「情実人事だ…」
アーシェはデスクの上に差し出された命令書を眺めて呟いた。
呆れた視線を目の前の上官に向けても、彼は平然と別の書類に目を向けている。
ボルテールへの派遣。これからディオニソスと合同艦隊を組んで任務を共にするのならどちらに居ようと変わりないように思える。
新たにフィーネの“ワルキューレ”が収容されたとしても、ディオニソスの格納庫はまだ余裕があるというのに…
隊長2人の私情が絡んでいることは明白だった。
「人事交流だよ。他の現場を経験するのもいいだろ?それにうちは特殊だし、普通の人間の集まりと仕事をするにはこちらの意図を汲んでくれる仲介役が必要だ」
「嘘つき…よくもまあ、すらすらと最もらしいこと言えますね」
「これで上手く世の中渡ってきたもんでな」
ジークは悪戯っぽく笑ってみせた。
「嫌なら別にいいぞ、俺は困らない。イザークには俺からちゃんと伝えておく。アーシェがジュール隊は嫌だって…」
「可哀想に」と肩を落として派遣先の隊長を憐れむジークに、アーシェは慌てて首を振った。
「行きます!」
ジークが引っ込めようとした命令書を奪う。
「謹んで命令をお受けします。エアリス隊よりずっと戦果をあげてみせますから。私を手放すこと、後悔すればいいんだ」
「いや…あくまで派遣だからな。友軍で張り合わないでもらえるか」
まったく、お節介にも程がある。
飢えた狼などと大それた異名は、このお節介の男には不釣り合いだ。誰が言い出したかは分からないが、世間は彼を買い被り過ぎだ。
――“腹ぺこな狼さん”のくせに…!
アーシェはまんざらでもない本心を隠してフイと背中を向ける。
「アーシェ」
隊長室のドアがスライドしたとき、ジークが椅子から立ち上がった気配がした。
「なにか?」と振り向くと彼は罰が悪そうに頭をかいた。
「その、あれだ…今回の件は、フィーネが此処に来たからじゃないからな。厄介払いとか、そういうのじゃなくて…」
「全然そんな理由だと思ってませんけど」
隊長同士で何を示し合わせたのかなんて察しは付いた。
久しぶりにボルテールに戻れることを楽しみにしている自分がいるのも事実。この派遣は悪い話ではないのだ。
それでも、こうして勝手に気を回して自分に弁明しようと言葉を探す上官の姿はなんだか愉快だ。普段そうそう見れるものではない彼の姿に、アーシェは少しだけ意地悪をしたくなった。
「隊長…フィーネが来てから私のこと厄介だと思ってたんですか?せっかく仲良くなれたと思ったのに、ショックです…」
ジークは眉間に皺を寄せた。
「思ってない」
むくれたその顔は少し幼い感じがした。
「そんなこと、思うわけねぇだろ」
アーシェは思わずクスクスと笑ってしまった。
「分かってますよ。隊長はそういう人じゃありません」
彼はお人好しだ。
すぐ絆されて、拾ったものは全部自分で背負い込んでしまう。背負うものが増えたからといって何かを切り捨てることは出来ない性格だ。
ジークは複雑な表情を浮かべてアーシェを見つめ、やがて低く息をつく。
「お前は、俺の大事な部下だ」
その言葉に、アーシェは目を丸くした。
「お前をうちに迎えたときからずっとそれは変わらない。大事な仲間だと思ってる」
宇宙を思わせる黒い瞳はしっかりと自分を見据えてくる。
アーシェはそれに笑いかけた。
「それも分かってますよ。“狼さん”」
その名を呼べば、彼は面食らったように目をぱちくりとさせた。
その様子に再び笑いが込み上げるのを堪えながら、アーシェは「行ってきます」とその場を後にした。
――さて、
通路を数歩進んでフッと息を吐いた。
閉じられた隊長室のドアを神妙に見つめて考える。
狼さんはお人好しだ。
優しくて、強くて、その強さを過信している節もある。ひとりで抱え込んで、周囲にはいつも隠し事ばかり…
その独りよがりが大切に想ってきた彼女とすれ違う原因でもあっただろうに。彼女を手に入れてからもそのバグは簡単には治らない。
――狼さんの嘘は、今日はどこにあっただろうか?
「公私混同もいいとこだな…」
ボルテールに搬入されたモビルスーツを見上げて、ディアッカは呆れ声を漏らした。
「意外だな…エアリスってそういうのに厳しい男かと思ってた」
“新人の育成と人事交流のため”
冷酷と噂される特殊部隊の隊長は、「新人に他の現場も経験させたい」などともっともらしい理由をつけて自身の部下をジュール隊に派遣したが、その真意は今ディアッカの隣にいる男の完全なる私情だ。
「ジークは皆が思ってるような奴じゃない」
「いい奴だよ」とイザークはそっけない口調で返す。
その口調とは裏腹に、銀色に輝くモビルスーツを見つめる眼は優しく満足気だ。
ディアッカは小さくため息をつく。
「お前も、ここまで女に入れ込む男だとは思ってなかったよ」
色恋事よりも仕事を優先させてきた親友が、これほどまでに入れ込んだ女は居ただろうか。彼のドライな恋愛歴を知っている身としては、何だか不思議な気分だ。
目の前のモビルスーツのコックピットハッチが開く。現れたパイロットの少女が機体の脚元で待つこちらに気付いて微笑んだ。
彼女こそ、堅物のイザークを心変わりさせた張本人だ。
淡いブルーの長い髪を靡かせて降り立った少女は、姿勢を正して敬礼してみせる。
彼女に敬礼されるのは久しぶりだ。
不安げな顔で任務に向かう自分達を見送っていた優しい秘書官…軍属としては少し頼りなく思えた彼女は、今エースの証である赤い軍服を身に纏い最新鋭のモビルスーツとともにボルテールに帰ってきた。
ディアッカは懐かしさを感じながら隣のイザークに倣って答礼する。
あの頃より少し大人びて見える顔を前にすると、かつて彼女とボルテールで過ごした日々がもう何年も前のことのように感じられた。
特殊部隊のエースパイロットは、泰然とした口調で言った。
「エアリス隊、アーシェ・ヘインズです。今日からお世話になります」