ジョルノに想われる【後日談】


 手入れの行き届いた庭園の頭上ではどこまでも澄み渡る青空が広がっていた。
 今日のよき日には相応しい晴天だ。ミスタは思う。やはりジョルノは持っているな、と。感心しながらミスタは正装したボスを眺めた。
 挙式を終えたばかりのジョルノは神々しいまでに晴れやかな笑顔を浮かべていた。金の髪はそれ自体が高々と照る太陽であり、蒼の瞳は何者をも包み込む鷹揚さがありながらも力強く光っていた。繊細な鼻梁、大理石の肌。そのすべてが今は研ぎ清まされ、神秘を体現している。
 友人であるミスタでさえそう感じられるのだ。彼をボスと慕い、畏れ、敬う人々にとっては目に痛いくらいであったろう。その証拠に挨拶に伺う部下たち、友人たちが彼へ向ける眼差しとしたら!陶酔に浸りきっており、足取りも夢うつつである。

 ──尤も、それは花嫁が隣にいてこそだろう。

 挙式は花婿だけでは成り立たない。もう一人の主役である花嫁もまた殆ど人間離れした美しさを放っていた。
 色彩豊かに飾り立てられたステージの上、花婿の隣で穏やかに微笑む女性。その表情は聖母を描いた絵画に瓜二つと言ってもいいほどだった。シルクの花嫁衣装と同じくらいに透き通った肌、華奢な輪郭、可憐な鼻筋。そして何より慈愛に満ちた清らかな瞳と見事に結い上げられながらも溌剌とした光を放つ金襴緞子の髪が人々の目を惹いた。
 ミスタは彼女とも友人であったけれど、こんなにも満ち足りた顔を見たことはなかった。ジョルノに関してもそうだ。彼がこれほど無邪気な喜びを露にする日が来るとは思わなかった。彼らは間違いなくこの日一番の幸福者であった。少なくともミスタにはそのように思われた。
 広大な庭園には軽やかな楽の音が響いていた。弦楽器を操るのはこの日のために招かれた一流の楽団だ。数百にも及ぶ客人の間を滑らかに流れていく旋律。花を添えられるのは人々の談笑であり、ダンスであり、穏やかに流れる時間であった。

「名前!」

 その間を縫って花嫁へと呼び掛ける声。それは花嫁付添人のうちの一人である女性のもので、彼女は内側に緩く巻いた髪を揺らしながら親友である名前の耳許で何事か囁いた。
 それを聞いた名前はハッと息を呑む。次いでその瞳に広がるのは──歓喜の色。彼女は花婿に一言声をかけると立ち上がり、親友と共にステージを降りていく。その背中をミスタは静かに見送った。
 屋敷の前に一台のタクシーが停まったのはとうに気づいていた。車から降りてくるのが子供連れの夫婦であることも。──男の方が、花嫁の古馴染みであることも。
 名前は笑顔で彼らを迎えた。妻とその娘の頬に口づけをし、男とは固い握手だけを交わしていた。名前は彼らが来るのを待ち望んでいたし、心から歓待していたが、しかし同時に慎み深さも忘れてはいなかった。

「──おいジョルノ、おっかない顔すんなよ」

 でもそんなことこの嫉妬深い花婿には関係のないことだろう。

 客人たちに気づかれないよう、ミスタはひっそりと耳打ちした。対してジョルノはといえば「仕方ないじゃないですか」とあっさり首肯する。そのあっけらかんとした態度、けろりとした物言い。ミスタとしては半分冗談で言ったものだったから、思わず引き攣り笑いが溢れる。

 ──平然としているように見えて、やっぱり内心では気にしていたのか。

 いやでもそれでこそイタリア人とも言えよう。ジョルノにはこの国の血が一滴も入っていないが、そういうところはとてもイタリア人らしい。
 まぁでもそれだけ愛してるっていう証だ。そう納得してしまうミスタは生粋のイタリア人であった。

「それよりミスタ、気づいたんなら然り気無く牽制してきてくださいよ」

「いやオレの仕事はお前らの護衛なんだけど」

「これだって立派な護衛ですよ」

 腕組む姿はそれだけで威厳がある。ギャング組織パッショーネに相応しい風格。でも口にしているのは公私混同もいいところな依頼である。
 「あいつに護衛なんか必要ねぇだろ」ミスタは溜め息を吐いて視線を名前の方へと戻した。
 彼女は来たばかりの友人家族に食事を勧めているところだった。特に幼い子供のことを気に入っているらしく、やたらと構いたがっている様子。料理の舌休めに並べられたソルベを少女の口に運んでいた。
 その様子を見るに、ジョルノの心配はまったくの杞憂であろう。護衛なんか必要ない。ミスタがそう断じた理由が目の前にあった。
 しかしジョルノは「わかりませんよ」と子供みたいに口を尖らせる。

