出会い〜原作前


 アバッキオにとって、名前の第一印象はきっと最悪なものだったろう。

「バカ言ってんじゃねぇッ!ここはガキが好奇心だとかで首を突っ込んでいいとこじゃねェんだッ!!」

 怒声に、名前は思わず首を竦めた。それは彼を揶揄ったのでも恐れたのでもない。ただ驚いただけだ。
 そう、名前は心底驚いていた。ほんの数回会っただけの自分に対して、目の前の青年が怒りを露にしたことに。まるで名前の身を案じるみたいな台詞を青年が吐いたことに。驚いて、目を見開いた。
 そんな名前を見下ろして、アバッキオは何やらハッと息を呑んだ。名前の後ろにはブチャラティがいて、アバッキオの側にはナランチャがいた。不承不承名前を受け入れたブチャラティと、事の成り行きをはらはらと見守っていたナランチャ。二人ともがアバッキオに視線を向けていて、彼は僅かにたじろいだ。そしてまた名前を見て、目をさ迷わせ──

「……まぁ、なっちまったもんはしょうがねぇ。精々迷惑だけはかけんじゃねーぞ」

 先程の勢いが嘘のように。アバッキオはそれだけを吐き捨てると、くるりと背を向けた。リストランテの個室は静まり返っていて、居心地の悪さにナランチャは身動いだ。それから沈黙を守っていたフーゴが咳払いをして、ブチャラティが名前の背中を叩いた。

「気にするな。ともかくお前はオレたちの仲間になったんだ」

 散々反対したくせ、ブチャラティは名前を気遣うような微笑みを浮かべた。彼は名前が傷ついているんじゃないかと思っているみたいだった。たぶん、とても仲間思いの人なんだろう。

「そ、そうだぜ!な、これからもよろしく頼むぜ!!」

 そんなブチャラティの様子に胸を撫で下ろしたのはナランチャの方だった。名前よりも余程彼女の心配をしていたナランチャは、ブチャラティが彼女を認める発言をしたのを本人以上に喜んだ。同時に、さすがブチャラティだと憧憬の念を彼に向けていた。
 そんなブチャラティとナランチャに「ありがとう」と答えつつ、名前はアバッキオを見た。
 名前はとある追っ手から逃げている最中だった。追い詰められ、海に身を投じた。生きるか死ぬか。どちらにせよ後悔はなかった。
 そして名前は目を覚ました。流れ着いたのは南イタリアカンパニア州ナポリ。どんな奇跡か、はたまたスタンド能力ゆえか。ともかく名前は息を吹き返し、そして親切な少年に助けられた。
 その少年がナランチャで、名前を病院に入れてくれたのがブチャラティだった。ブチャラティはなんの見返りも要求せず、ただ名前が回復することを一番に望んだ。
 そんな彼に恩を返したい。そう願うのは必定で、それを見舞いに来たナランチャに相談するのは至極当然のこと。訊ねられたナランチャが自身の過去を語り、そして自分たちがパッショーネという組織に属していることまで語ってしまうのも──彼の性格を考えればごく自然なことだろう。
 ──そしてその聞き覚えのある組織の名に名前が食いつくのだって。
 ともかくすべてが名前の我が儘だった。ブチャラティが望まないことを理解した上で、こっそりと彼の上司に接触を図った。そしてその男に認められ──名前は今ここにいる。

「……チッ」

 だからアバッキオにこういった態度を取られるのも納得していた。自分だって彼の立場に立ったら同じように反対しただろう。彼の言うことは正論で、仕方のないことだった。

「…………」

 ──そう理解していたのに、名前は微かな引っ掛かりを覚えていた。



「……オイ危ねぇッ!!」

「わっ……」

 鑪を踏む。と、目の前を駆ける風。頬を切るほどの感触に、名前はぱちりと瞬く。
 その眼前、すれすれを走り抜けていったのは一台の車。後から後からすごいスピードで通り過ぎていく影に、名前は「そんなに生き急いでどうするのかしら」と思う。
 ──そのぼんやりとした思考を見透かしてか。

