#39

ディセンベル市コロニー群にほど近い演習宙域に、2機のモビルスーツが舞った。
1機は右に、もう1機は左に片翼を背負ったシンメトリーな姿は、搭乗するパイロットの関係まで理解した者によるデザインなのだろう。その事を思うと憤激が胸を焼く感覚がぶり返しそうになるが、美しい戦乙女の舞いの前ではそんな良識的な正義感などたちまち吹き飛んでしまう。
銀色の翼が太陽光を受けてキラリと輝く。
その姿を追う狼の黒い瞳は感嘆に満ちていた。
「流石だな…」
ジークの弧を描いた唇から賞賛が漏れた。
モビルスーツの操縦について、上官のジークが彼女達に指導することは今更何もない。
2機は宙域に浮遊する演習用の標的を競い合うように次々と打ち落としていく。
最後の標的が2つのビームに撃ち抜かれて爆ぜたの見届けて、ジークは安堵するように息をついた。
エアリス隊に新たに配備された新型機─“ワルキューレ”
パイロットとの相性をみるための簡易的な演習は、一瞬で終了した。
帰艦を命じようと口を開きかけた次の瞬間、2機が互いに向かい合い示し合わせたように同じタイミングでビームサーベルを抜き放った。
繋いだ回線から2人の少女の愉しげな笑い声が響いて、ジークはハッとした。
用意された全ての標的をあっという間に撃墜した彼女達は、次なる標的をお互いに変えたのだ。
加速する“ワルキューレ”の背から翼が分離した。
“レイヴン”
背負った片翼はただの装飾ではない。遠隔操作式のビーム砲だ。
母機から離れた砲塔が四方に飛び散ったのを確認して、ジークはすかさず隣の“ガルニ”に叫んだ。
「グレイ!」
ジークの声に監視役として同行していたグレイは舌打ちで返す。
《くそ…!この、じゃじゃ馬め!》
“ワルキューレ”が光刃をぶつけ合って離れる。ジークとグレイは四方から降り注ぐ“レイヴン”の攻撃をくぐり抜け、機体を彼女達の間に割り込ませた。
「――そこまでだ」
“フェンリル”と“ガルニ”は背中を合わせて彼女達に銃口を突きつける。
「実戦前に壊す気か?ばか」
《おっかねぇな、まったく…一個掠ったんだけど》
呆れ声を漏らす上官に対して、モニターに移る少女達はフフッと笑い声をあげる。

――だって、退屈なんだもの

悪びれない調子で言ったその顔は、満面に喜色を湛えていた。




シャワーブースを満たす甘い匂いを吸って、アーシェはゆっくりと目を閉じた。
長く好んで使っている香水と同じ匂い。お気に入りの化粧品ブランドのシャワージェルは、地球に降りる前に充分ストックを買い込んだつもりだったが残り僅かになってきた。
今のが無くなったらしばらくは基地内のドラッグストアのもので我慢しよう。嗜好品にまで気を使っている余裕など今は無い。
ディオニソスの修理のためにディセンベルに入ったこの2週間、基地の外に出る時間が全く取れなかったわけではない。短い時間でもオフを与えようとしたジークの気遣いを、アーシェは断っていた。
新しく与えられた自分専用の力、“ワルキューレ”の相手で精一杯だったのだ。
“ワルキューレ”は魅力的な機体だった。
“フリッグ”をもとにしているだけあって相性も悪くない。少し気が強くて我満な性格も、物心ついた時から共にあったパートナーが戻ってきたようでアーシェは嬉しかった。
難点を言えば背負った砲塔“レイヴン”くらいか…
頭の奥に未だ残るモヤモヤした感覚が気持ち悪い。
翼に見えていた分離型ビーム砲は、脳波コントロールを必要とする。いきなり託されて使いこなせというのは、流石のアーシェでも難儀した。
これほどまで頭の中に干渉する機体であれば、こそこそ隠れて造らずにテスト段階から携わらせて欲しかった。
いくらでも協力してやったのにと、“ワルキューレ”を与えてくれた最高司令官を想う。
英雄を立派に勤め上げたシンやレイとは違い、黒子役であるはずの自分に特別な機体を与えるのはどういう意図があるのだろう?
かつて、ギルバート・デュランダルが語る平和への夢がアーシェの心を動かした。自分もその未来に貢献するひとりでありたいと、何も知らない“優しいアーシェ”は奮い立ったのだ。
だが、今はあの穏やかな微笑みがどこか引っかかる。
“ワルキューレ”を与えられた日、ジークとイザークは自分とフィーネが乗ることに難色を示した。
ジークにいたっては、番犬であるにも関わらず「奴に夢を見るのはもうやめろ」と厳しい口調で飼い主を否定する言葉を吐いた。

――分からないことだらけだ

“戦争”の本質を見極めるのは難しい。
好きな人の側に居たいと願った以上これまでのように戦いを楽しむだけでは駄目なのに、モビルスーツに乗ると湧き上がる興奮を抑えられない。
戦場を駆ける時と平時の自分のギャップが気持ちが悪くて仕方がない。
今度こそのみ込まれないようにしなければ。
“ワルキューレ”に操られる部品としてではなく、パイロットとしてあの機体を自分のものにしてみせる。
力をくれるというなら遠慮なく貰っておくが、その力をどう使うか決めるのは自分だ。
アーシェは強く決意して、脳裏に先程の演習を思い浮かべた。
“ワルキューレ”のビームが目標を貫き、激しい閃光を放って爆ぜた。
宇宙を駆けながら一つ一つ確実に撃ち落としながらカウントする。
――1、2、3…

