も
薄暗がりの中、穏やかな赤が空気に溶け込むように揺れている。
ぼんやりと思い出したことがある。今朝見たニュースの内容だ。
今夜は特別な夜らしく、スーパームーンが見れるらしい。
(なんだっけ……ああ、そうだ。赤い月)
実に何年ぶり――とニュースのコメンテーターが話していたはずだ。
今夜のお月様は、いつもと違って赤く見えるらしい。
月なんてどれも一緒じゃん、なんて風情も何もない感想しか持てなかった自分を、家族はそれもそうだと笑って送り出してくれた。
今朝はやたらと寒く、まるで冬に戻ってしまったかのような気温だった。季節は六月に入ったというのに、呼吸するだけで冷たい空気に肺が凍りつくような感覚がする。登校してくる生徒は自分を含めて突然の寒さに震える人が多く、カーディガンとブレザーを着込んで正解だったと心の中で頷く。
冬用のタイツを穿かなかったのは、ちょっとした意地のようなものだった。
最近は暖かい日が続いており、もうじき半袖か――そう考えていた矢先にこの気温だ。
寒さから逃れるようにして来た教室も暖房はついておらず、同じく登校してきた友人と寒さを愚痴りながら他愛のない話をして、トイレに行くというのを見送って。
――目を覚ましたら、この部屋の中に居た。
(なに、ここ……)
アケビの意識は、困惑と共に幕を開いた。
たしか、教室でうたた寝をしていたはずだ。生徒から抗議でも入ったのか、じわじわと暖まってきた教室の中で、いつものように授業が始まるまで――と。
アケビは動揺する心を落ち着かせながら、状況を確認しようと横たわっていた体に力を込める。
(……なんで、うごかない?)
頭がとても重い。上から抑え込まれているような、重りでも背負わされているかのような感覚に襲われる。
それに加え、貧血が起きたときのように揺れる視界は自分が思っている以上に混乱しているのだと言外に訴えていた。
「……良かった。目を覚ましたんですね」
ふと、穏やかな赤に影が差す。
誰――という言葉は、喉に詰まって声にはならなかった。
代わりに少し咳き込んでしまったアケビの背を優しくさする声の主は、心配そうな表情を浮かべながらも「大丈夫ですよ」と柔らかな口調で語りかける。
まるで幼い子どもをあやすような声だが、混乱している今のアケビにとってはありがたかった。
「あ、ありがと……」
「お気になさらず」
そう言って口元に小さな笑みを浮かべたのは、自分と同じ制服を着た少女だった。
「――つまりあたし達、教室に居たのに誘拐されたってこと?」
「はい。そうなりますね」
引きつるアケビを心配そうに見つめながら、少女は容赦なく首肯いた。
んなアホな、とアケビは頭を抱える。
少女が根気よく介抱してくれたおかげで、動いても平気なくらいにまで回復することができた。何とか起き上がり、広がった視界が収めたのは薄暗い部屋と見るぶんには温かな火の明かり。部屋の装いはまるで中世の――それも日本ではなく、ヨーロッパ辺りのものに似ていた。
(……こんな部屋に、学校から誘拐できるか?)
無理だろう、普通に考えて。
どんな荒業だ。いや、この場合は神業と言って差し支えないのかもしれない。
アケビは部屋の中を見渡してつくづくそう思う。
「一人や二人ならまだしも、十人以上を誘拐って、ンな馬鹿な……」
「ええ。私も同じように思いました」
「でもやれちゃったんだよなあ」
「そうなりますね」
アケビたちを含め、目を覚まして起き上がっているのが六人。そしてそれと同じ数の男女が、いまだ眠りの中にいる。
この部屋の中には、十人以上の人間が閉じ込められていた。
それも、全員同じ学校の制服を着た学生がである。
「学校絶対大騒ぎだわ、警察沙汰っしょこれ絶対」
「全国ネットで放送されるレベルですね」
現実逃避をするアケビに真面目に答える少女の言葉が今は刺さる。
早朝の犯行、それも教室に居た学生を十人以上気絶させて誘拐。まるでフィクションの世界だ。ドラマならここから皆で反撃なり何なり始まるのだろうが、ここは紛れもなく現実だ。ただの学生がどうこうできるレベルの話ではない。
それに、とアケビは心の中で呟く。
(ここにいんの、ほぼウチのクラスの面子だしなあ)
知らない顔もあるが、朝は別のクラスの生徒が遊びに来ることもあるのでおかしなことではない。おそらく誘拐されたのは自分たちだけ――あの時教室の中に居た人間だけなのだろうという謎の確信があった。
クラスメイトの顔は全員分覚えている。話すことはなくとも、いつでも対応できるように。それがアケビの処世術のようなものだった。
(……でもこの子、誰だったかな)
――ただ一人、自分の恩人である少女の名前を除いて。
頭の中では「クラスメイト」という認識だったが、少女の名前が思い出せないことに気づいた。クラスメイトの情報――それも女子の情報は、アケビが進級して真っ先に覚えることだ。
女子は得てしてグループ行動しがち。うまい具合にどこかのグループに潜り込むためには情報収集は必須だった。
幕間『アケビ』
初めて『それ』を視たのは、小学校に入学して間もない頃。
入学して間もない小学校は毎日楽しくて、朝が来るのを楽しみにしながら布団に入る日々――そんな毎日を『それ』はいとも簡単に消し去った。
その日も、私は明日を楽しみにしながら眠りについた。友達と休み時間に何をして遊ぼうかとか、給食に好物が出るとか、そんなことを考えながら意識は閉ざされた。
目を覚ますと、青ざめた顔の両親が、私を抑え込むようにして見つめていた。
呆然とする私に「よかった」と泣き崩れたのは母で、父は何も言わず、母ごと私を抱きしめた。
きれいに整えて入ったはずの布団はぐちゃぐちゃに荒れ、肌がヒリヒリと痛む。目蓋は重たく、喉が引きつるような感覚。泣いていたのだと分かったのは落ち着いてからだ。
それから私は、ゆるやかに首を絞められる日々を送ることになる。
『それ』はいつも忘れた頃にやって来る。
周期はまばらで、半年以上見ないこともあれば、一週間に何度も見ることもあった。
規則性も何もないそれに|対抗策《たいこうさく》などあるわけもなく、無力な子供でしかなかった私は、順応することで『それ』と共存する道を選んだ。選べなかったともいう。
体というものは言葉よりも正直だ。
見た内容を覚えていなくとも、『それ』がどんなものだったか察することができる。自分の体であれば尚のことだろう。
どんなに頑張っても逃げることはできない恐怖に私は負けた。それと同時に、自分に纏わりつくこの《《夢》》はいずれ死ぬ時までわたしを蝕み、苛み続けるのだろうという確信だけが残った。
どうして私が選ばれたのだろう――その疑問に答えてくれる人は未だ現れず。
私はそれを、『悪夢』と呼んだ。
ーーー
平日はいつも早く目を覚ます。電車の関係で早めに家を出なければならないからだ。
身支度の時間も入れると自然と起床時刻が早くなってしまうのは学生の宿命のようなものだった。
毎日乗る電車は混雑している時間帯で座ることはできない。
体は学校への道順を覚えていて、眠気でぼんやりしながらも気づけば校舎へと辿り着いている。眠い目を擦りながら教室に着くと、友人との会話もそこそこに授業が始まる前まで少しだけ眠る。それは授業中に眠らないようにと始めたルーティンの一つだった。
教室に着き、会話もそこそこに机にうつ伏せになる。目を瞑れば意識は騒がしい周囲から隔絶され、ゆるやかに眠りへと向かう。
窓際から降りそそぐ柔らかな光。その心地よさに身を委ねると、なんとか耐えていた眠気の防波堤が崩れ、波のように眠気で体が満たされていく。
そして眠りに落ちる刹那、感じた違和感。
瞬間――文字通り、目の前が真っ白になった。
一
心臓が潰れてしまうような苦痛でアケビは目を覚ました。
気分は最悪だった。
学年が一つ上がり、始業式から六月に入った今日まで見ることがなかったことで気が緩んでいたのだろう。不意打ちで喰らった『悪夢』に体は悲鳴を上げた。
心臓が潰されてしまうと思うほど縮こまり、体は蛇に睨まれた蛙のように凍りつく――十年以上の付き合いとはいえ、忘れた頃にやってくるこの感覚にはいまだに慣れることはできない。
歯を食いしばるようにして耐え、呼吸を整えながらアケビはぼやけた視界が戻るのを待った。下手に慌てるより、大人しくしていた方が早く治ると長年の経験で分かっていたからだ。
目蓋を閉じて深呼吸を一つ。そしてゆっくり目を開ける。
(――は?)
