フーゴ√【依存end】


5部主人公が『フーゴルート』かつ『依存エンド』を迎えていたら。
フーゴは病んでます。
原作終了後設定。恥じパ要素はほぼないです。





 あの日、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島の船着き場にて、ぼくたちはーーぼくと名前はブチャラティたちと決別した。
 その判断は時を経た今でも正しかったと思っている。組織に逆らわないこと。それは間違っちゃいなかった。少なくとも、ぼくの常識の範囲内では。
 けれどその後、事態は急転した。何が起こったのかーー大方の予想はつくがーーあの新入り、ジョルノ・ジョバァーナがパッショーネのボスとして表舞台に現れたのだ。
 そしてぼくらは風の噂に聞いた。ブチャラティやアバッキオ、そしてナランチャが亡くなったということを。
 名前が多くを語ることはなかった。最愛の人を亡くしたと知ってもなお。心中を詳らかにすることはなかったし、かつてを振り返ることもしなかった。ただ微笑んで、ぼくを抱き締めた。聖母のような優しさでもって、ぼくを抱き締めたのだった。
 けれど以来、彼女は遠くを見つめるようになった。それとはわからない風に。或いは当人でも気づかぬ内に。
 それはふとした瞬間に訪れた。鍋に火をかけている時であったりだとか、会話が途切れた刹那にだったりだとか。どこか遠くに馳せられた眼差し。その仕草を見つけるにつけ、ぼくは焦燥に駆られた。
 たぶん彼女の双眸があまりに透徹していたせいだ。フィラメントか若しくは硝子細工のそれ。触れれば砕け、形をなくす。そんな風に思われて、ぼくはとてつもない寒々しさに襲われるのだった。

「……大丈夫よ、フーゴ」

 そんなぼくを認め、彼女はやはり慈悲深く微笑む。黄昏時に鳴る鐘のような物悲しい響きを連れて。諦念にも似た懐の深さでぼくを抱き締め、その背を優しく撫でるのだった。
 ぼくはただ彼女に縋りつくばかり。子供じみた所作で彼女の肩口に顔を埋め、その温もりに安堵する。
 なのに、不安は消えない。
 ーー月日は流れ、わたしは残る。
 そんな詩の一編が耳にこびりついて離れなかった。

 季節が夏から秋に変わる頃。
 浅い眠りから目を覚まし、ぼくは隣で眠る名前の健やかな寝顔に胸を撫で下ろす。いつものように。
 けれどいつもと違っていたのはポストに彼女宛の手紙が入っていたことだった。
 かつての住み処、ネアポリスから離れた地。数少ない知人にも何も告げずぼくらは逃げるように立ち去り、今の地にようやく身を落ち着けた。だから手紙なんか滅多に来ることはなかったし……宛名を見た瞬間、嫌な予感がした。

「フーゴ?」

 いつの間にか彼女が後ろに立っていた。どうしたの?そう問う声は何気ないもののはずなのに、ぼくには詰問のように聞こえてならなかった。
 ぼくは一瞬だけ悩んだ。正直に話すか、否か。でもすぐにバレることだ。隠しおおせるわけがない。
 だからぼくは諦めた。「手紙ですよ、あなた宛の」諦めて、無抵抗にそれを差し出した。覚えのない名が差出人として刻まれた、忌々しい手紙を。

「私に?誰かしら……」

 そう言って首を傾げる彼女をじいっと見つめる。祈るような、願うような、……憎むような、複雑な心境で。
 たおやかな指先が封を切るのも、便箋を開くのも、いやにゆっくり見ることができた。彼女の目が驚きに見開くのも、瞳の奥が歓喜に揺れるのもーーぼくにはわかってしまった、最悪なことに。
 でもぼくはそれを口にはしなかった。どれだけ絶望的な気持ちに見舞われていようが悟られてはいけない。ぼくは彼女に隠れて拳を握り、唇を噛んだ。……血の味がする。そんな当たり前の事実にもまた不快感が募った。

「それで?どなたからだったんです」

 感情を抑えろと言い聞かせる。結果、ぼくはなんてことない風で彼女に訊ねることができた。
 そんなに関心はない。ただ少し気になっただけ。そんな顔で聞くも、視線は名前に吸い寄せられたまま。彼女の一挙手一投足が気になって仕方なかった。
 たぶん常ならば彼女も察してくれていたろう。あれで結構聡い人だから。
 ーーでも、この時は違っていた。

「旧いお友だちからよ。私のこと探してたって、ずっとずっと探してくれていたって……あぁ、私だってそれはおんなじだったのに」

 恐らくは喜びに目が眩んでいた。だからぼくの焦りにも気づかず、便箋から顔を上げることもしない。
 歓喜に潤む瞳は美しい。水面は鮮やかな藤色。赤い唇から溢れる吐息すらも色づいて見える。生き生きとーー人間らしく。輝く彼女は聖母などではない。年頃の少女だ。どこまでも自由に駆けていける、可能性の塊。
 ーーそれは、ぼくにはもう手の届かぬものだった。

「……フーゴ?」

 気づけばぼくは名前の手を掴んでいた。便箋を抱く手。その右側の手首を抑え込み、自由を奪っていた。
 しおらしい腕だった。少し力を加えただけで折れてしまいそうなほどに。名前の体はぼくにならどうとでもできる造りをしていた。彼女は儚く、脆く、美しかった。

「……行かないでください、名前。どこにも、行かないで」

 そんな彼女なのにーー彼女だからこそーーぼくはまた救いを求める。行かないで、捨てないでーー責めて、赦して。
 顔を歪めるぼくに、名前は静かな目を返す。

「……大丈夫よ、フーゴ。私はどこにも行かないわ」

 名前は言った。空いている方の手でぼくを抱き。頬を擦り寄せ、囁いた。

「どこにも行かない。あなたが望むようにするわ。あなたを責めるのも赦すのも、私がしてあげるから」

 だから泣かないで、と。そう言う名前の方にこそ熱いものが伝っていた。目尻から溢れ出す涙。それすらも宝石のように美しい。ぼくのために流されたものであるからこそ、きれいだと思った。

「でも、ねぇ、名前。日は暮れるし鐘は鳴るんです。月日は流れ、ぼくは取り残されるんですよ。流れる水のように美しかった恋も死んでいったし、このどうしようもない人生だけがこの先もずうっと続いていく。ぼくにはそれが……耐えられない」

 言葉は思いの外に弱々しい。掠れ、震え。それが本能的なものであると、思考した故のものではないのだと。そのはずなのに、言ってから浅ましくもぼくは思う。ーーあぁ、きっと。きっと優しい彼女はこの哀れな男を突き放せまい、と。これでよかったじゃないかと薄汚れたぼくは思うのだ。
 そして目論見通り、名前がぼくを拒絶することはなかった。

「ここはパリじゃないし私たちの間には川だって流れちゃいないわ。大丈夫よ、フーゴ」

 安心して、と名前はぼくの頬に口づけた。むずかる幼子を宥めるように。そこにあるのが愛情なのか定かでないままに。
 それでもよかった。彼女が隣にいてくれるのなら。それでいいのだと、息をつく。

「約束ですからね、名前……」

 これは呪いだとどこかで思う。もうひとりのぼくが胸中で嘲笑う。そんなものになんの意味が、価値があるのかと。嗤う声に、しかしぼくは耳を傾けない。今腕の中にあるものだけが幸福なのだと信じて。






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ーー月日は流れ、わたしは残る。
「日は暮れるし〜」
「ここはパリじゃないし〜」
はすべてアポリネール作『ミラボー橋』より。