「彼の方にその気はなくとも名前の気安い雰囲気に勘違いする男が出てくるかもしれないじゃないですか」

「……ならこんな盛大なパーティー開かなきゃよかったろ」

 まったく矛盾している、とミスタは思う。
 このような昔風の結婚式。確かにこの街では伝統的なものであったが、そこまで固執するほどでもない。最近では式にあまりお金をかけない夫婦も増えていると聞く。巨大な組織のボスとしては難しいだろうが──内々だけで済ませることも不可能ではなかったはずだ。ミスタとしてもその方が有り難い。何せこうして面倒ごとを押しつけられそうになることもないのだから。
 そう思うが、ジョルノは「それじゃ意味ないじゃないですか」と簡単に切り捨てる。
 盛大にやらなくちゃ意味がない。──それはつまり、ボスとして、ということだろうか。未だしがらみの多い立場。それが組織を乗っ取ったジョルノの立っているところであるから、だから不満も抑えているのだろうか、と。

「だってこういう時でもないと彼女がぼくの妻だって見せびらかせない。みんなに知らしめるためにも必要なんです、この無駄ともいえるパーティーも」

 ……少しだけ生まれかけた同情は、ジョルノのこの一言で吹き飛んだ。

「お前なぁ〜〜〜」

 ミスタはすっかり脱力し、額を押さえ天を仰いだ。眩しさが目にしみた。でも何より眩しいのは、さらりと言い放ったジョルノの清々しいほどの笑顔だった。ねちっこいんだかあっさりしてるんだかよくわからない。わからないが、ともかくこれからも彼に振り回されるのだろうという予感はあった。

「すみません、ちょっと挨拶してくるんで名前に着いててやってください」

 立ち上がったジョルノはポンとミスタの肩を叩いた。
 ──『頼んだよ』
 そう言外に告げられ、頭が痛くなってくる。さっきのはやっぱり冗談なんかじゃなかったのか。本気で彼は自分の命より彼女の貞操を気にしているのか。そんなの精神的にも肉体的にも取り越し苦労だというのに。

「あら?ジョルノは?」

「あ?あー…、挨拶回り?」

「なんで疑問系?」

 いつの間にか戻っていた名前がそうやって訊ねてくる。その問いにミスタは投げやりに答え、グラスにワインを注いだ。
 名前はくすくすと肩を震わして笑った。そうしているとミスタが知っている通りの彼女である。どこか近づきがたいまでの清廉さは薄れ、親しみ深さが際立っていた。
 けれどそんな彼女も離れたところで談笑する花婿を、そして彼を取り巻く人垣の中に年若い娘がいるのを認めると、途端に瞳を曇らせる。

「ちょっとミスタ、あなたどうしてこんなところにいるの?」

「オレはメシも食っちゃいけねぇのかよ」

「そうは言ってないわ。食べてていいの、食べながらでいいから、とにかくジョルノをひとりにしないで」

 「あなたは護衛係でしょう?」──それは奇しくも先刻聞いたばかりの台詞に似ている。というか言いたいことはおんなじだ。つまりは公私混同、ミスタを便利屋かなんかだと思っている発言である。

「だから護衛なんかいらねぇって」

「わからないわよ。だって今日のジョルノ、あんなに素敵なんだもの。彼にその気がなくたって勘違いしちゃう娘が出てきても不思議じゃないわ」

 うっとりと呟かれるそれもまた、強烈な既視感を齎してくれる。

「……そんなの必要ないくらいお似合いだよ、お前らは」

 しかしそんな皮肉が幸福な花嫁に通じることはない。

「あら、そう?」

 満更でもないって風に名前ははにかむ。そしてそれはきっとジョルノに言ったとしても同じだったろう。容易に想像がついて、ミスタは溜め息を吐いた。
 こいつはもうすっかり手のほどこしようがない。手遅れだ。すっかり骨抜きにされている名前も、彼女が戻ってきたのを見てさっさと話を切り上げるジョルノも。
 ──何よりこんな関係を心地いいと思っている自分がいることに気づいて、ミスタはやれやれと肩を竦めた。