7/21 公園に小さい天使(?)

自分の胸の内で起こってしまったことに一瞬思考停止してしまった私だったが、懸命にエンデヴァーの話をする男の子を無視するわけにもいかず耳を傾ける。男の子は嬉々としてエンデヴァーの話をするけれどやっぱりいまいちピンと来なかった。アニメか漫画の話題という可能性も考えたけれど話の節々にリアリティがあるというか“まるで本当に起こった話”のように語るところをみると、やっぱりアニメと漫画の線は消えた。訂正箇所があるとすれば、どうやらエンデヴァーは戦隊モノのジャンルの登場人物ではなくアメリカン寄りのヒーローものだということは分かった。髪の色も日本人っぽくはないし、背中についている赤い羽のクオリティとか考えるとこの子は海外の出身なのだろうか。話し続ける男の子の話を聞きながらこの子がどこから来たのか考えること数分後男の子がハッとした顔をし、また俯き始めてしまった。
「どうしたの?」
「…知らん人と話したらつまらんのば忘れとった」
「つまらん?」
そう言って男の子はプイッと横を向いてしまった。
「え……………」
男の子から思わぬこと言われてしまい思わず驚き焦った。つまらん、というのはどこかの方言だったのか、なんとなく“駄目”という意味なのは察した。
「えっと、きみ」
「………」
「あー……」
「………」
焦って話しかけてみても反応はなかった。先程まで会話が続いていた(ほとんど男の子が喋っていたけど)のが嘘のように夜の公園はしんと静まり返った。どうしたもんかと頭を抱えるとスマホの着信音がけたたましく鳴った。音にびっくりした男の子にごめんと言ってからしゃがんでいた体を立ち上がらせスマホをポケットから取り出す。画面には母と書いてある文字を見て買い物袋の中身を忘れていたことに気づき急いで電話に出た。
「あ、えっと、もしもしごめん、今からかえ」
「あんた今どこにいるの?!!もう一時間もかかってるんだけど!事故とか事件に巻き込まれてないでしょうね!」
「あ、うん、ごめん、大丈夫。事件とか事故には巻き込まれてない…と思う。たぶん」
黙りこくってしまった男の子の小さい頭をチラリと見て小さくため息をついた。
「…なんかよくわからないけど、なんともないならよかった。それより、さっさと戻って来てちょうだい。お母さん緊急で病院に行かなきゃならなくなったから今から家空けるわ」
「なにかあったの」
「駅の近くにホテルがあったの覚えてる?そこで大火事があったのよ。それに、火事だけじゃなくて近くで殺傷事件も起きていてね」
「……うそ、まじで」
あまりにも物騒な事態になっていて思わずスマホを落としそうになった。だからお母さんは最初にものすごい剣幕で電話をかけてきたのかと納得した。
「これからお父さんの病院の所に患者さんがくるからお母さんも行くことになったのよ」
「分かった。すぐ戻るよ」
「ごめんなさいね。本当なら迎えに行きたい所だったのだけど、今は余裕がないのよ。気をつけて帰ってきてちょうだい。それからちゃんと戸締りしてから寝るのよ。明日も帰れるか分からないからご飯は自分の分だけ用意してちょうだい」
「分かった分かった。お母さんたちも気をつけてね」
おやすみとお互い言い終えたあと電話を切った。男の子は話の内容が深刻なものだとなんとなく理解していたのか、そわそわしながら「どげんしたと?」と人形をギュッとさせながら上目遣いで尋ねてきた。とてもかわいい。…じゃなくて!!
とりあえず男の子に急いで家に帰らなきゃならないことを伝えるとふたたび俯き始めた。酷いことかもしれないが、今は男の子の用事に合わせる余裕がない。緊急患者、ましてや話を聞いた感じ今回は本当にやばいらしい。殺傷事件という単語があらわれたとき聞き忘れてしまったが、犯人が捕まったのかすら分からない。ここから駅まで距離は遠いものの、事件が起きてから時間が経っていたらこの公園に近づいている可能性もありえる。正直早く帰りたくてしょうがない。
「あの、そういう訳だから、私はここを離れなきゃならないんだけど、お母さんとかお父さんは近くにいるのかな?」
男の子は首を横に振る。子供をこんな時間まで放置させるなんてどういう神経してるんだとふたたび男の子の親に苛立ちをおぼえた。
「じゃあ、警察のところに」

