ジョルノの妹になる
ぼくの『妹』を名乗る人はぼくと同じ黄金色の髪をしていた。ただ違うのは、ぼくのが後天的であるという点だ。
……いや、異なる点なんか数えきれないほどある。これまで歩んできた人生。ぼくよりも早くにスタンド能力に目覚めていた彼女。ぼくよりも早くに父の『秘密』を知っていた彼女。ぼくよりも早くにぼくらの業を悟ってしまった、彼女。
けれど彼女がぼくを見て一番にしたのは、「わぁびっくり」と両手を挙げることだった。その仕草は芝居がかっていて、だというのに声の調子はまったくの反対。棒読みもいいところで、しかし不思議とぼくが困惑することはなかったし、不快感を抱くことも無論なかった。
ぼくは穏やかな気持ちで「何がですか?」と訊ねた。身構えていたはずなのに、緊張感は遥か後方。ぼくは彼女を真っ直ぐに見つめた。彼女もぼくを真っ直ぐに見つめた。
そして、それから。
「だって本当に見事な金色なんだもの。写真じゃ黒髪だったから……。あぁでも……よく似合ってる」
それから彼女はくしゃりと笑った。無邪気に、快活に、年頃の少女らしく。ぼくと同い年の女の子は、その生い立ちを少しも窺わせることのない透き通った笑顔を浮かべた。
彼女は「名前」と名乗った。姓の方は言わなかった。ぼくも「ジョルノ」とだけ答えた。彼女も姓については聞いてこなかった。ぼくらにとってそれは必要なことではなかったからだ。今までも、これからも。たぶんこの先、一生だって。
そしてぼくらは固い握手を交わした。きっと長い付き合いになることだろう。そんな予感がした。十五歳。春の終わりのことだった。
ぼくはこの邸の主人として──先代のボスが所有していたもののうちのひとつだ──彼女の前にコーヒーを注いだ。ここは無難にカフェを。
けれど彼女は「カプチーノが好き」と言った。だからぼくは「淹れろって言うんですか?」と意地悪げに口角を上げてやった。
この邸に使用人はいない。元よりそういう方針だったらしいので、ぼくも新しく雇うことはしなかった。身の回りの世話くらい自分でできるし、信用に足る使用人を探す時間の方が無駄に思えた。
だからこの邸にも通いの掃除夫がいるくらい。そんなわけで彼女の願いを叶えるにはぼくの手が必要だった。
でも彼女が慌てることはなかった。ぼくが冷ややかなフリをしても平然とした顔。「次は覚えててね」と悪戯っぽく笑って、片目を瞑った。
だからぼくもそれに応えて、溶けきらないくらいの砂糖をカップに入れてやった。
「うわぁ、すごいね」
乾いた拍手。思ってもないって顔で手を叩く名前に、ぼくの方が首を傾げる。
「浸かってじゃりじゃりになった砂糖って美味しいじゃないですか?」
「そうなの?うーん、……でも遠慮しとく。なんか酔いそうだし」
遠慮しなくていいのに。
そう続けるのも面白そうだったがやめておいた。そうしてしまったら話が進まないからだ。
ぼくは促すためにカップをソーサーに戻した。彼女もまたぼくの様子を察したのか、添えられたドルチェに舌鼓を打つのを止めた。
名前はぼくを見つめた。ぼくの妹。鮮やかな金の髪。瞳は蒼、深い海のようで澄んだ空のようでもあった。
ぼくが生まれたのは春のことだった。だからきっと彼女は夏が似合うのだろう。そんなことをふと思った。ぼくが春に生まれたのなら、彼女はよく晴れた夏の午後、或いは見事な星空の下に生まれたに違いない。
「突然ごめんね、忙しかったでしょ?」
名前は右手を顔の前にやって頭を下げる仕草をした。片方だけ瞑られた目。どうやらそれが彼女の癖のようだ。それでカフェよりカプチーノ派。もう片方の目はぼくを窺い見ている。が、それは消極的なものではなく、むしろこれより先の季節を予感させるものだった。
「いえ、ぼくもあなたに会ってみたかったですから」
「私も……っていうのは知ってるか。うん、私たち両想いだね」
「そうですね。まぁ当たり前と言えば当たり前ですが」
『両想い』と言うとき、彼女は悪戯っぽく口角を上げていた。名前はそういう冗談が得意なようだ。きらきらと瞬く瞳は、ぼくにある反応を期待しているように思われた。
……その期待に応えたら、彼女はどんな表情を見せるだろう?してやったりという大人びた顔?それとも悪戯が成功した無邪気な子供の顔だろうか?