「――9、よ」

途端、背後にある脱衣スペースから自分の声が聞こえてアーシェは目を開けた。
遅れて入って来たフィーネが脱衣カゴにジャケットを放った。
「あなたは、9機。私は11機。今日は私の勝ち」
「うそ」と、勢いよく降り注ぐシャワーの音に負けないように声を張り上げた。
「最後の1機まで自分の手柄にしないでくれる?あれは同時だったじゃない」
「そう?」とフィーネは納得いかない様子で首を捻った。
「そうよ」とアーシェは頬を膨らませる。
「それに、あのままやってたら私の方がフィーネのこと切り落としてた。レイヴンの射出だって私の方が速かったじゃない。止めてくれた隊長達に感謝することね」
フィーネのこういうところは子供っぽい。
アーシェも負けず嫌いであることは自覚しているが、彼女はそれ以上だった。勝ちに貪欲な姿勢はこれまでの環境の違いだろうか。
ディオニソスに来てから、フィーネは何かにつけて自分と張り合おうとする。
モビルスーツのシミュレーションは今のところ勝ち越してはいるが、射撃はフィーネの勝ち。
“ヴァルハラ”で調整を受けて今日まで戦ってきた彼女は経験値が違う。兵器としての実力はずっと上だろう。
ならばせめて、“ワルキューレ”の操縦だけはフィーネに負けたくない。
「そういえば…今日は珍しいのね、貴女が此処を使うなんて」
共用のシャワールームにフィーネが現れるのは珍しい。
ザフト兵となった彼女にも新たに自室が割り当てられたが、彼女はほとんどを隊長室で過ごしていた。いつもならシャワーは隊長室を使うはずなのに。
「隊長は?」
「いま秘書官さんとお仕事の話ししてるの。邪魔しちゃいけないと思って」
フィーネはそう言って服を脱いでいく。シャワーブースから出たアーシェは、その素肌を視界に入れてドキリとした。
首筋、胸元と白い肌に散る朱…それが何を意味するのか直ぐに理解して、慌てて視線を逸らす。

――キスマーク、だ…

カレッジや士官学校で、女同士が集まれば“そういうこと”が話題にあがることはしばしばあった。
理想の恋人、理想のシチュエーション…既に恋人との経験を済ませた者は「現実は違う」と少し冷めた口調で、だが何処か誇らしげにその行為を語るものだった。
アーシェにとってそういう話題はいつも他人事だった。退屈な感情を隠しながら、ただそつなく笑って相槌をうつだけ。
他人の色恋事など興味がなかった。だが、今隣に居る彼女の場合は相手の普段の振る舞いを知っているだけになんだか気まずい。
ひとりどぎまぎするアーシェを、フィーネは気にも留めていない様子だ。
フィーネとジークは恋人同士だから自然なことだろうが、他人の前ではもう少し隠すとか恥じらいがあってもいいではないか。
意識して勝手に恥ずかしくなる私の方が子どもなのか?
「隊長って、意外に情熱的なのね…」
ようやく気付いたフィーネは、自身の身体に視線を落として「ああ」と眉をあげた。
「以前ならこんなこと絶対許さなかったわ。もう拒む理由もないし」
そう言ったフィーネの横顔は穏やかだった。
「でも、これは少しやり過ぎね…狼さんにはあとでちゃんと注意しとく」
「狼さん?」
「うん。狼さん」
「フィーネ…隊長のこと、狼さんって呼んでるの?」
「だって、狼なんでしょ?あの人。腹ぺこ…?」
フィーネは不思議そうに首を傾げた。
「腹ぺこ…それ、他所では絶対言わない方がいいわよ」
友軍にも恐れられる上官の、任務遂行に不必要な情報が増えていく…
長年の“片想い”を実らせた上官は、だいぶ恋人に入れこんでいるようだ。白い肌の至るところにはっきりと残るそれは、彼の独占欲の強さを伺わせた。
「私もここまでの人だとは思ってなかった。テンション上がると噛む癖あるのも、此処に来るまで知らなかったし」
噛む?
恋人を?
なんで?
どういう状況になればそうなるの…
アーシェの頭の中に疑問符がぐるぐると回る。
その疑問を口に出してはいけない気がした。フィーネの性格上、無邪気な顔であけすけに教えてくれるだろう。
そんなことをされたら、これからどんな顔をして上官の命令を聞けばいいのか分からなくなる。
「狼っていってもそんなに怖くないのよ。少し不器用なだけで」
「まあ…そうね」
「ジークは優しいわ。優しすぎてむず痒くなるくらい」
以前「フィーネは大切な人だ」と語った彼と同じように、フィーネは愛おしそうに瞳を細める。
その表情につられてアーシェも自然と唇が綻んだ。
この子は、こんな表情も出来るのか。
「…幸せね。優しい人に一途に想われて」
アーシェがそう言うと、フィーネは少しだけ驚いたように目を見開いた。
「しあわせ…」
少し考えるように間をあけた後、「そうね」と再び笑う。
「私、いま幸せだと思う」
フィーネとジークは、幼い頃から過酷な環境の中で生きてきた。すれ違い続けた2人が今やっと幸せだと言うのは、アーシェは自分のことのように嬉しかった。
少しはにかんだ笑顔は女のアーシェから見ても愛らしいと思う。
敵として対峙すると恐ろしいが、こんな顔を見せられたら入れ込む男の気持ちもわかならなくはない。
暖かな感情を胸に感じながら着替えを進め、しばらくしてからアーシェは微かな違和感を感じて「ん?」と首を傾げた。
自分の顔に“愛らしい”と言うのは、なんだか変な感じだ。