屑籠の館


 山田一郎は所謂“なんでも屋”だ。依頼があれば家の掃除から街の掃除まで引き受ける。そんな彼だが、此度の“依頼”に関しては少々戸惑いを感じた。目的地ーー依頼人の屋敷を前にした時に。

「こんなでけぇ屋敷なんて建ってたか……?」

 地下鉄を降りて突き当たりまで真っ直ぐ。川沿いを左に曲がって、見えた公園の手前。そう、手紙には記されている。そこが依頼人の家であり、この屋敷の片付けを手伝ってほしい、と。
 辺りに並ぶのは東京らしく背の高いビル郡。自然を感じるのは川と公園の緑くらい。人工物独特の寂しさと冷たさを感じさせる都会の狭間、その屋敷は建っていた。
 この街の地理には詳しいつもりだった。故に手紙のみの道案内にも不安は抱かなかった。行けばわかる。その勘通り、何度手紙を見直しても間違いはないように思える。ただ、違和感が拭えない。

「けどここで退くのは男じゃねぇよな……」

 見上げる先。それは昔ながらの日本家屋ーーであった。木造の建物に古びた瓦屋根。しかしそれだけならば一郎も驚かない。大きいという、それだけの理由ならば。
 異様なのはその形である。日本家屋。それに違いはない。違いはないが、完全なる“それ”とはまた異なる。
 要するに和洋折衷ーーなのだ。古めかしい和風の屋敷。というより、城と言った方が正しいか。ともかくそれは昔懐かしい風情を醸し出している。
 かと思えばそのすぐ隣からぬくりと顔を出すのは洋風な造りのバルコニーであったりする。天辺に座すのは天守であるのに、離れたところには灯台のような物見の塔が顔を出していた。

「……、」

 ごくり、と喉が鳴るのは恐怖ではない。気圧された……認めたくはないがつまりはそういうことだ。
 が、それを理解しているからこそ退くわけにはいかなかった。理解したからこそ、一郎は決意を固めることができた。

「……よしっ」

 両頬をひっぱたき、己を鼓舞する。何事も勢いだ。一歩踏み出してしまえば何てことはない。例え屋敷が異様な形だろうと記憶になかろうと、だ。
 一郎は顔を引き締め、門扉にかかる呼び鈴を鳴らした。

「お待たせ致しました!」

 勢い込んでいたせいか。門が開くと同時に飛び込んだ声に一郎はびくりと肩を揺らした。その声は無邪気で少女らしい軽やかさを持っていたにも関わらず。どんな異形か変人かと身構えていたものだから、一郎は最初目の前の少女の存在が受け止められなかった。

「お時間ぴったり!お噂には聞いておりましたが、貴方様にご依頼したのは間違いでなかったと私も旦那様も安心しきりです」

「あ、あぁ……」

 はためくお仕着せの色は深く、その上のエプロンもまた清く正しく。けれどその形が現代人離れした……つまりは古い漫画だとかに出てくるような“メイドさん”の格好だったものだからーーつい視線が引き寄せられる。
 “メイドさん”と言えば男のロマンだ。現代では早々巡り会えないからこそ。そして漫画やラノベの中ではヒロインの一人として描かれることが多いからこそ。
 出鼻を挫かれた挙げ句にこれだ。呆気に取られ、漸く我に返ったのは少女が不思議そうに首を傾げる頃。

「あー……えっと、俺が“萬屋ヤマダ”の山田一郎、……です。今日はよろしくお願いします」

「あぁ、ご丁寧にどうも。ですがどうか楽になさってくださいな」

 らしくもなく。家族や友人にでもするような口を利いてから、慌てて取り繕ったのだけれど。メイドの方はそれすら見透かしたように目を細める。
 軽く頭を下げる仕草。挨拶に、とスカートの裾を持ち上げる指先すら淑やかで、何故だか感動さえ覚えた。正に空想上の産物。その姿はメイドの理想形と言えよう。

