もんじゅ 本文編集用

1話:アケビ視点。目覚めからバロン登場、能力発現まで。できるだけアケビからフォーカスがブレないように注意。


 例えるなら、そこは水底のようなところだった。
 優しく揺られるような感覚に身を委ねる。仄かな温もりと、母親に抱かれているような安心感が体を包み込む。

 ――ずっと眠っていたい。
 そう思った瞬間、目が覚める。《《どうして自分は眠っているのか》》と。

(あれ……あたし……なんで……)

 溜めていた水の栓が抜けたような不思議な感覚。違和感に気づいたその瞬間から、少女の意識は急速に覚醒に向かっていった。心地良かった流れが早くなり、身を委ね続けることに恐怖が芽生える。

 ――起きて、はやく。お願い、目を覚まして

(……だれ?)

 戸惑い不安を抱える中、聞こえるはずのない『誰か』の声が聞こえた。
 本当に声がしたのかは分からない。けれど少女はたしかに『声』を聞いた。行かなければと、強く思った。今、その声が少女にとって唯一の道標となっていた。

 声を求めるように、少女は光の方へ手を伸ばした。


 ◆1


「……あ。目が覚めた?」

 女の子の声が聞こえる。
 目を覚ました吉井|朱火《アケビ》の視界に一番最初に映ったのは、心配そうな表情でこちらを見下ろす少女の姿だった。

「おはよう」
「おはよう……?」

 声をかけられ、戸惑いながらも挨拶を返す。
 寝起きで喉がカラカラだった。口から出たのは掠れて絞り出したような声だったのに、ちゃんと聞き取ってくれたらしい少女の顔が嬉しそうにほころぶ。

(……あれ?)

 不思議なことに、少女のほころんだ顔を見た瞬間、冷えていた体の奥に熱が灯ったような気がした。
 丸みを帯びた輪郭、少しだけ細められた目と弧を描いた口元――自分に微笑みかけた彼女の雰囲気が穏やかなものだったからなのか、理由は分からないが、たしかに与えられたその熱でアケビの微睡んでいた意識が現実に足をつけた。

「具合はどう?」
「……頭が少し痛い、かな。でもそんなにひどくないよ」
「そう。よかった」

 少女の問いかけに素直に答える。安心した様子の彼女が、知らぬ顔ではない――クラスメイトだろうと思ったからだ。
 ただ、はっきりと《《誰》》なのかまでは分からない。
 姿も声も確かに見覚えがあるのに、あとちょっとのところで名前が出てこない。かゆいところに手が届かないようなもどかしさを抱えながら、少女に介助してもらい、アケビは横になっていた体を起こした。

「……ここどこ?」

 見覚えのない場所だ。日本では見ることもないような年季の入った|煉瓦《レンガ》の壁と、その壁に溶接された《《ランプのようなもの》》が陰気な室内を明るく照らしている。天井は高く、床にはふかふかの赤い絨毯が敷かれている。

 起きていたのは、アケビを含めてまだ六人程度だった。
 そしてそれと近い数の人が、いまだ眠りのなかにいる。

 全員が目を覚ましたわけじゃないのか、とホッと息を吐く。アケビは室内を見渡して、ある共通点に気づいた。

(皆、おんなじガッコの人じゃん……!)

 そしてやはり、顔に見覚えのある――クラスメイトばかりだ。

「……良かった。目、覚めたんだね」

 優しい声の雨が降ってくる。顔を上げると、そこには一人の男子が立っていた。
 砂糖菓子のように整ったこの顔は忘れようがない。クラス一のイケメンと名高い男子だ。あまり会話をしたことは無いが、変わらない姿に緊張感が少し和らぐ。

「あとをお願いしても大丈夫ですか?」
「うん。任せて」
「じゃあお願いします」

 今はゆっくり休んでください。そう言い残して少女は去っていった。「あっ」と、手を伸ばしかけて、膝の上に着地させる。

(お礼、言いそびれた……)

 あの穏やかな声と熱が、倦怠感に包まれる体の中に優しい温もりを灯してくれた。アケビの目は自然と少女を追いかけた。
 少女は壁際で何かしていたらしい男子に声をかけていた。会話の内容は分からないが、彼女と親しげな様子で話す相手がちょっとだけ羨ましい。

