米との合同捜査に巻き込まれる


そしかい後。
二次創作ではよくある米との合同捜査が入ったせいで降谷さんとのデートがおじゃんになって赤井さんに当たり散らす話(……)。






 名前の恋人は、今どき珍しいくらいに折り目正しい。

「すまない、名前!」

 帰宅した途端、そう謝る彼のお辞儀はきっかり九十度。一度分度器で測ってみたいくらいだなんてぼんやりと思う。思ってから、はっと我に返り、「そんな謝らないで、」と狼狽えた。

「いいの、休みの予定くらい……、仕事が入ったんでしょう?それなら仕方ない、気にしてないから」

 明日は土曜日。ついでにいえば驚くくらいの快晴、らしい。……つまりは絶好のデート日和というわけで。「どこに連れていってくれるの?」「秘密」なんて会話を交わしたのも未だ記憶に新しい。
 その約束が反故にされ、悲しくないと言えば嘘になる。残念だ、寂しいな。そう思わないこともない。『その手』のことには疎い名前であったけれど、それでも一通りの感情は習得していた。なんともまぁ厄介なことに。

「……嘘だ、強がらないで」

「零……」

 ……だから優秀な警察官である降谷零には見透かされてしまうのだが。
 名前は何時も通りに笑ったつもりだった。笑って、両手を振って。『気にしてないから』──気にしないでほしい。心からそう思っているはずだったのに、零はくしゃりと顔を歪めた。そしてそのままに名前を抱き締めた。
 彼の声は掠れていた。本当に、心底から苦しそうだった。聞いた名前が痛みを感じ取って顔を顰めるくらいだった。
 ──あぁ、相手に気づかれず気を遣うことのなんと難しいことだろう!
 名前は視線をさ迷わせ、それから零の背中にそっと手を回した。

「悲しいわ、楽しみにしてたから」

「……うん」

「でも、あなたがそんな顔をする方が……ずっとかなしい」

 息を呑む、おと。ぱっと剥がされる体。それを惜しいと思ってしまう心のなんと我が儘なこと。でも悪くはない気分だった。名前は笑って、零の手を取った。

「仕事をするあなたがすき。仕事をしてなくても好きだけど、でもやめられないのがあなたでしょう」

「……あぁ、」

「だから気にしてない。……本当に。だってあなたは約束を破るような人じゃないから」

 ──埋め合わせ、してくれるんでしょう?
 悪戯っぽく言うと、彼は目を見開いた。それがきゅぅっと震えて、そしてまた見えなくなる。

「わっ!」

 それは抱き締められたせいだと気づくのにそう時間はかからなかった。でもどうして彼がそうするのかはわからない。しなやかな腕にぎゅうぎゅうと押さえ込まれながら、名前は自分の言葉が果たして正しいものだったのか思い返していた。
 日本語はすっかり学んだつもりだった。でもこういう時になるとどう言うのが正しいのかわからなくなる。どうすれば自分の心を余すことなく伝えられるのか。……伝えられているのか、不安になる。

「零?」

「ん?」

「あの、えっと……」

 でもだからってどう聞けばいいのだろう?『元気になった?』……それも何か違う気がする。『頑張って』?……仕事は頑張るのが当然だ。彼に今さら言うことではない。

「……ありがとう、名前」

 ぐるぐると考え込むうちにますますわからなくなる。勝手に自分を追い詰めている名前に、零はくしゃりと相好を崩した。
 その微笑みの美しいこと!どこの教会のステンドグラスだというくらいの眩しさに目を瞬かせていると、その額に彼が唇を落とす。
 ほんの一瞬。けれど確かに触れた熱に、名前は反射的にその場所を押さえた。

「……できるだけ、早く片付けるから」

「え?あぁ、うん……」

「だから、待ってて」

 ぽかんとする名前を置き去りにして、零はもう一度その体を抱き締める。そして今度はすぐに離し、家を出ていった。急に入ったという仕事を宣言通り片付けるためだろう。
 その背を見送り、ふと名前は鼻を蠢かせた。

「……におう」

 そういえば、先程までは他に気を取られていたが。
 ──零からは、普段はしない臭いがしていた。



『……それで俺に電話をかけるとは』

「だってあの臭いはあなたのに違いない」

 名前の行動は早かった。部屋に戻り、携帯を手に取ると、欠片の迷いもなくひとつの番号にかけた。
 携帯から響く声。低いそれが色っぽくて堪らないと言っていたのはどこの誰だったか。最早思い出せないが、名前からすれば苛立つだけであるその音色。
 ──赤井秀一は、はぁ、とこれ見よがしに溜め息を吐いた。