「つれていかんで!!」

男の子は立ち上がり必死に私に訴えてきた。小さい体はなにかに怯えてるかのように震え上がっていて、瞳は涙でうっすら濡れていた。異常な怯えように驚いた。警察にいきたくない大きな事情でもあるのだろうか、どちらにしても今は時間と余裕がない。
…一応、男の子がまったくその場から動かないままでいたので、考えていたが頭の片隅にしまい込んでいた提案を口に出すことにした。
これは決して誘拐ではない。神に誓ってぜっっったいに誘拐なんかじゃない!!
「それじゃあ、あの、もしよかったらお姉ちゃんにくる?」
男の子はそれはそれは目をまんまると大きくさせていた。そりゃそうだ。見知らぬ大人に非常事態とはいえ「きみうちくるかい?」なんていったいどこの世界にいるんだ。子供を誘拐する犯罪者くらいしかいないだろ。
…ここにいたけど。
とはいえ、それを子供とはいえ易々と言うことを聞く子とは到底思えない。男の子は考え込むように地面に視線を落とす。私の心は早くこの場から立ち去りたいという気持ちでいっぱいだったし、男の子をいいかげん安全な場所に避難させたかった。少々強引かもしれないが致し方がない。
「ごめんね。今この近くに危ない大人がいるかもしれないんだ」
「…!ヴィランがおると?!」
「…えっとそうだね、ヴィランがいるかもしれない。ここにいるのは本当に危ないから、お姉ちゃんと一緒にきてくれないかな」
「……」
男の子の会話に合わせて答えたけれど、ヴィランがなんなのかは分からない。でも少なくとも意味合い的にはあってるはず。それでも男の子は迷っている。



「……君を守りたいんだよ。知らない人だし信じられないかもしれないけど、お願いだから…」



思わず男の子の両肩をそっと抱く。彼はぴくりと肩を揺らし顔を私の方へと向けた。
彼の大きな瞳にはとても情けない泣きそうな顔をした私の顔がうつっていた。
こんな顔してちゃ、来るはずないというのに…。情けない自分に腹が立つ。
自分のあまりの無力さに唇を噛んでいたそのとき、男の子の口が小さく開いた。
「ご迷惑ばおかけしますが、よろしゅうお願いします」
と遠慮がちに目の前でぺこりと頭を下げた。
「えと、それは…」
「…一緒に行く」
無表情で言う男の子の言葉に自然と自分の顔が笑顔になっていった。
「…っ、ありがとう」
「…!」
思わず彼の小さな両手を握ると何故か顔をほんのり赤くさせてこくりと頷いた。
「それじゃあ、急いでこの場から離れよう。嫌かもしれないけどお姉ちゃんの手を繋いでて」
「うん」
買い物袋を肩にかけ、反対側の手で彼の手を繋ぎ家へと歩いた。
男の子に歩幅を合わせつつも少し早めに歩く。彼も私のその意図に気がついているのか、少しばかりちょこちょこと走っているように感じる。できれば抱きかかえていきたいところだが、買い物袋があるうえに今までニート生活をおくっていた女には厳しいものがあった。


