観光中のクァンシ様と遭遇する


 待ち合わせ場所のハンバーガーショップに入り、メニュー表を眺める。今夜は小腹を満たしたら映画を観に行く予定だ。けれど彼からは『少し遅れる』というメッセージを貰ったばかりなので、一人寂しくポテトをつつくことにする。

「お待たせいたしました〜!」

 商品を受け取り、カウンター席へ。あいにくテーブル席の方はいっぱいになっていたのだ。学生客の多いこの時間だから仕方ない。独り身の人間は遠慮しておくべきだろう、と私は考えた。なにせ私は大人なので。寂しいとか、そんなことは思わないのだ。
 私はアイスティーを飲みながら、ポケベルを取り出した。新着メッセージはない。まぁ、そりゃあそうだろう。遅れるという連絡が来たのだってついさっきだ。頭ではわかってる。わかってるけど手持ち無沙汰で、私はポケベルを意味もなくいじくった。
 声をかけられたのは、そんな時だ。

「──隣、いいかな」

 顔を上げると、無感動な目とぶつかる。表情の読めない顔の、麗人。怪我をしているのだろうか、眼帯が印象的だった。
 私は素早く辺りを見回した。連れはいない、らしい。私は「どうぞ」と応じた。ここで騒ぎは起こしたくない。
 彼女は「ありがとう」と答えて、席に着く。

「お嬢さんはそれだけで足りるの」

「え、ええ……そうですね」

 まさか、これ以上話しかけられるとは思っていなかった。顔に似合わず意外と気さくなのか。それとも人恋しいのか。後者の感覚であるなら、私にも理解できる。
 私は少し表情を緩めた。

「待っている人がいるんです。これはそれまでの暇潰し、ですから」

「……それって彼氏?」

「……ええ、まぁ」

「……そっか。それは、残念」

 残念だ、ともう一度繰り返して、彼女はハンバーガーの包みを開けた。けれどその表情は相変わらずの《無》。顔が言葉と合っていない。本当に残念がっているのか、怪しいところ。
 私は曖昧に笑って、アイスティーを啜る。なんというか、とらえどころのない人だ。一見すると冷たげなのに、やけに私への関心が高い。今も「こういうところにはよく来るのか」と聞かれて、頷いたところだ。

「こういうところってお手頃価格でしょう?学生と来るには調度いいんです」

「……そう」

 彼女は僅かに顎を引き、「私にも連れがいるんだ」と続ける。

「でも疲れたから動きたくないって言われて。買い物ついでにここに寄ってみたんだ」

「そう、なんですか」

 疲れた──ということは観光客、だろうか。確かに見かけない顔だ、と私は思考を巡らす。彼女のようなタイプは人目をひく。でも旅行客なら納得だ。
 しかし連れとは──人間だろうか。悪魔か、魔人か。その辺りの方がよほど自然な気がする。……いや、それはそれで問題だけど。入国させてしまったのも、野放しになっているのも、非常にマズイ。
 デビルハンターとして、私は顔を引き攣らせる。いっそ応援を呼びたいところだけど、この状況では難しい。それに下手な行動をとって刺激したくない。
 私が頭を悩ましている間も、彼女はハンバーガーを食べ進める。結構なハイペースだ。咀嚼しているというか、流し込んでいるというか。これで本当に味わえているのだろうか?いつの間にか私の方が追い越されている。私の頼んだポテトはしなびてしまっていた。

「お嬢さんみたいな可愛い子と相席できてよかった」

 真顔で冗談を言うのはやめてほしい。反応に困る。褒められるのは悪い気がしないけど、でも裏があるんじゃないかと思うと素直に喜べない。
 どうせなら、もっと別のところで聞かせてほしかった。例えばそう、同じデビルハンターとしてだとか、逆に全く無関係の友人として。それなら私も本心から「ありがとう」と答えられたのに。

「お姉さんもきれいですよ。……これで悪魔の匂いさえなかったら、もっとよかったのに」

 私が言うと、彼女は「気づいてたんだ」と呟く。
 やっぱり、この人はただの人間じゃない。デンジくんと似たような匂いがしたから、私にはわかった。彼女もまた、悪魔の心臓の持ち主なのだろう。
 私は確信を持って、彼女を見つめた。

 ──さて、どう出る?

「でも私は……お嬢さんにもうひとつ嘘をついた」

「……嘘?」

「うん、」

 彼女は包みを丸めて、立ち上がる。私はその様子を油断なく見守る。いつでも対処できるよう、気持ちを引き締める。そして彼女は、口を開く。

「本当は最初からここに座ろうと決めてたんだ。お嬢さんがひとりでいるのを外から見てた。……だから、声をかけた」

「──光栄ですね。あなたみたいな貴重なひとに見初められるなんて」

「見初める……そう、確かにその通りだ」

 あえて冗談めかして言ってみると、予想外に頷かれた。肯定の形をとった彼女はひとり納得しているけれど、私にはさっぱりだ。これ以上言葉遊びをする余裕はない。
 でも彼女は違う。彼女は真っ暗な目を私に向けて、そっと囁く。

「だから少し、がっかりした。さすがに人のものを盗る趣味はないから」

「はぁ……?」

 何がなんだかわからない。彼女は何の話をしているんだろう?私は誰のものでもないし、しいて言うならマキマさんの所有物だけど──と考えたところで、やっと思い出す。

 ──そういえば、彼氏と待ち合わせだなんて嘘をついていた。

 いやまぁ、別にそんなつもりはなかったけど。つい流れで肯定しちゃっただけだけど!でももしかしたらその答えで合っていたのかもしれない。お陰で彼女は私への興味を失った。

 ……ならば、あの場面で否定していたらどうなっていたのか。

 恐ろしい想像をしてしまい、冷や汗が背筋を伝う。「じゃあね」と去っていく彼女を見送っても、なかなか強ばりが抜けなかった。

「ごめん、待たせたね」

「吉田くん……!」

 だから見慣れた顔にホッとして、思わず飛びついてしまう。
 まったくもって悪魔らしくない。けど、しょうがないじゃないと自分に言い訳する。私は悪魔だけど、日本のデビルハンターでもあるのだ。あんな危険人物と一対一で向き合うなんて荷が重すぎた。
 しかしそんなことなど何も知らない吉田くんは目を丸くさせる。「そんなに待たせたっけ」と首を捻ってから、「それともなに?俺に会いたくて仕方なかった?」なんて、悪戯っぽく聞いてきた。
 いつもなら笑って否定するか、あえて冗談に乗ってあげるかする場面。でも私はいつも通りの彼に安心して、思わず「うん」と頷いてしまった。

「会いたかった。……会いたくて、仕方なかった」

 背中に回した手に力をこめる。すると頭上で小さく息を飲む音がした。困惑しているのが手に取るようにわかる。でも残念ながら当分解放してあげられそうにない。しばらくの間は人間の鼓動を聴いていたいから。

「よくわかんないけど……まぁ役得かな」

「ふふっ、何それ。でもそう思ってもらえるとありがたいな」

 結局私はそれからもずっと彼の手を握って過ごした。映画館に行くまでも、そして上映中も。人波の中、或いは暗がりの中、それでも私は彼の手を離さないでいた。抱き合い続けるのは難しいから、これが妥協点といったところである。
 そんな私に面倒がることもせず付き合ってくれる彼は優しい人だと思う。「むしろ俺としちゃあラッキーなくらいだけど」とまで言ってくれて、それで私はようやく肩の力を抜くことができたのだ。