「じゃあお言葉に甘えて……。あんたの名前は?」

 見透かされ、格好をつけ損ね。決まりが悪いと頭を掻くが、少女の持つ空気は柔らかで、恥じらいすら溶かしていく。
 しかし何時までも少女だとかメイドだとかと形容するのも可笑しな話だ。人には名前があるものだし、このように大きな屋敷だから彼女のような存在が他にもいるだろう。そんな時までメイドと一括りにしていては区別がつかなくなりそうだ。
 ……と、一郎は危惧したのだけれど。

「いいえ?一郎さまのお好きなようにお呼びください。例えば、そうですね……“お女中さん”とか“お手伝いさん”とか……そんな感じに皆さん呼んでいますよ」

「いやそれは……」

 可笑しな話だ。名前が無くてはこの時代生きていくのは難しい。しかもこんな大都会の真ん中で、名無しでどう生きてきたのか。そもそも“皆”とは誰のことなのか。この屋敷の住人皆がそういった役職で呼び合っているのか。……と。
 一瞬のうちに頭を駆け巡る幾つもの疑問。聞きたいことはいくらでも思いついたが、一郎は躊躇い、口をつぐんだ。
 一郎はただ雇われただけだ。この屋敷の片付け。それだけが仕事で、屋敷の決まりなんかに口を出す権利も理由もない。

「じゃあ俺が名前をつけてもいいか?メイドさんって呼ぶのもなんか分かりにくいし……いや、あんたが嫌ならいいんだが」

 ないが、提案を受け入れるのも“らしくない”。例え仕事であろうと、意思のない人形と関わり合うのは御免だ。一郎はただの人としてこの少女と接したいと思った。
 本当にそれだけだ。特別な意味などない。一郎からすれば彼女が提案したのと同じくらいに気軽なものであった。

「い、いいえ!とんでも御座いません!お名前、有り難く頂戴致します!!」

「お、おう」

 だと言うのに、だ。提案した一郎が思わずたじろいでしまうほどの食いつきよう。輝く少女の双眸に、一郎は驚きを呑み込んだ。
 ……もしかすると、彼女は中々複雑な環境で育ったのかもしれない。
 名前がない。上に、名づけにこれほどまでの喜びを露にする。勘繰るなというのが無理な話。両親はどうしたのか。この屋敷との関係はどんなものなのか。相変わらず疑問は尽きないが、今必要なのはそんなものではない。

「じゃあ、そうだな……名前、名前はどうだ?」

「名前……ですか?」

 悩み、考えあぐねた末。思い浮かんだのはその名だった。たぶん彼女に一番似合う名前。……だと、一郎は思う。
 それを彼女ーー名前は呟く。与えられたばかりの名を。噛み締めるように。抱き締めるように。呟き、そしてーー。

「有り難う御座います、一郎さま。今日よりこの名前、誠心誠意一郎さまのお手伝いをさせていただきますね!」

「こっちこそありがとな、助かるぜ」

 お手伝いをするのは本来一郎の役目なのだが、やる気に満ち溢れた彼女に水を差す必要もない。それに長丁場となりそうなこの仕事、案内をしてくれるのがこの少女ならば気持ちよく働くことができるだろう。
 そう思うくらいに彼女の纏う空気は清々しく、懐かしく、気持ちのいいものだった。

「あっ、御免なさい、お時間を取らせてしまって……」

「いや、俺の方こそ悪い。挨拶に随分手間取っちまったな」

「いえいえ。それでは早速ご案内させていただきますね。お屋敷の中は複雑怪奇に仕上がっておりますから、逸れないようご注意ください」

 きぃ、と錆びた音を立てて門扉が閉じていく。そうすれば一郎も最早この屋敷の一部。空は急速に縮まり、建物からの威圧感をまともに受けてしまう。
 が、それを他所に名前は笑う。童女のような純真さで。笑うものだから、不吉なその言葉にも一郎が気負うことはなかった。