/ / /


いよいよ放課後になってしまった。
ちょっとだけ職員室に用事があるから教室で待ってて、と言われたなまえはおとなしく窓際の自分の席へ座ったまま、ぼんやりと外を眺める。
校庭ではサッカー部がボールを追いかけて走り回っていて、あれはクラスメイトの長野君だなと目で追っては気を紛らわした。そういえば以前、長野には彼氏がいるのか否かとか、バレー部の男達と仲が良いけれども誰ぞ良い人がいるのかと聞かれたことがある。
当時のなまえはまだ一年生で、色々なことに疎かったけれども、今思えばあれは、恋愛的な探りというものだったのかもしれない。あれくらいに単純なものであればこうも悩みはしないというのに、今なまえが待っている菅原ときたら、何を考えているのか見当もつかない。それでも「俺と付き合ってみる?」といったあの時の、妙に柔らかくしかし真剣な眼差しが忘れられないから、こうしてそわそわといつまでも待っているしかないのだ。

「なまえちゃん」

明るい声で名前を呼ばれて、教室の入り口へ目をやると、菅原がひょいと顔を覗かせていた。なまえの他に何人か残っていたクラスメイトが物珍しげになまえと菅原を交互に見やる。居心地が悪くなったなまえはいそいそと鞄を取り上げて菅原の方へ駆け寄った。

「ごめん、遅くなって」
「ううん、全然、大丈夫」

言いながらもなんだか緊張してしまって、菅原の顔をまともに見られずにシャツの第3ボタンのあたりを眺めながら曖昧に笑う。
並んで廊下を歩きながら、バレー部のメンバーや兄に出くわしたりしないだろうかと内心気が気でないなまえは、他の教室から聞こえてきた笑い声や階段の上から降りてきた見知らぬ生徒にまでビクビクと怯える始末で、その度に心配してくる菅原に申し訳ない気分だった。

「大地なら勉強しに図書館寄るって言ってたから、多分出会わないと思うけど」

昇降口で靴を履き替え、校門を過ぎたあたりでようやく菅原がそう言ったので、なまえはパッとその横顔を見上げる。
どう見ても確信犯的な顔で笑いを堪えていた菅原と目が合って、自分の考えていることが読まれていたのかと思うと途端に恥ずかしくなった。

「す、スガくんひどい!」
「まさかそんなに大地の事気にしてるなんて思わなくてさ。なまえちゃんビビりすぎててちょっと面白かった」
「ちょっと、もー…」

悪戯っ子のようににかりと笑った顔に、やんわりと緊張がほぐされるような感覚だった。ごめんごめんと目元のほくろを掻く菅原の仕草を見ながら、そう言えば左側から見るこの横顔が好きなんだよなあとぼんやり思う。
まだなまえが中学生の頃の夏休み、コンビニに寄った帰りに兄を訪ねてきた菅原と出くわして、話しながら一緒に帰ったことを思い出した。その様子をたまたまクラスメイトに見られて、後で彼氏だなんだと質問責めにされたのだ。
今の自分と菅原は、どういう風に見えるのだろうか。
「付き合ってみる?」と言われただけのなまえと、まだ返事を待っている菅原は、それでも何も知らない人間から見れば、恋人同士に見えたりするのだろうか。そもそも菅原は自分の返事を待っているのだろうか。

「…………ん、なまえちゃん!」
「わっ!」

そんなことを考えてぼんやりしていると、急にぐいっと腕を引かれた。「信号、赤だべ」踏み出しかけていた足を引っ込める。びゅうっと目の前を車が通過して、風がなまえの髪を巻き上げた。
恐る恐る振り向くと少し焦ったような顔をした菅原と目が合ったので、どきりと跳ねた心臓に慌てて視線を下へと落とす。

「びびった、普通に歩いてくから」
「ご、ごめん。ありがと」

ちらりと菅原の顔を見上げると、また視線がかち合った。今度は何故だか逸らしてはいけないような気がしてそのまま見つめると、菅原の表情が、ふと真剣な、少しこわい顔になる。
手首より少し上を掴んでいた手がゆるゆると降りてきて、そうっとなまえの手を取った。どきり、心臓が跳ねる。

「………す、」

スガくん。名前を呼んだつもりなのに掠れた声はほとんど言葉になっていなかった。
指を絡ませるでもなく、ただ繋がれた手に、じわじわと熱が集まる。
信号はいつの間にか青になっていて、いつまでも歩き出さない二人を中学生くらいのカップルと、買い物帰りらしい親子が追い越して行った。

「……嫌なら離すから、言って」

そう言って、笑った菅原の顔はいつもより少し強張って、口元がわずかに引きつっている。菅原も緊張しているらしい、そう思うときゅうっと胸の奥が狭くなったような締め付けられたような、妙な感じがした。

「…い、いやじゃ、ない」

何とかそう答えると、菅原はほっとした様に柔らかく笑った。あんまり優しい顔をするので、なまえはこの顔を自分以外の誰かが見てはいないだろうかとサッと周りへ視線を走らせる。「だから大地はいないって」「そうじゃないよ」菅原がまた小さく噴き出す。

「うん、でも、良かった」
「え?」
「大地に見つかったらまずいって思うくらいには、俺のこと意識してくれてるんだなーって」

言われて、今度こそなまえは自分の顔が赤くなっているだろうと俯いた。じっと夕日でずいぶん長く伸びている影を見つめる。

「……手、なんかすごい汗かいてきた」
「はは、俺も」

笑った菅原はどんな顔をしているのだろうか。それが見たいのに、赤い顔をどうしても見られたくなくて、なまえはいつまでも自分の爪先から伸びる影を見つめ続けるしかできなかった。




ワンダーガールと影法師

161108

ALICE+