普賢真人×(引きこもり+無口)道士
名前の世界は完成されていた。
広大な屋敷。膨大な書籍。無限の食糧。無限の時間。ーー平穏で充たされた、世界。
なのに、時折波が立つ。
「望ちゃんは旅立ったよ、封神計画のために」
ーーほら、こんな風に。
「大丈夫かなぁ、望ちゃん。ねぇ、名前はどう思う?」
「……知らない」
崑崙山脈。その中に名前の家はある。
名前だけの楽園。そこに土足で上がり込んだ男。いや、土足というのはあくまで表現の一種だが、とにかく勝手に上がり込み、勝手に居座ったあげく、勝手に名前に話しかける仙人。名前とほぼ同期の男の名は、普賢真人といった。
崑崙十二仙のひとりは暇人なのか、名前の素っ気ない返事にも気にした素振りはない。
名前の向かいに座り、名前が淹れた茶を飲み、名前が作った菓子を食べ、普賢はのんびりと笑う。
「名前は心配じゃないの?」
「……太公望はそんなヤワじゃないでしょう」
名前は溜め息を吐き、本を置いた。
太公望。彼もまた名前と同じ道士だ。歳の頃も近い。だから過ごした時も同じくらい長かった。
それは普賢も同じで、だから彼も名前の知っていることくらいわかっているはずだ。
そう思いながら、気だるげに名前は答えた。なのに、普賢は笑う。ほほえましいと言わんばかりに目を細めて。
「……なに?」
「ううん、望ちゃんのこと信頼してるんだなぁって」
「別に……付き合いが長いってだけだし」
「でも名前と望ちゃんって似てるとこあるよね」
言われ、名前は思わず太公望の姿を頭に浮かべた。太公望の姿、そして普段の言動を。
お世辞にもいいとはいえない修行態度。人を煙に巻く言葉。頭は回るがそれを逃げることにばかり使う男。そんな彼と似ているところなどあるだろうか。
「……戦闘向きじゃないところとか?」
「あぁ、確かに似てるかも」
普賢はにこにこと笑っているものだから何を考えているのかいまいち掴めない。
名前がそれ以上思いつけず、答えを求めても、彼は微笑むばかりで。
「でも、ねぇ、名前。きっと望ちゃんは苦しむと思うんだ。本当は戦いなんて好きじゃないから」
「……うん」
「でも僕は十二仙だからまだ手を貸すことができない……」
もどかしいな、と普賢は言う。争い事が嫌いなのは自分も同じだろうに、心優しい男は友を思って悲しげな顔をする。
だから、名前は言ってしまった。これはきっと普賢の策だろうと。彼の術中に嵌まっていると、わかっているのに。
「……いいよ、太公望が困った時には私が行くから」
「ほんと?」
「…………そうしてほしかったんでしょ」
「うん、まぁそうだけど」
やっぱり。
名前はまた溜め息を吐いた。さすがは太公望の友。嫌なところだけ似ている。
策を弄さなくたって、彼が頼めば名前はーー
「ありがとう、名前」
普賢は、穏やかに笑う。名前の好きな凪いだ日の青空のように。穏やかに、温かに、彼は笑うのだ。
「……うん、」
口下手な名前は言葉を知らない。こういうときに相応しい言葉を。それを声にする術を。勇気を。知らないから、小さく答えることしかできない。
普賢を、真っ直ぐ見ることすら。
「……用件は、それだけ」
「目的はまぁそうかな。名前のお茶も飲めたしお菓子も食べれたし……うん、やるべきことはやったよ」
「……そう」
名前は両手を握り締めた。机の下、普賢からは見えないところで。
「……それなら、帰って」
「うん、お邪魔しました」
勝手に上がり込んで、勝手に居座って。勝手に話して、勝手に名前の意識を奪って。
なのに普賢はあっさり席を立つ。
名前はただ、それを見送るしかない。
「またね、名前」
音を立てて扉が閉まる。それがいやに響いた。ひとりきりの、部屋には。
「普賢の、バカ……」
名前は机に突っ伏した。呟きを拾うものはいない。ただ、静けさが広がっているだけだ。
名前の世界は完成されていた。されている、はずだった。
なのに、いつからか。いつからか、物足りなくなってしまった。欠けていると、埋めなくてはと。埋めてほしいと、思ってしまった。
他でもない、普賢真人に。
「どうして……」
彼なのだろう。同じ時を過ごしたのは太公望だって一緒なのに。他の同期でも世話になった師匠でもなく、どうして普賢を求めてしまうのだろう。
「……、」
ーーわかっている。本当は、理由なんて。
でも言葉にはできなかった。言葉にしたら、それは形になってしまうから。無視することができなくなってしまうから。
だから名前は引きこもる。名前だけの楽園に。満ち足りているはずなのに、ほんの少しの寂しさを抱えて。
「またね」の一言だけを光に、名前は楽園で待ち続ける。
「でも今日はいつもより話せた、気がする……」
太公望のお陰だ。この借りはいずれーー普賢の言う通り、力を貸すことで返そう。
そうしたら普賢も喜んでくれるだろうか。
「そうだったらいいな……」
独り言は澄んだ空に溶けていった。