お互い急いで歩いたおかげか、そんなに時間がかかることもなく家についた。
「ここがお姉ちゃんの家と?」
「そうだよ。お父さんとお母さんと三人で暮らしてる」
私の家はどこにでもある普通の一軒家だ。だというのに男の子の「すごか家ばい」という声に普通の家なんだけどなぁと思いつつも、少し嬉しいような誇らしいような気持ちになった。お父さんが買った家だけどね。
鍵を開けて玄関に入りあかりをつける。買い物袋を置いてお母さんの言葉を思い出しすぐさま鍵を閉める。その動作に不安がる男の子に「大丈夫だよ」と頭を撫でると彼の背にある羽がパタパタと揺れた。作り物にしては本当によくできてる羽だな〜。というか、今のアウトなのかな。と考えながら靴を脱ぎ終え男の子を見るとまだ靴を履いたままの状態だった。
「あ、ごめん!靴脱いでもいいよ」
「はい」
私の言葉で男の子が靴を脱ぎはじめた。まさかとは思うが、いつも親の許可をもらわないとなにもできないように教育されているのかとそんな考えが脳裏をよぎった。複雑そうな顔で男の子を見ていたせいか、靴を脱ぎおわった彼は私の視線に気づき私の服の端をちょんと掴んだ。
「ん、あぁごめん。あ、そういえば君の名前を聞いてなかったね。私は苗字 名前」
「…たかみけいご」
「それじゃあ、けいご君って読んでいいかな?」
けいご君は頷き「…名前お姉ちゃんよろしゅうお願いします」とにへらと笑いかけた。服の端を持ったままこてんと首を傾けるあざとさのある仕草に胸がドンと花火を打つような衝撃と共に意識が宇宙へとぶっ飛んでいくような感覚がした。しばらく放心状態になっていると、けいご君のお腹からきゅるると可愛らしい音が鳴った。
「ご、ごめんなしゃい」
頬を赤くそめて慌ててぬいぐるみとともにお腹を抑える仕草にまた目眩がしそうになるも、ぐっと堪えて彼の手をひきリビングへと連れていった。リビングに入る時もけいご君は未知の世界に夢中なのか、部屋の周りを忙しなくキョロキョロと見ていた。
「その辺に座ってていいよ。今から残り物をだすから」
けいご君に座布団と机のある方へ行くように伝えてからキッチンへと向かい買い物袋から買ったものを冷蔵庫の中に入れた。案の定、楽しみにしていたアイスは溶けていたけれど、アイスを覆っている薄い生地の部分は破けていなかったので少しばかり小腹も空いたし、デザートにトーストの上に乗せて一緒に焼いてしまおうと考えた。今日の晩御飯の残りの唐揚げが盛り付けられている皿をレンジの中に入れ、味噌汁が入っている鍋を温めようと鍋の取っ手を掴み冷蔵庫から取り出すと、足元にけいご君が気配もなく立っていた。
「うぉあっ!びっくりした」
「あの、何か手伝います」
ぬいぐるみを机の上に置いてきたのだろうが、小さい両手をもじもじとさせながら何処か気まづげに聞いてきた。かわいいと思ったけれど、それ以上に違和感があった。子供とはここまでしっかりしているものだろうか。私がけいご君ぐらいの時は全部大人に頼りきりだったしお手伝いしてって言われるまで動かなかったと思う。
彼の性格かもしれないけれど、やっぱり黒いモヤが胸の内で広がっていく。親の教育が厳しかった…と考えたいけれど、“警察に行きたくない”とハッキリと言ったけいご君の反応を見るに別の可能性を考えたが、これについてはお父さんとお母さんに相談しないと分からないから一旦思考から消し、私の返事を待っているけいご君に目を向けた。
「待っててもいいんだよ。流石に疲れたでしょ」
手伝わずにゆっくりしててもいいと伝えても、けいご君は頑なに首を横に振った。
「それじゃあそこにある炊飯器に自分の分のお米をお茶碗によそって、箸を準備してほしいかな」
お手伝いをどうしてもやりたそうなけいご君に、子供でも持てそうな軽い椅子をキッチンの中に入れると彼は少し嬉しそうだった。
「お姉ちゃんな食べんと?」
「私はけいご君と会う前にご飯食べちゃったから大丈夫。それに、デザートを作る予定だから」
「でざーと?」
「そう、けいご君にも分けてあげるから食後楽しみにしててね。美味しいかどうかはあんまり保証できないけど」
けいご君に炊飯器の場所と茶碗の箸のある場所を教えると、こくりと頷き椅子を持ってぽてぽてと炊飯器のところへ向かった。心配だったので味噌汁の入ってる鍋をコンロに置いて火にかけてからチラッと様子を見ると、けいご君は懸命に椅子を登っていた。頑張って椅子を登る姿にこう、グッときた。
夕飯を食べてからそんなに経っていなかったと同時に夏というのもあってか、けいご君が自分の分のご飯や箸を準備している間に味噌汁はあっという間に温めおわった。唐揚げも出来立ての時よりしなっとしてはいるものの、お母さんが作った唐揚げはしなしなになっても美味しい。いや、唐揚げはしなしなでも美味しいか。
大人しく座っているけいご君にお椀に入れた味噌汁と唐揚げを目の前に出すと、目をキラキラと光らせた。
「これ、ほんなこつ食べたっちゃ、よかと?」
「全然かまわないよ。なくなったらまた作ればいいんだから」
「…ほんなこつ、よかと?」
「えっと、ほんなこつよかよー」
けいご君に合わせてあってるかどうかも分からない方言で返すとけいご君はお行儀よく手を合わせて「いただきます」と言った。箸を持ち最初に手をつけたのは唐揚げだった。やっぱり男の子は唐揚げが大好きなのだろうか、大きいであろう唐揚げを口いっぱいに入れて一生懸命もぐもぐとさせてた。唐揚げを何度も噛み締めたあとゴクリとのみこむと「うまか!」とまるで人生で初めて美味しいものを食べたような反応をした。そこからは唐揚げ、ご飯、味噌汁、唐揚げともりもり食べ続け唐揚げは数個だけ残ってはいるもののご飯と味噌汁はなくなっていた。
「けいご君いっぱい食べたね。お母さんが見てたら大喜びしてたよ」
さげるよと言って食器を持とうとしたけれど自分でやりたかったのか、けいご君は食器をさっと持ち流しへ持っていった。しかし、さっきまで使った椅子は片付けてしまったので、心配になった私はけいご君のいる流しへ行くと、



