銃の悪魔編IFアキ√T


原作沿いと同じ主人公。
銃の悪魔編でアキくんが天使くんに会いに行く前に夢主の元に来たら、というIFです。




 鳴り響くチャイム。応じると、礼儀正しい声が返ってくる。「早川です」平坦な、心地のいい声。玄関を開けると、少し緊張した面持ちのアキくんが立っていた。

「どうしたの、珍しいね。わざわざうちまで来るなんて」

 「入んなよ」と室内を指し示す。尤も、客人を歓待できるような代物はない。事前に言ってくれたなら、何かしらの用意くらいはできたのに。

「悪い、突然」

「いいよいいよ、アキくんならいつでも大歓迎。天使くんもついてたらもっと歓迎だったけど」

 きれいなものは好きだ。万人に共通する美の意識。そこには神の息吹が感じられる。だから、好ましい。
 そう私が言うと、アキくんは「相変わらずだな」と目を細める。口許に浮かぶのは淡い微笑。「でもありがとう、助かる」いつもなら呆れるとか受け流すとか、そういう場面。なのにアキくんは──あのアキくんが、『ありがとう』などと私に言うのだ。
 私はびっくりして、「冗談だよ」とアキくんの背中を叩く。けど、冗談なんか言ってる場合じゃないんだろうなっていうのは肌で感じていた。

「コーヒー、ブラック?」

「いや、大丈夫だ」

「私だけ飲んでたら寂しいじゃない」

 優しいアキくんはそう言われると断れない。勧められるがまま、大人しくソファに座り、コーヒーカップを傾ける。片腕は相変わらずの空白。萎むスーツの袖が哀愁を駆り立てる。
 どうしてアキくんの片腕は治らなかったのだろう。アキくんは、天使くんは。パワーちゃんだけ完治したのは、どうしてだろう。考えないようにしていた疑問が、改めて首をもたげる。

 私だったら、治してあげられたかもしれないのに──なのにどうして、マキマさんは止めたんだろう?

「……今日は頼みがあって来た」

 かたりとささやかな音を立ててカップが戻される。
 すっと伸びた背。ひたむきな双眸。真っ直ぐに私を見上げるその目を、『きれいだ』と思う。と同時に、改まったその態度に、心が強ばる。アキくんは、何を言うつもりだろう。
 「頼み?」私は殊更大袈裟に驚いてみせる。「私なんかに頼んでいいの?法外な対価を要求されるかもしれないよ」苦いばかりのコーヒー。なんとなく、続きは聞きたくなかった。アキくんの話。アキくんの頼みごと。アキくんの願いなら、私はきっと叶えてしまうから。

 ──だから、聞きたくなかったのに。

「構わない。俺に差し出せるものがまだあるなら、それでも」

「アキくん、待って、」

「それでもいいんだ。それでいいから……デンジとパワーのこと、よろしくお願いします」

 アキくんは、勝手だ。制止を振り切って、好きなことだけ言って、頭を下げる。寿命はあと僅か、片腕さえ失ったその体を精一杯に折り曲げて、アキくんは私に懇願する。

「やめてよ、顔、上げて。らしくないよ、こんなの」

「それなら頷いてもらえるか?」

「わかった、わかったから。ちゃんとデンジくんとパワーちゃんのことも考えるから、ね?」

「……ありがとう」

 そこまで言って、ようやくアキくんは顔を上げる。
 アキくんの、安堵の顔。「デンジはひとりでも大丈夫だって言うけど」今、アキくんの思考を占めるふたり。デンジくんとパワーちゃん。ふたりのことを思い浮かべる時のアキくんは、穏やかな顔をしている。
 いつからか、その目には温かなものが伴うようになっていた。アキくんは気づいているのかな。恐らくは家族に向ける愛情に似た温度に。なくした家族の面影を重ねていることに。

 ──それが、私にとってどれほどの憧れとなっているかなんて。

 アキくんは、知らないんだ。

「このあと天使のところにも行くつもりだ。あいつは両腕を失ってるから……」

 その様子、その言葉で、私は諒解した。
 ──アキくんは、もうすぐ死ぬ。そしてそれを受け入れている。受け入れた上で、その他の人のことを考えている。
 ……アキくんは、優しいから。

