ミスタ√【ハプニング】承
小さなベッドの中でミスタは頭を抱える。
ーーどうしてこんなことになったのか。
溜め息をひとつ。吐くと、それだけで隣の温もりが小さく身動ぐ。
「ごめんなさいミスタ……狭いわよね」
「いや、お前が謝るようなことじゃねぇよ」
窺う目。憂いに揺れる瞳につい思わず。答えてしまってから、これじゃあ何の解決にもならないじゃないかと気づく。
ここで肯定し、名前にベッドを明け渡せばよかったのだ。そうすれば名前は安眠できるし、ミスタも悶々とした気持ちを抱えずに済む。ちょいとばかし寒いのは……我慢すればいいだけの話。
一石二鳥。一挙両得。万事解決じゃないかと考えるのに、ミスタの口は思うように動かない。
それは何もベッドの温もりが恋しいというからではない。古ぼけた掘っ立て小屋に不釣り合いなほど柔らかなベッド。そんなものを惜しいと思うほど狭量なミスタではなかった。
真に手放しがたいと思ったのはーー隣て横たわる名前の存在だ。
小屋に一つしかないベッド。夜も深まる頃、名前は決断を下した。
『……仕方ないわ、ここで一晩明かしましょう』
これが夢でなければあり得ないこと。慎み深い名前らしからぬ誘いの文句に、さすがのミスタも言葉を失った。
ーー今、なんと言ったのか。
問い返しかけて、止める。
名前の頬は、乙女らしい羞じらいが滲んでいた。
そうして二人は共に寝床へと入ったのだがーー落ち着いて眠れるはずもなく。微かな呼吸音すら気になって、息を詰める。とすると今度は心音の速さが頭を揺らして気もそぞろ。眠りは遠ざかるばかりである。
ーーこれは徹夜だな。
ミスタは確信し、心中でまた溜め息を溢した。
「……ね、ミスタ、」
「ん?」
「あなたは赤ずきんがどんな話か知ってる?」
ーーだが、緊張しているのは何もミスタばかりではない。
落ち着かない沈黙。痺れを切らしたのは名前が先だった。
ミスタは天井を見上げたまま、視線だけを名前にやった。それだけだったのだけれど、ケープを脱いだ首筋の白さが目についてまたすぐに視線を戻す。
「どんなって……アレだろ?狼に気をつけなさいっていう」
「……うん、そう……なんだけど、ね」
何だか妙に歯切れが悪い。名前は唇を噛み、目をさ迷わせる。座りが悪いというか……躊躇いがあるというか。ともかく名前の囁きは頼りなく、蝋燭の炎のように揺れ惑っていた。
「じゃあ……この物語の伝えたいことってなんだと思う?」
「……知らない人の言うことは聞くな、とか?後は……そうだな、銃ってのは何よりも強いって考えにはオレも賛成だな」
夜の闇は足元を覚束なくさせる。今立っている場所も不確か。魂は浮遊し、心は止まり木を探してさ迷う。
その居心地の悪さといったら!だからミスタは殊更明るい語調で冗談を飛ばした。常の名前ならこれに乗ってくれるはずだ。乗ってくれれば……いつものような関係でいられる。いつものような、気の置けない友人に。
ミスタは息を止めて名前の様子を窺った。そうしても表情すら定かではない。灯りは朧な月光のみ。ミスタは名前が何らかの反応を示すのを待った。どきどきと煩い心臓を押さえつけながら。
「赤ずきんにはね、」なのに名前はいつものようには笑わなかった。「昔から色々な考察があるの」淡々とした声はいっそ恐ろしいほど。なんの感情も洩らさず、名前は続ける。
「でも一番有名なのは……」
ゆらりと起き上がる名前。ミスタはそれを見守ることしかできない。彼女の手がサイドテーブルに伸びるのも、その指が飲みかけのワイングラスを持ち上げるのも。ーーその中身が、血潮の如き模様をシーツに描くのも。
「赤いワインは処女性、赤い頭巾は罪と女の証。そして狼と猟師は男の相反する性質……誘惑する者と庇護する者を表しているのよ」
ミスタ、と囁く声はどこか遠い。なのに心臓を撫で上げられる感覚があった。心臓と、それから背筋をぞくりとしたものが駆け抜けていく。
しかしそれは露のように消え去るものではなかった。点された熱は容易にはなくならない。ミスタ、と。名を呼ばれた、ただそれだけで……小さな熱は生まれ落ちてしまったのだ。
だからすぐには反応することができなかった。
「っ、お、おいッ!?」
気づいた時にはもう目の前。上半身を倒した名前がミスタを覗き込んでいる。流れ落ちる金糸は自然の天幕。その先が頬を掠めるだけで、ぞわりとする。
「しっ!……しずかにして」
菫色の瞳。夜空のような深い色の目に見つめられると何も言えなくなってしまう。顔の横に置かれた手は細く、頼りない。
なのにミスタは払い除けることができなかった。白露のような容貌が距離を詰めてくるのも、燃えるように紅い唇が寄せられるのも。永遠ともいえる時間が確かにそこにはあったのにーー温もりが重なるのを唯々諾々と受け入れていた。
いや、それは正しくない。本当のところはミスタもそれを望んでいたのだ。だから抗うことをしなかったし、それどころか気づけばその手は名前の後頭部に回っていた。