あの小さい羽を動かし浮いていた。
夢でも見ているのだろうかと、自分を疑ってしまうくらいに信じられない光景だった。



唖然と見ている私にけいご君はとても不思議そうな顔で「どうしたと?」と聞いてきた。
まるで、私の方がおかしいんじゃないかと思うくらいに自然に。
「えっと…け、けいご君は空を飛べるの?」
「少しだけなら」


そっかぁ、少しだけ飛べるんだぁ、へぇ………。


わたし、とんでもない子を拾ってきたのでは??


動作が止まってしまった私に食器を流しへ入れおわったけいご君は地面へと降りて服をクイっと何度か引っ張った。けいご君のおかげで意識を取り戻した私は、先ほどまでの出来事を見なかったフリをし「ご飯食べ終わったしデザート作るね」と気の抜けた声で言うと、そんな思惑を知らないけいご君は次に出てくる食べ物に目を光らせていた。それと同時に嬉しそうに動いている羽を見ると、これは本物だというのを嫌でも実感させられた。食パンを取り出し冷蔵庫から買ってきたアイスをパンの上にのせオーブントースターに入れた。
待つこと数分間、少しだけ気まずい沈黙が二人の間に流れた。
「…お姉ちゃん」
「どうしたの?」
けいご君は少し言いずらそうな顔をして「お姉ちゃんな無個性と?」と聞いてきた。
彼の言う無個性は多分、自分のように羽のない人物を指す言葉なのだろうか、それとも、もっと別の意味があるのか。でもなんとなく“君のような人間ひとは見たことないよ”とは言えなかった。とりあえず私はけいご君の会話に合わせるように「うちの家族はみんな無個性だよ」と伝えると申し訳なさそうに「ごめんなしゃい」と謝ってきた。どうして謝ってきたのか理解ができなかった私は「そんなこと気にしなくていいよ」と言って悲しげに俯くけいご君の頭を無意識に撫でた。
重い空気を消し去るようにオーブントースターからパンとバターの焼ける匂いと共にチンと焼けおわった音が鳴った。やっとこの時が来たと言わんばかりに私は食器棚から二枚の皿を取り出し一枚だけ台の上にのせもう一枚は手に持った。
「いよおおし!やっとできた!」
バニラがとろとろに溶けパンに染み込んでいる焼きたての熱くなっているトーストを皿に乗せ、心を躍らせながらパンを包丁で半分にわけた。台に乗せていたけいご君用の皿に切り分けたパンを盛りつけ、彼に出来上がったものを渡すと今にも齧り付きそうな目でパンを見ていた。
「お待たせしました〜!さてさて、座ってゆっくり食べようか」
先ほどの暗い空気から一変してけいご君はぶんぶんと上下に頭を揺らすと早歩きで先ほどまで食事をとっていた場所に向かった。心なしか少しばかり体が浮いていたように見えたけれど、子供らしいところが見れて私は嬉しかった。
「それじゃ、二度目のいただきます」
「いただきます」
バクリと齧り付くと染み込んだバニラアイスとバターが口の中でジュワッと広がり思わずニヤけてしまった。けいご君も気に入ってくれたのだろうか、とても幸せそうな顔をしていた。「美味しい?」と聞くとけいご君は頬張りながらにこやかに「うまか!」と私の質問に返事をして大きな口を開いてパンに齧りついた。口周りがバニラアイスで汚れながらもけいご君は美味しそうにむしゃむしゃとパンを平らげていった。
