眠っていたはずなのに、落下していく感覚で目を覚ましたことがある。
それは例えるならジェットコースターに近く、目を覚ます度に心臓が潰れてしまうのではないかと思ってしまうほどの苦痛を少女に与えた。
不定期にやってくるそれは、少女にとって何よりの『悪夢』だった。しかし――皮肉なことに、少女はその『悪夢』によって目を覚ましたのであった。
――生きている。
最初に分かったのは自分の心臓が暴れているということだった。それは今にも爆発しそうで、耳の奥にまで暴れる音が聞こえてくる。
寝起きの倦怠感に包まれながら、少女は心の中で唸り声を上げる。
(忘れかけてた頃になんの、ほんと勘弁してよねぇ……)
『悪夢』に襲われるのは随分久しぶりだ。
げんなりした気持ちになりながら荒くなった息を整え、ぼやけた視界が元に戻るのを待つ。少しずつ落ち着いていく鼓動の音に、少女――アケビは深く息を吐き出した。
「……良かった、目が覚めたんですね」
その声はアケビの隣から聞こえてきた。
声の聞こえた方を向くと、鮮明になった視界が安心した|表情《かお》でこちらを見つめる少女の姿を映し出す。彼女の言葉が自分に向けられたものだと分かるのに、時間はかからなかった。
アケビと少女はしばし見つめ合う。――沈黙を破ったのは少女の方だった。
「具合はどうでしょうか?」
「……頭が、チョット痛い、かも」
「そうですか……。念の為、もう暫く安静になさってた方がいいと思います」
気遣う少女の言葉に、アケビは大人しく|首肯《うなづ》いた。
(たぶん、クラスの子だよねぇ?)
うーんとアケビは頭の中で首を傾げる。
丸みを帯びた顔立ちに、アンバランスにも思えるキリッとした瞳。けれど微笑む姿は幼く見えて可愛らしい――そんな少女の姿に見覚えがあった。
ただ、はっきりと《《誰》》なのかまでは分からない。確かに見覚えはある。けれどあと少しのところで名前が出てこない。
(誰だったかなあ……こんなハムちゃんみたいに可愛い子をこのあたしが覚えてない……?)
『女の子好き』を自認していた身としてこれは中々ショックである。
例え話すことはなくとも、クラスの女の子であれば容姿だけは一通り頭に叩き込んでいた筈なのだが――どうしても彼女の名前が思い出せない。
かゆいところに手が届かないもどかしさに苛まれつつアケビはできる限りゆっくり体を起こした。
「……どこ、ここ?」
日本では早々見ることもないような年季の入った|煉瓦《レンガ》の壁に、その壁に溶接されたランプのようなものが陰気な室内を明るく照らしている。天井は高めで、床にはふかふかの赤い絨毯が敷かれている。異常な状況なのは一目瞭然であった。
(あっ、髪巻いたのおじゃんになってる)
現実逃避に触った後ろ髪の惨状に衝撃が走る。
朝イチで完璧に巻いたはずの髪は、眠っている間に無残にも崩れてしまっていたらしい。気分が落ち込むのを感じながら、アケビは室内を一望する。
起きていたのはアケビや少女を含め、まだ六人程度だった。そしてそれと近い数の男女が、いまだ眠りのなかにいる。
部屋の中を見渡し、気づいたことがある。――此処に居るのは、自分のクラスメイトばかりだということだ。
(どうりで見覚えがあるわけ……けど、知らない子も居るなァ)
通っている高校が『やることやるならグループでも一人でもなんでもオッケー』という校風だったこともあり、この部屋に居る人は話した覚えがない相手がほとんどだ。
そしてクラスメイトの女の子達はともかく、男の顔となると識別できる自信はない。介抱してくれた心優しい彼女は「まだ休んでいてください」と言い残して、壁際へ向かって行ってしまった。
(追いかけた方が良さげじゃない?)