鮮明になった視界に映し出されたのは、明らかに教室とは違う天井だった。
全く見覚えのない天井だ。一体どういうことなのか――そう口に出そうとして出てきたのは掠れた呼吸音で、自分の喉が渇いていることに気づく。
喉が渇くほどに長く眠っていた可能性に、血の気が引いていくのが分かった。
(……なにこれ、なんなの、なんであたし、こんなところに居るの?)
頭の中には言葉が溢れ出ているのに、現実に思考が追いつかない。グツグツと言葉が煮詰まっているのに、出てくるのは呼吸音のみ。
ただでさえ『悪夢』のせいで夢見は最悪だったというのに、現実がそれを上回るとはどういうことなのか。
体調不良と突飛すぎる現実のダブルパンチによって、頭の中はとうに限界を超えていた。
クリアになったはずの視界が再び歪みだし、大人しくなったはずの心臓が暴れる兆しを見せる。
最悪だ。
心の中で呻きながら、アケビは再び訪れるであろう苦痛に備え歯を食いしばり――
「――よかった、目が覚めたんですね」
恵みの雨のようにその声は降ってきた。
「……ぁ」
アケビは目を開いた。
そこに居たのは、自分と同じ制服を着た一人の少女だった。
落ち着いたトーンの声色とともに、彼女は安心したような表情を浮かべている。自分のことを心配してくれているのだとすぐに分かった。
(――なんて優しい女の子……!)
人情。
何気ない思いやりが、今のアケビにはよく効いた。
牙を剥きかけた不調は彼方へと吹き飛び、視界はこちらを見つめる少女の姿でいっぱいになっている。少女は変わらず|自分《アケビ》の方を見つめている。
深みのある焦げ茶色の瞳の中に自分の姿が映っているのはなかなかいい気持ちだ。いつまでも見ていたい――とまで思ったとき、アケビは自分の失態に気づいた。
返事をし忘れたのである。
「……もしかして、声が出ないんでしょうか?」
少女は眉を下げ、少し首を傾げた。
(違います、感動して返事し忘れただけです!)
とんでもない勘違いを生み出してしまったかもしれない。
コミュニケーションとはまず会話から始まるものだ。機を逃した自分を心の中で責めながらどうすべきか頭をフル回転させる。
第一声は大事だ。どう返答するのが正解なのだろう。おはよう? それともありがとう? どっちが心証が良い? ごちゃついた頭では正解が叩き出せない。
ふるふると首を振る。いつもなら友人から「長い」と窘められるほどよく回る口からは「ア」だとか「ウ」だとか断片的なものしか出てこない。脳が完全に処理落ちしていた。
どうしよう、と見つめ合うこと数秒。――沈黙を破ったのは少女の方だった。
「具合はいかがですか? 気分の悪いところとかはありますか?」
「あ……頭がちょっと、痛い、ような……?」
厳密には自分の失態で混乱しているせいだが。
だが理由など知らない少女は顔を曇らせ、そうですかと呟き、
「もうしばらく安静になさっていた方がいいかもしれませんね……」
「……ウン」
優しく気遣う言葉に、アケビは大人しく|首肯《うなづ》いたのだった。
◆
「……私は壁側に居ますので、なにかあったら呼んでください」
「あ、うん! ありがとう」
少女はにこりと微笑み、アケビの側を離れた。
思考を巡らせるアケビに声をかけ、少女は壁際の方へと歩いていった。
考え事をしていたせいで気を使わせてしまったらしい。どこまでも礼儀正しい女の子に申し訳無さを感じつつ、アケビは頭を働かせる。
それにしても、とアケビは思う。
(あの子、絶対クラスメイトだよなあ)
寝転んだ状態のまま、ぼんやりと頭の中で彼女の姿を思い浮かべる。
やや丸みを帯びた輪郭と凛とした瞳、髪をゆるく横結びにしたその姿には見覚えがある。だが、あと少しのところで名前が出てこない。
(女の子をあたしが覚えてない? ――んなことあるわけない)
クラスメイトの女の子の姿と名前は、アケビが進級して一番に覚えることだ。
円滑にコミュニケーションを取るために覚えた癖とでも言うべきか、アケビは同じクラスになった少女達の情報はいつでも思い出せるようにしていた。
彼女が自分のクラスメイトだという確信はある。
だというのに、どうしても彼女の《《名前》》が思い出せない。
あと一歩手が届かないもどかしさに苛まれながら、アケビはのそりと体を起こした。
「うわぁ……」
思わず口から声が漏れる。
部屋の中はまるで物語にでも出てきそうな装いをしていた。
日本では見かけることのない年季の入った|煉瓦《レンガ》の壁に、壁に溶接されたランプのようなものが陰気な室内を明るく照らしている。天井は吹き抜けのような形で高さがあり、床にはふかふかの赤い絨毯が敷かれていた。
この部屋は空き部屋なのか、部屋の中には家具と呼べるようなものはほとんど無い。窓も無く、少し圧迫感のようなものを感じる。
室内を見渡して状況を確認する。
目を覚ましているのはアケビを含めて六人。
そしてそれと同じ数の男女が、いまだ眠りの中にいる。
(みーんなおなじ学校の人だなぁ)
それも、ほぼ全員クラスメイトだ。
二人ほど見覚えのない顔があったが、それ以外はクラスで見かける顔ばかりだ。とはいえ、クラスメイトでも男子の名前まではほぼ覚えていない。
会話をしたことも挨拶以外はほとんど無く、あるのは一方的な印象くらいのものだ。
まず必要なのは状況を把握すること。それにはどういう経緯でこうなったのか、自分より先に起きた同級生たちに訊かなければならない。
(……追いかけた方が良いんじゃない?)
体を起こしてしばらく座っていたこともあって、もう寝起きの気だるさや頭痛は完全に無くなっている。
この異様な状況で手持ち無沙汰なのはいたたまれないし、なにかしらのヒントでも欲しいというのが正直なところだった。
歩いていった少女の姿を目で追う。
彼女は壁際でマスクをしている小柄な男子と話をしていた。内容は聞こえないが、室内に何かしらヒントが無いか探しているのだろう。
その姿を見て、よしとアケビは小さく呟いた。どうせなら手伝おう。そうしているうちに名前も思い出せるかもしれない。あわよくばちょっとお近づきになれたらな、という下心も少々。アケビの頭の中は浮き立つ。
そうと決まれば早く行かないと。アケビは意気揚々と腰を浮かせて、
「――あぁ、良かった。起きたんだね」
彼と目が合ってしまった。
二
ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。
甘ったるすぎず、かといってあっさりしすぎていない、一度知ったら忘れられないような香り。
そんな香りを身に纏い、軽い足取りで近づいてきた《《彼》》は片膝をつき、腰を浮かせかけて座り直したアケビに視線を合わせた。砂糖菓子のように甘く整ったその美貌は男子に関心の薄いアケビの記憶にも残っている。――容姿だけは、だが。
「ええっと、その」
「驚かせちゃったかな。普段は話したりしないもんね」
「うん、まあ、そだね」
話したりしないどころか、名前もうろ覚え――とはさすがに言えなかった。
困惑を隠しきれないアケビに対し、彼は気を悪くした様子もなく微笑んだ。
眩しいくらいの微笑は普通の女子であれば黄色い声を上げるか、恍惚とした状態になってしまうほど刺激が強い。
(……目に毒だなぁ)
と、男子に関心の薄いアケビはその程度で済んだのだが。
とはいえ、この美貌を直視し続けるのは中々ハードルが高い。アケビは彼をできるだけ直視するのを避け、なんとか名前を思い出せないか脳みそを絞り上げる。
どんなに見目麗しくとも、やはり最優先である女の子よりは印象は薄くなる。
うろ覚えの記憶が正しければ、アケビが今まで彼と話したことといえば、朝や放課後の挨拶程度のものだったはずだ。挨拶程度しかしたことのない一クラスメイトをここまで心配してくれるものなのか、アケビには不思議だった。
なお、先ほどの少女は同性ということもあってカウントはしてない。
「……本当に……無事に起きてくれて良かった」
美貌の少年は心底安心したような表情で、噛み締めるように呟いた。
疑問に思うアケビの心の中とは裏腹に、彼の声はあの少女と同じように自分を心配しているのだと分かるものであった。彼の優しさにアケビは名前をちゃんと覚えていないことに胸がほんのり痛むのを感じた。
しかし、今の優先事項は会話をすることだ。現状を把握するためにも今は情報が必要だった。アケビはできるだけ明るい声を作り、目の前の少年に声をかけた。
「あ、あのさ、ここに居るのって、もしかして」
「……ああ、アケビさんも気づいたんだね。そうだよ、皆あの教室に居た人」
やっぱり、と頷く。推測は間違っていなかったようだ。
「なんで教室に居た子だけが――」
