7/22 互いに互いを

蝉の鳴き声と窓に照らされた太陽の熱に起こされて体をおこすとお風呂に入ってないせいか、昨日よりも服に汗がしみこみ少し臭っていた。あたりを見渡すと時計の短い針は九時をさしていて、横にいるけいご君はというとぬいぐるみを抱きしめよだれを垂らしながらくぅくぅと体を丸めて寝ていた。けいご君も少しばかり流石に夏だから仕方がないのだけれど、汗の匂いが出ていた。年齢的にアウトだけれど一緒にお風呂に入れよう。不可抗力。そう、これは不可抗力なのだ。
何より汗でベタベタになっているだろうし、汗疹になったら大変だ。ニートの私には起きる時間なんて関係ないけど、健全な子供であるけいご君はそうもいかない。気持ちよく寝ているけいご君には申し訳ないけれど起こすことにした。
「けいご君」
「……」
「けーいごくーん」
むにゃむにゃとまだ夢の中のけいご君に仕方なくかるく肩を叩く。すると、穏やかな眠りをしていた表情から一変してカッと目を開き彼は体をものすごい勢いで起こし頭を守った。大切なぬいぐるみを抱えず、体と羽を小さく震わせた。まるでなにかから自分の身を守るように。
「け、けいご君」
「…っ!」
おそるおそる顔をあげて私の方を見ると安心したのか「おはようごじゃいます」と何事もなかったような顔をして挨拶をした。困惑しつつもおはようと返すと置いていたぬいぐるみを抱きしめた。とりあえずこの暗い空気を変えるために当初のお風呂に入る目的を提案した。
「歯を磨いたらお風呂に入ろうと思うんだけど、けいご君も一緒に入ろう。昨日お風呂に入らず寝ちゃったから気持ち悪いでしょ」
笑顔を作りお風呂に入ることを提案するとものすごく嫌な顔をされた。嫌がられるのは覚悟していたけれど、あまりの嫌がられ方に胸が痛んだ。
「お風呂が苦手なの?それとも、私と一緒に入るのがいや?」
おそるおそる聞くとけいご君は首を横に振った。どうもそういうことではないらしい。よかったと安堵するもなんとかお風呂に入るように説得してみることにした。
「でも夏だし汗疹とかになったら大変だよ」
宥めるように言ってもけいご君の意志は固く返答は変わらないままだった。そこまで頑なにお風呂に入りたがらない理由があるのなら、ここで強引に説得するのも可哀想だし、うまく宥めさせる術を私は知らない。とりあえず今は一旦諦めることにした。
「それじゃあ、濡れタオルで拭こうか。私はけいご君が体を拭いている間お風呂に入ってるから。それならいいでしょ」
これで納得してくれるか内心ドキドキした。けいご君は数秒の考えた後、微妙な顔をしながら小さな頭を縦に揺らした。
交渉を終えてとりあえず今日着る私の服と一時的にけいご君が着る服を見繕った。いくら身長が平均より小さい私の服とはいえ、まだ小さいけいご君にはシャツ一枚くらいが丁度いいだろう。彼には申し訳ないけれど洗濯が終わるまではシャツワンピースで我慢してもらおう。