休めと言われても手持ち無沙汰は退屈だ。どうせなら彼女のそばで手伝って、あわよくば親交を深めたい。そんな下心で腰を浮かせたかけた瞬間である。
「――ああ、起きたんだね」
ばちん、と目が合ってしまった。
ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。その人物は片膝をつき、座っているアケビに視線を合わせる。砂糖菓子のように甘く整った美貌は、男子に関心の薄いアケビでも早々忘れられないほどに鮮烈だった。
「……えーっとぉ、そのぉ」
「ははっ、普段話したりしないもんね」
戸惑いを隠せないアケビに対し、彼は朗らかに笑う。
クラスメイトというのは分かっていた。彼はクラスでもトップの――アケビでも覚えているくらいの美形だ。ただ名前がうろ覚えであったので口にはしなかっただけである。
「本当に、無事に起きてくれて良かった」
その声は純粋に心配していたと分かるもので、なぜだか胸が痛む。
「な、なんかごめん……あっ、あのさ! ここに居る人ってもしかして」
「ああ、アケビさんも気づいた? 皆、教室に居た人だよ」
あとスマホ持ってる? 彼がさらりと付け加えた。
「やっぱり――えっスマホ?」
「そう、スマホ」
推測が当たったことに複雑な心境になりつつ、彼の唐突な問いに思わず訝しむ声が出る。
「スマホならポケットにあるけど」
「じゃあ、それで今の時間を確認してみてくれないかな」
「別にいいけど……?」
それが一体どうしたというのかと思いながら、促されるままスマホを取り出し電源を点ける。アケビは画面をしばし見つめ、「んん?」と首を傾げた。
「時間が止まってる……?」
その通り、と彼は頷いた。
「ここに居るのはその時間に『教室の中に居た』人だよ。だからほとんどクラスメイトだけど、他のクラスの子も二人くらい巻き込まれてる」
「ええ……マジで……」
「マジだねぇ」
表示されていた時間は八時十九分――中途半端な時間である。
「……一応確認なんだけど、何人いる?」
「十二人。男子の方が多いみたいだ」
教室外の人間が巻き込まれてないことに息を吐く。友人がトイレに行ったのを見送った記憶があった。だが半分寝かけていたのもあって確かめておきたかったのだ。
当然のように電波は圏外、一向にスマホの時計は進まない。
時間が止まっているという事実が改めて重く伸し掛かってくる。しかし、それよりも知りたいのは一つだけだ。
「この部屋なに? 教室に居たはずなんだけど?」
「それは僕にもさっぱり。ただ、起きてる人に確認して共通してたのは――」
「気を失う直前に、光を見たということです」
顔を上げると、いつの間にか戻ってきたらしい少女が立っていた。
彼女はアケビのそばに腰を下ろし、「眼の前が真っ白になるような、強い光です」と更に付け加える。
その言葉で、『悪夢』でぼやけていた記憶が少し戻ってきた。
「そうだ、あたし、教室で寝かけて……」
いつもと変わらない朝だった。
普段どおり早めに登校し、人も集まってない教室で友人とくだらないことを話していた。そしていつものように身だしなみを整えに行く友人を見送り、襲ってきた眠気に身を委ねて寝かけて――
「突然、目の前が真っ白になって」
「教室に居た私達は、ここで目を覚ました……ということですね」
「……なんか、言い方アレなんだけど、あの時間でよくこの程度で済んだよね」
「うちの学校、規則はゆるいし朝やることなんて無いし、普通科なんて特に登校はルーズ気味だったしね」
アケビたちの通う高校は、県立の良くも悪くも普通の学校であった。
しいて言うなら彼が言うように規則がゆるく、特に普通科は時間にルーズな生徒が多かった。
早くから居るのは、バスや電車の関係で早く着いてしまったり、部活や委員会、あとは図書室で時間を潰すつもりの生徒くらいだ。
つまり今ここに居る面々は、そんな事情で早めに登校していた生徒ということだ。
「どうだった?」という彼の問いに、少女は首を振った。
「セイくんと出入り口を確認しましたが、ダメですね。外から施錠されてます。窓もこの部屋には無いですし……」
「僕ら、立派に拉致監禁されてるってことかあ」
その通りですと少女が頷いた。
「外からは誰も来てないの?」
「うん。僕も起きたのは早い方だったけど、この中で一番最初に目が覚めたのは彼女でね……一度も『外』から人は来てないそうだよ」
「室内をあらかた見ましたが、この部屋、隠し通路も無ければ人ひとり抜けられそうな穴もなにも無いんです」
あとこれは推測ですが、多分ここは地下だと思われます。こともなげに言った少女の言葉にアケビと彼は顔を見合わせる。
「地下? それはまたどうして」
「この部屋の中の湿気が強いのと……部屋に窓がない理由がそれくらいしか思いつきませんでした。外から光が入らない建物だから、こんなに|煌々《こうこう》と明かりがついているのではと」