(なんの話してるのかなぁ)

 できればもう少し話がしたかった。そう思いながら少女の背を眺めていると、視界が整った顔で覆われた。

「ぎゃっ」
「ああっごめん、上の空みたいだったから……本当、無事で良かった」

 驚いて仰け反ったアケビに、彼は安心したように微笑んだ。純粋に心配してくれているとても良い人だった。そんな優しさを無視してしまったことに胸が痛む。

「こっちこそごめん。……あのさ、ここに居る人たちってもしかして」
「気づいた? 全員教室に居た人達だよ。スマホ、持ってる?」
「やっぱり……えっ、スマホ? ポケットの中にあるはずだけど」

 唐突な問いかけに戸惑いつつ、ポケットに手を入れる。そこには間違いなく使い慣れた機械――自分が愛用するスマートフォンがあった。

「じゃあ、それで今の時間を確認してみてくれる?」
「いいけど……」

 促されるまま、アケビは相棒を取り出して電源を点ける。
 そして感じた確かな違和感に、「あれ?」と首を傾げた。

「時間が、止まってる……?」

 その通り、と彼が頷いた。

「ここに居るのはその時間に『教室の中に居た』人だよ。だから殆どクラスメイトだけど、ちょうどその時間に来てた他のクラスの人も二人くらい巻き込まれてる」
「マジか……」
「マジだねぇ」

 なんて運の悪い、そう心の中で思いながら画面を見つめる。
 スマートフォンの画面に表示されていた時間は八時十九分――なんともキリの悪い時間だった。

「確認なんだけど、ここ何人いるの?」
「十二人。男子の方が多いみたいだね」
「そう、なんだ……」

 いつもつるんでいる友人達は「授業が始まる前に」とトイレに身なりを整えに行ったのを見送った記憶があった。彼女たちが巻き込まれなくてよかったと心底思う。
 画面を見つめるが、何分経ってもスマートフォンの時計は進まない。その事実に自分が置かれている状況を改めて認識する。気になることは一つだけだった。

「ていうか、ここどこ?」
「さっぱり分からない。ただ、起きてる面子に確認して共通してたのは」
「強い光に飲まれた、ということ」

 静かな声が耳を擽る。
 いつのまにか近くに戻ってきた彼女はアケビの近くに腰を下ろした。

「強い、光……?」

 その言葉で脳裏に浮かんだのは、眠りに落ちる直前の朧気な記憶だった。

「そうだ、光――光だった。あたし、教室に居たのに……」

 カチリと、|靄《もや》がかかっていた記憶のピースが埋まる。
 いつもと変わらない朝のはずだった。普段どおり早めに登校して、まだ人も集まってない教室で一限目が始まるまでのわずかな時間を、友人とくだらないことを喋りながら過ごしていた。
 そしていつものようにトイレに向かう友人達を見送って、何をやるでもなく机で頬杖をついていて――

「突然、目の前が真っ白になったんだ……」
「そして、あの時教室に居た私達はここで目を覚ました」

 呆然と呟いたアケビの言葉を肯定しながら、少女が今の状況へと繋げた。
「うちの学校、規則わりとゆるいしね。朝にすることなんて無いし、普通科なんて特に登校はルーズ気味だったし」と、青年が付け加える。

 アケビが通っている学校は県立高校の普通科だった。学校は極端に治安の悪いヤンキー校というわけではない、良くも悪くも普通の学校である。
 けれど特進でもない普通科は時間にルーズな生徒が多く、教師もあまりそれを気にしてないのが常だった。
 教室に早くから居るのは大体バスや電車の関係で早く着いてしまったり、部活の朝練や委員会、あとは図書室で時間を潰す生徒くらいだろうか。
 つまり今ここに居るのは、そんな事情で早く登校していた生徒ということだ。

「どうだった?」という青年の問いに、少女は首を振る。

「セイくんともう一度出入り口を確認したけど、ダメですね。やっぱり外から施錠されてる。窓もこの部屋には無いし……」
「つまり僕らは密室に閉じ込められている、ってことだね」
「その通りです」

