ギアッチョ√【クリスマス】


 イルミネーションは絶え、街は夜の闇に沈んでいる。十二月二十五日、その深夜。多くの者が家族との時間を大切にするこの日、ギアッチョは同僚と共に裏通りを歩いていた。

「う〜さむーい!」

 通りに張り巡らされた飾りも明かりが消えて久しい。この時期だけは特別目映い照明たちもさすがに一晩中とまではいかないらしく。家々も眠りに就き、漏れ出る光も少なかった。
 そんな中を歩きながら名前は悲鳴を上げる。元の膚が白いせいか、赤らむ鼻先が目立った。ちょっと面白い表情だ。ギアッチョは「何を今さら」と鼻で笑った。

「じゃあお前は冬が暖かくてもいいって言うのかよ。そしたら春はどうなる?夏になったらオレたち死ぬぞ」

「そうだけどそうじゃなくてー……なんだろ、心が?」

 心に寒いも暑いもあるもんか。そもそも実体がないんだ、名前の言うことは全くもって要領を得ない。
 いつものギアッチョならここで青筋を立てていたろう。整然としていない話は嫌いだし、理屈が通っていないと納得いかない。相手がメローネとかだったらこの時点で蹴りのひとつでも入れてるところだ。
 ギアッチョは自分の肩辺りの高さにある名前の顔を盗み見た。小首を傾げ、眉間に皺の寄った横顔を。その真面目で間の抜けた顔を見ていると、苛立ちも自然と冬の風に冷やされていく。ささくれだったものが削り取られていく。

「だって今日はクリスマスよ?なのに私たちがしたことといったら……ねぇ?」

 名前は溜め息を吐き、ギアッチョを見上げた。その顔は殆ど無邪気と言ってもいい。でもギアッチョは知っている。分厚いコートの下に二十二口径の銃を隠し持っていることを。

「さっきまでノリノリで銃弾ぶっぱなしてたじゃねぇーか」

「それには語弊があるかなぁ。むしろ自暴自棄?みたいな?」

「ふうん?」

 ギアッチョはつい先刻の出来事を思い出す。ボスに命じられた仕事。クリスマスという一年で一番重要な日に、だからこそ好機とばかりにひとつの『掃除』を終えた。暗殺チームの名に相応しい仕事をギアッチョと名前は遂行した。
 その時名前が武器としたのはサプレッサーつきのスターム・ルガーで、彼女は迷うことなく急所を撃ち抜いた。表情ひとつ変えず、冷ややかな目で生を見送った。その動きをギアッチョは内心で称賛したものだが、まさかそれも積もる不満が起因となっていたのだろうか。

「私にだってそれなりの憧れというものがあるのですよ、うん」

 クリスマスへの憧れ。──そう言われてもギアッチョの頭には具体的な姿が浮かばない。
 いや、もちろん知識としてのものはある。クリスマス、一家団欒。国民の殆どが故郷に帰り、家族と共に過ごす。テーブルにはカッポーネやパンドーロが並び、大量のスプマンテが開けられる。そうしないだけで親不孝者との謗りを受けるのだ。
 だがギアッチョの場合は両親と絶縁状態であるし、お陰で思い出だって遠い過去のものとなっている。

 ──でも、名前もそうとは限らない。

 なんとなく、みんな似たようなものだと思っていた。チームの全員が大なり小なり問題を抱えている。そうじゃなきゃこんな世界に入らない。良識ある、善良な家族がいたのなら。
 でもそんなのは思い込みに過ぎないのかもしれない。ギアッチョは「そうかよ」と気のない返事をしながら考える。思えば、名前のことだってよく知らない。知らないまま、季節は一巡を通り越していた。そのことに、ギアッチョはなんだかよくわからない気持ちになった。

「……ま、文句があんならボスに言えよ」

「言えないよー!」

「なんだよ、まさか怖いのか?」

「違う違う。むしろその逆っていうか……」

 言い淀み、名前は笑う。

「なんだかなぁ、弱いんだよね、私。ああいうタイプには無条件降伏しちゃうってわけ。お願いされると断れないし、というかますます張り切っちゃうの」

 それはいったいどういう意味合いを持つんだ、とギアッチョは思った。遠くに馳せられた目。青い空や遠い水平線を眺めるみたいな眼差し。そこにあるのはなんだろう?
 強いて言うなら諦念だろうか。でもそれだけじゃない気もする。諦めで、呆れで、それでいて喜びも含まれている。その笑みの理由はなんだろうか。
 考えても答えは出なかった。そんなものが気になる理由も、また。