洗面所へと入るとエンデヴァーのぬいぐるみを持ったけいご君はドラム式洗濯機を物珍しそうに眺めていた。彼の家はドラム式ではなく縦型だったのかな?
「子供用の歯ブラシ買ってなかった…」
お風呂に入る前に顔を洗い歯を磨くことにしたものの当たり前ではあるけれどけいご君用の歯ブラシセットがない。子供用の歯ブラシ使わなきゃダメだったっけ…。悶々と考えていても仕方がないので、とりあえずお父さんの歯ブラシを使ってもらうことにした。
…行きたくはないけれど、とりあえず後で歯ブラシとか服とか日用品をスーパーに買い出しに行かないと。
「悪いけど今だけお父さんの歯ブラシ使ってもらってもいいかな」
「よかよ」
とりあえず歯ブラシはお父さんのを使ってもらうことに決まったけれど、子供用の歯磨き粉はどうしようと考えていると、視界の端でいつの間にかけいご君は大人用の歯磨き粉を取り出し歯ブラシにつけ口の中へ入れた。止めようとしたけれど時すでに遅く、口に入れて数秒も経たないうちにけいご君は目を大きく開かせあまりの辛さに叫んだ。心なしか羽もぶわりと逆立ってるように見える。
「だいじょ…ばないよね。ほらお水だよ」
「かひゃかふぁい(辛かばい)」
けいご君は辛さを紛らわせるために足をバタバタと動かしつつ渡した水の入ったコップを口に含み、モゴモゴとさせながら体を宙に浮かせ洗面台に口の中に入っていた水を吐き捨てた。涙目になってしょげてるけいご君の背中を撫でた。
歯磨きを先に終わらせた私はけいご君が体を拭く用のタオルの準備をした。暖かな湯に濡らされたタオルが気持ちよく眠気を誘われたけれどなんとか我慢し、湯を含んだタオルをキツく絞り準備が終わった頃、けいご君も歯磨きが終わったようで用意した濡れタオルを渡した。想像はできたけれど彼は警戒してその場で拭こうとはしなかったので私は着る服とバスタオルを持ってお風呂場に入りけいご君は洗面所で拭くことにしてもらった。
水に濡れないように広げたバスタオルに服を巻いて組み合わせ式の風呂ふたの上に置いた。いつも通りさっと髪と体を洗っていたとき、ふと扉のすりガラス越しからけいご君が体を拭くところが見えてしまった。やはりと言えばいいのか、あの羽も背中にくっついているのもなんとなく分かってしまいやっぱり普通とは少し違うんだなぁと他人事のように呑気に思った。まぁ、羽のことを除けばけいご君は普通(?)の男の子だ。
少しばかり湯に浸かりながらぼーっとしていると、体を拭きおえたのか扉越しにけいご君が体を拭き終わったことを告げてきたので床に畳んで置いてあった白いTシャツを着てと言うとガラス越しからタンポポのような頭が上下に揺れたのが見えた。
「体を拭いたタオルはそのまま置いて大丈夫だからリビングで待ってて。机の上にリモコンがあるからテレビ見てていいよ」
「分かった」
とととっと足音を立ててけいご君が脱衣所から出るのを確認してから湯船から出て風呂場の扉を開けた。風呂敷のようにバスタオルに包んだ服を取り出しそのままバスタオルで全身を拭いた。服を着て髪を雑に拭きながらけいご君がいるリビングに入ると、彼はテレビの前でリモコンをぽちぽちと押しながら何かを探しているようだった。
「何か見たい番組でもあるの?」
「…ヒーローがとこにも映っとらん。エンデヴァーもおらん」
悲しげな顔でエンデヴァーのぬいぐるみに顔を埋めるけいご君を見て、私は二人分のオレンジジュースを用意して片方をけいご君に渡した。
「のどかわいたでしょ。とりあえず飲まない?」
オレンジジュースと分かったのか、少し嬉しそうに小さい両手でコップを持ち、ちまちまと飲んだ。
「久しぶりにのんだっちゃん。うまかねエンデヴァー」
「……」
横に鎮座するエンデヴァーに話しかけるけいご君をジュースを飲みながら見ながら、昨日先送りにしていた問題を考えた。


けいご君の言っていた“個性”と“無個性”について。
“ヒーロー”とは“ヴィラン”とはいったいなんなのか。
けいご君の様子を見る限り、きっとヒーローは警察的なポジションで、反対にヴィランは犯罪者ということだろう。個性と無個性は分かりやすく能力を持っているものと持っていないもの…ということだろうか。そして昨日のけいご君の気まずそうな顔を思い出すと、無個性の人たちは数少ないのかもしれない。

まぁ、そのことはひとまず置いといて。この子の“両親”についてだ。
警察に行きたがらない。とにかく人の顔色を常に伺うところ。ふとした瞬間、体を守るように防衛するところ。そして先ほどの頑なに体を見せようとしないところ。
…まぁ体を見せないのは端におませさんの可能性もなくもないが、何かが違う気がする。
とりあえずなにがどうであれすぐに親を探したほうが良さそうだ。一番けいご君の近くにいたのは“親”なのだから彼らから聞かないことには分からない。言いたくなさそうにしているけいご君には申し訳ないけれど聞いてみよう。
「あの、けいご君のお家ってどこにあるの?」
小さい子が自分の家を答えられるだろうかと不安になったけれど、ジュースを飲んでいたけいご君はコップを置いて小さく可愛らしい口からとんでもない場所を答えた。
「ふくおか」


ふくおか、FUKUOKA



………………………………………



「福岡ぁ!!!」
思いもよらない場所でおもわず叫んでしまったとコップを持っていた反対側の手で口を閉じたが、けいご君は驚いたことで目を丸くはしていたけれど怖いとは思っていなかったらしい。よかった。

いやいやいやいや!
いいけどよくない!!
福岡って、あの福岡だよね?
福岡三大名物と呼ばれる博多の水炊き、福岡うどん、博多のもつ鍋があるあの福岡だよね?
お土産だったら辛子明太子が美味しいって言われるあの福岡だよね??
ラーメンだったら博多ラーメンって呼ばれてるあの豚骨ラーメンがはちゃめちゃに美味しいあの福岡だよね????
あれ?ご飯のことしか出てこない。けど今はそれどころじゃない!!