「それは分からないけど……アケビさん、スマホ持ってる?」
「やっぱりそっか――えっ、なに? スマホ?」
「うん。スマートフォン」
突拍子もない問いかけに思わず訝しむ声が出る。学ランの胸ポケットから自分のスマートフォンを取り出してひらひらと見せる彼に、アケビは疑問符を大量に浮かべながらも頷いた。
「いや、ポケットにあるけど……それがなに?」
「それ出して、今の時間を確認してくれないかな」
「別にいいけど……」
疑問は残るものの、彼に促されるままアケビは自分のスマートフォンを取り出して電源を点ける。
授業を受けるからと電源を落としていたスマートフォンは、やや時間を置いて明かりを灯す。現れたその画面をしばし見つめたアケビは「あれ?」と感じた違和感に眉を顰めた。
「時間、止まってる……?」
その通り、と彼は頷いた。
「ここに居るのは、おそらくその時間に『教室の中に居た人間』だ。だからこの部屋に居るのはほとんどクラスメイトだけど、他のクラスの子も二人くらい巻き込まれている」
「マジで?」
「マジだねぇ」
画面に表示されていた時間は八時十九分――中途半端な時間が生々しい。
それと同時に、ふと疑問がアケビの中で湧き上がる。
「あたしのスマホ、授業始まるからって電源ごと落としてたんだけど」
「ううん……仮説だけど、スマホの『時間』そのものが此処に連れて来られた時間で《《止まってるんじゃないかな》》」
「そんなのできるの?」
「ただの仮説だよ。だけど、今のところ起きてる人でスマホを持ってる人は皆この時間で止まってる。だから、あながち外れてないと思ってるよ」
「なるほどねぇ……」
ジッと画面を見つめるが、ぴたりと止まった時刻は動き出すことはない。それがこの状況が異常事態なのだと言外に主張していた。
「……一応自分でも数えたんだけど、この部屋何人いる?」
「十二人。男子の方が多いみたいだね」
見えない十三人目が居る、などということは無いらしい。自分で確認した人数と間違っていないと分かり、アケビは静かに息を吐いた。
教室外に居た人は巻き込まれてないと分かっただけでも収穫になるだろう。この部屋の中に居ないということは、つまりこの異様な状況に《《巻き込まれていない》》という一応の証明にもなる。
当然のように電波も圏外、駄目元で家族に電話を掛けてみようと通話ボタンを押すものの、やはり繋がることは無かった。
スマートフォンから視線を外し、アケビは顔を上げる。
自分をジッと見る少年の瞳に映る自分の姿は、不安を隠せない面持ちをしていた。
「……あたし達、教室に居たはずだよね? まさか教室に居たっていうのはあたしの夢?」
不安を吹き飛ばすように、おどけた声でアケビが言う。少年は首を横に振り、
「いいや、夢ではないよ。全員教室に居たのは確かだ。……だけど、起きている人に確認して、全員に共通していたのは――」
「――気を失う直前に光を見たということです」
そう言った彼の言葉を引き継ぐように、少女の声が聞こえた。
驚いて目を向けると、壁際の方へ行ったはずの少女がいつの間にかすぐそばに戻ってきていた。少女は少年とアケビに視線を合わせるかのように腰を下ろし、眼の前が真っ白になるような光だとさらに付け加える。
「眼の前が、真っ白になるような……」
その言葉で、ぼやけていた記憶がアケビの脳裏に蘇る。
――今日も、昨日と変わらない朝だった。
いつもと同じように起きて、いつもと同じように登校し、まだ人も集まってない教室で友人と他愛のないことを話す。そしていつものように身だしなみを整えに行く友人を見送って、襲ってきた眠気に身を委ねて、うつらうつらと眠りかけて――
「寝かけたとき、そうだ、突然目の前が真っ白に光ったような……」
「そして教室に居たはずの私達は、この部屋で目を覚ました、ということになりますね」
少女の言葉にアケビはしばらく考え込んで、
「……なんか、よくこの程度で済んだって感じだね?」
と、曖昧に笑った。
その言葉の意味が分かったのか、たしかにと少年も笑う。
「まあ、うちの学校は規則緩いし、普通科は特にルーズ気味だったからね」
規則にも時間にも――と、茶目っ気のある声色で少年はウインクをしてみせた。
アケビたちの通っている高校は、県立の良くも悪くも普通の学校であった。
しいて言うなら他の学校よりも規則が緩いのが特徴で、その影響かアケビ達普通科の生徒は特に時間にルーズで自由な気風の生徒が多かったように思う。
そんな生徒達の中でも、早くから居るのは交通手段の関係で早く着いたか、部活や委員会の仕事、あとは少数派だが図書室で時間を潰すつもりの生徒くらいだろう。
つまり今この部屋の中に居るのは、様々な事情で早めに登校していた生徒だけだということだ。
どうだったという少年の問いかけに少女は首を振る。
「ダメですね。セイくんと出入り口を確認しましたが、外から施錠されてますし、ご覧のとおり窓もこの部屋にはありません」
「やっぱり僕達、立派に拉致監禁されてるってことかあ」
「外から誰も来てないの?」
「僕も起きたのは早い方だったけど、この中で一番最初に目が覚めたのは彼女でね。一度も人は来てないそうだよ」
そう言いながら彼は少女に目を向けた。それに|倣《なら》うようにアケビも一番現状に詳しいのであろう彼女に視線を移す。
四つの瞳に見つめられた少女は曖昧な笑みを浮かべながらも|逡巡《しゅんじゅん》する様子を見せ、数秒ほど間を置いて口を開いた。
「この部屋はおそらく、地下だと思います」
「地下? それはまたどうして」
「自分の感覚頼りなので確実ではないのですが、室内の湿気がやけに強いのと……窓がない理由がそれくらいしか思いつかなかったので。もともと外から光が入らない部屋だから窓も付けずこんなに|煌々《こうこう》と明かりがついているのではと」
「なるほど、言われてみれば確かに」
三人で部屋の中を改めて見渡す。
アケビ達が閉じ込められている部屋は教室よりは少し狭く感じるが、十二人の人間が入るだけなら十分すぎる広さだ。この広さなら窓が一つくらいあってもおかしくないだろう。
だが部屋に窓は無く、ランプが部屋を照らしている。
暑くはないが少しだけベタつくような空気が、その推論を裏付けていた。
出入り口が一つしか無い――それはつまり、外からドアが解錠されない限り、自分達はどうやってもこの部屋から出ることはできないということだ。
「これからどうしたらいいんだろ」
「まずは全員が目覚めるのを待つしかないんじゃないかな」
「ええ。起きないことには話が進みませんから」
思わずこぼれ出た言葉は不安に満ちていた。しかし目の前の二人は至って冷静で、戸惑う様子も無い。自分だけがあたふたしているように思えて、じわじわと頬が熱くなってくる。
「めっちゃ冷静じゃん……なんかあたしだけ戸惑ってて恥ずかしい……」
「いやいや、僕も起きたときは驚いたよ。でも、自分より冷静な人がいてくれたおかげでどうにかね」と、彼は少女をチラリと見た。
「いえ、私も驚いていますよ。ただそれより不安感の方が上回っただけで」
「不安感?」
少女はそうですね、と口元に手を当てる。
「もどかしさとも言えるかもしれません。私の場合、《《分からないことが》》辛いので、いっそ徹底的に調べようと思いまして。例えばこの部屋……密閉されてますが空気は循環してるので、換気口がどこかにあると思ったのですが、まだ見つからなくて」
天井を見上げる姿からは彼女の言う不安感は微塵も感じられない。本当に不安に思ってるのか首を傾げたくなるような自然体だ。
そのメンタルの強さを見習いたい――そう思うと同時に、彼女の名を未だに思い出せない自分の不甲斐なさに落ち込む。
自己嫌悪に陥るアケビをよそに、少女は誰に言うともなく呟いた。
「……それに、こういう展開は結構テンプレだし……」
「テンプレ?」
「あっ」
少女が固まった。突如として出てきたワードに思わず首を傾げる。一体何がテンプレだというのだろう。数秒ほど動きを止めた少女は、アケビの方へ顔を向ける。
「ただのひとりごとですので、お気になさらないでくださいね」
少女は菩薩のような微笑みを浮かべながら静かに首を振った。
悟りを開いたような雰囲気だが、上がった口角が大変チャーミングなのできっと大丈夫だと思われる。笑顔で頷いたアケビに微笑み、少女は「もう一度確認してみますね」と言い残して探索へ戻って行った。
その背を見送り、アケビは「もしかして――」と呟き。
「あたし、なんかまずいこと言っちゃった感じ?」
「気にしなくて大丈夫だと思うよ」
アケビの肩にそっと手を置き、少年はそう言って微笑んだ。
2話
部屋の中に居た全員が目を覚ましたのは、アケビが目覚めて三十分ほど経った頃だった。