 打つ手がないと肩を竦める少女に、青年が苦い笑みをこぼす。アケビは首を傾げ、「外から誰も来てないの?」と問いかけた。
 その問いに彼は頷き、

「ああ。僕も早い方だったけど、この中で一番最初に目が覚めたのは彼女でね……一度も『外』から人は来てないそうだよ」
「皆が起きるまで室内をあらかた見てたけど、この部屋、隠し通路も無ければ人ひとり抜けられそうな穴もなにも無い。多分ここ、地下なんだと思う」
「地下? それはまたどうして」

「室内に適度な湿気があるし、この部屋に窓がない理由がそれくらいしか思いつかないんだよね。外から光が入らない場所だから、こんなに|煌々《こうこう》と明かりがついてるんだろうと思って」

 理解できないアケビに対し、少女は丁寧に説明してくれた。
 改めて室内をよく見て、彼女の言葉がやっと理解できる。アケビたちが居る部屋の広さは元いた教室よりも少し小さいが、それでも十分広かった。この広さなら太陽の光を入れる窓が一つくらいあってもおかしくないはずだ。
 だけど部屋には窓は一つも無く、ランプで部屋を明るくしている。それが少女の推論を裏付けていた。

「これから、どうしたらいいんだろう……」
「とりあえず、全員目が覚めるのを待つしかないんじゃないかな」
「そうだね。皆起きないことにはなにもできないし」

 思わず不安がこぼれたアケビに対し、二人の答えはあっさりしていた。
 とくに慌てた様子でもない二人に不思議に思ったが、そういえば二人がほぼ最初に起きたのだと思い出す。だとしても、アケビを始めとする目覚めたばかりのクラスメイトに対する細やかな気遣いは到底マネできそうにない。

「二人ともすごく冷静だね……すごいなぁ」

 思わず出た言葉に、当の本人たちは「えっ?」と驚いた顔をしていた。

「冷静ってわけでもないよ、僕も起きたときはびっくりしたし。でも、冷静な人が先に起きていてくれたおかげでどうにかね」
「いやいやいや。私も驚いてるからね、念のために言っておくと。ただそれよりも、自分がどんな場所に居るのかわからない不安感の方が上回ったってだけで」
「不安感?」

 こくりと少女が頷く。

「そう、不安感。だから徹底的に調べてやろうと思って。この部屋、密閉されてるけど空気は循環してるみたいだから換気口みたいなのがあると思ったんだけど、見つからないんだよね……」

 不思議だねぇと天井を見上げる姿からは、彼女が言う『不安感』など微塵も感じられない。本当に不安を感じているのかと首を傾げたくなるような自然体だった。

(……でも、そっちの方がいいのかもしれない)

 不安なのはこの場にいる全員一緒なのだ、それなら誰かがどうにかしてくれるのを待つより、自分から行動する方が不安も紛れるだろう。
 そういう意味で、感情を表に出さず自分から行動できる彼女はすごいと改めて思う。

「それにねぇ」のんびりとした口調で彼女が呟いた。「こういう展開は結構テンプレだから……」
「テンプレ?」

 なんのことだろう、と首を傾げるアケビ。
 「アッ」と、少女の動きが石のように固まった。

「――いや、なんでもないです。ただのひとりごとです。気にしないで」

 もう一度探してみるねと言い残し、少女は穏やかな微笑みと共に|機敏《きびん》な動きで離れていってしまった。
「なにかまずいことでも言ったかな」と不安げに呟いたアケビに対し、理由を察したらしい青年はぬるい笑みを浮かべ「気にしなくて大丈夫だよ」と隣に座る。

「とりあえず、今は皆の目が覚めるのを待とう」

 その言葉に、アケビは戸惑いつつも頷いたのだった。



 部屋に居た全員が目を覚ましたのは、アケビが目を覚ましてから三十分ほど経った頃だった。
 そして現在、男子が七人・女子が五人の計十二人が部屋の中心で輪になって座っている。念のため全員に確認をとったものの、誰もこんな出来事に巻き込まれるようなことはしていないという結果に終わった。
 『外』からは相変わらず人が来る気配は無く、ただ時間だけが過ぎていく。全員で室内を調べてみたものの、目ぼしい成果は得られなかった。