福岡って東京ここからどれくらい距離離れてるんだっけ…。
癖で持ち歩いているスマホから確認するとおよそ五、六時間はかかるらしい。

どこからどうやって来たのか考えられないけれど、けいご君の個性と呼ばれる背中に生えている翼のことであったり話の節々に違和感があるところから想像するに普通に起こり得る事態ではないことは分かっていたけれど、あまりにも突飛過ぎて頭を抱えた。
「まさかとは思うけど飛んできたりとか…はないよね」
「公園は歩いてきたばい」
「あ、歩きですかぁ」
不思議そうに首をかたむけるけいご君にどうやらここを福岡だと思っているらしい。ここは東京だよっと言いたいところだけれどパニックになるかもしれないし、この家にいること自体かなり不安だというのにさらに不安を煽るようなことはしたくないから黙っておくことにした。
そうなってくるとけいご君の親はどうしているのだろうか。福岡にいるのならすでに捜索届けであったり今頃探しているであろう。彼は頑なに親のことを言いたくなさそうではあるけれど、少なくともけいご君の両親は今頃探しているだと思う。

あの公園にはけいご君以外誰もいなかった。
親らしき人もいなかったし、あの時は緊急事態でもあったからしっかりとは確認できていないけれど誰もいなかった。ちびりちびりジュースを飲みながら何かを探すのを諦めてアニメを楽しんで観ているけいご君には申し訳ないけれど、昨日の晩のことを意を決して聞いてみることにした。
「けいご君、ちょっといいかな」
アニメに目を向けていた瞳をこちらに向けてどうしたのと聞いたげな顔をしている彼に「昨日は、どうして一人でいたの?」と言葉をつまらせながら聞くと健康的だった顔色が青白くなりジュースを持っていた手を少し震わせていた。想像通りの反応に罪悪感があるものの、こればっかりはいつまでも黙って見なかったふりをするわけにはいかない問題だ。
けいご君はジュースを机の上に置き、横に置いてあったエンデヴァーのぬいぐるみを昨日のあの公園にいた時のように抱きしめ俯いた。昨日よりも強く抱きしめているせいかエンデヴァーは少し潰れかけていた。
時間はたっていないけれど今なら答えてくれるだろうか。もしこの機会を逃したら次聞けるのはいつになるだろうか。そもそもけいご君といられる時間はあとどれくらいになるのだろうか。その間に、こんな私でもできることはあるのだろうか。
悶々と考えながらけいご君の返答を待っていると彼は意を決したように縋るような目で私の瞳をまっすぐ見つめながら口を震わせながら声を発した。


「外に出とうして、家出した」

「お父しゃんにつまらんって言われとったばってん、声が聞こえたけん外に出とうしてこっそり出てきた」

「お母しゃんにもろうたお金でこっそりコンビニに買い物に行こうとしとったら道がわからんくなって」

「いつん間にか知らん公園におったら、こわくなって」


淡々と答えるけいご君に私は心の底が冷えていくのを感じた。
テレビから聞こえる軽快な音楽とヒーローが人を救ってエンディングに入ろうとしている場違いな場面が、重い空気をよりいっそう重くさせた。私の足りない脳みそでも今までのことを総括して断言できる。


この子は親に虐待されている。


警察に行ってはいけない。これは親が警察に行っては不都合なことが起こるから行かないように警告していたのだろう。
体を見せないようにするところは、虐待をされているということは暴力をふるわれている可能性が高い。これも虐待だと分かられたら警察沙汰になるから親が強く見せないようにしているのだろう。
そして、人の顔色を伺うようにしているところ。これは自分の言動で親の怒りを買わないようにするための防衛本能。暴力などをふるわれている場合ならなおさら。

もしかしたら、いや、そんな筈がない何度も考えては否定していたというのに、当たってしまったことにショックだった。少しの間放心状態になっていたけれど、次第にけいご君の体が震えていくのを見て真っ白になった頭を振り払い彼に近づきおそるおそる壊れ物を扱うようにふわりと抱きしめ小さな赤い羽根のある背中を優しく撫でた。背中を撫でた瞬間びくりと羽と共に体を強張らせていたけれど、しだいに震えは止まりけいご君は小さな両手で私の背中をきゅっと掴み自分の顔を見えないように肩に埋めた。咽び泣く声と濡れていく肩とあたたかなぬくもりに涙が出そうになって、優しく抱いていた力を少し強めた。




アニメの優しいエンディングテーマの曲が流れていくなか互いに抱き合う姿を転がり落ちたエンデヴァーのぬいぐるみが二人を見守るように見ていた。
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