先に目が覚めていた面々が落ち着いていたからか大きな混乱が無かったのは不幸中の幸いだった。巻き込まれた同級生達は、皆どちらかといばメンタルが強い方だったらしい。
――そして現在、十二人の少年少女は部屋の中心で輪になって座っていた。
「……しかしまぁ、マジで共通点が教室に居たことしかねえといっそ清々しいよな」
「そうだね」
「見事に接点無いもんねー」
「オレはこっちのクラスに居たダチに借してたモン取りに来ただけだし、ヨクもアケビちゃんも普通に教室居ただけだもんなぁ」
感嘆した様子で後ろ髪を掻きながらそう言った少年――ソウスケに、アケビは苦笑しつつ頷いた。
その名のとおり爽やかな笑顔の似合う彼――安藤爽介は、隣のクラスの生徒だ。運悪くあの時間教室に来て、この限定的な集団誘拐に巻き込まれてしまったのだという。
「誰もこんなことが起きるなんて思わないさ」
「まあそうだけどさぁ。ヨクも結構冷静だなぁ」
「割と最初の段階で目を覚ましていたからね、その分この部屋で過ごした時間も長いから」
「そういうもんか?」
「そういうものだよ、たぶんね」
ヨクと呼ばれる彼は、砂糖菓子のような美貌を持つ少年だ。梅ノ木翼――『翼と書いてヨクと読みます』と笑顔で名乗った彼に、アケビは「ああそういえばそんな名前だった」と、ようやく人心地ついた気持ちになったのだった。
閑話休題。
言葉に気持ちを滲ませながら、美しい顔に笑みを乗せて肩をすくめる。
安藤と青葉は、それぞれ用事があって来ていたところ、例の『光』を見て気を失い、此処で目覚めたという。
別のクラスということで困惑した様子だったものの、気づけば安藤は元々クラスメイトだったのでは? と思ってしまうくらい溶け込んでいた。
盛り上がる男性陣をよそに、アケビは気配をそっと殺しながら『ある人物』を観察していた。
「……ごめん、俺のせいで君を巻き込んでしまった」
「だ、大丈夫だよ。わたしは気にしてないから」
視線の先に居たのは、青葉の隣に寄り添うように座る少年――桜庭だ。
落ち込んだ様子の桜庭を、青葉が懸命に励ましている。その気心の知れた様子のやり取りに、いけないと思いつつも盗み見るのを止められない。
(だってあんな顔してるの見たことないし!)
目覚めてからというもの、桜庭は彼女の隣を陣取って一度も離れようとしなかった。その姿はまるで恋人のそれで、付き合っていないのが不思議な程の距離の近さだった。
桜庭千樹といえば、クラスきっての一匹狼であり、普段から表情もほとんど変わらない無表情。誰にも心を開かない孤高の男というイメージだった。
そんな彼が辛そうに顔を歪ませ、ただ一人の少女に想いを向けている。
――これは間違いなく恋。
|女子高生《おとめ》の恋愛センサーが遺憾無く発揮された瞬間である。
◇
それにしても、とアケビは室内の様子を見渡しながら心の中で呟く。
登校してきたときは、まさかこんなことになるとは思いもしなかった。授業が始まるを待っていたはずが、気づけば大きな部屋に拉致監禁。まるで映画のワンシーンのようで、正直頭の中はまだ混乱している部分はある。
だが、こんなことが起きなければこの場に居るクラスメイトのことを知ることは無かったとも思う。……そう考えると、今の状況もそう悪いものではないのかもしれないと思う自分が居たのが不思議だった。
「あの、皆さん。よろしいでしょうか?」
部屋の空気が和やかなものになってきたところで、様子を見守っていたミヤコが立ち上がった。気づけば進行役に収まっていた彼女が声を上げたことで、全員の視線がミヤコへと集まる。
「まず、これからのことなのですが……」
「ミヤコ様、ここからはどうか|私《わたくし》めにお任せください」
――《《それ》》は突然現れた。
どこからともなく聞こえてきた男の声。その声と共に、ミヤコの背後から真っ白な手がぬるりと浮かび上がった。活気づき始めていた部屋の空気が一気に凍りつく。「ヒッ」という押し殺した悲鳴が、《《それ》》は異常なのだと訴えていた。
その手はするりするりとどこかいやらしげな手付きで、ミヤコの肩から頬を撫で上げた。
「嗚呼――お待たせして申し訳ありませんでした」
固まったミヤコの耳元で、囁くようにそう言った人物――密室であるはずの部屋の中に、居るはずのない『十三人目』が、影から浮き出るように姿を現した。
『十三人目』は、背丈の高い男であった。
青白くすら思える白い肌に若草色の髪と蜂蜜色の瞳を持つその男は、右目に|片眼鏡《モノクル》を掛けていた。白のローブの下には長身痩躯が隠されており、ローブの留め具の赤い石のブローチが輝いている。顔立ちは日本人とは明らかに異なる、彫りの深い整った顔だ。
「あ……あなた……は、一体……」
懸命に声を絞り出したミヤコが男に問う。
無防備な少女の背後から突如として現れた男は、その言葉に貼り付けたような笑みを顔に浮かべ
「嗚呼ッ……! 皆様無事にご覚醒なされたようで|私《わたくし》大変安心いたしました! 恥ずかしくもタイミングを逃してしまい正直いつ出ていこうか迷っていたのですが、さすがはミヤコ様。一番に目を覚まして室内の探索を始めた時点で思っていましたが随分と統率力に長けておられるようで、次にお目覚めになられたヨク様と共に他の皆様のメンタルケアまで手厚く行われるその手腕、ぜひ私めにもご教授頂きたく――」
「なっっっがいわ!」
アケビのツッコミに、男はきょとんとした顔で喋るのを止めた。
寒暖差で風邪を引きそうだった。どこで息継ぎしているのか分からないノンストップの語り口に飲まれかけたがそれどころではない。この男の登場で部屋は静まり返り、急なホラー演出に悲鳴まで上がったのだ。
「あんた誰? どちら様? ワット・ユア・ネーム!?」
アケビは立ち上がり、急いでミヤコに近寄って自分の背に隠した。
さり気なく触れた彼女の手は冷えていて、顔色も青くなっていた。誰だって突然あんなホラー体験をしたらそうなってしまうだろう。ひりつく空気の中、男だけがただ異様だった。
男はあからさまに警戒されているにもかかわらず、「これは失礼いたしました」と悪びれる様子もない笑顔である。
「では、私も僭越ながら自己紹介させていただかねばなりませんね」
そう言って男は胸に手を当て、恭しく一礼した。
「私はバロン。このエンプティス王国の宮廷魔術師をさせて頂いております」
口の中が急速に渇いていくのが分かった。
ぞっと背筋が凍る。息を殺し、ただミヤコの背後に居るそれを見つめる。
湿り気を帯びた薄暗さが拭えない室内では、それがどこから出てきたのかまでは分からない。
感じたのは、本能的なおぞましさ。ホラー映画を観た時のようなスッと体の奥が冷えるそれだった。
3
「エンプティス王国は、周囲を四つの国に囲まれた中心にある国です」
バロンが指先を一振りすると、モニターのような画面が現れる。そしてその画面には紙に描かれているような地図を拡大したものが表示されていた。
思わずギョッとしたアケビに、隣の がそっと囁く。
「翻訳機能でもついているのかな、便利だね」
「マジでファンタジー世界に来たって感じしてきたわ……」
小さな声で話しながら視線を画面に戻す。
画面に表示されている地図には、現在地であろう小さな楕円が、四つの大きな領土に囲まれているのが大変分かりやすく記されていた。
『エンプティス』と表記されている。一瞬英語に似たスペルが浮かんだが、それはたちまち慣れ親しんだ母国語へ変換された。
「ほんとに小さい」
「これ北海道くらいの大きさかね」
「あー、っぽいな。日本というよりも北海道……いや四国?」
「言っておくけど北海道は四国の二倍以上の面積だよ」
「マジで!?」
「この国を取り囲む国は全部で四つ。東の「」・西の「」・南の「」・北の「」の四つの国々があります」
「ヨーロッパの国々の中にぽつんとアジア系の国があるって感じね」
「語感がそれだよな。カタカナで統一してないんかーいってツッコミたくなる」
なるほどそういうこと。あー、と思わず声が出る。
それはもしかすると日本語に変換しているため起きているのかも知れない。
『エンプティス王国』は、周囲を四つの大国に囲まれながらも、現代に至るまでどの国にも呑まれることなく『中立国』という立ち位置で繁栄を続けてきた王政国家である。
豊かな自然と|魔素《まそ》の恩恵を受けて繁栄を続けてきたこの国は、もともと戦争とは縁遠い穏やかな国だった。
しかし、ここ数年で家業を捨て一族で隣国へと夜逃げする民が増加しており、国の産業は廃れ、財政は悪化。生活の質は徐々に悪化し、国内に暗雲を齎していた。
そしてこのエンプティス王国こそ、アケビ達をこの部屋へ拐った張本人であった。
