#42

「——このッ…バカ息子!」

C.E.69—アプリリウス。
プラント最高評議会が入るビルの一室に怒声が響いた。
怒声を真正面から受けた少年は、苦しげに額に手を当てた。ようやくベッドから抜け出せた身体には、この張り上げた中低音の声は刺激が強い。
「ヴァン…もう少し声を抑えてくれ。あんたの声は頭に響く…」
「ジーク!」
この議員執務室の主、オクトーベル市代表議員のヴァン・エアリスが歪んだ唇を震わせる。
彼の息子—ジーク・エアリスは、怒りに揺れる父の視線から逃れるように顔を背けた。ふと、視線の先にあった水槽に映る自分の襟元が開いたままだったことに気づいて慌てて止める。ヴァンは常日頃こういう気の緩みには厳しかった。
「わるかった」
「なんだと!?」
「…もうしわけございませんでした」
謝罪の言葉を言い終わるや否や、不貞腐れた顔めがけてファイルケースが投げつけられる。ジークは寸前でそれを受け止めて、うんざりしたようにため息をついた。
今日のヴァンは随分とご立腹だ。
普段悠然と構えた彼は、多少の粗相なら笑って許してくれる。だが、今回ばかりは勘気に触れたようだ。もっとも、それほどのことを仕出かした自覚はあった。
「ローラシア級2隻!そこに、いったいどれだけの人間がいたと思っている!?」
「中身なんて知るかよ。外から見ればただの鉄の塊だ」
怯むことなく悪態をついて、ファイルケースの中の書類をパラパラと捲った。
2週間前の作戦の折、ジークの過失によって生じた友軍の被害状況を纏めたものだ。
殉職者名簿に目的の人物を見つけて、ジークは内心ほくそ笑む。“不運”にも敵機の攻撃を真正面から受けて撃沈した艦隊の指揮官の名だ。

——よかった。ちゃんと死んでくれたのか

「ほんとに反省してる。俺もグレイもスイッチ入ってたし、獲物に夢中で友軍の配置なんてもうさっぱりで…」
今回の作戦で犠牲となったのは、日頃ジーク達ヴァルハラ製をこき下ろしてきた部隊だった。
敵機を友軍艦の近くまで誘い込んで、ブリッジを狙撃させた。敵機が放ったビームが友軍艦のブリッジを貫き焼き払った光景は、ジークの脳裏に鮮明に残っている。
「お前とグレイが、あの程度の作戦でスイッチが入っただと?」
ヴァンが不審の眉を寄せた。
「ああ、なんせまだ実戦には慣れていない。試用期間だろ?普通の人間の下に就くも初めてだったし、雑魚にウロチョロされると調子が狂うんだ」
ジークは肩を竦めてみせる。
「今回だけだ。次は上手くやる」
「上手くやる?」
「友軍の犠牲は最小限。敵はひとつ残らず噛み殺す。求められている役割は、ちゃんと果たすよ」
「バレないように上手く殺る、の間違いだろ」
自分を睨みつける金色の瞳をジークは臆することなく見つめ返した。
全てを見透かしているこの男が、これ以上自分を咎めることはないと知っていた。今、自分がこうして何の処分もなく軍服に袖を通している事実がそれを裏付けている。
先ほどの大袈裟なまでの怒声も、執務室の外の廊下を行き交う職員に向けたアピールであろう。
『不良息子に手を焼く善良な父親』
少なくとも評議会職員の間では、ヴァンはそういう人物とされていた。
役者だと、ジークはヴァン・エアリスという男を評価していた。善人の芝居を長く続けていたせいで、自身でも本当の姿を理解出来ていない。
普段、多くの人間が自分に向けるのと同じように、ジークは目の前の男に憐れみの視線を向けた。
「もう少し冷静になれ。感情のままに動いても何にもならないと、いつになったら分かってくれるんだ?」
「死んだら分かるかもな」
「今回、まさに死にかけたんだよ。お前は」
ヴァルハラ製はプラントに絶対服従だ。プラントに噛み付こうとするとリミッターが作動するとは聞いていたが、それがどんなものなのか興味があった。
今後の為にも自分の限界を知っておきたい。無謀な好奇心を膨らませていたとき、日頃反りが合わなかった部隊との合同作戦の話が舞い込んできたのだ。これを好機と捉えたジークは、グレイと共にささやかな反逆を実行した。
「痛みには鈍感に造られているはずだが、こういう時は別なんだな…正直キツかった」
結果は想像以上に激痛を伴うものだった。
戦艦が爆散する眩い光を最後にジークの意識は今日まで途絶え、ようやくベッドから起き上がると隣のベッドでは共犯のグレイが全身を管で繋がれたまま眠っていた。
「勘弁してくれ…お前に何かあったらと思うと生きた心地がしなかった」
ヴァンはデスクの引き出しから煙草の箱を取り出して言った。デスクの角で叩いて1本取り出す。それを唇に咥え、火をつける…
ジークはその一挙一動を注意深く観察した。
煙草を挟んだ指は長く節が目立つ。煙を吐き出す唇は薄く、物憂げに伏せた目元は切れ長。「ジーク」と、彼自らが授けた名を呼ぶ声は、最近声変わりを迎えた自分の声とよく似ていた。
ヴァンは養父だ。その縁組も恵まれない孤児を救おうなどという一般的な善意によるものではない。エアリス家は、莫大な金を兵器に投資したに過ぎない。
ヴァンと自分に類似する特徴などあるはずがない。ジークはそう自分に言い聞かせながら、こうして彼と対面するたび彼との繋がりを探すことをやめられなかった。
「そこまでする必要あったか?」
「必要だった」
ジークはヴァンの言葉に被せるようにはっきりと自らの行いを肯定した。
「あいつら、ブリーフィングでクロエたち女の隊員に向かってなんて言ったと思う? “雌犬はどこまで忠実なんだろうな”だとよ」

『——今日は俺がお前達の上官なわけだが…どこまで言う事を聞いてくれるんだ?獣とは聞いていたが、見目は悪くない』

「上官に尻尾振って、ご機嫌取りにクロエを差し出せばよかったか?」
途端、ヴァンの指に挟まれていたタバコが灰皿に強く押しつけられてひしゃげる。
「あんたが言う“未来”のためには、ああいうのは今のうちに排除すべきだ」
ジークはヴァンに背を向けて、執務室を出た。
「ジーク」
自分の声が追ってくる。振り返ることはしなかった。
「お前はそれで?気が晴れたか?」
閉まる扉の音に掻き消されそうなほど小さな声で、ヴァンが呟いた。




エレベーターホールに辿り着くと、ちょうど下に向かおうとしていた昇降機が扉を開けた。
ガラスの箱の中身が空っぽであることを確認して、ジークはそこに足を踏み入れる。

——これでいい

ガラスの壁に背を預けながらジークは自身に言い聞かせた。
自分がしていることが正しいとは思わない。だが、正義では生きられない自分達に他の選択肢があるとも思えなかった。
全ては同胞たちのため。そして、いつか“彼女”と再会したとき、今度こそ守れるだけの力を…
ぼんやりと人工の空を見上げる。高い塀に囲まれた生活から抜け出して数年が経っても、見上げる空は相変わらず窮屈だ。