 これからどうなるのかと不安が渦巻く中、全員の意思をまとめたのはアケビを介抱してくれた少女の「とりあえず自己紹介でもしましょう」という鶴の一声だった。

「自己紹介……?」

 なぜ今自己紹介なのかと思わなくもない。
 けれど共通認識として、一部を除いてこの場に居る人間がお互いに『見覚えはあるがちゃんと話したことはあまりない』相手ということが分かっていた。
 クラスメイトとはいえ、基本的に最低限のことしか話さない者もいれば、アケビのように限られた相手としか喋らない者も少なくない。
 そういう意味では、この提案は今のアケビ達にぴったりだった。

「でも、誰からするの?」
「これは言い出しっぺからでしょ」
「えっ」
「がんばって」

 語尾にハートマークでもついていそうな後押しに負けたのは、自己紹介の言い出しっぺでもあり、アケビを介抱してくれた少女だ。
 彼女は少し困った顔をしながらも「それじゃあ」と、控えめに手を挙げる。

「涼木ミヤコです。いつもは眼鏡をかけているので、普段と印象が違うと思うんですけど――」
「あっ」

 そう言いながら上着から取り出した眼鏡をかけた彼女を見た瞬間、アケビのなかにあった《《もや》》が一気に解消された。

(なんで気づかなかったかなぁ!)

 自分のポンコツさに頭を抱えたくなる。認識してしまえば誰なのかすぐに分かったはずなのに、どうして思い出せなかったのかわからない。
 彼女――涼木ミヤコへの印象は『いつも穏やかで丁寧な口調の植物のような女の子』というものだった。
 正直、ここまで前面に出て動いてくれるというイメージが無かったのだ。おそらくそれがアケビが彼女を認識できなかった理由だろう。

「できれば、スズキじゃなくて名前で呼んでもらえると助かります。――まあこんな感じで、簡単にしてくれればいいので」

 お手本を見せた彼女が「次、お願いしますね」と肩に手を置いたのは、彼女の隣に座っていた少年だった。色素の薄いミルクティー色の髪は覚えがある――さっきもミヤコとふたり、壁際で何かを調べていた男子だ。
 ミヤコの言葉に頷いた少年は、顔の半分以上を覆っていたマスクを下げて、淡く微笑んだ。

「伊藤セイです。僕も名前で呼んでもらえると嬉しいです」

 その微笑は、男性というよりも女性的なものだった。
 マスクで隠れていた顔立ちは女の子と見紛うほど可憐で、女子制服を着ていたら男だと分からないほどだ。

(かっわいい! 美少女じゃん!)

 アケビの中に彼の印象はあまりない。話したことがないというのもあるが、知っていることといえば、マスクを常につけていることや女子と変わらない華奢な体格ということ、あとは病気がちという噂話程度だ。
 ただ病気がちという噂は本当のようで、彼は登校してきても途中で居なくなることが多く、自分から人と関わっている姿を見たことがなかった。
 だがミヤコと話す様子を見る限り人見知りなどではないらしい。

 二人が先陣を切ったことで難易度が下がったのか、ミヤコを起点として時計回りで自己紹介が始まった。

「梅ノ木|翼《ヨク》です。ツバサと書いてヨクと読みます。できれば名前呼び希望です、よろしくね」
「橘|翔《カケル》。呼び方はお好きにどうぞ」
「せ、せ、拙者、八条蓮と申しますっ。呼び方は皆様のお好きなように――あのやっぱりどうせなら「蓮くん」とかお名前の方でお願いしたく!」

 次に名乗ったのは、アケビに声をかけてくれた彼のグループだった。
 少女漫画に出てきてもおかしくないような甘い美貌の梅ノ木、眼鏡をかけていて童顔で少し血色が悪い橘と、顔は整っているが発言の節々から濃ゆいものが滲み出ている八条。

 一見共通点の無さそうな三人だが、波長が合うのかいつも三人で話しているところを教室の中で見かけた覚えがある。

「はーいっ、次、私いきます!」

 自然と進行役に収まっていたミヤコがどうぞと促すと、少女はにっこり笑った。

「百合木|寧々《ネネ》です! ネネって呼んでねっ。はい、二人ともっ!」
「染森|真広《マヒロ》。真広でいい」
「|香坂《コウサカ》ハナ。好きに呼んでちょうだい」

 ツインテールと笑顔がよく似合う、小動物のような可愛い風貌の百合木と、背が高く比較的ガタイのいい、言葉数は少ないが穏やかな印象の染森、美人系で一重の涼やかな目元がクールな印象を与える香坂。
 梅ノ木達と同じく共通点の見えない三人は、この部屋で目を覚ましてから仲良くなったらしい。
 寡黙な染森とクールな香坂の間に明るく無邪気な百合木が挟まることで、とても不思議な塩梅でバランスが保たれているようだった。