でもぼくはさらりと受け流すことにした。そうしてから、密かに不満足げな顔をするのを認めた。口を尖らせ、むぅっと頬を膨らます表情。でもぼくの視線に気づくとそれもぱっと霧散し、「だよね」と頷いてみせた。
「……うん、やっぱりキミも知りたかった?……父親のこと」
「……少しは」
『父親』、と言うとき、彼女は微かな躊躇いを覗かせた。他に適切な語があるんじゃないかっていう躊躇。それはぼくにもわかる感覚だった。
ぼくが『父親』のことを知ったのはパッショーネのボスとなって二ヶ月ほど経った頃だった。ポルナレフさん伝いで空条承太郎という人から説明を受けた。
彼らは仲間をぼくの父親に殺されたらしい。ポルナレフさんは『気にすることはない』とぼくの肩を叩いた。承太郎さんは……どうだったのだろう。彼の表情はどんな話の時も動かなかった。糊で固められたみたいだった。凍りついた表情。時間が止められたよう。それはもしかするとぼくの父親のせいかもしれない。……いや、『ぼくたち』の父親か。
その時に合わせて知らされた。ぼくの兄弟のこと。今SPW財団が把握していて、『父親』のことを知っているのはぼくと名前だけだと聞かされた。ぼくの兄弟。血の繋がった家族。母親以外の家族。
それに特別な期待をしていたわけじゃない。ぼくはただ自分のことが知りたかった。母親も語らなかったぼくのこと。ぼくの父親のこと。ぼくの兄弟のこと。
「聞いても楽しいことはないけど、ね」
「わかってます。……覚悟の上ですから」
「……そう」
腹を括っている。そう示すために力強く頷いた。ぼくは真っ直ぐに彼女を見返した。苦く笑う彼女を。
静かに見つめると、名前も笑みを引っ込めた。一瞬、伏せられた目。その奥には揺らぎがあった。悲しげな、苦々しげな──痛みを堪える、ような。
そんな表情をちらりと見せ、しかしすぐに名前は気安い笑みを口許に刷いた。
「とはいっても私も会ったことはないんだけどね、残念ながら。お墓だってないし、承太郎さん……は知ってるよね?あの人から聞いた話がほとんど。父の部下には今でも生きてる人はいるらしいけど……財団が会わせてくれるわけはないしね」
ひょいと肩を竦める仕草。そこに先程の儚げな様子はない。
彼女はなんてことないって顔で自分の知る限りのことを教えてくれた。ぼくたちの『父親』がいかに残酷で、非道であったかということを。そしてポルナレフさんたちがいかに優しく、親切だったかということを。
「……君の母親は?」
しかし彼女の話の中に彼女の母親のことは一欠片もなかった。彼女は『父親』にしか興味がないようで、まるで『父親』一人に産み落とされたみたいだった。
……聞くべきではないのかもしれない。
そう思ったのは事実。けれどぼくは足を止めなかった。彼女を傷つける可能性を考えなかったわけではない。それでもぼくは知りたかった。ぼくの兄弟のこと。……たった一人の家族になるかもしれない彼女のことを。
彼女はぼくの問いに一瞬だけ動きを止めた。ぱちり、瞬きひとつさえもぼくにはよく見えた。
「じゃあ聞くけど、あなたのお母さんは話してくれた?」
しかし彼女の目からはどんな感情も読み取れなかった。凪いだ海。或いは星ひとつない夜空。青色は光の加減で漆黒にも思われた。ひたひたと滲み出る黒。窓の向こうでは太陽に雲がかかっていた。穏やかな真昼。落ちる影。彼女の目許には深い影が差していた。
ぼくは静かに首を振った。「いいや、これっぽっちも」ぼくは母親のことを思い出していた。美しい人だった。けれど、深い感慨はなかった。思い出してみても──彼女に見捨てられた幼少期のことを思い返しても──何も感じなかった。
「でしょ?たぶんなんにも知らなかったんだよ、あの人は……あの人たちは……可哀想な人、」
彼女もまた『母親』のことを感情の籠らない声で言い捨てた。可哀想な人。そう言いながら、哀れみは微塵もなかった。だからといって憎しみがあるわけでもない。彼女の声には何もなかった。
「ってわけで実りはないの。ごめんね、私の自己満足に付き合わせちゃって」
けれど彼女はすぐに笑みの下に隠した。何もかもを仕舞い込み、笑顔で取り繕った。
「いえ、ぼくも望んだことですから。それに自分のルーツを少しでも知りたいのは普通のことでしょう?」
「……うん」
そして、ぼくも。それ以上を訊ねることはしなかった。訊ねなくてもその感覚は理解できた。ぼくたちは兄弟だった。育った環境は違うけれど、ぼくたちは他の誰より似ていた。そのことをぼくたちはもう既に諒解していた。言葉は必要なかったのだ。
「また連絡してね。私たち、兄妹なんだもん。助け合おうよ。例えば……そう、スタンドのこととかなら……少しは役に立てると思うから」
それからやがて彼女は時計を見て、ティーカップを置いた。
彼女はぼくとは違い、全うな生活を送っていた。アメリカの学生だ。それがわざわざ短い休みを使ってイタリアまでやって来ていた。ぼくらには時間がなかった。それは承知の上であったのに、ぼくはなんとなく別れがたいと思った。しかしだからといって都合のいい口実があるわけもなく。
「はい。……あの、あなたも。連絡、待ってます」
「……うん、」
名前もまた迷いを滲ませたが、すぐに笑みを浮かべ、ぼくの頬に唇を寄せた。
「じゃあね、ジョルノ。……いつでもお姉さんを頼ってくれていいんだからね!」
離れる温もり。彼女はぼくが応えるよりも早くに手を振り、身を翻した。階下では彼女をここまで連れてきてくれた財団職員が待っている。彼らに迎えられ、彼女は車に乗り込んだ。行き先は空港、遠ざかる影を名残惜しく見送り、ぼくは自室に戻った。
手元に残ったのは彼女の個人的な連絡先。ぼくがすぐに考えたのは時差についてのことだった。そして、それからようやっと彼女が最後に残した言葉に首を傾げた。
「『お姉さん』……?」
資料によれば彼女はぼくの妹だ。そのはずだ。歳は同じなのだから拘ることもないが、気にならないこともない。
だから気づけばぼくはいつの間にか彼女の電話番号を押していた。別れたばかりだというのに。なのに深く考えることもなくぼくは彼女を電話口に呼び出した。
『私、弟がほしかったんだよね』
電話の向こうでは心地いい笑い声が響いていた。
こんな些末ごと、しかし気分を害した様子はない。むしろ楽しげで、お陰でぼくも躊躇いは吹き飛んだ。
この日からぼくはつまらないことで彼女に電話をするのが趣味になったし、彼女もまた電話だけでなく手紙や写真を送ってくるようになった。それは普通の家族のようで、そのたびにぼくは温かい気持ちにさせられた。