本日二回目の光り輝く笑顔のうまかに私の心がふたたび浄化された。


お互いご飯を食べ終え少しばかり時間が経ったあと、けいご君はとても眠そうに目を擦っていた。かわいい。
「眠いの?」
エンデヴァーのぬいぐるみを抱きながらこくりと頷いた。
かわいい。けいご君なにをやってもかわいいな。
…と邪な考えをしている場合じゃなかった。寝かせるにしてもお客様用の布団はあるものの随分前から使っていないから一旦洗わないとダメだし、アウトかセーフかわからないけど、ひとまず私の部屋のベッドに寝かせることにしよう。私はリビングのソファーで寝ればいいし、なにも問題ないだろう。夏だし本当はお風呂に入れたいところだったけど、けいご君はすでにおねむの状態になっているので、そうなってる子供の対応を知らない私はとりあえず朝に入れることしか出来なかった。
こくこくと船を漕いでるけいご君を抱っこし二階にある自分の部屋へ向う。
階段をなんとかのぼり部屋へ入りけいご君をベッドに寝かせると「ぬくか」と言って布団の中へ入っていった。電気を消し寝に入っているけいご君を見てから部屋を出ようと背を向けるとなにかに服を引っ張られた。けいご君が来たのかと思い後ろを振り向くと、赤い羽がぐいぐいと懸命に部屋へ出ようとするのを妨害していた。羽ってこんなこともできるんだと、異常な出来事に関心していると赤い羽根の持ち主は布団の隙間からどこか不安げな顔をしていた。
「どこいくと」
「私と一緒に寝たら狭くなっちゃうでしょ。だから、私はソファーで寝るよ」
そういうとけいご君は布団から出てきてベットから降りると「おれもソファーでねる」と眠たげな声で訴えてきた。けいご君の初めての我儘に悩んだけれどこのままだとしがみついてでもついていきそうな感じもあったので、私もベッドで寝ることにした。
壁に背を向けるように寝る私とけいご君。
本来なら落ちないように壁側にけいご君を寝かせるべきなのだろうけど、羽が壁に当たることを考えたらまだ外側の方がマシかと思い、外側へ寝かせることにした。
けいご君は羽のせいで仰向けになれないのか私の方を向いて横向きに寝っ転がった。
今日が初対面だというのに、なぜだか急に距離が近くなったように感じた。多分、同じベッドで寝てるせいだと思うけれど。
「大丈夫?狭くない?」
「だいじょうぶ」
狭さは大丈夫なようだったけれど、汗だくな体で寝るわけで、汗臭さとか諸々気になってきてしまった。
「お姉ちゃん汗臭くない?本当にへいき?」
「くしゃくなか、よかにおいばい」
けいご君は私のお腹に抱きつききゅっと服を握った。これ以上喋りかけても離してくれそうにない彼に私はいろいろと考えるのをやめた。
けいご君の寝息と外から聞こえる夏の虫の音が部屋の中を満たしている。
お母さんとお父さんにどう説明しようか。アニメや漫画みたいなものならどこにでもありそうな事態なのに、実際リアルでこんなことになってしまうと、どうすればいいのか分からない。この子の親は今でも探しているのだろうか。
戸籍は?
家はどこなんだろう?
羽は本物らしいけどこの姿で外に出たらまずいしな。
けいご君か言っていた“個性”とはいったいなんなんだろうか。
いろいろと考えてはみるものの、クーラーの程よい冷たい風と子供独特のあたたかいぬくもり自然と瞼が落ちていった。