アケビたちの閉じ込められている部屋は、教室よりも少し小さいが十分な広さがあった。この広さなら小窓が一つくらいあってもおかしくない。
だが部屋には窓は無く、ランプが部屋を照らしている。そして少しだけベタつくような空気が少女の推論を裏付けているようだった。
それはつまり、唯一の出入り口に『外』から人が来ない限り、ここを出ることはできないということでもある。
「これからどうしたらいいんだろ……」
思わず口に出てしまった言葉は途方に暮れていた。
「とりあえず、皆の目が覚めるのを待つしかないんじゃないかなあ」
「ええ。全員が起きないことには話が進みませんし」
それに対し、二人の答えはシンプルだった。現状を淡々と受け入れる姿はこの異様な状況ではとても頼もしく見える。
片や笑顔の可愛いハムちゃんみたいな女の子、片や鉄壁の砂糖菓子イケメン。完璧な布陣である。
「ふたりとも冷静じゃん……マジ尊敬……」
拝むように手を合わせたアケビに、彼はおかしそうに笑った。
「僕も起きたときは驚いたよ。でも、自分より冷静な人がいてくれたおかげでどうにかね」
「いえ、私も驚いていますよ。ただ、それよりも《《不安感》》の方が上回っただけで」
不安感? と首を傾げたアケビに、少女はそうですね、と口元に手を当てる。
「もどかしさ、とも言えますね。ならいっそ徹底的に調べようと思いまして。例えばこの部屋――密閉されてますが空気は循環してるようなので、換気口がどこかにあると思ったのですが、まだ見つかってないんですよね」
不思議ですねと天井を見上げる姿からは彼女の言う『不安感』などこれっぽっちも感じられない。本当に不安なのか首を傾げたくなるような自然体である。
心の中でもう一度拝むとともに、そんな素敵な女の子の名前を思い出せない自分の不甲斐なさといったらない。嘆くアケビをよそに、少女は誰に言うともなく呟いた。
「それに、こういう展開は結構テンプレだし……」
「……テンプレ?」
「アッ」と少女が小さい悲鳴を上げて固まった。
――どうしたのかな?
首を傾げたアケビに、数秒ほど固まった少女はそっとアケビの方を向き、
「いいえ、ただのひとりごとですので、きにしないでくださいね」
と。菩薩のような微笑みを浮かべて静かに首を振った。
(あっ、かわいい……)
キュッと上がった口角が大変チャーミングだ。笑顔で頷いたアケビに微笑みかけて、少女は|機敏《きびん》な動きで再び室内の探索へ戻って行った。
その背を見送り、アケビは口元に手を当てうぅんと唸る。
「……あたし、もしかしてまずいこと言った?」
「気にしなくて大丈夫だと思うよ」
アケビの肩を優しく叩き、彼はただ微笑んだ。
外から人が来る気配は無く、ただ時間だけが過ぎていく。
部屋に居る全員が目を覚ましたのは、アケビが目を覚ましてから三十分ほど経ってからだった。全員が目を覚まし、改めて皆で室内を調べてみたものの目ぼしい成果は得ることはできなかった。
沈み込んだ部屋の空気を入れ替えたのは、少女の一言だった。
『――それじゃあ、自己紹介でもしましょうか』
部屋の空気も淀みだしていた中でのその提案は正直魅力的だった。
なぜ今自己紹介なのか。
それはアケビ達の通う学校の校風が『やることやれば一人でもなんでもオッケー』というものだったため、クラスメイトとはいえ挨拶程度しか、あるいは話したことのない相手が少なくなかったからだ。
これから協力していかなければならないということは|理解《わか》っている。なら最低限の礼儀として、お互いの素性を知っておこうという考えだった。
「でも、誰からするの?」
「ここは言い出しっぺからじゃない?」
「エッ?」
「がんばって」
全体的に色素の薄い少年が少女の肩を優しく叩く。
語尾にハートマークでもついていそうな後押しに負けたのは、鶴の一声の主でもあるアケビを介抱してくれた彼女だった。
彼女は少し困った顔をしながらも、ではと控えめに手を挙げる。
「|涼木《すずき》ミヤコです。いつもは眼鏡をかけているので、普段と印象が違うかもしれませんが……」
そう言い上着から取り出した眼鏡をかけた彼女を見た瞬間、アケビのなかにあった《《もや》》は一気に吹き飛んだ。
(あたしったらなんでわかんなかった!?)
自分のポンコツさに本気で頭を抱えたくなる。眼鏡の有無の差くらい、いつもならすぐに分かったはずなのにどうしてあんなに思い出せなかったのかわからない。
「できれば、名前で呼んでもらえると助かります。……こういう感じで、簡単にしていただければいいので」
次、お願いしますとミヤコが肩に手を置いたのは、彼女の隣に座っていた少年だ。
頷いた少年は、顔の半分以上を覆っていたマスクを下げて微笑んだ。
「伊藤セイです。僕も名前で呼んでもらえると嬉しいです」
マスクで隠れていた顔は、女の子と見紛うほどの可憐だった。アケビよりも小柄な体格も相まって、女子制服を着ていたら絶対に男だと分からないほどだ。
(とんでもない美少女じゃん!)