「テメェなに呑気してんだ……」

 じとりと這うのは男の声。それは先程名前の腕を引いた男のもので、彼の手はまだきつく名前のそれを掴んだままだった。
 名前は目を上げた。レオーネ・アバッキオ。金色がかった瞳が特徴的なひと。そしていつでも仏頂面をしているひと。
 彼はひどい顔をしていた。整った顔をぐしゃりと歪ませて、彼は名前を睨んでいた。そのひりつく口許を見上げ、名前は「わぁ怖い」と洩らす。
 素晴らしい悪人面だ。綺麗な顔立ちをしているのに、いかにもって表情が驚くほど似合うのだから面白い。なんというか、見ていて飽きない。
 その心までは察していないだろうが、しかしアバッキオには洩れ出た一言で充分だった。

「い、ったぁ〜……」

「当たり前だろ、痛くしたんだからな」

 拳骨を落とされ呻く名前に、彼は片方の口角だけを持ち上げる。名前の目に涙が浮かんでいるのが嬉しくてしようがないって顔。やっぱり悪い顔だ。そう名前は思う。

「……けど、私を守ってくれたのよね?」

 思うけれど、でもその行動は裏腹。

「さっき、車に轢かれそうだ……って、引っ張ってくれたんでしょう?」

 彼が本心から名前を傷つけようとしたことは一度もない。むしろその反対。日本暮らしが長かったせいで戸惑うことの多い名前に、アバッキオはあれやこれやと世話を焼いた。勿論悪態をつきながら、ではあったが。
 ──しかし、心配してくれているのは本当だ。

「ありがとう」

 名前は笑って、ひょいと顔を覗き込んだ。
 アバッキオは目を見開いていた。虚を突かれたって顔だった。普段は野生の獣みたいに警戒を張り巡らしている彼が、今目の前であまりにも無防備な顔を曝していた。
 それが意外で──でも嬉しくて──笑みを深める、と。

「〜〜〜ッ、迷惑かけんなって言ってんだろーがッ!!」

 また顔を背けられてしまう。そして舌打ち。この辺はもうセットになっていて、隠されてしまった顔に名前は落胆の息を洩らす。残念、もっとその眼を見ていたかったのに。

「大体ッ!なにボサッとしてんだッ!?テメーやる気あんのか!?」

「やる気はよくわからないけど取り敢えず死ぬ気はないわ」

「じゃあもっとよく目をかっ開いておくんだな」

 どんどん離れていく背中を慌てて追いかけながら名前は言葉を紡ぐ。

「だって美味しそうなジェラートが売ってたから」

 思い出すのは先程通り過ぎたばかりのお店。ちらりと見えたのは色とりどりのメニューで、中には名前が初めて見るような種類もあった。珍しいものは挑戦してみたくなるのが名前で、どうせならナランチャも誘いたいなと帰宅を待つ少年に思いを馳せていたがために──というのが事の顛末。
 そう語ると、アバッキオはこれ見よがしに溜め息を吐いた。

「お前そんな呑気でよく今まで生きてこれたな……」

「うーん、みんなの助けがあってこそ?」

「だろうな」

 アバッキオは半歩遅れる名前を一瞥し、呆れ笑う。

「おら、ぼさっとしてんな、オレの視界にいろ。ちょいと目を離したからって死なれちゃさすがに目覚めが悪い」

「大丈夫よ、車に吹き飛ばされてもそのうち治るわ」

「んなもん見せられちゃメシが不味くなるだろうが」

 ──だから、仕方がない。
 アバッキオはそう言って、名前の肩を抱き寄せた。彼の体は車道側にあって、名前の視界には必ず彼がいた。同じ速さで歩く彼がいて、名前はまた心に小さな引っ掛かりを覚えた。
 それは小骨のようだった。一度はそう考え、しかし内心首を振る。それじゃああんまり美しくないわ。何故美しさを求めたのかまでは考えず、名前は思考する。
 どうせならそう、薔薇の棘がいい。真っ赤な薔薇。燃えるような目映いような赤色。そんな棘だったらいいと名前は思った。その理由はやはり考えてすらいなかった。