に打たれたような衝撃だった。ミヤコは青葉と青果店の婦人の会話に耳を澄ませながら、気取られないよう店内に置かれている野菜を見て回る。

(私には到底無理だなぁ)

 第一印象は気弱で大人しそうだと思っていたが、認識を改めたほうが良さそうだった。少なくとも今ミヤコの目に映る彼女はとてもそうは見えないのだから。

「や。千樹くん。お買い物終わった?」
「ああ。リストに書かれていた香辛料は一通り。……和さんは?」
「今野菜待ちしながらご婦人と世間話してる。……あんなに会話スキル高いって知ってた?」
「いや……ご両親の代わりに料理をしていたとは聞いていたけど」

 あそこまで社交的に変わるとは、と桜庭が呟く。その目は一点の曇りもなくまっすぐに青葉を見つめていて――胸中を察したミヤコは生温い笑みを浮かべた。

「お熱いねぇ二人とも。挙式はいつ?」
「残念ながら、まだ予定はないよ」
「そうかあ」

 残念だな、と心の底から思う。
 青葉と桜庭の距離感は友人同士というには近すぎる――それこそ、恋人や夫婦と称してもおかしくないような近さが当たり前になっている。二人を除いた全員でいつ二人がゴールインするのか賭けが始まったくらいだ。そのことは死んでも本人達には言わないが。

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