クリスマスイブの話
十二月二十四日。といえばクリスマスイブなわけで。夜になれば街は猫の手も借りたいくらいの大騒ぎ。イルミネーションが霞むくらいに人々の顔は輝き色めいている。
ーーそんなだから当然萬屋ヤマダも大忙しで。
「〜〜〜、つ、つかれた……」
弱音を吐くなど男らしくない。常々弟たちに説いている一郎であったが、この時ばかりはまた別口。
仕事を終え、挨拶を終え。外を出た途端、ひとりでに出た呟きは深い溜め息と共に。精根尽き果てた、とばかりに脱力し、空を見上げる。
ちらちらと舞い散る粉雪。頬を掠めるそれに思うのはぼんやりとしたもの。そうか、ホワイトクリスマスか、なんて。沸き立つ民衆からは遠く離れたところで一郎は思う。
ーーなんの感慨もない。疲れたこの体には。
そう思った側、ふと脳裏を過るは少女の影。見慣れたお仕着せ。翻るスカート。振り仰ぐ、真白な笑顔。
「……だんなさま!」
思う、刹那。
呼ぶ声に導かれる。考えるよりも早く体は反応する。視線は人波を掻き分け、思い描いていた姿へと。
「お疲れさまです、一郎さま」
「名前、」
駆け寄った少女は白い息を吐く。その頬は紅潮し、肩は深く息を整える始末。よほど急いでいたのだろう。それと窺える様子に、一郎の胸は擽られる。
というのも、彼にはその理由がわかっていたからだ。彼女が急いていた理由。そのすべてが己に繋がっているのだ、と。少女の色づく瞳から察し、面映ゆいと頬を緩めた。
「あぁ、お疲れ。大変だったろ?よくやったな」
「えへへ……その御言葉を頂けただけで何もかもが報われた心地です」
頭を撫でる。というと幼子にするような行動であるが、しかし彼女にとってそれは何よりの褒美。嬉しいと、名前は顔いっぱいで表現する。
そんな彼女は現在山田家に身を寄せている。つまりは居候の身の上だ。
可笑しな館を出た後。他に行く宛もなし、となった少女はしかし存外に逞しく。野宿の心得はありますので、と述べ、その言葉を実践に移そうとしていたのを……無論止めたのは一郎だ。
野宿など少女のするものではない。平和を敷き詰めた今の世でも危ないものは危ない。そもそも館を出た時点で、一郎にとって答えはひとつだった。
そうして名前は山田家の一員にーー彼女の言うところでは家政婦もしくは使用人らしいがーーなったのだ。
そんな彼女も一郎と同じく仕事に励んでいた。その証とばかりに、名前は得意気な顔をする。
「よく働いてくれたから、ってケーキを頂いてきました!おうちで寝かしてきたので、帰る頃には冷や冷やの食べ頃になってますよきっと!!」
「おお、えらいえらい」
「あっ、あんまり褒めないでください!これ以上鼻が伸びたら大変です!」
ころころと変わる表情。ふふんと胸を張った。かと思えば、頬に朱を滲ませ、小さな指で鼻先を押さえてみせる。ともすると幼子のような。
けれど一郎にとっては何より愛しい女の子の顔だった。
「しかし一度家に帰ったってことは……わざわざ迎えに来てくれたのか?」
「はい!弟ぎみも……特に三郎さまがそうすべきと仰いますので……これは是が非でも、と」
「そうか……」
一郎にはすぐにわかった。弟たちの意図すること。要するに……気を遣われたのだ。
まったく、弟に気を回されるなど情けない。そう思うと同時に込み上げるのは……なんだろうか。こそばゆく、けれど不思議と心地がいい。そんな感覚に暫し戸惑わされる。
が、「どうかなさいました?」と覗き込まれ、否と首を振る。それから一郎は然り気無くその手を取った。寒さに悴む指先を。不意の温もりに驚くのを絡め取り、引き寄せた。
「そんじゃあ早いとこ帰ろうぜ」
「……は、はいっ!」
二人、地上の星々の海をゆっくりと歩む。言葉とは裏腹に、噛み締めるように。目にも眩しい景色を、名前は感嘆の声を洩らしながら見回していた。
「すごいですねぇ……。先程よりもずうっときらきら光って見えます」
貴方と一緒だからでしょうか、と名前は臆面もなく小首を傾げる。……ものだから、一郎としては何も言えない。はいともいいえとも。「あぁ、」と曖昧に顎を引くことしか。できないのを、内心でどれほど後悔し、罵倒したものか。
しかし彼女は気づかない。気づかず、笑顔で言葉を続ける。
「そうそう、ケーキなんですけど、せっかくなのでアソートケーキなるものを選んできました!これなら皆さん仲良く分け合えますよね」
「そうだな。けど一番に選ぶのはお前でいいからな?」
貰ってきたのは彼女だ。だから好きなのを選べばいい、と一郎は勧めた。何の気なしに。
けれどそう言われて名前は眉尻を下げた。「ええっと、」どうしよう。ありありと刻まれた戸惑いに、一郎の方が困惑してしまう。
「なんだ、そんなに好きじゃなかったか?」
「い、いえ、そういうんじゃないんですけど……」
惑い、名前は仰ぎ見る。困ったような顔で、一郎を見て。
「なんだか私、もうすっかり満足しちゃってるみたいで。さっきまではどれにしようかなぁと悩んでいたはずなんですが」
彼女はそこまで言って、照れくさそうに笑みを食んだ。
「一郎さまに褒められたのがよほど嬉しかったみたいです……」
こう言われて。
次に困ったのは一郎だった。まず初めに虚を突かれ、次に言葉を噛み砕き。そうしてから一気に競り上がるは嬉しさと照れくささ。その感情を認め、されど真っ直ぐに受け止めることもできず、一郎は頭を掻いた。
「……せっかくなんだし、もっと欲張ってもいいんだぞ」
今夜はクリスマスイブ。待ち合わせる人々の手には贈り物が隠されている。そしてご多分に漏れず、一郎も少女へのプレゼントを用意していた……のだが。
「ええっ、もうこれ以上は堪忍してくださいっ!お腹はち切れちゃいますよぅ」
名前は胸の前で両手を振る。冗談などではなく本気なのだと窺えるほどの慌てぶり。その様子に、一郎は密かに溜め息を吐く。
ーーはてさて、どうしたものか、と。