「まずは改めてお詫びを。召喚後の覚醒の際、お側にいることができず申し訳ございません。ちょっと口やましくみっともない老害――いえ、高貴な皆々様にお呼び出しを受けておりまして。お恥ずかしながらタイミングを逃してしまいました」
さらりと毒づきながら、『十三人目』――バロンは深々と頭を下げた。
ホラーさながらの演出で現れた彼は、自身をこの国、『エンプティス王国』の宮廷魔術師であると名乗った。
その時点でまず、アケビ達は頭に疑問符を浮かべることになる。
地球にはエンプティスという名の国はない。そもそも『魔術師』なんてフィクションの中の存在だ。加えて、いきなり出てきた上、ほぼノンブレスの喋りで場の空気を掌握しようとしてきた男の言葉を鵜呑みにできるほどのお人好しはこの場には居なかった。
だがしかし。
バロンはアケビのツッコミも冷えきった室内の空気もどこ吹く風といわんばかりの様子で、何事も無かったかのような笑顔でこの『世界』について説明を始めたのだった。
「まずはこちらをご覧ください」
バロンが手を前に出す。すると、そこからホログラムのような映像が現れた。
いきなり出てきた近未来的なそれに部屋の中でどよめきが起きる。ハイテクなそれに目を奪われつつ、彼から説明されたのは自分達が連れて来られたという国の悲惨な現状だった。
傾く国、逃げる民、苦しむ罪のない人々の声……正直なぜ暴動が起きていないのか不思議なほどの状態といってもいい。そんな国に、アケビ達は連れて来られたのだという。
「とんでもないところに誘拐されちまった……」
呆然と呟いた安藤に、アケビは同意するように頷いた。
さらりと『召喚』という言葉や『魔術師』というファンタジー要素が飛び出してきた辺りで危険な香りはしていたが、まさかここまでぶっ飛んでいると誰が思うというのか。
「さ、最近流行りの異世界召喚……?」
「左様でございますね」
現実逃避じみた呟きをバロンがあっさりと認め、空気は凍りついた。
◇
「……この国の内情は一応、把握しました。ですがそれと私達が喚ばれたことに、何の関係があるというのでしょうか?」
部屋の空気はお通夜状態であった。
あまりの非現実的な現状に黙り込んでしまった同級生達の姿に、比較的冷静だったミヤコが声を上げた。その問いに、バロンは目を伏せて静かに話し始めた。
「半年ほど前、国王から|私《わたくし》に勅命が下りました。『異世界より選ばれし者を喚び出せ。その者が、エンプティスに再び繁栄と安寧を齎すであろう』――と」
聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする、と片眉が上がる。まさかとは思いつつも、アケビは念の為にと口を開いた。
「ちょっと待って。ねえ、選ばれし者ってなに?」
「『選ばれし者』とは、今回私が召喚した――つまり、皆様です」
返ってきた無慈悲な返答に時間が止まる。
数秒後、部屋の中で今日一番のどよめきが起こった。
「はああああああっ!?」
「なにそれ、ちょっとホントマジでねえなにそれ!?」
「こちとら人間ですが!? 異世界人の言葉なんぞわかるかバカァ!」
「これは起訴ですわ起訴! 裁判所で会おうや!」
「俺達ただの平凡な学生なんですけどー!? 我が国に徴兵制度はございませんが!?」
ふざけとんのかコラァと予想外の力強さでバロンのローブを掴んで激しく揺らすセイの姿を横目に、アケビは唸り声を上げながら頭を抱えた。激しく揺さぶられているというのに微笑みを保つバロンの姿はいっそ狂気すら感じる。
「私も正直『何言ってんだコイツ?』と思いました。ですが、事実としてこの世界では異世界から喚び出された『選ばれし者』によって国が救われたという事例が実在しているのです」
「うそでしょお……」
「残念ながら本当にございます。私としても誰も喚ばれませんように来ませんようにと祈っていたのですが……国王とこの国の大司祭が癒着関係にあるばっかりに、うっかり《《今日》》という最大限に魔力が高まった日が選ばれてしまいまして」
「クソじゃねーか大司祭!」
大司祭は許さない、国王はもっと許さん。しかし今は怒り狂う同級生たちの方が正直怖かった。空気に異様な『圧』を滲ませる同級生達からアケビはそっと目を逸らす。
「……そもそもの話なのですが、私達は魔法なんて使えません。おそらく他の『選ばれし者』もそうだったと思うのですが、ただの一般人が、どうやって国を救えと?」
何か考え込んでいたミヤコがバロンに問いかける。ここに居る十二人は全員ただの高校生であり、特別な力なんてもちろん持っていない。彼女の疑問は至極真っ当なものだ。
「そうだそうだぁ! あたしたちただの学生!」
「救国の勇者なんて無理ゲーっすわ! つかそんなんマジ無理恐れ多いですからして! チェンジチェンジ、クーリングオフでどうぞ!」
「ああ、それなら心配ございません。皆様には既に『|祝福《ギフト》』が付与されておりますので」
「ギフトォ……?」
またファンタジーなワードが飛び出してきやがった。
今度はなんだといわんばかりの周囲の胡乱な目を華麗に流し、魔術師は満面の笑みを浮かべた。
「|祝福《ギフト》とは、文字通り“神”より与えられし|祝福《しゅくふく》――つまり、異能力です。それを持つ者はこの世界でも希少であり、唯一確実にそれを得ているとされるのが、異世界より召喚された『選ばれし者』なのです」
「……そのギフトってのは、魔法となにが違うの?」と黙っていた香坂が問う。
「魔法とは主に空気中にある|魔素《まそ》と、自身の体内に生まれつき備わっているとされる魔力によって発動します。ですが『|祝福《ギフト》』はそうではない。使い手があまりにも少なく未だ謎の部分は多いですが、その能力は魔法より強力かつ多彩と云われています」
そして、とバロンは残酷な現実を突き付ける。
「『選ばれし者』は世界を渡り、神の祝福を受けた神聖な存在――数少ない『|祝福《ギフト》持ち』の中でも、際立って異彩を放つ。……皆様にはそれこそ国を救い、繁栄と安寧を齎すような|祝福《ギフト》が与えられていることでしょう」
◇
神の祝福、異能力、異世界召喚――考えれば考えるほど、自分が日常から離れていってるのが嫌というほど分かってしまう。けれどこれは紛れもない現実であり、向き合わなければならない現状だった。
アケビは深い溜め息を吐きながらまだカールが残っている毛先を指先で弄る。
「ってかさぁ、自分に超能力が備わったなんて全然実感湧かないよね」
「わかる。授けられたって言っても、結局のとこ自分で分かってなかったら意味ないじゃん」
「……って感じなんですけど、実際どうなの、バロンさん」
謎の部屋で目を覚ましてから数時間。
この間にアケビは、隣に座っていた同級生――安藤と打ち解けていた。
「さっきはありがとね」という一声から始まり、話をしてみると、安藤は知らない同級生が大半の状態でそれなりに緊張していたのだと笑った。
力になれたなら良かった。アケビは笑顔で返し、そこからトントン拍子で会話が弾んでいった。
波長が合ったのか安藤の話術が巧みだったのか――気づけばアケビと安藤は、阿吽の呼吸と言っても差し支えないほどにお互いに言いたいことをなんとなく察することができるようになっていた。
二人が話していたのは、自身に与えられたという『能力』のことであった。
バロンの説明を聞いた十二人は、これからどうすべきか頭を抱えた。
自分達を召喚したという国――エンプティスは斜陽を迎えつつあり、自分たちはゲームでいう『勇者』のようなものとして国を救うために喚ばれたという。
しかし、ここに居るのは全員ただの高校生。はいわかりましたとゲームのように簡単に引き受けられるわけもない。
召喚した当事者であるバロンもそれは重々承知の上らしく、「これだけは覚えておいてください」と穏やかな声色でアケビ達に言った。
「どのような選択をなさったとしても、|私《わたくし》はけして否定しません。皆様は『被害者』であり、あなた方を召喚した私は、召喚を決めたこの国は『加害者』なのです。言われるまま、救世主の真似事などせずとも構いません」
そして、と言葉が続けられる。
「私はこの力を以て、全力で皆様のサポートを致しましょう。醜い人の欲望から、あなた方を隠し通してみせましょう。……ですからどうか、あまり思い詰め過ぎないようになさってください。ヒトはか弱く、脆いものなのですから」
「……それは、私達が元の世界へ帰りたいと、この国を救わず、帰る方法を調べたいと言ってもですか?」
「皆様がそう願うのであれば、私はその一助となるまで。残念ながら、この国には召喚方法を記した文献はあれど、帰還させる方法が記されたものはございません。なので、|暫《しば》し時間が必要となるでしょうが……」