(次はあたしかなぁ)

 ちょうどいいタイミングが来た、とアケビは手を挙げる。
 ミヤコを見ると大丈夫だと頷いたので、そのまま口を開いた。

「吉井アケビです。あたしも名前呼び希望! よろしくー」

 言い終わると共に、ちらりと隣に座る男子に目を向ける。
 アケビの意図を察したのか、心得たとばかりに笑みを浮かべた男子が続いて名乗りを上げた。

「安藤|爽介《ソウスケ》って言います。オレは隣のクラスで偶然巻き込まれたクチでーす。呼び方は何でもオッケー、気軽に呼んでね。はい、どうぞ」
「あっ、青葉|和《ナゴミ》です。わたしも安藤くんと同じく、隣のクラスです」
「……桜庭|千樹《センジュ》です。呼び名は任せるので、好きなようにどうぞ」

 人工的な明るい髪とピアスが印象的で、口を開くと好青年な安藤と、髪をゆるく三つ編みお下げにした清楚で大人しそうな青葉、そしてアシンメトリーの髪が印象的な、梅ノ木とはタイプの違う美貌を持つ桜庭。
 アケビの後に三人が続いて名乗りを上げ、全員の自己紹介が終わった。

(見事に話したことない人ばっかだなぁ)

 お互いの名前が分かったことで、多少のぎこちなさはあるものの、目覚めたばかりのときとは違い気楽に話せるようになった。それぞれの緊張感が和らいだことで、アケビの中の好奇心もひょっこりと顔を出し始める。
 自己紹介を終えて、アケビの中で一番印象が変わったのはクラスメイトの桜庭だった。

「ごめん、俺のせいで巻き込んでしまって……」
「だ、だいじょうぶだよ、気にしてないから」

 という二人のやり取りをちらりと見て、その意外性にいけないことと思いつつも耳が澄まされてしまう。
 桜庭は青葉の隣を陣取り、寄り添うようにぴたりと離れない。その姿はまるで恋人のようで、これで付き合っていないのが不思議なくらいの距離だった。
 彼はクラスでも常に単独行動な上、表情も殆ど変わらないのでその美貌も相まって誰にも心を開かないイメージがあった。

 なので他人――それも女の子に寄り添い、感情を見せる姿は予想外だった。

(くそっ、馴れ初めをめっちゃ詳しく聞きたい!)

 絶対甘酸っぱいイイ感じのに違いないと心の中で深く頷く。
 女子高生にとって、他人の恋バナは主食同然である。それはグループ内で受け身気質だったアケビも例外ではなかった。とりあえず彼女と仲良くなろうと心に決めたところで、改めて部屋の中に居た面々を見る。

(ほんとにあの時教室に居た人が連れてこられたんだなぁ)

 学校に登校してきたときは、まさかこんなことになるとは思いもしなかった。だがこんなことが起きなければ、この場に居る面々を知ることも無かっただろうと思う。
 和やかな雰囲気になってきたところで、「とりあえず」と流れで進行役を任せられたミヤコが話を切り出した。


「まず、これからのことだけど――」
「ミヤコ様、ここからは|私《わたくし》めにお任せください」

 唐突に、ミヤコの背後から真っ白な手が浮かび上がった。
 突然聞こえた自己紹介した中の誰でもない声に、活気づき始めていた部屋の空気が一気に凍る。
 その手は、どこかいやらしい動きでミヤコの肩から頬をするりと撫で上げた。
 突然の感触に固まってしまったミヤコに、何を勘違いしたのか「お待たせいたして申し訳ありません」と耳元で囁くように言ったその男――居るはずのない『十三人目』は、薄暗い影から浮き出るように室内に姿を現した。

