「……なんで、降谷さんがここにいるんですか…?」

しばしの静寂、やっと口から出たのは疑問だった。まさか降谷さんの声がするなんて思っていなかったのだ。雨はまた激しさを増す。コンクリートを打ち付ける波の音も、やけに近くに聞こえた。

「……ヒロから電話をもらった」
「それで海ってわかったんですか…?」
「この辺りで死ぬのにふさわしいのはここだからな」
「私だって、そんなこと考えてなかったはずなのに……。筒抜け、なんですね…」

安堵か、恐怖か、先ほど引っ込んだはずの涙がまた溢れる。今度は少しだけ。
何かを言おうと開いた唇が震えていた。だから、この話をしようと思ったのかもしれない。

「…………、わたし、人を殺したんです」

この人には言ってもいい気がした。
いや、そう思っているだけで本当は一人で抱え切れなくなっただけかもしれない。それでも、降谷さんは聞いてくれるような気がした。

「君が……?」
「はい……殺したんです、たしかに、この手で……」

見下ろした手のひらは雨に打たれ続けたせいかふやけており、情けなくて鼻で笑ってしまう。

「殺して、私も死んだはずなのに…。気づいたら私の罪は消えてなくなっていました」
「は……?」
「現実的じゃないのはわかってるんです。でも、確かに私は殺した。殺したんですよ……!!曲がりなりにも父だった人を!!」
「っ!」

私を抱きしめる彼の腕の力が緩んだ。当然だ。彼は警察を志す人間で、私は忌むべき犯罪者なのだから。

「殺したのに……。私は、罪を犯したのに……どこにも、ないんです……」
「ない……?」
「父も、父に殺された弟も、犯した罪もこの世界にはないんです…!!」
「待て、それはどういう…」
「そのままですよ…。きっと私が自首しても、そんな人はいない、そんな犯罪はなかったと言われるんです……だって私は、戸籍がなく身寄りのない“誰でもない人間”だったんですから」
「…………」

きっと、理解できないと思う。それでよかった。この話を聞いて気味悪がられてもいい。なんでもいいから話をしたかった。

「誰も、私を裁いてくれない……。あの時、自らを裁いたはずだったのに……どうしてまだ私は生きて、こんなに汚い体で、なのに、諸伏さんに笑いかけてもらっているなんて……他でもない私が、許せない」
「だからって死ぬな!!」
「っ……!!」

食い気味なその声に肩が揺れる。私の言っていることはまやかしだと言われても仕方のないことなのに、彼の声は不思議なくらい真っ直ぐだった。

「罪を裁く者がいないなら俺がその罪を覚えておいてやる!だから死ぬな!もうあいつを苦しめるな!!」

あいつ というのは諸伏さんのことだとすぐに分かった。私が死ぬことで、諸伏さんが苦しむ…?
そんなこと、考えもしなかった。早く離れなくちゃ、遠くに行かなくちゃそればっかり考えて。その可能性を考えることすらしなかった。

「あ、ぁ……わた、し」

やってしまったことの大きさをじわじわと理解する。
そうだ。諸伏さんは目の前でご両親を失っている。それが心に深く根付いていることを私は知っているはずなのに。
なぜ彼の前から消えようと、そんなことを考えてしまったのだろう。
本当に、何も考えていなかったのだ、私は。

「ごめ、ごめんなさい……っ、ごめんなさい……っ」
「僕に言うな。ヒロに言ってやれ」
「いいえ、いいえ……っ、降谷さんにもご迷惑をおかけしました……ごめんなさい…本当に……」
「……泣くな……もういい。ヒロに連絡するからな」
「はい……お願いします……」

その後、裸足の少女を歩かせるわけには行かないと仰った降谷さんにおんぶされた私は彼の背中で意識を失った。しばらくして彼に叩き起こされるとそこは諸伏さんの家で、玄関を開けるとずぶ濡れの諸伏さんが立っていてまた泣いてしまった。何も言えずただ謝る私に諸伏さんは「戻ってきてくれてよかった」とそれだけを言って全てを許してくれた。降谷さんは私のことを言う気はないようで、それは私への優しさ…と言うよりは諸伏さんのことを思ってのことだろう。“親殺し”なんて、諸伏さんのことを知っていれば言えるはずがないだろうから。

ずぶ濡れの私たちは順番にお風呂に入るという話になり、もう遅いので降谷さんも泊まって行くことになった。「君のせいだ」と冷たい目で言われた時は返す言葉もなく、2、3回頭を下げた。

降谷さんがお風呂に入っている間に髪を乾かしていると諸伏さんと目が合う。少し気まずくなりながらドライヤーのスイッチを切って「どうしました?」と聞くと、彼は何も言わずに私の頬に触れる。

「もう、触れていいか?」

ああ、そうだ。家を飛び出した時はこの優しい手から逃げたのだ。かすかに震えるその手に自らの手を重ねる。冷えたその指に私の熱がうつるようにと願いながら。

「はい、もっと触れてください」

そう伝えると彼は目を見開いて固まってしまった。指先も力が入っているようだ。もしかしてまた何かを思い出して…?一抹の不安がよぎり、「大丈夫ですか?」と首を傾げると、彼は「へっ!?」と素っ頓狂な声を上げた。フラッシュバックではなさそうだが……。

「大丈夫!大丈夫だよ!!」

何度も「大丈夫!」という彼は私から飛び退いて部屋に入ってしまう。お風呂まだなのに…どうしたんだろう? そんなことを考えていると脱衣所から出てきた降谷さんに「何をしてる?」と訝しげな目で見られた。私もそれを聞きたいのですが。