異世界から喚び出した子供達を魔術師は責任を持って庇護すると言った。
その言葉に嘘は無いようで、バロンは質問に「知っていることだけではありますが」と前置きしつつも、丁寧にわかりやすく答えてくれた。
全員が思いついたことをどんどん投げかけ、一つ一つバロンが答えていく。
そんな問答を重ねて分かったのは、『外』へ出る前に自分達に与えられたという|手札《カード》が何なのかを知らなければならないということだった。
与えられたという力は希少で、使い方次第でほぼ身一つで召喚された十二人の強い武器になる。
《《知っている》》ということは、利用されないよう警戒できるということでもあるのだ。
話は安藤の問いかけに戻る。
異能力などと簡単に言うが、実感がなければ正直眉唾ものだ。アケビ達は超能力や魔法は|架空の物語《フィクション》である世界で育ったのだ。そこまで言うなら論より証拠を示せと思ってしまうのは仕方ないだろう。
ミヤコと話をしていたバロンは、唐突に話を振られたにもかかわらず「そうですねぇ」と腕を組む。
「私の所感ですが――ミヤコ様は既に『|祝福《ギフト》』を使いこなしてらっしゃいますね」
「……えっ?」
部屋の中の話し声がぴたりと止んだ。
当のミヤコはきょとんとした顔で「私ですか?」と自身を指差し、首を傾げている。
「気のせいでは?」
「いいえ。確実にミヤコ様はもう能力を使ってらっしゃるかと。気付かれていないのは《《認識の問題》》でしょう」
「認識の問題、ですか?」
「ええ。仮説ですが、ミヤコ様の『|祝福《ギフト》』は、ご自身で使っている自覚のないタイプのものなのかもしれません」
「……それはなんだか、地味ですね……」
少しだけしょんぼりしたミヤコに「いいえ!」とバロンが声を上げる。
「地味などではございません! おそらくミヤコ様の能力は、認識機能に付与されたもの――透視の可能性が高いかと」
「透視……ですか」
「透視!? それってアレでしょ、隠されてても中身分かるってやつ! めっちゃ超能力じゃん!」
「ミヤコちゃんすげえ!」
「超能力の中でも一番使い勝手が良さそうだね」
「……確かに、タネが最初から分かっているのは有利になりやすい」
「ひょえ、ミヤコ殿ったらこれ透視は透視でもクレアボヤンスなのでは? スーパーハイブリッドじゃないですかやだー」
「よく分からないけど、便利そうだ」
沸き上がる|外野席《クラスメイト》。
なんとも言えない表情を浮かべるミヤコだったが、思い当たる節があったのか「あ」と小さく呟いた。
「そういえば、室内の探索をしていたとき、なぜか《《既視感》》のようなものがあって……」
ミヤコにとって、部屋にあるものは見るもの触れるもの全て初めてのものだった。
だが、暫く見ていると、まるで《《最初から知っていたかのように》》じわじわと頭の中にモノの詳細が滲み出てきたような気がしたのだという。
「それだーッ!」
「どうりでこの中で一番冷静だったわけだよ……もしかしたら無意識に力を使って知識を取り込んでたからそんなに驚かなかったとかあるかもしんないね」
「な、なるほど……」
目から鱗が落ちたとミヤコは手を打った。
全く気づいていなかった様子を見るかぎり、|祝福《ギフト》は自分にとって《《当たり前のもの》》が強化されている可能性もあるのだと分かる。
当たり前のものといわれても、それはつまり、普段は気にしていないものということでもあるのだ。
「これは……私も指摘されなければ意識することは無かったと思いますし、私のようなタイプの方は簡単に分からないかもしれませんね」
「ええ。ですので、今は皆様の『祝福』が何なのか確認することに集中した方がよろしいかと思われます。それによって、今後の方針なども決められるかと」
神から与えられているという異能力――『|祝福《ギフト》』が、現在少年少女が唯一使えるであろう|手段《カード》だ。
これが何かによって、この先の未来が決まると言っても過言ではない。
「あたし、なんかすっごい手汗かいてきたかも……」
「うっそアケビちゃん超奇遇……実はオレも……」
アケビと安藤は顔を見合わせる。そして、無言で固い握手を交わした。
4
◇
本来、異能力を使いこなすには相応の時間が必要であるとバロンは言った。一朝一夕で身につくものではなく、自分の力を理解し、少しずつ共生していくように覚えていくものだと。
だが、ミヤコは強行突破で行くことを決めた。
『神』と呼ばれる存在から与えられた力を知ることは目下の急務であり、そのためにミヤコの与えられた能力は必要不可欠であると分かったからだ。
心身ともに体力は削られるが、削る価値のある情報を得ることができる――リターンの大きさを分かっていたからこそ押し通せた無茶だった。
果たしてミヤコはバロンも驚くほどの異常な速さで能力を制御できるようになったのだった。
しかし、削られた体力は予想以上に大きかった。
「……で、でき、まし、た……」
今のミヤコは、息も絶え絶えと言っていい状態であった。
一枚の紙を片手に持つ彼女の顔色は悪く、額からは脂汗が滲んでいる。今にも気を失ってしまいそうな、喋るのも一苦労だとわかるほどにミヤコは弱っていた。
「お疲れさまでした、ミヤコ様」
足がもつれ倒れかけた体を支える。震える手で差し出された紙を、バロンは恭しく受け取った。
「ありがとうミヤコ……ゆっくり休もうね……」
「バロンさん、毛布! 毛布掛けてあげて! 重病人を扱うように手厚くミヤコをもてなしてあげて!」
「ええ、もちろん。後はこのバロンにお任せを」
バロンが指先を一振りする。
ミヤコの身体が宙に浮き、ゆっくり壁際の方へと運ばれていく。いつの間にか現れた椅子に座らせられ、膝の上に毛布が掛けられる。背凭れに体を預け、ミヤコは小さく息を吐き出した。
ミヤコの努力の結晶――それは全員に与えられた『祝福』をミヤコの能力で《《視》》て書き出したものだ。
「……厳選なる協議の結果、まずは他に類似した能力が居ない方から一名ずつ、似た系統の方は数名纏めてということで、皆様よろしいでしょうか?」
バロンの声に、ミヤコ以外の面々の返事が返ってくる。
その声を聞いたバロンは頷き、ミヤコへ視線を向ける。壁際に座るミヤコもそっと頷いた。
「それでは、まずはアケビ様から参りましょう」
「はーいっ」
リストを見ながらバロンは説明する。
「アケビ様の能力は、大きく分類するとミヤコ様と系統が近しいですが、ミヤコ様と違い体外に出現させられるものだと思われます。ですので、他の皆様への手本としてやってみよう思います」
「……アケビさんは、それでも大丈夫ですか?」
「ぜーんぜんオッケー!」
心配するミヤコに、アケビは指でマルを作りながら頷いた。
アケビの中でミヤコへの信頼度は既にほぼ上限に達していた。
ちゃっかり名前を呼び捨てにしているあたり、アケビの|嗅覚《センサー》は精確で、|彼女《ミヤコ》を『甘えていい対象』だと認識していた。
「では早速、実践と参りましょう」
「よーし、やったるでぇ!」
アケビはふんふんと意気込みながらバロンに近寄る。
髪が崩れていたことに落ち込んだものの、自分も超能力を使えるとなれば話は別である。起きたばかりの頃はやや感傷的になっていたが、アケビの本来の性格は結構現金な方だった。
「大事なのはイメージ力。あとはほんの少しの茶目っ気です」
「茶目っ気」
「はい。|私《わたくし》も過去に数度|祝福《ギフト》持ちに会ったことがありますが、どの方も能力を身体の一部かのように気楽に使っておられました」
「ほーん、なるほどね」
わかるようなわからんような。
気楽な使い方とはと頭を捻ってみるものの、思い出されるのはミヤコの鬼気迫る姿ばかり。
尚、ミヤコの場合は目覚めた時から無意識に|能力《ギフト》を使えていたのが逆に良くなかったらしい。
フルオートが解けず、自力でスイッチのオン・オフができない状態だったというのがバロンの見解だ。
幸いというべきか、アケビは目覚めてから能力が発動する兆しは一切なく、メンタルも回復し本調子に戻りつつある。
だが、能力の発動方法などさっぱりだった。
「もっと具体的なアドバイスないの? こう、腹に力込めろとかさぁ」
「難しいことを仰られる……私の場合、イメージと|理論《ロジック》を頭で組み立て、魔力を魔素と混ぜ合わせて顕現させているので……」
「ダメだ、さっぱりわかんない」
「それは困りましたねぇ」
おやおやとバロンが口元に手を当てる。
小馬鹿にされてる感じがする――アケビは笑顔で拳を握った。
(コイツ、さては理系だな?)