 『十三人目』は、背丈の高い男だった。
 青白くすら思える白い肌に若草色の髪と蜂蜜色の瞳を持つその男は、右目に|片眼鏡《モノクル》を掛けている。地面につきそうなほど長い白のローブで体を隠し、前を留めるブローチのようなものは鮮烈な赤。
 顔立ちはなんとも表現し難い――《《なにか》》がブレて重なっているようにも見えるが、とりあえず彫りの深い顔ということは分かった。

 突如としてミヤコの背後から現れ、輪の中心に立った男は、貼り付けたような笑みのまま口を開いた。

「ああ、皆様全員ご覚醒なされたようで|私《わたくし》大変安堵いたしました! タイミングを逃してしまい正直いつ出ていこうか迷っていたのですがいやはやさすがミヤコ様。一番に目を覚まして室内の探索を始めたときから思っていましたが随分と統率力に長けておられるようで他の皆様のメンタルカウンセリングまで行ってくださるその手腕、ぜひ私めにもご教授頂きたく――」
「長い長い長い!」

 アケビは思わずツッコんだ。
 あまりにも流暢な話しぶりなのでつい飲まれかけたがそれどころではない。アケビの鋭い言葉にも「これは失礼いたしました」と、全く悪びれた様子もない笑顔である。

 訝しげな目も気にすることなく、男は「私も自己紹介させていただかねばなりませんね」などと|宣《のたま》い、胸に手を当て恭しく一礼してみせる。

「私はバロン。このエンプティス王国の宮廷魔術師をさせて頂いております」



 『エンプティス王国』――周囲を四つの大国に囲まれながら、現代に至るまでどの国に呑まれることなく、豊かな自然と魔素の恩恵を受けて繁栄を続けてきた小さな王政国家。
 それが、十二人が目を覚ました場所の名前だった。

 主要産業は農業や畜産・鉱業で、もともと戦争とは縁遠い穏やかな国だったのだが、先々代の国王の代から国が傾き始めたという。
 ここ数年では家業を捨て一族全員で隣国へ夜逃げする民が増えており、産業が廃れ、財政が困窮し民の生活の質が落ちていくという悪循環が止まらず、打つ手が無いのが現状らしい。

「まずは改めてお詫びを。ご覚醒の際、お側でお支えすることができず申し訳ありませんでした。ちょっと口やましくみっともない老害――失礼。高貴なる皆様にお呼び出しを受けておりまして。ついタイミングを逃してしまいました」

 さらりと毒づく『十三人目』――宮廷魔術師のバロンから語られたのは、自分達が今《《どこ》》に居るのかについてだった。
 元の世界では聞いたこともない名前に、自分達が未知の場所に連れてこられたのだと実感する。

「それで、この国の内情は把握しましたけど、それと私達が連れてこられたことと一体何の関係が?」

 全員を代表して訊ねたのはミヤコだった。バロンから受けた説明が今の状況とどう繋がるのか分からなかったからだ。
 それは他のメンバーも同じだったようで、全員の目がバロンに集まっている。

「半年ほど前、国王から勅命が下りました。『異世界より選ばれし者を喚び出せ。その者達は我が国に再び繁栄と安寧を齎すであろう』――と」
「……え? ちょっと待って、選ばれし者? ってまさか」

 色々と吹っ飛んだ発言にフリーズしかけたが、それよりも聞き捨てならない言葉が聞こえた。
 思わず声を上げたアケビに、バロンは「お察しの通りです」と頷いた。

「『選ばれし者』とは、今回私がお喚びした十二人――つまり、皆様のことです」


 部屋の中に、重苦しい静寂が流れる。
 十二人は無言で顔を見合わせ――そして音が爆発した。

「はああああああっ!?」
「なにそれ!? ちょっとねえなにそれ!?」
「何言ってるかわかんないです」
「なんでそんなものに縋ったんだ?」
「こちとら人間やぞミュータントの言葉なんぞわかるかい!」

 ぐわんぐわんと室内に荒れ狂う波の如く怒りの声が響いた。荒ぶる『選ばれし者』達の姿に同意するように、バロンも深く頷いた。

「私も正直最初は『何いってんだコイツ』と思いました。――が、事実としてこの世界では異世界から喚び出された『選ばれし者』によって国が救われたという事例が実在しているのです」
「嘘やん……」
「残念ながら本当にございます。私としてもどうか喚ばれませんように誰も来ませんようにと祈っていたのですが。ええ、国王とこの国の大司祭が癒着関係にあるばっかりに、うっかり今日という最大限に魔力が高まった日が選ばれてしまいまして」

