呆然と手の内を見る。
ガタガタと震えるそれは、赤黒く染まっていた。
どれだけの時間こうしていただろう。わからない。わかりたくもない。ただ、最初は鮮やかだったそれが、どんどんと黒く、硬くなっていったということだけは理解できた。

まさか、某有名探偵漫画を愛する私が、「こちら側の人間」になるなんて。頭の中がこんがらがる。これがアニメや漫画だとしたら、私は全身黒タイツの「犯人」として読者や視聴者に映っていることだろう。いや、そんな芸術作品ではない。ミステリーもトリックもない。ただただ私は、この手で人を殺めたのだ。

それも、実の父を。


許せなかった。
自白をするならば出だしはこうだろう。
許せなかったのだ。父のことが。
脳内に、犯人が罪を告白する際のバラードチックなテーマソングがかかり出した。

私は父と弟と3人家族だった。
父は昔からとても気の荒い人で、母や私に暴力を振るうのはしょっちゅう、酒癖も酷く、怒鳴られコケにされることも当然。だから弟を産んですぐ、母は逃げるように家を出て行った。残された私は、幼い弟を世話し、父の暴力から彼を守った。本当は私も逃げたかった。こんなところには居たくなかった。だけれど、弟だけが私の希望だった。彼を捨てて逃げることも、まだ学生の私には彼を連れて逃げることも出来なかった。ただただ、その何も知らない純真無垢な笑顔を守りたかった。

なのに。
学校から帰ってみると、その光景は“最悪”だった。
ビール缶で溢れたタバコ臭い部屋。そんな者はどうだっていい。その中心にぐったりと倒れる愛しい愛しい変わり果てた宝物の姿。それを見下ろす醜悪なバケモノ。


許せなかった。

バケモノはこちらをゆっくりと振り返る。

まだ、4歳になったばかりなのに。

バケモノは口を開いて、「俺は悪くねぇ」と言った。

私の心を支えるあの笑顔はない。

勤務態度が悪いだかなんだか知らないが、会社をクビにされて腹が立っていたのだと彼は言った。
何も知らずに笑いかけてきたこのガキが悪いのだと。

違う、違う。
あぁ、許せない。

弟は、お前みたいなバケモノにも優しく笑いかけるような、天使だったのに。

許せない。
どうしても、こいつだけは許せない。

ーー。
それからはもう、よく覚えていない。
命乞いをされたような気もする。
でも、そんなことどうでもよかった。
ただ、ぐちゃぐちゃになった感情でいっぱいいっぱいだった。
凶器は私が毎日使っていた包丁のようだ。小さく呟いた「ごめんね」はその包丁に対してだった。一ヶ月に一度ちゃんと研いで、大切に使っていた物だ。買い換えることなんてできないから、丁寧に扱っていたのに、こんなことに使ってしまって「ごめんね」。

それから、どうしようと天井を見上げた。タバコのせいで変色した、汚い天井だ。
弟の亡骸は骨があらぬ方向に曲がっており、とてもかわいそうだった。それでもやっぱり大切で私は彼を優しく抱きしめる。どうしよう、バケモノの死骸は別として、彼は助けてあげたい。ちゃんと供養してあげたい。けれど、今の私にはそんな権利ない。
だから私は通学鞄からノートを取り出し、今までの全てを綴った。弟だけはしかるべき供養をしてください、と締めて。
そのページをわかりやすく開いて、家の固定電話で「110」にコールをする。これが一番弟を助けてあげることができる。

「父を殺しました。住所は……」

至って冷静だった。こうすればきっと弟の体は腐ることなく発見されるのだろうと思えばこそだ。
私は、弟のためだったらなんでもできたのだ。バケモノを殺すことだってできた。
だけど、私は弟がいないと生きられない。それだけはできない。

「大丈夫だよ……。お姉ちゃんもすぐいくからね」

私はバケモノを殺した包丁を握りしめる。
何も怖くない。やけに心臓が凪いでいた。
まぶたの裏に、大好きな大好きな宝物の笑顔が見えた気がした。