#01

ベッドサイドランプの小さな灯りが広い寝室をぼんやりと照らしていた。
「——雨…」
暖色の光で浮かび上がった白い身体が、気怠げな吐息とともに小さく身動ぎをした。
「私ね…雨、嫌いなの」
いつ止むの? 少女は雨粒に濡れた窓ガラスに視線を向けたまま尋ねる。
背後から自分を抱き込む腕を指先で撫でると、逞しいそれに力がこもった。
「…2時間後」
少女を抱いていた黒髪の青年が答える。
青年がはっきりと答えられるのは、この雨が自然現象ではないからだ。大きな窓の外に広がる湖も薄暗い空も、草木まで、自然の産物ではない。
「そう、2時間後…」
ようやく少女が振り向いて、左右異なる色の瞳に青年を映した。深いブルーとグリーン…美しいその瞳もどこか人工的だった。
「雨が止んだら戻らなきゃ」
「そうか」
途端、形の良い唇に微笑みが浮かんだ。
「今日の狼さんは聞き分けがいいのね」
「そうだな…」
青年は深く息を吐いて上体を起こした。
少女の白い頬をひと撫でして、彼女を組み敷くかたちで覆い被さる。
「引き止めたら、今日こそ聞いてくれるのか?」
いいえ、と少女が首を横に振る。
彼女が首を降るのは何度目だろう。華奢な肩口に顔を埋めながら青年は思う。
青年はもう何度も彼女に同じ願いを訴えて、その度に彼女は首を横に振ってきた。
答えはいつも同じ。それでも青年は、“今日の彼女”は違うのではないかと淡い希望を捨てきれず、今日も同じ言葉を彼女に伝えるのだ。
「一緒に来い。フィーネ」
青年の黒い瞳が揺れた。
「…俺の、そばにいろ」
絞り出されたその声に、少女は密かに優越感を覚えていた。
世界から畏怖の対象とされる彼がこんな表情をするなど、きっと誰も想像しないだろう。
青年は幼い頃から常に強く冷淡であることを求められてきた。そんな彼がこんなにも切ない顔を見せるのは、少女の前だけだった。
「…ジーク」
少女は青年の頬をそっと両手で包む。
「好きよ」
人目を忍ぶように愛を囁くのは、これが最後だと2人は覚悟していた。
夜が明ければ、もう互いの体温を確かめ合うことも言葉を交わすことも叶わない。この広い世界で再び出会う時は、また見知らぬ他人なのだ。
これが最後。いま互いの頭にある“最後”の意味は少し違う。だが、刹那の逢瀬に溺れる2人はそのことを知る由もなかった。
「きみのことは大好き」
細い指が青年の輪郭を確かめるようになぞった。右目の端にある傷跡は、彼の端正な容姿を損なうどころか、存在をより引き立てるチャームだった。
愛した男の顔だ。少女はこの顔を決して忘れまいと目に焼き付けた。
かつての少女にとって、彼こそが世界の全てだった。
「でも…」
見つめ合う2人の間に、規則的な雨音だけが響く。
「私、コーディネーターとは生きられない」

——嫌いなのよ

穏やかな声色で吐き出されたのは、冷たい拒絶の言葉。
青年はその言葉に動じる様子もなく、フッと息を吐いた。
「…ああ」
頬に添えられた手を取り、指を絡める。切れ長の眼が哀しげに笑った。
「分かってる」
言葉を続けようと微かに少女の唇が震えるが、それはすぐに強引に重ねられた青年の唇によって塞がれることになる。
噛み付くようなその口付けを、少女も瞳を閉じて受け入れた。
これ以上言葉を交せば溢れてしまいそうな感情に、2人は今だけ気付かないふりをした。