アケビは数学より国語の方が得意な女子高生であった。公式を当てはめてひたすら計算するよりも、作者や登場人物の心情を読み取る方が好きだったのだ。
それは人間関係にも言えたことで、他人の感情を察するのが元々上手かったアケビは、バロンのようなタイプと自分の相性が悪いと身を以て理解していた。
「ミヤコぉ、ミヤコ助けてぇ、この人役に立たないよぉ」
「言い方言い方」
「アケビちゃんったら辛辣ねぇ」
躊躇うことなく休憩中のミヤコにアケビは泣きついた。
アケビは甘えても許してくれる相手を嗅ぎ分ける能力が鋭い――これを世間では世渡り上手という。
見守ってくれていたクラスメイト達が生温かい目で見てくるが知ったことではない。本能が「このままではどうやってもわからん」と匙を投げたのだった。
教えてもらうのならいけ好かない男より可愛い女の子。これは世界の真理だと胸を張って断言できる。アケビはそう確信していた。
現にミヤコは「大丈夫ですよ」と優しく言ってくれて、バロンのように煽るようなことはしてこないのだから。
「……アケビさんの場合、そう、例えば、スマートフォンの電源を点けるようなイメージなどが良いのかもしれませんね」
「スマホ? パッて画面が点く感じ?」
「ええ、ええ。そういうイメージです」
「わかりやすい! それそれ、そういうのを知りたかったの、あたし!」
「さすがミヤコちゃんだねえ」
褒め言葉にミヤコは少し困った様子で微笑む。
おや? と首を傾げていると、ミヤコはそっとアケビの背を指差した。どうかしたのかと振り返ってみる。
「私、ちょっと泣きそうです……」
「んー、ネネは男の泣き顔は興味ないかなぁ」
「ネネちゃん、笑顔で切り捨てるじゃん」
「もっとやれば良いんじゃないかな」
「|翼《ヨク》、笑顔で火を放つな」
「よよよ」と身体を縮こませながら泣き真似をするバロンを、百合木がバッサリと一刀両断していた。さりげなく乗る梅ノ木は輝く笑顔で、隣で橘が呆れた顔で窘めている。
天真爛漫な少女かと思っていた百合木だが、容赦のない一面もあるらしい。一粒で二度美味しいとアケビは心の中で呟いた。
「……では、アケビさん。私の隣で実践してみましょうか」
少しだけ顔色の戻ったミヤコがそう言って立ち上がる。
「えっ、いいよいいよ座ってて!」
「いえいえ。少し休んだおかげで元気になりましたし、早くどんな能力か、きっと皆さん知りたいでしょうから。もちろん、私も含めて」
「ありがとぉ……」
アケビは慌てて首を振った。休んでいた彼女に泣きついた立場ではあるが、疲弊している人を無理に動かすほど外道になった覚えはない。
だが相手の方が一枚上手で、さりげなくフォローまでされる始末。泣き真似をしているそこの魔術師にはもっとこういうところを見習ってほしいものだと思う。
ゆっくりと立ち上がり、隣にやって来たミヤコはアケビの背に優しく触れた。
「私は火急でしたので必死でしたが、本当に気楽にして頂いて大丈夫なんですよ」
「ん……でも、あたしのチカラってミヤコと似た感じなんでしょ? だとしたら、結構役立つものっぽいじゃん? めっちゃ責任重大じゃない? それに」
ミヤコと似た能力ってどんなのか気になるんだよねとアケビは笑った。
「――アケビさんは素敵な人ですね」
「ええ? ほんとぉ? 照れるぅ〜」
「はい、とても……こんな状況でなければ知ることは無かったと思うと、《《召喚されて良かった》》と……そう思うくらいには」
「……えへ。あたしも実は、ちょっと役得かも、って思ってた」
ナイショだよ、と小さい声で言う。
ミヤコは心得たとばかりに微笑み、アケビの耳元で何かを囁いた。
触れていた手が離れていく。
「大丈夫です。落ち着いて、深呼吸をして――」
声に誘われるように、体が浮遊感のようなもので包まれていく。
スマートフォンの画面を点けるように、パッと明るく――自然と前へかざしていた自身の手に意識を向け、アケビは頭の中でイメージを練り上げていく。
恐れるものなど何もない。隣にはミヤコが、すぐそばにはクラスメイト達が見守ってくれているのだから。
あとは教えられた呪文を唱えるだけ。
アケビは息を吸う。
「――『|接続《アクセス》』」
部屋の中に|眩《まばゆ》い光が満ちた。
◇
――光が消え、白色に塗り潰された視界が元に戻っていく。
何度かまばたきをして、アケビはホッと息を吐いた。
そして感じた《《違和感》》に、おやと首を傾げる。
顔を上げ、何もなかったはずの目の前へと視線を向ける。
そこには大きな|画面《モニター》が浮かんでいた。
真っ白で光そのものが凝縮してできたような画面には何も映っていない。画面が浮いているというだけでファンタジーだが、これは先程のバロンの出した映像と似たようなものなのだろう。
前例がある分、気持ちは比較的冷静だった。そう、比較的である。
「……えっ? ちょ、ねえ、これ、これどうすんの!?」
「アケビさん、大丈夫です。成功ですよ」
「それほんとぉ!?」
いくらミヤコの言葉とはいえさすがに疑ってしまう。そんなアケビにミヤコは大丈夫だともう一度頷いた。
「とりあえず、画面に触れてみてください」
「わ、わかった」
画面に触れてみる――途端、柔らかな光が溢れ出した。
最初に現れた画面はそのままに、そこから分裂するように画面が増えていく。さまざまな大きさのウィンドウが自分を囲んでいる光景は幻想的だ。
クラスメイト達の歓声を聞きながら、アケビも興奮を滲ませて声を上げる。
「なにこれ、ヤッバ、 こういうの何ていうの!?」
「多分、空中ディスプレイ……で合っていると思います」
「なにそれめっちゃかっこいいじゃん、ありがとうミヤコ!」
目を輝かせるアケビを、ミヤコはあたたかな目で見つめる。隣に立つセイが、気持ちはわかると言わんばかりに頷いた。
「アケビちゃん、うまくできて良かったなあ」
「へへっ、すごいっしょ、あたしの能力なんだってこれ!」
「おう。なんかよくわからんけど、SFっぽくてかっこいいな」
「でしょー!」
話しかけてきた安藤にアケビは笑顔で答え、浮かんでいる画面へと目を向ける。
「なんかいっぱい出てるんだよね、なんだろこれ」
「……なんかこれ、図鑑みたいだな」
「図鑑?」
「ほら、これとかそれっぽくない?」
安藤が指差した画面は、アケビの膝下ほどの高さに浮かんでいた。
しゃがみ込んでその画面をまじまじと見つめる。サイズでいうと手のひらほどの小さなもので、写真のようなものが映っている。
アケビはおもむろにその画面を指で|突《つつ》いた。
すると画面が動き出し、何も映っていない一番最初の画面へと吸い込まれていく。
「うわ、おっきくなった! ヤバ、めっちゃウケるんだけど」
「なんでウケる?」
何も映っていなかった画面に、アケビが突いたその画面が表示された。
小さいサイズのときは分からなかったが、写真の下には説明文のようなものが細かく記されていた。名前や特徴などが記された画面は、たしかに図鑑のように見える。
「一番最初の画面は、おそらく検索ホーム? ……《《視》》た限りでは普通に検索するか、気になった画面に触れて表示するといったところだと思うのですが」