「……年下趣味」

「わーっ!それ言ったらダメなやつ!案外グサッとくる!」

「自覚あんのかよ、ショタコン」

 冗談に濁すと名前は心臓を押さえる真似をした。「否定できないのがつらいなぁ」と。
 それを見て、『そういえばこいつが気に入るのはガキばっかりだな』とギアッチョは思い至る。組織の新しいボスしかり、彼の護衛担当しかり。暗殺チーム内では一番年少のペッシに名前はつくづく甘かった。
 そこでふとギアッチョは思う。──それならオレは?名前の中ではいったいどこに位置づけられているんだろう。

「なら黙って働けばいいだろ。愛しのボスのために」

 なんとなく面白くなくて、言い方も投げやりになる。そうしてから隣の顔色を窺うが白い膚に特別な感情は宿らない。「まぁね、そういうことになるね」と相槌を打つ彼女の目は夜空を反射して輝いていた。

「でもね、やっぱりこう……こういう日にはご褒美が欲しくなると言いますか」

「へぇ……」

「だってクリスマスだし、せっかくだし、せめて労いの言葉だけでも欲しいなぁ、と」

「……たとえばどんな」

 ギアッチョも道の先を眺めやりながら続きを促した。
 普段ものを要求しない彼女がどんな我が儘を言うのか純粋に気になった。好奇心。理由はそれだけだ。たぶん、──恐らく、きっと。
 何気なさを装うと、名前はちょっとだけ眉を寄せた。

「例えば?ええ……急に言われると悩むな……ていうか恥ずかしくない……?」

 衣擦れの音がする。名前は顎に手をやって考え込んだ様子。具体的な理想などなかったのか、それとも話すのに躊躇いがあるのか。
 後者だったらどうしようか、とギアッチョはぼんやりと考える。名前とボスのことを。似ているところなんか数えるほどしかないくせに、なんだかお互いに分かり合っている風な雰囲気を出す二人のことを。考えて、ギアッチョは小さく首を振る。あまり愉快な気分ではなかった。

「ええっと、そうだな……『お疲れ様』とか『よくやってくれた』とか……、あ、あとあと頭撫でたりとかは鉄板よね、そこで胸がときめくってのが恋愛映画のシナリオって感じ」

 けれど名前は気づかない。彼女の意識はここにない。思い浮かべるのは金髪の少年。いけ好かない、気取った物言いをする男。この街を掌握したパッショーネの若きボスのことを名前は考えている。隣にいる男ではなく、ここにいない者の方にこそ思いを傾けている。
 「そんぐらい、」ギアッチョは唾を飲み込んだ。「オレにだってできる」喉の奥が張りついた。呼吸するのにも意識がいった。伸びていく手も自分のものではないようだった。
 しかし、触れた感触だけは確かにある。名前の頭、闇の中でも燃えるような黄金色。ここにはいない誰かのことでいっぱいの頭に手を添える。

「お疲れ、……お前はよくやったと、思う」

 「まぁ、それなりに」「悪くはない動きだった」目を逸らし、口早に言い添えたのは慣れないことをした反動ゆえ。羞恥心から取り繕うが、しかし幾ら待っても返事はない。

「……な、なんだよ、何とか言えよ」

 冷たい風が吹いて、身が竦む。吹き荒れ、千々に乱れる心。落ち着かず視線をさ迷わせ名前の様子を窺い見た。
 しかしそうしてみても浮かぶのは真っ白な顔。感情のないガラス玉。僅かに傾いで、金の紗幕が揺れる。赤々と濡れる唇が、息を吸う。

「……なんとか?」

 そして零れ出たのは──なんの意味もなさない語。その一言に、思考が止まる。目を瞬かせ、飲み込み、理解し、それからギアッチョは「……は?」と小さな息を洩らす。
 すると、名前の頬に朱が走った。

「だ、だってこんなに気恥ずかしいものだなんて思わなかったんだもの……」

 ほう、と溜め息ひとつ。名前は両頬を押さえ、目を伏せる。冷えきった眸も熱のために溶け、潤んでいる。その表情のすべてが、たった一言のために生み出された。
 それを理解した。……途端、ギアッチョの体にも熱が走った。

「は、はぁっ!?やれっつったのはオメーだろッ!?」

「言ってないし不意打ちだしびっくりしただけだし!」

 売り言葉に買い言葉。ギアッチョが叫ぶと名前までそれに応えた。お互いに顔が赤いのには触れず。言い切ってから、二人して気まずさに顔を背け合った。
 降りる沈黙に寄り添うのは微かな靴音。しんと冷えきる風さえ熱の帯びた肌にはちょうどいいくらいだ。

「でも、ありがと。結構報われた気分」

「……ふん」

 隣で笑う気配がする。ギアッチョは暗がりを睨むように見据えて歩く。そうしながら思い出すのは先刻の会話。
 ──冬が暖かくてもいいのか。
 そんなわけがない、とギアッチョは否定した。ほんの数分前のことだ。なのに今はそれもありかもしれないと思っている。暖かな冬、なんてまったくの矛盾。でも今感じる温もり、冬にも関わらず寒いと思う余地すらなかった。