 大司祭許さねぇ、そう呟いたのが誰だったのかは分からない。
 ただ、今この場に居る全員の気持ちがその言葉そのままであるということは変えようのない事実だった。

「――そもそも、私達は魔法なんて使えませんし、多分他の『選ばれし者』もそうだったと思うんですけど、ただの一般人がどうやって国を救えと?」

 絶望的な空気の中でも比較的冷静だったミヤコが疑問を呈する。
 ここに居る十二人は全員ただの高校生で特別な力など一つも持っていない。ミヤコの疑問は至極真っ当なものだった。

「そっ、そうだそうだー! あたし達ただの学生です!」
「救国の勇者なんて拙者恐れ多いでござるよぉ!」
「ああ、それなら心配ございません。『|祝福《ギフト》』が皆様に付与されているはずですので」
「ギフトォ……?」

 また新しい単語出てきたぞと言わんばかりの胡乱な視線を華麗に流し、「ではまずそこからご説明させていただきましょう」と、魔術師は満面の笑みを浮かべた。

「|祝福《ギフト》とは、文字通り神より与えられし|祝福《しゅくふく》――つまり、異能です。それを持つものはこの世界でも限りなく少なく、唯一確実にそれを得ているといわれるのが異世界より召喚された『選ばれし者』なのです」

「祝福は魔法とは違うの?」
「ええ、違います。魔法は主に空気中にあるとされる|魔素《まそ》と自身の体内に生まれつき備わっている魔力によって発動しますが、『祝福』はそうではない。その能力は多種多様、対象に合った能力が与えられると云われています」

 間を置いて、バロンは残酷な現実を突き付ける。

「特に『選ばれし者』は世界を渡り、神の祝福を受けた神聖な存在――数少ない『祝福』の中でも更に際立って異彩を放つ。それこそ国を救い、繁栄と安寧を齎す祝福が与えられていることでしょう」


   ◇


 結果として、十二人に与えられた『祝福』は偏っていた。

 召喚されたメンバーは男性が多かったため、強力な戦闘能力が与えられているのではと思われていた。
 だが、『本人に合った能力が与えられる』という部分に偽りは無かったらしい。

「いやはや、流石にここまで偏ると爽快ですねえ」
「これ、いいんですか? 正直、これで国を救えるとはとても……」

 自分の能力を試そうと試行錯誤している姿に満面の笑みを浮かべるバロン。
 その隣に立つミヤコは、自分より頭数個分高い男を見上げて問いかけた。
 二人の目の前では今、ミヤコを除いた十二人が与えられているらしい『祝福』をどうにか使いこなそうと試行錯誤していた。

 十二人が今居るのは、城の外に建てられている大きな屋敷――宮廷魔術師であるバロンの自宅だ。「この室内では狭すぎますから」と全員にローブを着せ、姿を隠し連れて来た屋敷は豪邸と言ってもおかしくない大きさの立派な屋敷だった。
 ただ、屋敷の中は生活感が一切無く、使用人も誰も居ない。
 家主であるはずのバロンが「置物みたいなものでして」と笑っていたので、普段住んでいるのは別の場所なのだろう。

「ええ。最初に申し上げましたでしょう? 私は皆様がどうか召喚されませんようにと、そう心から祈っていた……と。ですが事は成ってしまった。私ができるのは、喚び出した者として皆様のこの世界での暮らしをサポートすることのみ」

 その点において、十二人の与えられた『祝福』が偏っていたことは良いことだと魔術師は言う。

「私の方から王に提言します。『召喚は無事成された。しかし祝福に問題があり、今しばらく『選ばれし者』を庇護下に置く』と。言外に少しばかり《《強すぎる》》のだと匂わせれば、あの王もそれを認めるでしょう」
「……『選ばれし者』は強い戦闘能力を授けられたと思わせる、ってことですか?」
「その通りでございます。――やはりミヤコ様はこの中で抜きん出て冷静でいらっしゃる。もしや異世界召喚の経験が以前にも?」
「そんなわけないでしょう」