もういいや、あした、明日考えればいっか。









ーとある病院ー

ここは都心の中でも細々と営業している病院だ。ある程度の手術できる機器や器具はあるが、大学病院など大きな病院と比べたら比較的に小さい方だ。そんな病院のロビーは緊急患者とその患者の家族で溢れかえっていた。病院内のテレビに映っているニュースキャスターはホテルの火災の状況と殺傷事件の話題を永遠と繰り返している。
「苗字さん!顔に大きな火傷を負った少年が一人搬送されてきました!!」
「こちらは足が骨折しております!」
「男の子は三番の手術室に!骨折患者は手術室がいっぱいになったから診察室へ連れてきて!」
手術室とロビーを行き来するたびに話しかけられる。額に汗をかきながらこれが日常会話ならどれほど良かったかと名前の母紫雨しうは思った。院長をしている夫の友輔ゆうすけの呼びかけで病院へ来た紫雨は救急搬送されてきた患者の数に絶句した。ロビーは人で溢れかえり、入ったばかりの新人看護師数名は狼狽えながらもなんとか患者の対処を行い、紫雨の同僚の看護師達は上手く新人を誘導し、不安になっている患者を落ち着かせていた。しかし、運び込まれてくる患者は途絶えることなく、さらには生死が関わる判断を下さなければならないことが数えきれないほど続いた。