「ダメだよ、行かせない」

 だから、私みたいなのに気に入られちゃうんだ。

「な……っ」

 コーヒーカップが落ちる。乾いた音。砕け散る、痛み。
 すべてが簡単なことだった。アキくんは座っていて、私は立っていた。アキくんは片腕がなくて、私の両の手は自由だった。だから簡単に彼を組み敷くことができた。

「なにを……っ!」

「ごめんね、アキくん。ごめん、……ごめんなさい」

 恨んでくれていいよ。憎んで、嫌って、突き放してくれていいよ。どんな言葉だっていい。罵声も謗りも、アキくんにはその権利がある。
 見開かれたアキくんの目に映る、自嘲の笑み。だけど私は手を離せない。アキくんの肩を押さえつけ、抵抗を封じる。それでもなお、アキくんは「どうして」と問うのを止めない。どうして、なぜ。なにを、するつもりなのか。その問いに、私は答える。

「キミを連れていく。ここではないどこかへ、アキくんが死なない未来へ」

「そんなことをしたらあんたは、マキマさんは、」

 マキマさん。その名前に、私の体は強ばる。私の一番大切なひと。最も優先すべきひと。大好きで、彼女のためなら何を捨てたって構わないと思ってた。
 「うん、」そうだね。「マキマさんはきっと、私をゆるさないだろうね」でも、それでも私にはアキくんの選択を認めることができなかった。

「嫌なんだ、アキくんみたいに優しい人が死ぬ世界が。そんな世界を私は受け入れられないし、愛することができないと思うから」

 今になって、姫野ちゃんの気持ちがわかった気がする。自分の命を捧げてでも守りたいもの。彼女はアキくんのことが好きだった。私のとは違う、純粋な気持ち。
 でも私だってアキくんをうしないたくない。どうしてそこまで、なんて理由はわからないけど。わからないけど、でも、「ごめんね、私の身勝手に付き合わせて」でも今は、この気持ちに正直でいたい。

「そんなの……」

「キミに拒否権はないよ。キミはただ『信じて』、私に『従って』くれればいい」

 何事か言おうとしたアキくんの口に指を押し当てる。この温もりが消えることなど考えられない。どうして今まで気づかなかったのか不思議なくらい、胸のうちには愛おしいという気持ちが溢れて止まらなかった。
 そんな感情を押し込めて、私は不敵に笑う。

「私は信仰の悪魔。だからキミは抗えない、私に従うしかない。……キミは、知らなかっただろうけど」

 アキくんは悪魔が嫌いだ。憎んで、忌み嫌ってる。デンジくんやパワーちゃんと一緒に暮らすようになる前は──私と初めて出会った頃は。
 だから私は人間のように振る舞った。悪魔を憎んでいるのはアキくんだけじゃない。公安にはそれこそ山のようにいる。幸い私の見た目は人間と変わりなかったから、私は動きやすさを優先した。この世界で、私は人間としての生活を楽しんだ。そしていつからか、それが真実であればいいのにと思うようになっていった。
 でもいいんだ。もう、隠す必要もない。どうせアキくんには恨まれるんだから、最後に本当のことを打ち明けたって何も変わらない。

「……見くびらないでくれ」

 なのにアキくんは「とっくに気づいてた」と言う。驚いたのは、私の方。アキくんは気づいていた。気づいていたのに、言わなかった。一度だって感じさせなかった。アキくんは私を他の仲間と同じように扱った。普通の、人間として。

「どうして、」

「それは……」

 アキくんの手が持ち上げられる。私へ、私の頬へ、伸ばされた手は、しかし私に触れることなく力尽きた。

「アキくん……」

 返事はない。アキくんの両目は閉ざされている。返ってくるのは健やかな寝息だけ。私の力によってアキくんは深い眠りに落とされた。
 私はアキくんの頬を撫でた。頬を、輪郭を。そして目の下にできたやつれを確認して、胸が締めつけられるのを感じた。

「キミは、なんて答えてくれるつもりだったのかな」

 次に目を覚ました時、アキくんはもう今までのアキくんではなくなっている。私にとって都合のいい、従順なアキくんに。
 だからもう彼に答えを聞くことはできない。先刻の答えは永遠に失われたのだ。そしてそれを選んだのは私。他ならぬ私が、今までのアキくんを殺めた。

「……っ」

 なのに、私の頬を伝うのは涙。それはやがて雨となり、アキくんの膚を濡らした。まるでアキくん自身が泣いているみたいに。