 ミヤコはからからと笑う。
「そうだったら今頃一人で国外脱出でもしてますよ」と言い放った少女に、「それは恐ろしいですね」と魔術師は眦を下げた。


「ごめんっ、ミヤコ! ちょっといいかな」
「うん?」

 焦ったような声が聞こえ、ミヤコは顔を上げた。
 早足で近づいてきたセイにどうかしたのかと訊ねると、セイは顔を近づけ耳元でささやいた。

「アケビさんの能力がちょっと……ミヤコの能力ならなにか分かるかもしれないと思って。話の途中に悪いんだけど」
「全然構わないよ。アケビさんの所に行こう」
「ごめん、頼りっぱなしで」
「気にしないで。適材適所、って言うでしょ」

 申し訳無さそうなセイに対し、ミヤコは快く頷いた。その優しさに感謝しつつ、セイは隣にいた魔術師にも声をかけた。

「バロンさん。あっちで魔法みたいな『|祝福《ギフト》』の人が居たので、見てもらえませんか?」
「かしこまりました、お任せください」
「お願いします」
「すみませんバロンさん。ちょっと失礼します」

 二人はバロンに軽く頭を下げ、アケビの下へ向かった。

 十二人の中で最初に『|祝福《ギフト》』が判明したのはミヤコだった。
 本人は能力を使っていることに無自覚だったが、ひとりで室内を調べているうちに感じた《《違和感》》が『祝福』によるものだったと判明したのだ。
 そんなミヤコの能力は、他人の能力を知るのにうってつけのものだった。


   ◇


「えー……なにこれ」

 口から情けない声が出る。
 アケビの目の前には、宙に浮かぶ大きな『|画面《モニター》』のようなものが現れていた。

(ど、どうすればいいの……)

 なにもおかしなことはしていないはずだ。
 周囲と同じように自分の『祝福』を使おうと強く思った瞬間、この半透明のウィンドウが目の前に突如として現れたのである。
 しかしその画面は現れただけで、そこからうんともすんとも言わない。
 解決方法の分からないそれに、頭の中は混乱状態だった。

「お待たせ、アケビさん」
「ミ、ミヤコーっ!」

 救いはあった――そう言わんばかりにこちらを見たアケビに、ミヤコは安心させるように頷いてみせる。

「能力は発動できました?」
「で、できたんだけど、ぜんっぜん動かないの!」
「動かない?」

 これこれ、とアケビがウィンドウを指差す。
 「ふむ」と顎に手を当てながら画面を見つめるミヤコの目は鋭い。おそらく自身の『|祝福《ギフト》』を使っているのだろう。
 その姿を見守りながら、アケビの心は不安感で満ちていく。

(説明書もないなんて、なんつう不親切設計……!)

 ミヤコの能力――情報を知るのに長けたそれが無かったらどうなっていたことか。考えただけでぞっとする。

「わかりそう?」
「今、ミヤコに視てもらってるけど……」

 彼女を呼びに行ってくれていたセイの問いに、どうなるかは分からない、と返す。調べ始めて早々に声をかけるわけにもいかない。できるのは見守ることだけだ。
 アケビは祈るようにミヤコの背中を見つめた。



「……うん。だいたいわかったよ」
「ほ、ほんとうにっ?」

 無言で画面を見つめること数分。顔を上げたミヤコはそう言って微笑んだ。

「あ、あたしの能力、どんな感じ?」
「口で説明するより、実践した方が早いでしょうから。アケビさん、来て」
「はいよろこんでーっ!」

 アケビは急いでミヤコに近寄った。
 不謹慎だが、どんなに現状に戸惑っていても『|空想の中の産物《ファンタジー》』でしかなかった力が使えるようになったというのはとても魅力的だった。
 いつだって魔法と超能力は子供の憧れである。

「まず、この画面に手をかざして」
「オッケー、わかった!」

 言われるまま、目の前のウィンドウに手をかざす。

「そうしたら『|接続《アクセス》』って言ってください。これは初回だけで、次からはアケビさんが思うだけで自由に動かせるはずですよ」
「う、うん。やってみる――『|接続《アクセス》』!」

 掛け声と共に、真っ白な画面が淡く光を放った。
 アケビはその眩しさに目を細め――

「うわあ……!」

 光が止んだ瞬間現れたものに、小さな歓声を上げた。

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