『彼らは匂いなどには一際注意を払っていると記憶してるが。……なるほど、君、警察犬になったらどうだ?』

「あなたの臭いがきついのがいけない。イギリスの高慢ちきな臭いとアメリカの油臭さ、それから煙草!色々混じりすぎて吐きそうだった」

『詳しいな、ファンか?』

「まさか」

 名前は苛々と机を叩いた。
 赤井秀一。彼との因縁は消化されたはずだが、何故だかこうして新たな禍根が生まれようとしている。たぶん根本的なところで彼とは合わないのだろう。
 ちなみに彼の番号はジョディから聞き出した。以前は何かといがみ合っていたが、組織を巡る一件が片をつき、取り巻く要素を取っ払って彼女個人と相対してみたら存外馬が合ったのだ。彼女の真っ直ぐな物言いだとか根底にある正義感だとか、そういう眩しいものが名前は好きだった。

「零を返して。いつもの彼ならもっといい匂いがするはずなの」

『例えば?』

「日溜まりの匂い」

『ダニの死骸がなんだって?』

 ……ただまぁ、男の趣味についてはいただけないが。

「……血生臭いあなたが言う?」

 こんな男のどこがいいのだろう?復縁する素振りはないが、もしそうなったら断固反対だ。彼女なら他にもっと釣り合いのとれた男がいるだろう。
 そんなことを思いながら言い返す。と、電話口で笑い声がひとつ。ずいぶん楽しそうだこと。名前は口許を引き攣らせた。

「ともかく、あなたたちが零を巻き込んだってことはわかってる。合同捜査かなんだか知らないけど、早く零を解放して」

『……熱烈だな』

 ふう、と息を吐く音。また煙草でも吸っているのだろうか。電話越しだというのに煙が立つように思えて、名前は眉を寄せた。

『俺以外とは考えなかったのか?例えば他の女だとか?』

 ──その耳に、悪魔は囁く。

『俺だと思い込みたいだけなんじゃないか?男の俺なら、と』

 言葉は続く。淡々としたもの。故に鋭利なもの。
 名前は、息を吸った。

「勘違いしないで」

 携帯を握り締める。不思議なほど穏やかな心。彼は名前を動揺させたかったのかもしれないが、それなら最初から質問が間違っている。

「女の臭いなら気にしなかった。そういうことがあるかもしれない、……そう、仕事なら理解できる」

『……仕事じゃないかもしれない』

「仕事じゃないなら彼はそんな選択をしない。私の鼻の良さくらい彼は把握してるもの」

 名前は笑った。彼のことを想う。それだけで温かなものが胸に満ちる。彼は何時だって名前に春を運んでくれる。手放したもの、手放したと知らなかったものまで──彼は連れてきてくれる。

「心が移ったなら彼は私を傷つけない。そうするくらいなら自分を傷つける道を選ぶ。だから女の臭いなんてさせない。私が何より早く気づくってわかってるから」

『…………』

 沈黙する携帯。けれど名前はそれを睨み据え、言葉を連ねた。

「私は『あなた』だから怒ってる。気に食わない。腹立たしい。……妬ましい。『彼』の力になれるのが、羨ましくてしようがない」

 言い切ると、体が軽くなったような気がした。鬱憤でも溜まっていたのだろうか。確かに赤井秀一相手には言いたいこと、つけたい文句は山ほどあるが……。

『……っく、ははっ』

 電話の向こうから聞こえてきたのは先刻とは比べ物にならないくらいに大きな笑い声だった。煩いな、と名前は眉間に皺を作る。咄嗟に携帯を遠ざけるくらいだ。まさか赤井秀一がこんな笑い声を立てるとは思いもしなかった。

『素直だな、君は。羨ましい、か。……同じ言葉を返すよ』

「は?」

『いや、なんでもない』

 赤井秀一は時々よくわからないことを言う。アメリカンジョークだろうか。名前はもうこの日本という国に身も心も捧げてしまっているからその手のことは生憎と管轄外だ。

『出来る限りのことはしよう。君に貸しを作るのも悪くない』

 怪訝に渋い顔をしていると、電話の向こうからは何故だか朗らかな声がした。感情の振れ幅が大きすぎてついていけない。赤井秀一、そんな声も出せたのか。名前がそんなことを考えている間に電話は切れる。
 ツーツーと無機質な音が流れてしばらく。

「……貸しってどういうこと!?」

 はたと気づいた名前は青ざめ叫んだ。赤井秀一相手に借りができたなんてとんでもない!一体どんな要求をされるのかと考え、しかしそれで彼が帰ってくるなら……まぁいいか。思い直し、名前は立ち上がる。
 実のところ、待つのはそんなに苦じゃないのだ。彼を想っている時間だって愛おしいものに違いはない。

「……なんて、まさか私が思うなんてね」

 独りごち、名前は笑った。存外に、それは晴れやかな笑顔だった。