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菅原と手を繋いだ。
それだけでなまえにとっては一大事で、帰りに寄り道して食べたアイスの味も、二人でぽつりぽつりと喋った話の内容も、ほとんど覚えていなかった。カップルというのは、こんなにも高度なことをこなしながら一緒に帰っているのか。そう思うと自分の経験値の低さを今更ながらに突き付けられたような気がして、意味もなく落ち込んでしまう。
手を繋いでいる間、緊張でまともに顔すら見られなかったけれど、しかし問題はここからだ。昨日の今日で菅原に会ったとして、普通に話せる自信など皆無だった。

「なまえー、英語の教科…」
「ぎゃっ!!!」
「どわぁっ!!!大丈夫か!?」

菅原の手の感触を妙にリアルに思い出してしまって、首を振りながら廊下を歩いていると、不意に後ろから声をかけられて思いっきり変な声を上げてしまった。手に持っていた教科書やノートが盛大に廊下に散らばる。

「田中、びっくりするじゃん…!」
「まさかそんなにビビられるとは思わねーだろ」

言いながら、少し離れたところに吹っ飛ばされた筆箱を拾って、田中はガリガリと頭を掻く。「んで、英語の教科書。貸してくんねぇ?」ようやく要件を聞いてなんだかほっとしたなまえは、教室に入って自分の席を目指した。途中で何度もつまずき机の角に腰骨をぶつけるその姿を、田中は怪訝そうな顔で見つめる。
朝から昨日の事を考えすぎているせいか、どうも注意力散漫ななまえは、何もないところでつまずくわ人とぶつかるわ授業の板書はろくに進まないわで酷い有様だった。

「お前も調子悪いのか?」

やっとの思いで戻ってきたなまえに田中は笑いを堪えながら尋ねた。もってなんだ。なまえは首を傾げる。

「いやー今日さ、朝練で珍しくスガさんがミス連発しててさ。しかも、ジャージ後ろ前に着たりしてんの!あのスガさんがだぜ?」

みんな熱でもあるんじゃねぇかって心配してたわ。あっ、俺が言ったってスガさんには内緒な!
思い出し笑いで目尻に少し涙を溜めながら、田中は「教科書サンキュー」と言って自分の教室に戻っていく。なまえは聞かされた話があまりに信じられなくて、次の授業の担当教師が教室にやってくるまで、しばらくそのままぼんやりと立ち尽くした。










「………あ」

昼休み、部活の顧問に呼び出されてそのまま部員と昼を食べると友人に言われてしまったので、仕方なく1人になれる場所を探して中庭へやってくると、ちょうど渡り廊下の向こう側から菅原がやってきた。声をかけるべきか、それとも隠れてやり過ごそうか、なまえが悩んでいるうちにバッチリ目があってしまった。

「あれっなまえちゃん」

自分の名前を呼んだ菅原がいつも通りだったので、なまえはまた拍子抜けした。田中が言っていたのはやはり何かの間違いなのかもしれない。
気付かれないようにそうっと深呼吸してから、まだストローの刺さっていないジュースのパックを持った菅原に近寄る。

「お昼、どこで食べんの?」
「んー、この辺で適当に…いつも食べてる子が部活のメンバーで食べるからって。今日一人なんだよね」

なまえが言うと、少し意外そうな顔で「ふぅん」と返事が返ってくる。菅原はジュースを買いに来たところで、これから教室に戻って食べるらしかった。

「なんだ、一人なら言ってくれれば一緒に食べれたのに」

話を早く切り上げるべきなのか次の話題を探すべきか、手に持った弁当箱へ視線を落としたところでそう言われて、パッと顔を上げればにかりと笑った菅原と再び目が合う。
「んん」あんまり屈託無く笑うものだから、なまえは唸るように返事をして、そろりと視線をまた落とした。
たったひとつしか年が違わないはずなのに、どうしてこうも、自分と菅原の差は歴然としていて、余裕のない自分が恥ずかしかった。手を繋いだだけで狼狽えるなまえと、余裕綽々な様子の菅原。おそらくそれは経験の差だろうなと考えると、なまえはほんの少しお腹の上のあたりが苦しくなる。ずるいなぁ。うっかり口に出してしまいそうになって、慌てて唇を引き結んだ。

「す、スガくん、行かなくていいの」

代わりに口を突いて出たのは可愛くもなんともない台詞で、心の中で自分を叱責するなまえに対して、菅原は気にする風でもなく「ん、じゃあまた」と言って校舎の方へ歩いていく。最後にヒラヒラ手を振ってから扉の向こうへ菅原が消えたのを確認してから、なまえはふうと息を吐き出した。
辺りを見回して、中庭の隅の方へ移動する。ちょうど植え込みと大きく茂った木のおかげで、校舎からは死角になっている場所だった。教室で適当なクラスメイトと食べても良かったけれど、今日は一人になりたかった。女子がグループで食事をするときに発揮する、遠慮なしのガールズトークには積極的に参加できる気にならなかったからだ。人の恋愛話を聞くのは楽しいけれど、いざ自分の身に起こっていることをあれこれ詮索されるのは嫌だった。
大体、こんな風に悩むのならそれこそ菅原に「付き合ってみる?」と提案したその真意を聞けば済む話なのだが、その答えを受け止める覚悟がなまえにはまだない。あれが冗談だったら、とも思うし、しかし菅原が面白半分であんなことを言ったり手を繋いだりするのだろうか、とも思う。結局考えは堂々巡りだった。

「………食べないの?」
「ぎゃっ!!!」

色気のない変な声を上げるのは本日二回目である。
いつの間にやってきたのか、植え込みの向こう側から顔を覗かせていた菅原は回り込んできて「ごめんごめん」と悪びれる様子もなく謝った。そうしてなまえの隣へ腰を下ろすと、しばらく下を向いて肩を震わせている。「……別に笑ってもいいよ」なまえが言うと、とうとう堪え切れずといった感じでぶはっと盛大に吹き出して笑い始めた。

「笑いすぎ!」
「いや、ごめん、すごい驚きっぷりだったからさ」

ひとしきり笑い終わった菅原の手には先程買っていたジュースと一緒に、購買の袋が握られていた。中身はパンらしい。

「せっかくだし、一緒に食うべ」

なまえの視線に気づいたらしい菅原が袋を持ち上げてにーっと笑う。
ずるいなぁ。
さっきとは違う、お腹の上よりも更に上の、胸のあたりがきゅうっと狭く鳴いた感じがして、なまえは「んん」と唸るようなあまり可愛くない返事を返した。




常春のヨットブルー

161221

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