朝日が登った頃、全体的に落ち着いたタイミングで紫雨は遅番の看護師達を帰らせた。やっと家に帰れると涙目で互いを労い慰めながら看護服から私服に着替えそれぞれの家に帰る彼女達を見ては安堵からくる笑みが溢れた。あれから他の病院でもなんとか患者の受け入れが始まり、比較的に軽症な患者はそちらの病院に移ることになり、重症患者は手が空いている専門医の先生を呼びそのまま手術をし入院へという形に収まった。
遅番の看護師達が居なくなったあと、休憩室に行き一息つくと手術が終わってひと段落したのか朝見かけた時よりも顔に疲れがでている夫の友輔が二人分のコーヒーを両手に持ちながら「お疲れさま」と紫雨にコーヒーを渡した。
「急に来てくれてありがとう。本当に助かったよ」
「しょうがないわよ。こんな事態、誰も予想しなかったのだから。それよりも新人の看護師の子たちが可哀想だったわ」
「生死を迫られる判断はとても難しいし、簡単に下せるようなことじゃない。場慣れしていない子達にさせたくはなかったんだけどね…」
はぁ、と深いため息をつき背中を丸め肩を落とす友輔の背中をぽんぽんと叩いた。
「幸い亡くなった人もいなかったから良かったじゃない」
「そうなんだけどね。初っ端からあんな体験させられたら、体よりも心が追いつかないだろ」
「そんなことはないと思うけど。むしろ、小さな病院でも看護師はこういう状況になってもおかしくないっていう覚悟が決まるようになっていいんじゃないかしら。看護師だけじゃなく、医療関係者は常に冷静に時には冷酷に…てね」
「…紫雨って微妙にスパルタなところがあるよね」
「じゃなきゃ看護師なんてやってません」
ぐいっとコーヒーをビールでも煽ってるように飲む紫雨にそれはそうだけど、と苦笑いをした。
「そういえば名前は大丈夫だった?買い物帰りだったって聞いたけど」
「数時間前にLINEに帰ったって送られてきたから大丈夫よ」
「よかった」
「…それより、例の患者はどうなの?」
娘の状況を知った安堵の表情をする友輔に紫雨はある患者のことを尋ねた。それはおそらく殺傷事件に巻き込まれた被害者のことだった。紫雨がその話題に触れると友輔はほっとしていた顔から真剣な顔に変え答えた。
「腹部に大きな切り傷はありつつも、臓器に損傷はみられなかった」
「…よかったと言うべきかしら」
「そうだね。臓器に損傷があったり破裂していた場合はもっと大きな手術をしなきゃならなくなるからね。出血もあったけど、生死に問題がない程度だ。状況はどうあれ、彼はラッキーだったよ」
ほっとした紫雨だったが友輔は沈痛な表情を浮かべていた。
「…なにか、他にも問題があるの?」
友輔は深いため息をつきコーヒーを飲んでから口を開いた。
「腹部の傷の他にアキレス腱が切れていたから、どっちみちしばらく入院になるんだけど、身元が分からないんだ。」
「えっ…」
友輔が言うに、警察も身元を調べてはいるものの現時点では分からずじまいとなっている。しかも、被害者を刺した犯人が見つからない、というより痕跡がまったくないときた。自分たちが救った命はいったいどこから来たのか、誰に狙われていたのか分からないというのは、かなり不気味さを感じた。
「患者が目を覚さないうちはなんともいえない状況だね」
「怖い人達の繋がりがある人じゃなければいいのだけど…」
「…まぁ、どんな人であれ僕達は医者だ。誰であろうと、死にかけた命は救うさ。それに、何か起こっても絶対に紫雨や名前は守るよ」
今後のことを思い不安になる紫雨が肩を落とすと、今度は友輔が背中を優しく叩き元気づけた。友輔は普段少し頼りないが、いざとなったら時には医者の顔となり、時には頼れる優しい旦那の顔になる彼のギャップに、患者も友輔を揶揄いながらも絶大な人気と信頼があった。紫雨は彼の優しさに消えぬ恋心に胸をときめかせ誰もいないことを確認し、抱きしめた。
友輔もそんな紫雨に答えるように、照れながらも抱き返すと、紫雨と友輔を呼ぶ声が聞こえた。久しぶりに恋人のような時に戻れたのにとごちる紫雨とそんな彼女をみて笑う友輔は二人を呼んだ声に答えるように休憩室から出た。
「さて、もう一仕事頑張りますか」
「そうね。帰る前にお土産にプリンでも買っていこうかしら」
「お土産というより自分へのご褒美なんじゃないかい」
「失礼ね。ちゃんとあなたと名前の分も買いますよ」
家で待っているであろう出不精の娘のことを思いながら、二人はそれぞれの役割を果たしに行った。



しかし、これから数時間後、自分たちの娘が身元不明の小さい羽が背にある男の子を匿っていることに驚愕するのを、まだ知らない。
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