アケビはセイと話をしたことはない。知っていることといえば、マスクを常につけていることや病気がちという話くらいだ。
病気がちというのは本当のようで、彼は登校してきても途中で退席することが多く、自分から人と関わっている姿を見たことがなかった。
しかしミヤコと話す姿を見る限り、人見知りなどでは無いらしい。
「じゃあ次、僕らが行こうかな」
二人に続いて手を挙げたのは、砂糖菓子のような美貌の彼だった。
「梅ノ木|翼《ヨク》です。ツバサと書いてヨクと読みます。僕もできれば名前呼び希望。これからよろしくね」
「橘|翔《カケル》。……呼び方はお好きにどうぞ」
「あっ、あっ、あ、あのう、ええっと、せ、拙者、八条蓮と申しまして……呼び方はお好きな――あっやっぱり「蓮くん」とかでお願いしたくぅ……!」
キャラが濃い――アケビが一番に思ったことである。
甘い美貌の梅ノ木、血色が悪く、眼鏡越しでも童顔が際立つ橘、顔は整っているが発言の節々から濃ゆいものが隠せていない八条。
なにがどうしてトリオになったのか全くの謎だ。あまりの方向性の違いに動揺するアケビの心など露知らず、自己紹介は進んでいく。
「百合木|寧々《ネネ》です。ネネって呼んでねっ!」
「……|染森《ソメモリ》真広。呼び方は……真広でいい」
「|香坂《コウサカ》ハナ。好きに呼んでくれて構わないわ」
「もーっ、ちょっとテンション低くなーい?」
小柄でツインテールの似合う百合木、それとは反対に背が高くガタイの良い染森、そして涼やかな目元がクールなどこか色気の漂う香坂。
梅ノ木達と同じく共通点の見えない三人は、此処で目覚めてから仲良くなったらしい。二人の間に座って天真爛漫に笑う姿は仲良くなったばかりだとは思えないほどに馴染んでいる。
(あの子、相当コミュ力高いな)
順調に自己紹介は進んでいく。漂っていた緊張感ようなものも薄れてきた絶好のタイミングで、アケビも波に乗ることにした。
「吉井アケビでーす! あたしも名前呼び希望。ヨロシク!」
言い終わると共にアケビは隣に座っている男子の腕を突いた。驚いた様子でこちらを見た彼は、笑いかけたアケビの意図を察したようだった。
「安藤|爽介《ソウスケ》って言います。オレは隣のクラスで、偶然巻き込まれたクチでーす。呼び方は何でもオッケー、気軽にソースケって呼んでくださーい」
「……あ、青葉|和《ナゴミ》です。わたしも安藤くんと同じ、隣のクラスです。呼び方は、えっと……なんでもいいです……」
「桜庭|千樹《センジュ》です。呼び名は任せます」
アケビに続き、爽やかな笑顔に明るい髪が似合う安藤、ゆるいお下げ髪の大人しそうな青葉、アシンメトリーの髪が印象的な梅ノ木とは違うタイプの美貌を持つ桜庭の三人が名乗りを上げ、自己紹介はつつがなく終わった。
安藤と青葉の二人は、隣のクラスから来ていたところ、例の光を見て気を失い、此処で目を覚ましたという。
初めは戸惑った様子だったものの、安藤はいつの間にかクラスの男子の中に馴染んでおり、元々クラスメイトだったのではと思ってしまうくらい溶け込んでいた。
名乗り終えたことで心に余裕が生まれてきたのか、ぽつりぽつりと部屋の中でそれぞれ会話をする声が聞こえ始める。
アケビはといえば、気配をそっと殺して、ある人物をこっそり観察していた。彼女の視線の先に居たのは、青葉の隣に寄り添うように座っている少年――桜庭だった。
「……ごめん、俺のせいで巻き込んでしまって」
「だ、だいじょうぶだよ。わたし、気にしてないから」
落ち込んだ様子の桜庭を青葉は懸命に励ます。
気心の知れた様子のやり取りを見て、頭の中ではいけないと思いつつも身体は嘘をつけなかった。
――だって、あんな顔してるの見たことないし……!
目を覚ましてからというもの、桜庭は青葉の隣を陣取って一度も離れようとしない。
その姿はまるで恋人同士のそれで、これで付き合っていないらしいのが不思議なくらいの近さであった。
少々気弱そうな青葉を見つめる桜庭の目は、情熱的にメラメラ燃えているようにも見える。
(これは――青い春・胸キュン・秘めた恋では!?)