「そうだね。ここが本当に異世界なら日本とは文化から違うだろうし、そもそも文字が読めるかもわからないから心配してたんだけど……この能力があればその心配もしなくて良さそうだ」
「はい。私の能力では視て書き換える程度しかできませんから――アケビさんの能力があれば、基礎知識からなんとか補えそうですね」
「最低限の礼節は身につけておいて損は無いだろうし、この国の状況だと、色々自衛も必要そうだねぇ」
「ねえミヤコぉ、これ図鑑だと思う? 図鑑にしてはなんか地味に変わってんだけど」
「うぅん……そうですね、あらかじめある程度の情報はインストールされてるのだと思います。アケビさんが何かを知るごとに、少しずつ変化していくのではないでしょうか」
「なーるほど」
たしかに画面はアケビの意思に応じるかのようにレイアウトや文字の表現などが少しずつ変わっていた。どうやらある程度自由にカスタマイズできるらしい。小難しい表現もこれで簡単に変換してもらえるので嬉しい限りだ。
ミヤコとセイのしている小難しい話はあまり分からないが、自分に与えられた『|祝福《ギフト》』はこの世界で役立ちそうなものだということはアケビにも分かった。
役に立てるならそれでいい。アケビは笑みを浮かべた。
「――これはこれは、面白いですね」
「え?」
「アケビ様の能力です。私もここまで精度の高いものは初めて拝見いたしました」
「これがなんだか分かるんです?」
「正式名称は別にありますが……ええ、分かりやすく名をつけるのならば――そうですね、大図鑑とでも称しておきましょうか」
「大図鑑」
「はい。とても高度で希少な魔法ですよ。図鑑といっても従来の紙のものと違い、こうして自由に出せる利便性の高さが特徴です。これらと似たモノは主に古代遺跡などでアーティファクトの一種として発見されることが多いです」
「アーティファクト」
「はい。アーティファクト」
覚えたての言葉をそのまま返すアケビに、その通りとバロンが頷く。
「……つまり、めちゃくちゃすごいやつってこと?」
アケビの目には本体のないタブレットかただの検索画面のようにしか思えない。
だがこの世界の住人からするとまた違うようだった。
「はい。見たところ、これはこの世界の大概の事柄を調べられる様子。これほど幅広く調べられるものは私も見たことがありません」
「うひゃあ」
奇声が口からこぼれ出る。
正直、自分が魔法を使いこなし前線で戦う姿など想像もつかなかった。戦うためのものでなく、皆の役に立ち、この世界での生活にも役立ちそうな能力――それはアケビにとって理想的なものだ。
(よく分かんないけど、カミサマとやらもいい仕事すんじゃん)
嬉しくてついつい口の端がゆるんでしまう。笑みを浮かべるアケビに「良かったなあ」と安藤も笑った。
「よーし、皆の能力も見ていくぞぉ」
アケビは明るく声を出す。
えいえいおー、とどこか間の抜けた掛け声が部屋の中に響いた。
「そうですね……強いて言うなら……肌荒れが……少々……」
口ごもった末にミヤコが心底申し訳無さそうに絞り出したのは、あまりにも乙女らしい理由であった。
「肌荒れ」
続けろ。ハナが顎をクイッと動かす。
観念した様子でミヤコは渋々話し始めた。
曰く。
ミヤコはこの世界に来てからというもの、敏感肌な自身の体に悩んでいたのだという。
初日の入浴の際、一人で入った彼女のところにも用意されたアメニティの中にスキンケアが一式あった。
だが異世界の、それも未知の素材で作られたそれらをおいそれと使うことが思慮深すぎたミヤコにはできなかった。しかし背に腹は代えられないと苦渋の決断でほんの少量だけ使うことにしたのだが、少量程度では敏感肌は守り切ることができず。
結果として、肌の不調に頭を抱えていた――ということらしい。
「これはこれは……」
「何というかまあ、気持ちは分かるけども」
「私、肌で試してなんとも無かったのでそのまま使ってましたね……」
「考えすぎて自滅したってことね」
スキルは使わなかったの? という問いに「使ったけど素材が分からなかったんです……」とか細い声で返事が返ってくる。
知りたいならアケビに調べてもらうのが一番手っ取り早いのだろうが、手をわずらわせるのも、と遠慮し、夜半に一人せっせとバロンの書庫で本を読み漁っていた――と。羞恥で顔を赤くしたミヤコが項垂れた。
「夜ふかしはお肌の大敵なのよ、ミヤコちゃんったらも〜かわいいんだからンぐふふ食べちまいてえなうへへ」
「隠しきれてないわよそこの変態」
「いでっ!」
「――まあでも、そう考えてみたらたしかにアタシも怖くなってきたわね。あの魔術師のトコに行って吐かせるか」
心配そうな表情をしながらも口の端からよだれを垂らすネネの頭を容赦なく叩いたハナは、あっさりとした様子で頷いて立ち上がった。
「……なるほど。それは私の配慮不足でございますね」
「でしょうね。さっさと成分表一覧を出した上でミヤコに合うスキンケア用品を拵えて頂戴。乙女の柔肌を傷物にするなんて天下の宮廷魔術師サマが聞いて呆れるわ。末代までの醜聞よ」
「ええ、ええ。そうでしょうとも! 少々お待ちくださいませ!」
バロンは指先を一振りする。
同時に、部屋中の紙や本が舞い飛び、無機質な室内は一気に騒々しくなった。
「は、ハナさん……」
オロオロするミヤコの鼻先をちょんと突き、ハナが微笑む。
氷のような美貌から生み出される微笑みは他の少女たちが見惚れるほど美しいものだった。
「いいのよ。こんなことで下に出ちゃナメられるわ。良い? あくまでアタシ達は|喚ばれた側《ゲスト》なの。それも否応なしにね。なら、スキンケア程度の要望は叶えてもらわないと」
「そうそうっ、十代のオンナノコの肌はとってもデリケートなんだぞ! 思春期ナメんなよバロンちゃん! アラサーには分からんだろうがな!」
「アラサーというものを私は存じ上げませんが、肝に銘じておきましょう。お待たせしました、こちらへお座りください」
いつの間にか用意されていた椅子に女性陣が座り、向かい合う形で用意された椅子に座ったバロンは「さて」と指を組み、整った唇を開いた。
「基本、この世界ではスキンケア用品に大差はありません。なぜなら、この世界のスキンケア用品――化粧水・美容液などは基本《《どんな肌質にも合うように作られているからです》》」
「へえ」
「ですが、皆様は異世界から訪れた。疑いすぎて困ることは無いでしょう。そして年頃の乙女らしい悩み。冷静なミヤコ様の新たな一面に私正直ドキドキしてしまいました!」
「……やめてください……笑うなら笑えばいいでしょう……」
いたたまれない様子のミヤコに、バロンは「何故です?」と首を傾げる。
「思慮深いことは良いことです。短絡的に相手の操り人形となることほど愚かなことはございません。現に他の皆様も、ミヤコ様の思慮深さや公平な観点に助けられているのでは?」
「まあね」とハナ。
「あたし頭悪いから、むずかしーことはミヤコに頼っちゃうなあ」
にへらとアケビは笑みを浮かべ、ナゴミもこくこくと頷く。
「ネネとしてはこう、もうちょっとこっちに心を開いて欲しいっていうか〜心だけじゃなく体も開いて欲しいし今すぐ手取り足取りベッドの上で」
「黙れ」
「ウィッス」
躾けられてらっしゃいますねえというバロンの間延びした言葉が全てを表していた。