承太郎と幼馴染と漫画家

 その病院はホテルから10分ほどの距離にあった。これなら徒歩の方がよほど健全じゃないかと名前は思ったのだけれど、昔と違って口にはしなかった。承太郎は優しいが過保護すぎるきらいがある。それはこの10年でより目立つようになった。過ぎ去る歳月を見送るばかりで、一歩も動けない名前。それをよしとするくせに承太郎の歩幅は緩まない。2歩も3歩も先を歩いて(しかし4歩目以上は開かない)いく。
 自動ドアをくぐりエレベーターに乗り込む。密閉された小部屋は無性に息が詰まる。上昇していく間、名前は切り替わる数字だけをじいっと見ていた。2、3、4……1秒1秒が肺の中を山積していく気分だ。だからエレベーターがまっすぐ目的地に着いた時は、扉が開くのと同時に息をついた。……疲れたか?気遣わしげな声が肩越しにかけられる。名前は首を振った。今度は罪悪感が降り積もっていく。これは硫黄の雨だ。
 廊下に貼り出されたプレートを確認して(――岸辺露伴、)から承太郎は横開きの戸を開けた。「邪魔するぜ」ノックを、と取り出した拳は無駄になったらしい。名前も彼に続いて部屋に入った。
 清潔を視覚化した部屋にはひとりの男が横たわっていた。横たわっている、というだけで意識ははっきりしている。その証拠に岸辺露伴という男は包帯でがんじがらめになりながらも唇を動かした。

「マナーがなってない……ってことはあの忌々しい東方仗助のお仲間か」

「元気そうでなにより」

 岸辺露伴は鼻で笑った。「おかげでサイコーの気分だよ」雰囲気は最悪だ。これではなんのためにここを訪れたのか分かったものじゃない。名前は慌てて承太郎の袖を引いた。「喧嘩しに来たわけじゃないでしょう?」名前も承太郎もいい大人で、露伴はといえば2人よりもずっと年下なのだ。おまけに今回の件についてはこちらにも落ち度がある。仗助からしたら露伴は純然たる加害者かもしれないが、財団としては露伴をスタンドにまつわる事件の被害者としてもとらえている。だから彼の処置についてもそれに連なる事柄についても財団が全面的に補償する――らしい(岸辺露伴は必要ないと突っぱねたようだが)。
 「…………」承太郎は名前を一瞥すると、帽子のつばを下げた。それを見て、今度は名前が前に進み出る。「……失礼いたしました。わたくしSPW財団の名前と申します。このたびは――」通り一遍の挨拶はよどみなく流れていく。それを岸辺露伴はつまらなそうに聞いていた。痛みさえなければ欠伸の1つや2つはしていたろう。
 名前がしたのは挨拶と謝罪、それからスタンド能力についての説明だった。それらが一通り終わると名前が口にすべき事柄は何もなくなってしまう。「――以上です」一呼吸。「何かご質問はありますか」これも、決まり文句。だが露伴が何かを口にするだろうということは予想できた。深淵のごとき目が名前を見つめている。
 「君は、」掠れた声。それから、咳払い。「君は、そうだな……」言い直し、ゆっくり動く唇を名前はじいっと見つめた。エレベーターの中にいる時と似ているようで異なる感覚。共通するのは、名前が何かに期待しているということ。(――なにに?)

「修道女、といったところか。うん、それがしっくりくる」

 露伴は続ける。「陰気くさい面構えにはぴったりだ」言葉には明らかに嘲笑が含まれていた。「てめぇ、」それを感じ取った承太郎が動きだそうとする気配がした。それを手で制しながらも名前は首を傾げた。「宗派を明かした覚えはないのだけれど……正解です」岸辺露伴には人を視る才でもあるのだろうか。

「そういう意味で言ったんじゃあない」

 やれやれと言わんばかりの声音だった。けれど岸辺露伴がどんな顔をしているのかまでは名前には見えない。包帯の下まで見透かすのは名前の能力では不可能だった。でも名前には彼が必要だと思った。父よりも母よりも、――承太郎よりも。期待に胸が膨らむ。高揚感。

「……、また、来ますね」

 つとめて冷静に言ったつもりだ。しかし承太郎には気づかれているだろう。背後の気配がたじろいだ。

「……あぁ」

 露伴は何か言いかけて、しかし口角を片方だけ上げて笑った。名前も他に言うべきことがあるような気がしたが、そのまま退室した。まだ時間はある。そして彼は拒否しなかった。ならば次の訪いで答えを見つければいい。それが叶わなければ――また。