夕食を食べてから今日買ったバーボンをグラスに注いだ沖矢さんは私についてくるようにいって書斎に向かわれた。私本当にこの人とお酒を飲むのかな…と謎に緊張してしまう。いやいや、別にやましいことは何もないのになんで緊張してるんだ…。と思いつつもやっぱりどこかドキドキする。こちとら男性と付き合う暇なんてない人生だったんだ。許してくれ。
沖矢さんに続いて書斎に入ると、彼はもう本を一冊手に取って椅子に座っていた。それを書見台に置いた彼は、ブックマーカーの挟まった部分を開いて静かに読みはじめてしまう。その光景にさっきまで昂っていた心がだんだん落ち着いてくる。そうだよね…何かあるはずがないんだ。
私もこれを機に何か読もうと書斎の壁一面に敷き詰められた本棚に目をやる。工藤優作氏はミステリー作家だから、この棚の中身は全部ミステリー本なのだろうか……。ミステリー本って難しそうだよな…。手近な本を手に取ってパラパラと開いてみるが、全然ピンとこない。
「読む本にお悩みですか?」
「えっ」
何冊か手に取りながら悩んでいると、いつのまにか背後に立っていた沖矢さんに声をかけられる。全然気づかなかった…。
「まぁ……ミステリー小説どころか小説をほとんど読んだことがないので……」
「ふむ……でしたらアガサ・クリスティなんていかがでしょう」
「な、名前なら聞いたことがあります!」
「アガサは女性ですから、感性が合うかも知れません」
「へぇ…女性の作家さん…」
「作風もたくさんありますし、「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」なんていいと思いますよ」
「え、な、えゔぁ、え?」
スラスラと難しいことを言われて聞き返すことも出来ずにいると、そんな私をクスクスと笑って彼はもう一度口を開いてくれる。
「「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」ですよ」
「な、なんですかそれは…」
「題名です」
「不思議な題名ですね……」
「作品内に出てくるダイイングメッセージがタイトルになっているんですよ。お洒落でしょう?」
「なんでそれがダイイングメッセージなんですか?」
「おっと、それは読んでいただかないと」
沖矢さんはそういうと、棚から一冊の本を取り出し、私に差し出してくださる。そこには先ほど彼が言っていた題名が書いてあった。どんな話なのだろうと裏表紙に書いてあるあらすじを読む。
「う……」
ちょっと気になってしまった…。ミステリーなのにすごく楽しそうな雰囲気すら感じるあらすじだ。「ユーモアに溢れる」って書いてあるし私が思っているほど難しい話ではないのかも知れない。
「どうですか?」
「……」
完全に私の性格を読まれてるな…と思いながら「読みます」と応えて辺りを見渡す。さてどこで読もうか…。
「椅子でしたらこちらに」
「え……?」
また私の心を読んだのか、彼はもともと自分が座っていた机の後ろから大きな椅子を取り出す。社長室とかにありそうなふかふかな椅子だ。どうしたんですかこれ、と聞くと「優作さんの部屋から拝借してきました」と言われて図太い人だなぁと呆れ半分感心半分。彼がそれを机を挟んで自分の向かいに来るように配置するので、「じゃあ」とそこに腰掛ける。そしてその右手前にバーボンの入ったグラスを置かれる。
「ロックなんですね…」
「おや、嫌でしたか?」
「いえ……ご存知の通りチューハイでぶっ倒れる人間なんですけど…」
「無理せず少しずつ飲んでくださいね。後でチェイサーも持ってきますし、空腹でもありませんからよっぽど大丈夫だとは思いますけど」
「……」
どうだか、と思いながら少しだけ口をつける。うーん…アルコールという感じだ。しかしどこかでふわっとバニラのような香りがする。バーボンは初心者向けと聞いたことがあるが、確かにクセの強さはない。甘みも感じる…ような気がする。まぁ、少しずつなら飲めなくもないか…な。
「どうですか?」
「えっと、まぁ、想像よりは飲みやすいです」
「よかった。では私はチェイサーを持ってきますね」
ほっとした様子の彼に嘘偽りは感じられない。沖矢さんはスタスタと部屋を出て行ってしまう。チェイサーくらい自分で用意するのにな…と思いながら私は小説の表紙を開いた。さて、はじめてのミステリー小説だ。ちょっぴりドキドキしてきた。
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