それから降谷さんは何度もこの家に来るようになった。もちろん遊びにきているわけではなく、課題をしに…だ。来る時間はまちまちで、諸伏さんも降谷さんもバイトをしているからか夜遅くに二人で連れたって帰ってくることも少なくない。夜に訪れる時は事前に連絡があり、私は3人分の夕食を用意する。頼まれたわけではないが、それが普通だと思ったのだ。
「美味いな……」
ある日の夕食時、ボソリと降谷さんが呟いた。ご飯のことかな…と自意識過剰にも思い至り「ありがとうございます」と返せば、諸伏さんは愉快そうに笑った。
「だろう?お前とは大違いだよゼロ!」
「うるさいな……別に困ってない」
「大違い?料理、苦手なんですか?」
何となくそう聞くと、降谷さんはムッと眉を寄せて、諸伏さんはもっとおかしそうに声を上げる。降谷さん、なんでもできそうな雰囲気なのに意外だ。しかも諸伏さんがあんなに笑うって、相当苦手なんじゃないのか?
「いいんだよ別に。料理ができなくても」
「多少はできた方がいいぞ?」
「どうせ料理する時間なんてなくなるだろ」
むすっと降谷さんは唇を尖らせてしまう。確かに現代社会は忙しいからな……いやでも、料理できなくなるほどか…?などと考えていると、「社会人のステータスだよ」と諸伏さんが笑う。
「普通の社会人と警察官じゃ違うだろ」
「まぁ、勤務形態とか色々だけどな」
「張り込みとかしてたら忙しくて飯も食ってられないさ」
「それもそうか?」
「えっと……」
楽しそうに会話する二人に水をさしちゃいけないと思いつつ、気になったのでそろそろと手を上げる。「もしかして〜……」と控えめに言うと、察してくれた降谷さんが全てを聞く前に答えてくれた。
「あぁ、僕とヒロは警察官になるのが夢なんだ」
「けい、さつ……」
「そうだった」と私の中の何かが言う。
そうだ、二人は警察になって。いや、しかもただの警察じゃない…もっと危険な……。……ダメだ、これ以上は思い出せない。
考えが錯綜する中じゃ何と応えるのが正しいのか分からなくて、「だから私のことを助けてくれたんですね」と言う私の声が遠くに聞こえた。
警察……。
やっぱり、彼らは私と正反対だ。
この血塗られた私とじゃ……。そんなこと、今更だろうけれど。
「警察になりたいから助けたわけじゃない。困ってる人を見過ごせなかったんだ」
「いえ、そう言う人だから警察になるのかなって」
「違うさ。そんな大層なもんじゃない。俺にもゼロにも警察になりたい理由や目的があるんだ。独裁者が世界を征服するという野望を持っているのと同じで」
それは「エゴ」だと言いたいのだろう。自分がなりたいからなる、それだけだって。別にそれは悪いことじゃないのに、彼は認められることを拒んだ。優しい人だ。エゴで人を殺めた私とは全然……。
「でも事実私は助けられました。ありがとうございます」
これ以上踏み込むのは良くない。一歩下がって感謝の言葉を述べる。やっぱりここにい続けるのはダメだ。少しだけわがままを言うけれど、参考書を買ってもらって、高卒認定を貰い、バイトでも仕事でもして恩を返さないと。それで、罪がなくなるわけではないけれど、これ以上重ねないようにしなければ。
その日は諸伏さんと二人で参考書を買いに出かけた。手持ちの服は彼から借りた部屋着の他に、存在しない学校の制服しかなかったため仕方なく制服を着る。そういえばスーパー以外に買い物に出かけるのは初めてだった。
近所に大きい本屋さんがあると言う彼に連れられしばらく歩くと、開けた通りに出た。アパートの周囲はとても閑静だったため、こんなすぐ近くに大通りがあるとは意外だ。
「そういえばこの道を東に進むと俺とゼロが通ってる大学があるんだ」
「へぇ…」
二人が通っている大学には少し興味があったが、いく予定もないのでそれ以上は何も聞かない。大通りは人が多く、肩がぶつかりそうになりながらもなんとか諸伏さんを追いかける。歩幅広いなあ…。少し足を止めただけでさっさと先に行ってしまいそうだ。
本屋さんは彼が言っていた通りとても大きかった。種類ごとに分類された棚の上には、大まかな説明のプレートが掲げられている。「参考書」のコーナーで何を買えばいいか悩んでいる私とは違い、事前に調べてくださったのだろう諸伏さんは何冊かピックアップして「どれがいい?」と聞いてくる。出来るだけ安いの…と思ったのだが、ほとんど値段は変わらなかった。それにしても参考書って高いんだな……。早く認定資格取ろう…。
「オススメのやつで」というと、彼は少し悩んだ様子を見せてから、全て抱えてレジに向かってしまう。まさか全部買うなんて言わないよな…と心配していると、レジに見知った顔があって驚いてしまった。
「ゼロ〜!助けてくれ!」
「仕事中だ。断る」
降谷さんだ。この本屋でバイトしてたんだ…。諸伏さんの背中越しにペコリと頭を下げると「こんにちは」とにこやかに挨拶されて面食らう。これが俗に言う営業スマイル……。それにしても眩しすぎる…。
「そんなこと言うなって。ゼロ頭いいしオススメ教えてくれよ」
「オススメって…これ高卒認定の参考書だろ。…ってことは、これを使うのは名字ってことか」
「は、はい……いちおう」
「オススメって言われてもな……」
まさか降谷さんの知恵まで借りることになるとは思っておらず、申し訳なさで身を縮こませてしまう。勉強ができる彼だ、きっといい答えを出してくれるとは思うのだが……。彼は諸伏さんが持ってきた参考書を全てペラペラとめくり軽く目を通してから、数冊レジに通す。
「まぁ、今通したのは挿絵も多くわかりやすいんじゃないか?名字は頭が悪いわけではなさそうだし、一人で勉強する分には悪くないと思う」
「助かるよ、ゼロ」
「わかったからさっさと会計を済ませて帰れ」
しっしと追い出すような仕草をする彼に、諸伏さんと二人で何度も頭を下げてお店を出る。悪いことをしたなぁ、とお店を出てから振り返ると若い女の子に絡まれている姿が目に入る。まぁ、モテるとは思っていたが。
「いやぁ、やっぱゼロは頼りになるなあ」
「最初から頼る気でいましたね?」
「もちろん。だからゼロがシフト入っている今日のこの時間を選んだんだよ」
「はは……」
サラッと悪いこと言うなぁ、と思いながら並んで歩く。買ってもらった参考書が入った袋を持ちたかったのだが、諸伏さんからそれ奪うことは難しく、結局彼が家まで持って帰ってくださった。
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