アケビは三度の飯よりも人の恋路と恋バナが好きなタイプの女子高生であった。自身は男に興味も恋愛をする気もさらさら無いが、人の話を聞くのは好きであった。
何より、恋をした女の子はとても可愛い。『女の子好き』のアケビにとって、恋の話をする女の子の姿は何よりも心を潤わしてくれるものだった。
(……予期せず良いものを見せてもらった……)
桜庭といえばクラスきっての一匹狼であり、普段から表情もほとんど変わらない無表情。誰にも心を開かない孤高の人という印象だった。
そんな彼が辛そうに顔を歪ませて、ただ一人の少女に気持ちを寄せている――。
間違いない。これは恋の香り。
アケビの恋愛センサーが遺憾無く発揮された瞬間であった。
それにしても、とアケビは室内の様子を見渡して心の中で独りごちる。
(……ほんとに教室に居た人だけ連れてきたのね)
登校してきたときはこんなことになるとは思いもしなかった。
教室で始業を待っていたはずが、気づけば大きな部屋の中にクラスメイトと拉致監禁。まるで映画の中のようで、正直頭の中はまだ混乱している部分はある。
けれどこんなことが起きなければ、この場に居るクラスメイトのことを知ることは無かったとも思う。そう考えると、今の状況もそう悪いものではないのかもしれない――もちろん拉致監禁はアウトなのだが。
「――あの、皆さん。よろしいでしょうか?」
部屋の空気が和やかなものになってきたところで、様子を見守っていたミヤコが立ち上がった。いつの間にか進行役に収まっていた彼女が声を上げたことで、全員の視線が彼女へと集まる。
「まず、これからのことですが」
「ミヤコ様、ここからはどうか|私《わたくし》めにお任せください」
それは突然起こった。
どこからともなく聞こえてきた声と共に、ミヤコの背後から真っ白な手が浮かび上がったのである。
活気づき始めていた部屋の空気は一気に凍りついた。「ヒッ」という声を押し殺した悲鳴が、《《それ》》が異常なのだと訴えている。
その手は、どこかいやらしさを感じさせる動きで、彼女の肩から頬をするりと撫で上げた。
「嗚呼……お待たせして申し訳ありませんでした」
固まってしまったミヤコの耳元で囁くようにそう言った人物――密室である部屋の中に居るはずのない『十三人目』は、薄暗い影から浮き出るように室内に姿を現した。
『十三人目』は、背丈の高い男であった。
青白くすら思える白い肌に若草色の髪と蜂蜜色の瞳を持つその男は、右目に|片眼鏡《モノクル》を掛けていた。白のローブで長身痩躯は隠されており、留め具には赤色の石のブローチが輝いている。
顔立ちは一瞬《《なにか》》がブレて重なっているようにも見えたものの、とりあえず日本人とは違う、彫りの深い整った顔ということだけは分かる。
「あ……あなた……は……?」
懸命に声を絞り出したミヤコは男に問いかける。
無防備な少女の背後から突然現れ、輪の中心に降り立った男は、貼り付けたような笑みを顔に浮かべ――
「嗚呼ッ……! 皆様無事にご覚醒なされたようで|私《わたくし》大変安心いたしました! 恥ずかしくもタイミングを逃してしまい正直いつ出ていこうか迷っていたのですが、いやはやさすがミヤコ様。一番に目を覚まして室内の探索を始めた時点で思っていましたが随分と統率力に長けておられるようで、次にお目覚めになられたヨク様と共に他の皆様のメンタルケアまで手厚く行われたその手腕、ぜひ私めにもご教授頂きたく――」
「いやなっっがいわ!」
寒暖差で風邪を引きそうだった。どこで息継ぎしているのか分からないノンストップの語り口に飲まれかけたが、それどころではない。この男の登場に部屋の中は静まり返り、急なホラー演出に悲鳴まで上がったのだ。
「あんた誰!? どちら様!? ワット・ユア・ネーム!?」
アケビは立ち上がって、急いでミヤコを自分の背に隠す。
隠す際さり気なく触れた彼女の手は冷えていて、顔色も青くなっていた。誰だってあんなホラー体験をしたらそうなってしまうだろう。
あからさまに警戒されているにもかかわらず「これは失礼いたしました」と、男は悪びれる様子もない笑顔である。
「――さて、私も僭越ながら自己紹介させていただかねばなりませんね」
男は胸に手を当て、恭しく一礼する。
「私はバロン。このエンプティス王国の、宮廷魔術師をさせて頂いております」